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    ch6ee

    くろえ@ch6ee
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    ch6ee

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    七海とバレンタイン バレンタインだからといって別にどうこうしよう、と思うには落ち着きすぎてしまったし、さらに言えば近年は自分のためにしかチョコレートを買っていない、という事実はカードの引き落し明細からも明らかだ。おまけに自分の恋人ときたらいかにもいいお店のチョコレートは食べ慣れている、という雰囲気であるから自然と七海と私の間でバレンタインのイベントは無くなってしまった。一月の後半くらいから、毎年部屋に来た時に百貨店の催事で買った――実は努力の成果でもある――チョコレートを軽い声掛けだけで勝手に開けて齧っていることは知っているし、なんだかんだ毎年当日か前後のデートには七海が花を持って来る習慣だけが残っている。そして今年もそうだろう、と思っていたら七海の手には何もなく、部屋に迎え入れながら少しだけ寂しい気持ちになっていた。別にいいのだけれど、花を持っている七海のことは気に入ったいただけに少し残念だと思ったのだ。ドアを開けた瞬間に、目の前の恋人が一輪のばらを持って立っている姿を想像してみてほしい。あの幸福感が伝われば幸いだ。

    「ねえ」

     いつになく、部屋に上がり込んだ七海は不機嫌そうだった。彼にしては珍しい。彼は退勤後に感情をあまり引きずらないし、閑散期であるところの今はそこまで忙しいわけでもない。行きがけになにか不幸な出来事でも有ったのか心配するレベルで、休日らしく眼鏡とセーターの姿でずい、とソファの真ん中に座り込む。……いつもは私が隣に座れるように片方に寄ってくれるのに。

    「機嫌が悪そうね」
    「それくらいはわかるんですね」

     おまけにこの嫌味だ、どうしたというのだろう。コーヒーメーカーのスイッチを点けながら、顔だけリビングの七海に向けてもやっぱりその原因は伺いきれない。なにか最近困らせるようなこと、した覚えなし。彼の嫌いそうな出来事、記憶にある限りはなし。五条さんからの無茶振り、いま出張中だから多分なし。昨日の通話内容、極めて普通。お休みなさいまで言った。

    「せっかく久しぶりの休日デートなのに」
    「そうですね」
    「機嫌なおしてよ〜」

     パタパタとサーバーにコーヒーが落ちる音を確認してから、リビングの七海の元に向かう。ソファの真ん中で、ソファの領主めいてもたれかかる彼はやっぱり美しい。とはいえその美しい顔の真ん中から上にはくっきりと皺が寄せられていて――私はその鼻の付け根と皺の間を触るのが好きだった――ものを言わない彼はここ、とばかりに自分の膝を叩いていた。つまり、ここに乗れ、ということであり、彼の不機嫌の原因は私であるということだ。

    「え、私、なにかしましたか?」
    「……バレンタイン」
    「……おとといの?」

     七海の膝をまたぐように、彼に向かい合う形で膝に乗る。自分の膝はソファに乗ってしまうからそこまで体重をかけるわけでもないのに安定するし、顔が近くなるので彼はこの姿勢が好きなのを知っている。おとといの?という私の問いには少しだけ顎が動かされて同意を得られ、なにかしたっけ、と記憶を回顧する。そもそもその日は七海と遭遇していないし――今日が1週間ぶりの再会で、デートなので――昨日電話した時にそんな話をしたことくらいしか覚えていない。それのことだろうか。

    「何かあったっけ。教えて?」
    「昨日の話を思い出してみてください」

     ええと……。思い出せば、バレンタインに関わる部分といえば僅かな気がする。十四日は出張明けに高専に行きました。学生からチョコレートをもらって、お土産代わりに買ったチョコレートをあげた。なんといっても行き先が北海道だったので、空港で買いに買ったのだ。職員には銘々の分を置いていったはずで、七海とニアミスすることはわかっていたので置いていない。

    「……私の分だけない」
    「七海……意外と気にしてる?」
    「気にします。意外ではない」

     私を支える手に僅かに力が入っている。そんな、ここ数年きちんとバレンタインしたことないのに、と思いながら過去を振り返れば、きちんとしていないだけでなんだかんだ彼は私のコレクションのご相伴にあずかっているし、確かにこの時期に連れ立って比較的きちんとした食事に行くことも多かった。今年はコレクションのご相伴もなく――私が家を空けがちだったので、そもそもチョコレート戦争に参加していない。来月にはこの仕事にしては珍しく欧州へ出張もあるし――珍しくバレンタインめいた行事を職場でしたと思えば自分の分だけないのだから、たしかに機嫌を損ねるのも納得はいく。

    「ごめんね」
    「……」
    「でもね、七海にお土産っぽいチョコレート選ぶのはなんか失礼な気がして」

     美味しいチョコ、食べ慣れているでしょう?そう宥めるように言い聞かせても七海の眉間の皺は緩む気配もない。いや、私が食べたいだけで確保している限定のシャンパンフレーバーをここぞとばかりに渡すこともできるのだけれども、なんだかすぐにバレてしまう気がしてできない。決して私の食い意地が張っているからではない。好みから僅かに外れただけで、七海はそういうのにすぐ気付くからだ。彼の趣味なら普通のオーレ味を選ぶのが正解で――その味はもう家にはない。職場で配りきってしまったので。

    「今年は」
    「はい……」
    「貴方にめいいっぱいのバレンタインをしてもらうことで手打ちにしましょう」
    「めいいっぱい……?」

     もう一度繰り返しても、一向に具体例は出てこない。ええ、めいいっぱいの、考えてください。そう言って七海は少し意地悪く口角を上げる。例えば?と質問しても笑うだけで、私が困れば困るほど少しだけ嬉しそうに考えてください、とばかり繰り返す七海は不覚にもちょっとセクシーで、困惑する気持ちに火がついてしまう。苦し紛れに絞り出した、一緒にケーキを焼きましょうという提案に――なぜ一緒に?とは言うけれど――やっと納得したらしい七海はやっと私の顔に手を掛ける。

    「食べさせてくれたら、めいいっぱいということにしましょう」
    「そもそもお菓子なんか作るの、久々なのに……」
    「失敗してもいいですよ。また作ってもらうので」

     貴方がキッチンに立つのも久々ですねえ、とまた囁かれながら――料理は専ら七海がすることが多いので――七海はどこか嬉しそうに私の頬を撫でる。くすぐったいし恥ずかしいけれど、なんだか久々に見た素直な七海の感情の発露に、意外と影響を与えられるなら季節行事に乗っかるのも悪くない、と思い直す。来年はもう少し考えてあげよう、来年のリマインダーに入れておこう、と思ったけれど、七海の腕はポケットの中の携帯でレシピ検索すらさせてくれずに私の身体に巻き付いていた。
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    ch6ee

    DOODLE
    七海とシャツを仕立てに行く話「では今度の土曜、新橋に十一時」
     
     ちょっとした出来心だったのかもしれないし、もういい頃合いだ、と思ったからなのかもしれない。新しいシャツを仕立てに行こうと思ったタイミングで後輩からシャツについての質問を受けた。何度も昇級について推薦をねだっていた後輩だったので、これは前祝いで、それから自分からの挑戦でもある。そう思って七海は猪野を次の週末の昼に誘った。恋人も居る回ではあるが、そこは旧知の仲なので支障はないだろう。デートの頭に三十分ばかりください、と彼女にスケジュールの調整を依頼すれば、すぐさま仕方ないなあ、とむくれたキャラクターのスタンプが返ってきてさして問題はなさそうだった。
     
     秋の休日の昼、新橋駅烏森口に十一時。三人の術師が改札で待ち合わせ。猪野くんには直前に彼女のことを伝えていたので待ち合わせのときには小さく驚きがあったらしい。それはそうだろう。彼女はいつもの職場での格好ではなくてデート仕様なのだから。今日はそのあと彼女のお願いで映画をみて、アフタヌーンティーに行く予定だった。そのせいで普段のデートよりもよっぽどめかしこんでいるのだから、彼からしたら別人だろう。
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    ch6ee

    PASTねこ主とななみのねこのひ
    ※ご都合術式

     吾輩は猫である、名前はまだない……ではない。私にはれっきとした名前もあれば学歴も職歴もあって、それから家族は……家族は夏目漱石の「吾輩」と一緒でいない。仕事の帰りに気が抜けたら後部座席で猫になってしまっていた。原因は明らかで、直前の憑き物のせいだろう。うわ、と声を出した瞬間に視界のアイレベルがどんどん下がる。そのせいですぐに異変に気づいた運転席の同僚はひどく素っ頓狂な声を出して路肩に車を停め、私の姿を探そうと後部座席のドアを開いて私の着ていた衣服の中を探って私の新しい身体を抱き起こした。明るいところで自分が伸ばした腕を見れば、一面のグレイ。なぜ、と思いながら手に力をいれれば尖った爪がぬるりと光り、また補助監督の彼女の叫び声を――今度は間近で――聞くことになる。取り落とされない分マシだった、と思いながら彼女は再び私を後部座席に戻し、上司に電話をかけ始める。彼女と一緒でよかった、緊急時の手順が身についている同僚は信頼がおける。そう思いながらガラス越しに彼女を見上げれば頻繁に視線が合う。ドアが再びあいて、すみません、そんな断りとともに自分が撫で回されているのを感じるが、普段の信頼関係からは抗議する気にもなれない。電話が終わるまで彼女は私の首から背から、何から何まで撫で回して――代わりに電話の終了とともにその手を止めて私の着ていた衣服を畳み始めた。さっき助け出されたときにうすうす気づいていたが、今の私は何も身につけていない。ジャケットから下着、ストッキングに至るまで軽く畳んでトランクルームから出した紙袋にまとめる彼女に、ごめん、と言い掛けたらんやあん、と想定内の鳴き声が自分から出て何も伝わらなかった。人間に戻ったときにお礼をしよう、そうするしかなかった。
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    ch6ee

    DONEお疲れの七海は認知能力が落ちたりしてかわいい、とか幼い語彙を喋ってほしいな〜と思っています。そこまで働かせないであげてほしいです。※ネームレス健全夢です
    就眠儀式 ひどく疲れた出張だった。それでも予定よりも一日半早く終わり、日本にいる補助監督に有り余る無理を依頼しながら七海は飛行機のスケジュールを繰り上げさせ、今から間に合う最も早い東京行きの飛行機――羽田の終電ギリギリ時間になるだろう予約――の発券番号を手に機場に向かう。
     預入荷物の奥に鈍の刃も仕舞われ、ついでにコートを預入荷物の隙間に詰め込んで預けてチェックインすれば、変更された予約はきちんと通り、薄い冊子にハンコを押され、数時間を過ごし――最終的に告げられたのは大雪での出発遅延のアナウンスだった。シャワーを浴びてなおイライラしながら七海はグラスを傾けながら続報を待つ。
     ラウンジの新聞に飽きて適当に洋書を買い、文字を目で追いながら耳は順延のアナウンスを追う。まだ彼女にいつごろ帰れそうだ、だなんて通知を送っていなくて良かった。きっと彼女はそれを聞いたら起きて待っていただろうから、必要以上に待たされる体験は自分一人で十分だ、と七海は白く、他の情報を消してばかりの大きなガラス窓に視線を向けながら思う。
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