【生き地獄心中】 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる目まぐるしく世界が視界が理解の範囲を軽くぶっ飛ばしてぐるぐるぐるぐるまわる。極彩色の地獄に孤独を道連れにひとりっきりで落っこちた気分。
最高で最低で最悪で最早、天も地も上も下も右も左も善も悪も、何もかもが一緒くたに混ぜこぜになって全部が全部ゲロみたいに見える有り様。
ぇっ、と汚らしい喘ぎが声帯を震わせて胃酸が喉を焼く。清潔感溢れる真っ白な便器に顔を突っ込んで惨めったらしくも咳き込んで嘔吐する。
身体は勝手に拒否反応を起こした。ひっきりなしに涙が溢れて頬を伝う。開きっぱなしの唇からぼたぼたと垂れる唾液と溶けかけたドラッグの夥しい粒々が陶器の中で張られた水面にまだら模様を形成する。
「春千夜、また懲りずに過剰摂取したのか」
えづいて生理的にビクつく背中にスッと手を這わされた。
上から下へと生易しく往復されるあたたかい手のひらのせいで更に不快感が増す。
腹の中がざわざわと騒がしくなって、冷えた皮膚の下を蛆虫がのたうち回って、朦朧とした脳味噌がふつふつと煮え立つ感覚───激しい怒りが春千夜を正気へと強制的に引き戻した。
「……さ、っわんじゃねぇよ! クソ武臣がッ!」
振り向き様に背中へと無遠慮極まりなく添えられた大きな手を容赦なく叩き落とす。春千夜の絶叫と乾いた音が広い個室トイレに反響した。
「そんな馬鹿みてぇに質の悪いクスリに手を出すのはやめておけ」
「ーうっぜぇ触んなとっと消えろそんで早く死ね」
「お前はいつまで反抗期でいるつもりなんだ」
「はははっ笑わせやがる。テメェはいつまで死んだ男と妹の影を追ってるつもりだよ、なあ?」
「春千夜」
「図星だろ? おにいちゃん♡ あの世で愛しのふたりがきっと待ってるぜ。はやく死んでいってやればいーのに」
便器に背中を預けた春千夜の目の前には、顰めっ面でしゃがみ込んだ明司武臣の姿があった。予想もクソも無い。
どうせ灰谷蘭にでもラリった三途を回収しに来いと連絡されたのだろう。こういう時だけ兄貴面する厚顔無恥な男に憤慨を通り越して辟易した。
逆流した胃液と蕩けたドラッグの苦味によってデロデロになった口で隙のない高級スーツに唾を吐く。
「……汚ねぇな。本当にお前の躾には失敗した。とんだ愚弟で困ったもんだ」
「躾られた記憶もクソもあるかよ。もうボケが始まって耄碌してんのか。梵天からも人生からも早期退職をお薦めするぜ、相談役さんよぉ」
「兄貴分ぶった斬って、血の繋がった妹を裏切って、実兄にまで楯突いて唾吐きかけやがるとはな」
「イカしてんだろ?」
「頭がイカれてる、の間違いだ。オラ、とっとと立て。黒塗り回してやるから、それで塒に帰れ」
立ち上がった武臣は物のように春千夜の片腕を掴み、引っ張った。先程、添えた手を振り払われたことをもう忘れてしまったらしい。否、まったく気にしていないのだ。
春千夜に対し、この男は基本的に無関心を貫くくせに、ごく稀に異様なほどお節介を焼くことがある。今日がそんな厄日に該当するとは……災厄か。
本当に煩わしいこと、この上無い。テメェの部下の黒塗りになんぞ誰が乗るか。回してやるなんて恩着せがましいのも大概にしろ。
いまだとろとろと混濁する意識の内側で、記憶の端切れがひらりと花弁のように脳裏をふと過ぎった。
「なぁ」
「なんだ、まだ吐くのか」
「アイツが生きてたらテメェはアイツにかかりっきりで俺の腕なんざ、今みたいに引いたりしてねぇだろ」
「……どうだろうな」
記憶の端切れ。瞼の裏側。腐りかけの脳味噌の片隅に居座るふたりの故人。死しても尚、その眩いばかりの存在が色褪せることはなかった。鮮明に意識の中で傷ひとつなく生き続ける死人たち。
そのどちらを武臣は想像したのだろうか。強欲なこの男のことだから、両方の面影を想い描いたのかもしれない。
どうせ死んでも地獄行き。アイツらの元に安らかに辿り着けるはずもない。このままこの世を謳歌しても所詮は大差の無い生き地獄である。ならば諸共、己共々。
「武臣ぃ、テメェはずっと此処で苦しんでろ」
死出は情けで、生きるは道連れ。
それはまるで情死によく似ていた。
□□□
武臣さん黒幕で梵天ちよ薬漬けにしてたら泣いてしまう……
きんしんそーかんの無限大の可能性に本誌で気付いてしまっ