『ミチ』(11)久しぶりの実家は、相変わらずだった。
綺麗に掃除され、ホコリひとつも無い、広くて寂しい家。私は父に連れられ家の中へと入る。
「…。」
決して「ただいま」とは言わず、玄関で立ち止まる。父はどうやら母を探しているようで、何度も母の名を呼びかけていた。
逃げるのなら、最後のチャンスは今しかない。
…逃げよう、私の本当の居場所に帰ろう。父が奥の部屋まで行った事を確認すると、気づかれないよう玄関の扉を開ける。
「寮に早く…帰らなきゃ」
辺りは既に暗く、見上げれば夜の空が広がっていた。音を立てずに扉を閉め、学園へと戻ろうと庭を進む。しかしその時、私の運は尽きてしまったのだろう。呼び止められてしまった。
「アルバ!!!!」
後ろを振り向くと、そこには息を切らした母がいた。
「アルバ、どうしてここに?あぁでもよかった、早く家に入って」
母は珍しく慌てた様子で私の腕を引き、また家へと戻される。両親が息を切らす程走るなんて、一体この白髪に何の意味があるというのか。焦りと、恐怖、そして果てしない疑問が、私の思考を占めていた。
「貴方!居る!?貴方!!アルバが!」
母は家へ入ると父に向かって何やら呼びかけている。私の知っている母は、いつも冷静で、決して取り乱すことはなく、まるで人形のようだった。いつからなのだろうか、いやちがう、私のこの青のメッシュが、あの母をここまで変えているのだろう。
母は私の手を引きリビングまで来ると、私にここにいるよう伝えると、またどこかへ姿を消した。
もはや逃げる気は起きず、そのままソファに座り天井を眺めた。通信端末は相も変わらず動かない。
魔法があるのだから、もう少し便利になってはくれないだろうか。私は端末をソファの上に軽く放り投げ、背中を預けた。
*
しばらくたった頃、父が戻ってきた。
「アルバ、」
天井から目を離し、声の主に顔を向ける。
「……父様」
そこにはいつも通りの父が立っている。先程までの弱りきった姿はなく、赤く、そして暗い瞳がそこにはあった。
「なぜ髪を染めた。あれほど染めるなと言ってきただろう」
その父の一言で部屋の空気が濁る
あぁまずい。
私は油断していたのだ、父があまりにも以前と違っていたから。もっと必死になって逃げればよかったと、今になって後悔をする。
「白髪はオノールの象徴なんだ。お前は何も疑うな。」
「…ですが、私はもうオノールではないのですよね?」
「…誰がそんなことを言った」
「母様です」
「ふざけるな。お前はアルバ・オノール。オノール家の長女であり、オノールの技術を受け継ぐべき高貴な存在だ。」
少しだけ声を荒らげた父は、眉を釣り上げ、眉間に皺を寄せる。まさに支配者の顔。
「お前は自分の部屋に戻っていなさい。部屋から出るなよ?絶対にだ。いいな?」
「……っ。」
私の身体はまるで、細い糸で操られているかのようだった。身体が言うことを聞かなければいけないと、私の意思も介さずに司令を出す。
扉の前に立っていた父の横を通り、足音を鳴らさぬよう、静かに階段を登る。
逆らってはいけない。今の父を前にして、感じられるものはただ1つ、恐怖の感情。
「……どうしよう。」
私は扉のノブに手をかけ、小さく不安を吐露した。
その手は無慈悲なまでに、扉を開けた。
久しぶりの自室は昔と変わらず、そのままに残されていた。
私は椅子に腰掛けると、ポケットからロケットペンダントを取り出す。
それは、兄様が残してくれたペンダント…__。
「兄様……、私を……。」
ペンダントを見つめ小さく口を開けるも、数日前に兄様に誓った事を思い出し、即座に口を結ぶ。
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
「……。いいえ、兄様に頼ってはいけないわ。私一人でなんとかしてみせる…」
大丈夫、大丈夫……。きっと大丈夫だから…。
私の手は少し、震えていた。
ー●ー
アルバ・オノールは2月2日、消息を絶った。
彼女の失踪に気付いたのは、同室のミリーである。連絡も無しに夜は老け、ついには朝を迎え、不審に思ったミリーは彼女に音声通信をかけるも、応答はなく。彼女と1番近しい関係である人物に行方を聞いても、答えは「わからない」のである。
2月3日、我々は彼女が消えたことを知る。
すぐに学園の教師へと相談すると、オノール家の自宅へと連絡が行く。…しかし、そこでわかったのは、「アルバ・オノールは実家にいる」という事。
卒業を控え、授業もない大学四年生にとって、実家に帰るという事は珍しくもない。教師は安堵し、人騒がせなミリー達に小言を零すも、一件は解決した。
ように見えたが、彼女の親友であるユリス・レイモンド・バークリー及び、彼女と近しい関係にあった者たちは疑問を抱く。
「なぜアルバは実家にいるのか」そして「なぜ連絡のひとつも無いのか。」
アルバ・オノールが家族と上手くいっていない事など、彼らにとっては周知の事実。彼らは彼女の実家へと足を運ぶ者もいたが、誰1人として、その実家に住む人物を見た者は存在せず、当然、彼女の姿は確認できなかった。
その上、彼女の実家周囲を確認すると、全ての窓は内側から木の板で隠されており、綺麗に整えられた庭の草木と相反したその光景は、なんとも不気味な物だったという。
そうして、彼女の失踪から無情にも時は過ぎていった。
ー●ー
私は大学生になったその年の春頃、ある1人の青年と出会った。
「これ、君のお兄さんから。君に渡してくれって。」
「……兄様から?」
その青年は私に一声かけると、ある小さな物を取り出す。それは、光に照らさずとも僅かな自然光でキラキラと輝く宝石。石面には金模様の技巧が施されており、まるで深海に沈む宝石かのような、そんな奥ゆかさが感じ取れる。
私はその傷1つない物を暫く凝視すると、それがロケットペンダントだということに気付く。
カコッという小さな音と共に、ソレを開ける。
そこには、
幼い頃の自分の写真が大切そうに収められていた。
私は兄にとって、いったいどんな存在だったのか。
これまでずっと兄を愛していたが、兄はそれをどう感じていたのか。
そんな不安がするりと流れ落ちた瞬間だった。
(…兄様の傍に、ちゃんと私はいたんだ)
「ずるいよ…兄様…」
大粒の涙が零れ、初対面の人の前だというのに、その涙は簡単には止まってくれなかった。
「…ずっと、大切に預かっていてくれてありがとう……ほんとに…ほんとうに……ありがとうございます」
私達とは正反対の黒い髪に、青と紫の鋭い瞳を持つ彼のことはきっと、兄様も気に入っていたに違いない。
独りで旅立った兄の温もりは、まだ地上にも残っていたようだ
ーーーーーーー
アルバは暗い部屋の中で、兄の磨いた宝石を眺める。
何年経ってもその輝きは失われず、光の有無など諸共しないその最大の魅力は、誰が見ても惚れ惚れするだろう。
高い技術力を持つ兄が遺した遺品、原石の輝きを最大限に活かしているソレは、アルバにとって心の支えとなってきた。
いったいどこの誰が生み出した、どんな原石なのかは知る由もないが、そんな事、アルバにとってはどうでも良い事だった。
もっと、兄が磨いた宝石が見たいと今更願ったところで、実物など、とうの昔に神様に贈られてしまったのだ。
神様なんて興味もないが、少しだけ、羨ましく思った
ー○ー
僕は兄に話をするため、兄がアルバちゃんを連れて行った翌日、兄の家へと向かった。
工房のすぐ近くにある実家は、自身も見慣れた家。しかし、その雰囲気は以前とは全く異なっていた。窓という窓に内側から何重にも木の板で打ち付けているようでいて、庭は綺麗に整えられている。
実家がこのような有り様になっていて、何も思わぬ心は果たして心と言うのだろうか。
兄は幼い頃から何を考えているのかわからず、私と話してもすぐに、逃げるように走り去っていた。どんな父親になるものかと思っていればこれだ。技術はあるが、それしかない。子供にも、奥さんにも暴力を振るっているらしい。
兄がこうなってしまったのは、弟である自分にも責任があるだろう。僕がもう少し、ちゃんと関わっていればよかった。
一家の父親として、今なら兄のことをわかってやれるかもしれない。
僕は実家のインターホンを押す
しばらく待っていると、扉は開かれ、中から兄が姿を現した。
「…何の用だ。」
今日の兄はえらく高圧的な目をしており、あからさまな苛立ちが目に見えて伺える。
「兄さんと、話したい。」
「お前と話すことは何も無い」
「僕はあるんだ。」
「俺はない。」
「兄さんは何にそんなに苦しめられているの?」
「……」
「兄さんが、白髪に生まれてしまったから?」
「……」
「確かに、僕も父さんも母さんも、……これまでのオノール家の人達はみんな桃色の髪をしていたよ。だけど、それだけじゃないか」
「…。」
「そんな髪色だけで、僕達家族の絆は無くならない。何も髪色が家族の証じゃないんだ、ほら、瞳の色は兄さんも僕達と同じ、赤色じゃないか」
「……」
「…ねぇ兄さん、ノクスくんはどうして自殺したと思う?」
「……」
「きっと、耐えられなかったんだよ。兄さんの支配に。」
「……」
「……ノクスくんはずっと傷が絶えなかった。実力は人一倍優れていたはずだ。なのに、なぜそんなに上を目指す?!」
「いいじゃないか、研磨職人なんてたくさんいる。もう昔じゃないんだ、いつまでも過去の習わしに囚われていてはいけないんじゃないかな」
「どうせ神様に渡すんだ。なにも、人の、自分の子供の命を奪うほどの技術なんて、いらないんじゃないか?」
兄さんはこちらを見つめているにも関わらず、一向に口を開こうとしない。ただ静かに、まるで氷のような瞳を向けてくる。
しかし、僕が訴えかけなければ、誰がこの兄を救うというのだろうか。
「違うかい…?兄さん」
「……」
すると兄は、小さく息を吸い、口をゆっくりと開いた。
「言いたいことはそれだけか?」
「え、」
「ご苦労なことだな。」
兄はそのまま家の扉を開け、その中へと消えて行く。……振り返る事など、なかった。
「…そんな、、。」
「……。いや、折れちゃいけない。諦めたら、誰も救うことができない」
僕は優しい人でありたい。皆と仲良くしたいし、苦しむ人がいれば助けたいと思う。僕に誰かを救う力が本当にあるのかと問われると、確信はできない、しかし、それを目指すことは誰かに奪われていいものではないはずだ。
僕の思いは絶対に届く、信じていればきっといつか……。
僕はもう1度、インターホンを押した。
ーー□ーー
「あの子の気持ちも考えてあげなさいよ!」
なんでもない学園の中で、女の怒声が響いた。
男は表情1つ動かさず、女を見つめる。
「どうして、アンタってやつは…」
女は男へと詰め寄り、男の胸ぐらを両手で掴み涙ながらに訴えかける。それは悲痛な叫びだった。
「最低よ!アンタは最低!平然としちゃってさ、人の心がないわけ!?」
「アンタの心の中に、あの子はいないの!?」
女は何度も男の胸を殴る。
決して力強くなく、弱々しい拳は、それでも男を殴り続けた。何度も、何度も
「…キミに、俺の気持ちなんてわかるわけないだろう」
男はピクリとも動かず、女から目を逸らし、そう吐き捨てる。
「……。っ、わからないわよ!アンタみたいな最低な男なんて!!わかりたくもない!」
女は酷く失望した様子で男から手を離し、そのままどこかへ姿を消した。
男は、自分も家に帰ろうと帰路へつく。
しばらくすると、……なん筋もの涙がその頬に流れていた。
ー○ー
ヒペリカは思い通りにいかない現実に憤っていた。
なぜ自分がこんな目にばかりあうのだと。何度も壁に拳を突きつける。
その瞳に浮かぶのは憎しみか、はたまた恨みの感情か。
仕事など手につかず、食事もとれたものではない。毎日3食、決まった時間に妻が手料理を運んでくるが、ヒペリカがそれに手をつけない日は何度あっただろうか。
妻であるヒスでさえ、視界に入れては不快感を感じ、暴力を振るう。今のヒペリカの手は、もはや職人ではないのだ。
ヒスの身体には日に日に打撲傷が増え、痣が目立つようになる。しかし、ヒスはヒペリカの傍を離れることはなかった。
どれだけ殴られ、怒鳴られ、支配されたとしても、それは愛する夫に他ならない。
その上、自分がここを離れてしまえば、その矛先は現在も2階にて監禁されている娘に向かってしまうのである。
自分には娘を助ける力を持ち合わせていないが、愛する子を護りたいという願いは、親であれば誰もが持っているであろう。
ヒスはただ、耐えるしかないのだ。
そんな中、ヒスはインターホンに映る青年の存在に気付く。
彼は以前、ちょうど街中で2人を見かけた時、アルバの隣に居た青年。そして彼はインターホン越しに明かしたのだ「バークリー」の人間であることを。
「バークリー」その名は、幼少期から大人になるまで、何度も耳にした事がある。まさか、あのバークリーが娘の友人だなんて。
ヒスは画面の向こうに映る青年に少し警戒心を強める。
…しかし、この青年がバークリーという力を持っており、娘の友人だというのであれば、この壊滅的な状況からアルバを逃すことができるかもしれない。
そんな淡い期待を込めて、ヒスは青年に呼びかける
「そこを動かないで。……少し待っていて」
何をするにしても、まずは正しい友人であることを娘に確認しなければいけない。
ヒスはヒペリカにバレぬよう、忍び足で2階へと上がり、アルバの部屋の前に立つ
「アルバ」
「……なんですか」
「…バークリーさん、って、貴方のお友達?」
部屋の中でガタリと何かが落ちる音がした後、少ししてから返答が返ってくる
「とも…だち。」
「そう」
「ねぇ、何もしないでね?」
「…」
「そのバークリーって人は、私の大切な人なの」
「……」
「お願い。私はどうなってもいい、その人だけは何も手を出さないで…。関わらないで」
アルバの声は震えていて、扉のすぐ向こう側にいるようだった。
「……安心して、少し、協力してもらうだけだから。」
ヒスはそう言い残すと、家の前で待つ彼の元へと向かう。
全てはアルバを逃がすため。
このままではきっといつか、私も、娘も、ーーに殺されてしまう。
「…ねぇ、あなた…。……私が、護るからね。大丈夫よ」
ヒスは震える手を、もう片方の震える手で握りしめた。
ー * ー
「初めまして、バークリーさん」
私は重たい家の扉を開け、赤髪の彼へ会釈をすると、彼もまた、こちらに会釈を返した。
細身でありつつも、簡単に物を通せそうな弱さは感じられず、強者の顔つき。しかし、その身に纏う空間は、親しみやすさそのものだった。
流石、バークリーの人間といったところだろうか。のほほんと生きていると、その事にさえ気づかないだろう。
「初めまして、貴方は…?」
「私はアルバの母、ヒス・オノールと申します。」
「…これはお母様…。失礼、僕はユリス・レイモンド・バークリーと申します。」
青年はニコリと静かに笑みを浮かべる。
私としては長い立ち話は控えたいため、本題に入らなければいけない。このような状況で、アルバの友人の人間性まで知る時間はないのだ。
「時間も限られていますので、手短に。貴方にお願いしたいことがあります。」
決して舐められてはいけない。バークリー家ほどの存在を前にすると、今のオノール家は霞み、その強さも、価値も、勝ることはないだろう。しかし、オノール家に嫁いだ妻として、信用させなければならない。
どうしても今は、目の前にいる、この「バークリー」の力が必要だから。
「ただ今、アルバはこの家に居ます。食事もとらせていますし、怪我も何一つしていません。…しかし、この状況がいつまで続くか確証はありません。」
「そして、我々はアルバを家の外に出したくもありません。今のアルバにとって、家の外は危険そのものなのです。いつ、狙われるか予測できません。」
「今こうして、私が貴方と話していることでさえ、本当はしてはいけないのです。」
相手に喋らす隙を与えてはいけないと、話の声色に圧を加える。
「そこで、貴方に協力していただきたいのです。……明日、2月5日の夜明け、誰にも気付かれぬよう、アルバを家から出します。街まで私が連れて行くので、そこから貴方にアルバの身柄を引渡したいのです。」
「…!」
「ですが、決して誰にも見られてはいけません。引渡した後も、私からの連絡が来るまで、アルバを外に出してはいけないのです。学園へも帰ってほしくない、できるだけ、貴方の傍に置いてほしいのです。……それが1番、アルバの安全が保たれる。」
そう、アルバに害を及ぼす人間の手の届かない所、絶対に手を伸ばす事さえできない所、それがきっと「バークリー家」という地位。
__私達はその名の影響力を、知っている。
「無理を承知で、お願いします…。」
私は彼に深々と頭を下げる。
「顔を上げてください。……わかりました。それでアルバの力になれるのなら。」
きっとまだ半信半疑なのだろう。けれど、半信半疑なのだとしても、……これでアルバを逃がすことができる。私は安心のあまり涙が込み上げてくるのを必死に止める。
「…ありがとうございます。……では、連絡先をお伝えします。引渡し前とその後に、私から連絡を致しますね。」
「わかりました、……それと、私から1つお伺いしても?」
「?なんでしょう。」
「アルバの通信端末と連絡がつかないのですが、端末はどちらに?」
「あぁ、、。アルバの通信端末は私が預かっています。……少々、アルバが他の人に連絡を入れると面倒なことになってしまうので……」
「…わかりました。ありがとうございます」
「では、明朝に。場所もこちらに送っておきますね」
ー
ーー
ーーー
ーーーー
「ヒス、誰かと会っていたのか?」
家に戻ると、ヒペリカはこちらを見ずに問う
冷や汗がたらりと流れるが、こんな所で私が失敗してはいけない。
「少しだけ、しかし何もございません。」
「……まさか、何か企んでいるんじゃないだろうな?」
「ヒペリカの想定するような悪い事ではございません。」
「…そうか。ならいい」
ヒペリカは「珈琲」とだけ言うと、何やら私が戻るまで読んでいたらしい本を見つめ直した。
私は指示の通り、珈琲を淹れるためキッチンへと入る。
これは、2月4日の朝のことだった。
ーー2月2日、アルバが失踪する
ーー2月3日、アルバの失踪に気付く
ーー2月4日、アルバの親友とヒスの接触
ーーー2月5日、ー???ー