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    maybe_MARRON

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    maybe_MARRON

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    左馬一(♀)
    女体化のため大丈夫な方のみどうぞ

    ビター・トラップ あまり甘くないチョコ菓子を作りたいのだと女は言った。
    「何かいいの知らない?」
     二月。この時期にチョコレートの話題を出されれば、自然と頭に浮かぶのはバレンタインだ。左馬刻は煙草を咥えたまま眉間に皺を寄せ、しばし悩む。知らねぇと言ってしまえば、きっと話はそこまでだろう。あっそう、と特に何の感情も見せずに返事をして、目の前のコーラを飲むに違いない。そうは思っても、一度意識してしまうと無視できない。煙草を摘んで唇から離すと、煙を吐き出しながらぼやいた。
    「……ガトーショコラ」
    「ガトーショコラ? あれ甘いんじゃないの?」
     回答が得られると思っていなかったのか、一郎の二色の瞳は思っていたよりもずっとキラキラと輝いた。
    「チョコの種類と砂糖の量でどうにかなんじゃねぇの」
    「あ、そっか」
     いつだったか、カフェで合歓と食べたガトーショコラがあまり甘くなくてよかったことを覚えている。合歓は添えられた生クリームとベリーソースを一生懸命絡めていたが。
     ガトーショコラでなくたって、チョコや砂糖で甘さなんていくらでも調節できるのだろうが、一郎はこの回答に満足したようだったので良しとする。手作りのガトーショコラなら、きっと喜ぶ者は多いだろう。誰にあげるのかは知らないが。
    「お前、菓子作れんの?」
    「んー……わかんない。けどやる」
     その声に、左馬刻はひくりと眉を動かした。やる、という言葉に込められた意思の強さを感じ取る。不慣れな菓子作りへの挑戦。それもチョコレート。あまり甘くないもの、と具体性まであれば、誰か特定の人物へのバレンタインのプレゼントで確定だろう。
     左馬刻は早速スマホでレシピを調べ始めた一郎をじっと見つめ、試すように告げた。
    「ウチで作るか?」
    「……いいの?」
     一郎は大きな瞳をまあるくして、パッと表情を明るくする。
    「いいぜ。たぶん必要なモンは大体あるし。いつがいい?」
    「えー、じゃあ十四日は?」
    「……十四日な。あー、夕方ならいけるか」
     そうしてスムーズに決まった予定に、ここまで心が躍らないとは。一郎との予定に限って言えば、こんなこと、もしかしたら初めてのことかもしれない。
     決別後、一応の和解をしてからというもの、左馬刻は何度かこうして一郎を誘って食事に来ている。はじめのうちは訝しむか困ったような顔をしていたのが、ようやく笑顔を見せてくれるようになるまで約一年。左馬刻の根気強さが、一郎の頑なな態度を少しずつ丁寧に解して和らげた。
     ディビジョンも、組んでいるチームも違うというのに、どうしてそこまで気にかけているのか。その理由なんて、少し考えればわかることだろう。実際、一郎だって薄々気がついてはいるはずだ。それでいて誘いを断らないのだから、少なくとも悪くは思われていない。なんなら同じように好意を持たれているだろうと思う瞬間だってこれまで何度もあった。
     だから、この反応にはどうしていいのかわからなかった。
     もし、ウチに来るのを渋る様子があれば。照れたような表情があれば。日付が違えば――そうしたら、もしかしたら自分宛に用意するつもりなのかもしれないと思えた。だが一郎は、へらりと笑いながら「左馬刻に手伝ってもらえんなら大丈夫そう」と可愛らしい言葉を吐く。なんとも言い難い感情が渦巻いて、「そーかよ」と苦々しく告げた。
    「ボウルだなんだはたぶんあるから、材料だけ調べて持ってこい。……あとラッピングすんならそれもな」
    「ラッピング……?」
     一郎はきょとんとして首を傾げたが、それもそうかと納得したように頷いた。今のは試したかったわけではなかったのだが、これでバレンタイン用の菓子確定である。
     
       ◇◇◇
     
     そして十四日。駅まで迎えに行くと、一郎は普段出かける時と同じような装いに加えて、一つ紙袋を持ってきていた。特に気合を入れてメイクをするでもなく、服もコートもバッグもよく見るものだ。渡すのは今日ではないのだろうか。それとも身なりにまでは気が回らなかったのだろうか。
    (……何もわかんねぇ……)
     本人はおそらくそんなつもりなどないのだろうが、左馬刻はいつだって、一郎に振り回されている。考えていることが手にとるようにわかることもあれば、まったく予想外の行動で必要以上に大きなため息を吐くことだって多い。
     そんなことを考えていればあっという間に自宅へと到着し、さっさと本題に取り掛かる。一郎は持ってきた材料を取り出しがてら、同じ紙袋からデニムのエプロンを取り出した。色気はないが似合ってはいる。それから、肩甲骨の辺りまである長い髪を後ろで軽くまとめ、よろしくお願いしまぁすと楽しそうに笑った。
     ケーキ作りは順調だった。一郎はもともと、菓子作りをしないだけで料理をしないわけではない。調べてきたレシピも難しいものではなく、左馬刻が口を挟んだのはメレンゲとチョコレートの混ぜ方くらいだった。おそらく自宅で作っても失敗することはなかっただろう。ハンドミキサーが家になかったのだろうか、なんてことをどこか現実逃避のように考える。
     左馬刻としては、別に一郎が来た理由などなんでもよかった。彼女を今の、ヨコハマの家に呼ぶのは初めてだ。並んでキッチンに立つのは悪くなかったし、ケーキが焼き上がるまでの間にと使った道具をさっさと洗い始めた時には、その成長ぶりに素直に感心した。まだ出会ったばかりの頃――左馬刻が料理を教えた時とは大違いである。見た目も行動も、知らないうちに大人になった。男にあげるチョコを作るために別の男の家に平気で上がるのはどうかと思うが。
     焼き上がりを待つ間、コーヒーと甘めのカフェオレを淹れてからソファに並んだ。焼いて、粗熱をとって、冷まして。完成するまでにはまだまだ時間が掛かる。
    「……なんで急にチョコ作ろうだなんて思ったんだよ」
     とうとう我慢できなくなって、ずっと気になっていたことを尋ねた。コーヒーに口をつけながら、視線は交わさないままで。
    「なんでって……あげたかったからだけど」
     きょとんとしている一郎は、そんなの当然だとばかりに答える。尋ねた左馬刻を不思議そうに見つめていた。まだ結えたままの黒髪が、さらりと揺れて肩から零れる。
    「あー……来たの、迷惑だった?」
    「…………別に迷惑じゃねぇけどよ」
    「でもずっと機嫌悪いじゃん」
     その言葉に眉を顰める。機嫌が悪い自覚はなかった。なんとも言えない気持ちになりながらもそれなりに楽しんでいるつもりだったのだが、どうやら一郎からすればとてもそうは見えなかったらしい。
     だとしても、原因は一郎にある。心当たりねぇのかよと言ってやりたい気持ちを、無理やりコーヒーで流し込んだ。そんな左馬刻の様子を見ながら、一郎は小さくため息を吐く。静かな部屋に、それはやたらと大きく響いた。
    「……左馬刻さぁ、何か勘違いしてねぇ?」
    「ア?」
     赤と緑が、じっとこちらを見つめていた。呆れたような声に反して、その瞳は淡く揺れている。ちょうど、オーブンが焼き上がりを告げた。
    「まだわかんねぇの? あれ、あんたにあげるチョコだよ」
     なんで気づかねぇかな、と。一郎は困ったように笑った。 

       ◇◇◇
     
     オーブンからケーキを取り出し粗熱をとっている間に、一郎はこれまでの言動の意図を話した。
     チョコと聞いてパッと浮かぶくらいのものなら食べてくれるんじゃないかと思ったこと。十四日に作ればそのままあげられてちょうどいいと思ったこと。だからラッピングまでは考えていなかったが、左馬刻に言われてラッピングした方が喜ぶのかなと思って一応持ってきたこと。ほら、と一郎は赤い袋を得意げに見せてくる。外袋に百均のロゴが書かれている五枚入りのラッピング袋には、ささやかだがハートマークも描かれていた。
    「……俺に渡すモンを俺と作るとは思わねぇだろ」
    「一緒に作れたら楽しいかなと思って」
     家にも来てみたかったし、と悪びれもせず告げる一郎に、大きなため息が零れた。戸惑いと呆れと喜びを一気に浴びて、こめかみが痛む。天然よりもタチが悪い。
     実際、悪気はなかったのだろう。揶揄っていたわけでもなく、ただ純粋に、一緒にバレンタインを楽しむことを優先しただけなのだ。互いの気持ちの確認はしていないが、同じような想いでいることを自覚した上で。
    「施設にいた頃はさ、バレンタインって先生が男女問わずみんなにチョコ配ってくれたんだ」
     一郎は懐かしむように告げる。
    「で、TDDの時は……乱数の誕生日も被ってるから、なんだかなって思って。左馬刻だけにあげるのも変だし、乱数にもあげるなら寂雷さんにもあげなきゃ不自然だろ? じゃあいっかって、誰にもあげなかった」
    「…………ア?」
     そうだったのかと頷きかけた左馬刻は、言われた言葉に引っ掛かりを覚える。それはつまり、当時も渡すつもりはあったということで。
    「だから、これが正真正銘、初めてのバレンタイン。あんたにあげたくて作った」
     もらってくれる? と、キッチンから漂う甘い匂いの正体に思いを馳せながら一郎は小首を傾げる。
    「……全部食う」
    「はあ? それはだめ。一緒に食べんの」
     そんな一郎に、左馬刻はようやく小さく笑みを零した。焼いて、粗熱をとって、冷まして。ガトーショコラがしっとりと仕上がるまでにはまだ時間が掛かる。帰りが遅くなることだって、きっとわかっていたのだろう。
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