険阻不穏な日常 00-EX03:言わない二人と見ない二人「昨日はスカルがまた迷惑かけたみたいで」
店に入るなり、そう言ってリングは頭を下げた。昼をとうに過ぎ、客のいない店内は静かだ。カウンターから上半身を反らしてそれを確認したウィンドは、手のおたまで自身の前を指し示す。大人しく椅子に座ったリングは、コンロの前へと戻っていったウィンドの背中を眺めていた。流れるような調理過程は、それだけで見世物として成立している。切って火を通す程度のことしかできないリングからすれば、舞台上の手品と大差がない。店内に他の客はいないので、今ウィンドが作っているのはデリバリー用なのだろう。このビルに詰まっているのはほぼ全て世間様から隠さないといけないようなものだが、だからこそあまりにも普通に、現代に適合した中華飯店として営業している。
「……で、本人は?」
ウィンドがリングの前に皿を置く。おや、とリングがウィンドを見上げると、面倒くさそうに「別にすぐ届けさせなくても良さそうだからね」とのことである。どうやら3つ上の階――間借り中の武器商人二人組――用のものだったようだ。少しばかり天井へと意識を向けると、静かではないような気配がある。
「確かに、どうせ今持っていっても冷めそうなだもんな。……スカルは出かけてる。ダストのとこ」
答えつつ、リングは皿に添えられていた蓮華を手に取る。肉と野菜が餡と共に飯の上に載っている、ウィンド曰くほぼ賄い飯のようなものだ。とは言っても作ってる者の腕が良すぎる為、一体どこがどうメニューのものと違うのかリングには全く分からない。スカル用にもこれを作ってもらおうか、などと呑気な考えも浮かんでいる。
「アイツが? 派手頭のとこじゃなくて?」
派手頭、とは所謂非合法薬の売人であるマーキュリーのことである。蛍光色に蛍光色を入れた目立ちすぎる髪をしていることから、この街で派手頭といったら彼のことを指す。元々警察であるリングからすれば今でもあまり関わりたくない人物だが、スカルは前々から懇意にしているらしい。ただ、スカルは痛覚と同じように、薬毒の効きも鈍い方だ。なので買った――稀に奪っていることもある――ものの大半は「遊び相手」へと投与されている。マーキュリーからしてもいいモニターなのだろう、お互い早くくたばれなどと言い合いながら比較的仲良くやっている……とリングは思っていた。口に出したら碌な目に合わないだろうが。マーキュリーの扱う薬の効果の程は、リング自身がよくよく知っている。
「俺も電話取った時驚いたよ。いつの間にか何か注文していたらしくて」
一方ダストはというと、数ブロック離れた先にジャンクショップを構える青年を指す。この街で中古品を扱う……となれば、脱法どころか完全違法の物品を扱っている。そのような者はダスト以外にも掃いて捨てるほど居るが、彼に敵う者はいない。リングも事務所の家具から電子機器まで取り揃えて貰ってからの付き合いだ。表に出せない厄介事ばかりの仕事で必要になる、多種多様のツールの確保にも毎度世話になっていた。あちらからも支払いを渋ったりしないリングはいいお客様であるらしく、良好な関係を築けている。一方スカルはというと、そもそも店もダストという個人も認識していないのではないか、というのがリングの見立てであった。が、実際は知らぬ間に物品の調達を依頼していたのでリングは本当に驚いた。伝えると早速取りに行こうとしたので、慌ててダストから伝えられた金額を持たせて送り出したのが先程の話である。本当ならそれから戻るのを待ってウィンドの元へ来るべきではあるのだが、昼も過ぎ準備中である今でなければ顔を出すのは憚られた。
「まだスマホ持たせてないの」
「いらないってさ」
リングは曖昧に笑って、蓮華を口へ運ぶことに集中した。ウィンドはそれに溜息を吐いて奥へ引っ込む。音からして片付けをしているのだろう。その背中を見る分には、至極普通の料理人に思えてくる。実際は大陸でも名の通ったマフィアだったのだが。一体大陸で何があったのか、リングは詳しいことは知らないし知りようもないのだが、断片的な話を総合すると後継者争いに敗北し、クーデターまで起こしたがそれにも失敗してこちらに逃亡してきた……らしい。過去に一度、恐れ知らずのスカルが「一体何をやらかしゃ、んな負け犬になるんだよ」などと煽った際に「……あの兄妹が虎の尾だとは思わなかったんだよ」と零していたが、どういうことなのかは想像もできない。
「殿」
無言の店内に低い声が響く。現代に馴染まぬ呼称で己の主を呼んだのは、見目もどこか古風な初老の男であった。主、つまりウィンドがこの時間も店側にいると知っているので、こちら側から帰ってきたのだろう。
「オマエね、その呼び方は恥ずかしいから止めろって言ってるでしょ」
丁度片付けも終わったらしいウィンドが、呆れつつリングの隣へやって来て座る。
「ですが、他の呼び方を却下したのは殿でしょう」
「王族みたいな呼び方されてもねえ……。かといって、お前のとこの慣習に合わせるとゴツいし、普通に名前にしてよ」
「それは、なりません」
男が食い気味に反論する。暫し二人の間に沈黙が流れるが、ウィンドの溜息で破られた。
「はあ、まあいいか。で、どうだったの」
「……俺、帰った方がいいよな?」
皿の残りを胃に押し込んだリングがおずおずと声を上げる。ウィンドを始めこの店は全員が淀み側の住人だ。だが、ウィンドとこの男――ヤマトの淀みは群を抜いている。それこそ「先生」と同じくらいには。一応中立の立場ということになっているリングが、この二人の話――見目のとおりに堅気ではないヤマトは普段決して店側に姿を出さない――を聞いてしまうのは宜しくないだろう。
「どっちでもいいけど」
「いや、よくないだろ……」
リングの心中なぞ見通しているだろうに、ウィンドの返答は軽い。リングを信頼している……というわけではなく、本当にどうでも良いのだろう。ただの逃亡者……否、それだけならばこうして五体満足で異国の地で配下と共に生活できるわけもない。その自由の理由はヤマトの所属する組がバックについているから、でもないらしい。どうももっと上――先程二人のやり取りにあったような、それこそどこかの王族のような――強大な者の後ろ盾があると「先生」はリングに雑談の態で話してきたこともあった。どこまで本当か定かではないが、何にせよただの一個人でしかないリングなぞ蟻のようなものだ。
「とにかく、ご馳走様。これ、昨日の分と一緒で」
「ドーモ。ヤマト、お釣り出したげて」
「あ、いや、そこは迷惑料ってことで」
「アレの行動に毎度迷惑料払ってたら破産するよ?」
リングが苦笑する。
「あれでも減ったいんだよ、あれでも」
「到底そうは見えないけど。ねえ、ヤマト」
ウィンドがトレイに釣り銭を載せてきたにヤマトに振る。それへ応えはしなかったが、ほぼほぼ肯定だろう、とリングは思った。ヤマトが己の主と意見を違えることは殆どない。リングは釣りを受け取り、立ち上がる。
「次からは金を出さなかったら叩き出してやってくれ」
「アイツ相手にそんなことしたら、本当に破産してもらうよ? あんな猛獣、オマエ以外に扱えるもんか」
「それは、そうかもしれないが……。いや、でも毎回言うだけは言ってやってくれ。アイツの為にならない」
リングの嘆きに、ウィンドが目を細める。
「……一番アイツの為にならないことしてるの、オマエじゃないの?」
ウィンドの冷えた声に、リングの動きが止まる。それをじっくり眺め、ウィンドは口端を吊り上げた。
「なんだ、自覚はあるの」
「……あるさ、でも……」
へらり、とリングが笑う。
――リングにとってスカルは、自分勝手な欲望を満たしてくれるただ一人だ。
「そのうち、アイツは俺以外に気がつくよ。……それまでにはちゃんと躾けるさ」
ウィンドの溜息を背中に、リングは店を出る。
スカルの昼食を買い忘れたことに、そこで気付いた。
「……あの二人、どっちも最高に馬鹿だと思わない?」
ウィンドの嘆きに、ヤマトは応えない。
「オマエもだけどね、ヤマト」
「はい」
「……それで、どういう仕事だって?」
「人探し、ですが……彼らに回すことになるかと」
ウィンドがまた溜息を吐く。
「結局、アイツらとの付き合いは切れないねえ」