誕生日。それは概ねその人物がこの世に産まれ出た日を言うだろう。
誕生日。…俺にとってはなんの意味もない日。ただ、収監される時に必要な情報だと聞かれたから、今日だと答えただけ。
だから、ここの管理者になった時から。その日付は全く意味のないものになった。
「ふぁー…おはよ、看護師ちょ…」
なった、はずだったんだ。
「たんじょーびおめでとう公爵」
「おめでとう」
「…あぁ、ありがとう。朝の六時はやめてくれ…眠いんだこっちは…」
師長と、クロリンデさん。それとメリュジーヌ達。
「だってこれからみんな仕事なんだもの。」
「だからだよ。いつも夜だろ?まぁ、でも、嬉しいよ。ありがとうな」
頭の上に、優しく手を乗せる。
「よっしゃ朝飯にケーキでも食うか」
「これは君に持ってきた」
クロリンデさんからの包み紙
「あぁ、ありが…んリップクリーム」
「もう少し自分の身なりに気をつけたほうがいいかなと。切れるぞ。唇が」
「は?」
「うちからはーこれっ」
可愛らしいイラストのチューブ
「…歯磨き粉?」
「もうハンドクリームなのよ」
「は?」
なんだかガラに合わない華やかなものを貰っている。
「…なんで?…なんかいつもと違うな…何企んでる?」
「やぁねぇお誕生日なのに企むことなんてしないのよ」
「そうだ」
「クロリンデさんあんたなんかニヤついてないか」
という問いは、メリュジーヌたちからのプレゼント攻撃でかき消された。
そしてそのまま賑やかな朝食。
「まぁ、でも、悪いな毎年。俺なんかが決めた適当な誕生日を祝ってくれるなんて。みんなありがとよ」
最後のケーキを頬張って。笑顔で本心を伝える。
みんな、俺なんかのために色々考えて、プレゼントなんて用意して、こんな朝早くに集まって、笑顔で。…誕生日というよりも、こういう事をしてくれることに、申し訳無さと、素直に嬉しく感じる気持ち。
…ただ一点、少しさみしい気持ちもあるが。まぁ毎年のことだ。あとで大きめの箱にいろんな茶葉が届くだろう。そこに入ってる俺宛の、俺だけのために書いてくれた手紙。それを見るのが楽しみなんだ。
「はいっじゃーみんな仕事仕事解散ー」
そう指示した師長を見て、なんとなく。
「じゃあ夜は何もない感じか?それもそれでさみしいな」
すると師長とクロリンデさんがお互いを見つめて、お互いニヤつきながら
「なにを言っている?」
「ほんとバカよねー公爵ったら」
「あぁ?なんだよ…」
「ほらお仕事行くのよ。じゃあね公爵またあとでー」
「私も失礼する。使うんだぞ、リップクリーム」
あんなに騒がしかったのに。ぽつんと残される執務室
そんな一日の始まり。
◆
「あー、疲れた…」
そんな一日の終わり。両手には紙袋沢山に入っているプレゼント。
「あら公爵お疲れ様。うふふ、モテモテね」
「茶化すなよ。ここで最後だ。何もないか?」
最後の見回りでこのザマだ。
「大丈夫、なにもないわよ。今日はもうゆっくりしたらどう?改めておめでとうなのよ、公爵」
「おう、ありがとよ」
その言葉に甘えて、執務室に戻る。
重いドア、階段を登り、机にどさりと紙袋を置く。
一息。そうだ、と。俺宛の荷物が届いてる筈だと少し浮ついた気持ちで横を見る。
ガタッバサバサ
息が止まる。
後ずさって思い切り机にぶつかった。
「なっあんた…なん」
それは、背景に溶け込むように。足を組んで優雅にカップから飲んでいる姿。荷物じゃなくて当人がそこにはいた。
「ごきげんよう、リオセスリ殿」
「何で…?」
すくりと立ち上がり、カツカツと近付いてくる。理解が追いつかず、机に乗り上げるように逃げ腰になる始末。
「想い人の誕生日を隣で祝いたかった」
「あ…あぁ…看護師長か、悪いな、忙しいのに…っ」
ぐいと寄るその端正な顔は、会う予定でもなく急に見せつけられている俺にとっては刺激が強すぎる。
「私が、望んでここに来たのだ。…本当は、毎年思っていたことなのだが、君に迷惑がかかるかと思い…」
「そ、…そか…」
「ふむ、いちど深呼吸をしたらどうだろうか」
このザマを見られて、恥ずかしい。カッコ悪ぃ。
数回、深呼吸をして。落ち着いた頃に。
「リオセスリ殿は、プレゼントは何が良いだろうか…」
机に座り、足の間に腕を入れる俺の手に、遠慮がちに触れながらそう問う。
いじらしいその姿、堪らない。
「ん、俺は…ヌヴィレットさんといられればそれで充分…あ、」
それは、夢に描いた光景。
「…キス、したい」
きっと浮ついていた。こんな、俺から願うなんて。ヌヴィレットさんが飽きるまでそばに居られればいいだけなのに。願ってしまう。
「構わない」
「待っ…待ったヌヴィレットさん…っ違う」
そのまま押し倒そうとされて慌てて胸元を押し返して抵抗する
「なんだ」
「お、俺から、したい…」
一瞬、その瞳が丸くなり、一歩引く。
待っている。
俺が?俺から?いやいや、なにを言ってるんだ。
でも、いいだろ。こんな日くらい。
思い切って、胸ぐらをつかんで引き寄せて、触れるだけのキスをして。
両手で自分の顔を覆う
「…くく」
「笑うな」
「いや、随分と可愛らしいなと」
「笑うな」
俺だってもっとカッコよく出来るつもりだったんだよ。何回も、予行演習という名の想像ならしてるのに。
「顔を見せてくれ」
「嫌だ…嫌だって言ってる…っ」
無理やり引き剥がそうとしてくるその腕を意地になって防ぐ。ふっと力が抜け、諦めたようだ。
「ふむ、君の唇は乾燥しているな。もう少し自分の身体を大切にしてほしいものだ」
「えっ」
そう言えば朝も言われたな、と
ほぼ反射のように自分の唇に触れてみる。
それを持っていたかのように、触れられる。ひやりとしたその指で、形を確かめるように。
「は…」
呼吸が乱れる。
「あ…貰った、リップクリーム」
「ふむ」
「あと、ハンドクリーム」
「ほう」
乾燥イコール保湿、としか、この動かない頭ではこれが限界になっていた。
じりじりと近寄っていたその瞳に耐えられず、逃れるように身を捩り机の上に置いてあったプレゼントを手に取る。
「では私が塗ろう」
「は?」
思考力が鈍り、抵抗さえもできなくなっている、俺の足の間に置かれたその手を、拾い上げる。
手袋をゆっくりと脱がされ、片手で器用に蓋を開けて、クリームを、乗せる。ヌヴィレットさんの手に。
それをなじませてから、俺の手に。
「冷たくてすまない」
手の甲、掌、
「っ…は、」
指の間、爪の先。丁寧に、念入りに。
「カサついているな。苦労をかけている」
その伏し目がちの睫毛に魅入られて。
「次は反対だな」
身が持たない。
反対の手も、同じように。時折ぴくりと反応してしまった指を、たしなめられるように撫でられながら。
整わない呼吸を整えるのに必死で、すでに息も絶え絶え。
やっと手を開放され、終わったと安堵。それもつかの間
「次は口元だな」
「いやっ流石にそれは…っ駄目だ」
「今日は君は貴賓だ。私にやらせてくれ。」
そんなまっすぐに見ないでくれ。本当に駄目なんだその眼が。
その華奢な白い指で、顎を掬われ。
口呼吸しか出来なくてだらしなく開いた口元に、優しく。
「は…は…っ」
後ろに倒れそうになるのを、必死で後ろ手で支える。
「こら、動くな」
ゴクリと喉がなり、動く口。
「む、り」
「ふむ、こんなものか」
顎を救われたまま。空いた片手を頬に添えられて。
覆いかぶさるように。
「ん…ぅ、は…ヌヴィレット、さ…」
やっと与えられた快楽。既に頭は何も考えられなくて。
「…柔らかいな」
まるで美味しいものでも食べたかのように、ちろりと自分の唇を舐める。そんな仕草、するのか。
そして軽く、額に落とされる唇。
「…誕生日おめでとう。リオセスリ殿」
「あ、んた…性格悪ぃ…」
その口元は笑っている。
「君の、名前も、誕生日も、偽りだった」
それは、人生なんて地獄のほうがマシだと思っていた頃の。
「…君の、名前も、誕生日も、そろそろ本当に、なってくれているだろうか」
それは、いつしか。俺を取り巻く人たちが、あまりにもお人好し過ぎて。
この人は、ずっとずっと、何年も。俺を見てくれていたんだと。その表情が物語っている。
堪らず、抱き寄せた。
ちょうど、胸元に当たる耳。動く心臓の音。あぁこの人もいきているんだなぁと。当たり前のことを認識して安堵する。
「俺の周りにはそう思わないと怒るやつが多すぎる」
「ふふ、そうか」
ふわふわと、撫でられるその行為。思い出にない行為。なのにとても心地が良くて。
「…俺の誕生日は今日だよ。ありがとう。ヌヴィレットさん」
誕生日とは、産まれ落ちた日ではない。
自分を認識して貰えた日なのだと。