噛み菓子「来るのが遅い」
コシチェイは脚を組み直し、衛兵をにらみつける。机の上には研究資料が散乱していた。書類の修正に力が入りすぎたのか、鉛筆の折れた芯も散らばっている。コシチェイは利き手でナイフを固定し、黒鉛を凶器のように尖らせていた。
メギドラルの季節は鈍い。フォトンの薄い地ではなおさら。北の理術院は人体実験を取り扱う都合上広大な敷地を必要とし、マグナ・レギオから離れた位置に建設されている。牙の内海の更に北部、よく言えば静謐、悪く言えば不便。比較的フォトンの豊かな都市部と違い、めったに晴れ間もない。
「申し訳ございません」
衛兵はもごもごと口を動かす。ばつが悪そうな顔をしながら、後ろで手を組む。寒い風が吹いているにも関わらず、彼はいつも通り薄着だ。彼の本質―メギド体―が温度の影響を受けない無機質なものであるのも関係があるかもしれない。噛み締めた歯の隙間からくちゃりと音がした。
「何を食べているのかな?」
しゅっ、と鉛筆の削りカスが飛んだ。もう削る必要のないだろう、筆記にはそぐわないほどむき出しになった黒い棘。コシチェイは静かに怒りを募らせている。この男の「個」は脆弱な肉体を凌駕して恐ろしい。そのことに気づいている者は少ない。
多くのメギドは彼を侮り、消えていく。あるいは彼を理解できず過剰に距離を置く。衛兵はコシチェイを侮りもしなかったが理解もしなかった。ただ与えられた椅子に座るのみ。周りから見れば衛兵もまた「理解できない」人種なのだった。
「噛み菓子です」
「噛み菓子?」
衛兵は柔らかくなった粘り気のある物体を舌で撫でた。確かに食料を口に含みながら部屋に来たのはまずかったかもしれない。急に呼び出され、吐き出す暇もなかった。コシチェイは興味深そうに聞き返した。
「嗜好品ですよ。噛んで味を楽しむものです」
「ああ、君にはお似合いだな。嗜好品。能無しの愚か者が時間を浪費するために使うおもちゃというわけだ…」
コシチェイはナイフを置き、机を支えにして立ち上がる。尖りきった鉛筆をぎらぎらと振りながら衛兵の顔を見つめる。
「一つ寄こしなさい」
「…そこまで馬鹿にされるのなら必要ないのでは」
「ぅるっせーな!!必要かどうか決めるのはオレだッ!さっさと渡しやがれ!」
視界に黒が迫る。コシチェイは衛兵の右目に鉛筆の先を突き立てた。脅しではない。激昂したコシチェイに手加減という文字はない。衛兵はとっさに後ろに下がり、下まぶたをぴくりと釣り上げた。緊張は途切れ、コシチェイの手はさがる。
「…いけない。かっとなるといけないな。それで、持っているのかな?」
「…持ってます。余計に持っていたので」
衛兵はもう一歩下がってズボンのポケットから噛み菓子を取り出し、コシチェイに投げる。彼はそれをわたわたと不器用に受け取った。
「ふむ」
コシチェイは包み紙から噛み菓子を取り出した。四角く成形された粉っぽいかたまり。黄色がかっている。少し指で押すとそのまま指の形に沈むほど柔らかい。犬歯で菓子の端をかじる。舌で舐め、飲み込むが、味がしない。半分に割ってさらに口に含む。
「んん…」
ほのかに甘い。コシチェイは味の機微がわからなかった。噛むと甘みが増す気がしたが、歯にねばつくのがなんとも気持ち悪かった。
「これを…娯楽で…」
「コシチェイ様には合いませんかね。もともとヴァイガルドに偵察に行っていた者が持って帰って来た代物で。あ、味がしなくなったら飲み込まないで包み紙に吐き出してください。そういうものなんです」
コシチェイは苦い顔をしたまま、研究資料の一枚をちぎり、口に当てた。衛兵からやや顔をそらすと噛み菓子を吐き出し、その紙を折りたたむ。半分残っている噛み菓子を包み紙に戻し、雑然とした机上からトレーを引っ張り出し、その上に噛み菓子の包み紙を二つ、乗せた。
「携帯フォトンを持ってこい、と言うつもりだったんだ。いや、それはもういい。君が持ってるありったけ、噛み菓子を持ってこい。十もないなら、取ってこい」
「は…了解しました」
コシチェイは椅子に座り、資料の余白に尖った鉛筆でがりがりと何か書き始めた。目にはぎらぎらと炎が宿っている。牙をむき出しにし、鼻を膨らませる様は戦争屋のメギドが戦場でする顔に似ていた。