夕方、パエリア「ただいま」
蒸し暑くてクソ暑い中仕事から帰ってきたら、海老の匂いがした。
「よう、今日も海老か?」
台所に行くと、腕組みをして考え込んでいるセツがいた。
今日も、というのは、昨日夕飯に海老を焼いて食ったからだ。
「ああ、クロガネ。おかえり。今日も海老を使いたいんだけど、これ、どうしようかなって」
これ、というのはどうやら泥みたいな水らしい。
「なんだこの泥水」
「泥水じゃないよ、昨日の海老の殻を焼いて、茹でて出汁取ったんだ」
それが、これ。とセツは指差した。
「海老から出汁なんてとれるのか」
「うん、そうらしい。俺も初めてやってみたんだけど…」
鰹節だの昆布だのは聞いたことあったが、海老からも出汁が取れるとは知らなかった。
「飲んでみる?」
「いいのか」
「うん…」
なんとなくセツの返事が煮え切らない。変だと思いつつ、スプーンに掬われた出汁を少し飲む。
「…まずっ」
俺の知ってる出汁と随分違う。遠い昔調理実習で鰹節でとったやつぐらいしか知識がないが、少なくとも記憶のなかの出汁ってやつはこんなに生臭かったり苦味があったりはしなかった。
「やっぱりそうだよなあ…」
がっくり、とセツが肩を落とした。
「殻の有効活用できるって知ってやってみたんだけど難しいな」
「じゃ捨てるか?」
「それこそ勿体無い!なにかこの出汁をなんとか活かさないとなんか悔しい!」
負けた気がする!と息巻いているのだが、こいつは一体何と戦っているんだ。
「しかしこれどうするんだ。フワッと海老の匂いのするエグい湯としか思えないんだが」
「そうなんだよ、お吸い物は絶対に厳禁だな。何かしら加工しないと使えない。生臭さを消して、かつ風味を活かせるようなそんな料理あるかなあ」
「カレーにでもぶち込めばいいんじゃねえのか」
「それも…それもいいけど…カレーは最後の手段で…」
「なんでだよ」
「なんでもかんでもカレーに頼るのはなんか負けた気がする…」
だから、お前は何と戦っているんだ。
呆れる俺をよそに、セツはスマホを取り出した。
「海老、殻、出汁、レシピ、と…」
世の中には随分海老から出汁をとるやつがいるらしい。たくさんのレシピが出てきた。
「海老のパスタ、海老のスープ…大分手間かかるなあ」
フードプロセッサ使うのか…うーん、などとセツが唸っていた。その様子を見ていると、調べていた画面の中に気になるものを見つけた。
「パエリア、美味そうだな」
職場の飲み会など無くなって久しいが、以前中止になった飲み会の店では、パエリアの美味い店だったのだ、と幹事役の先輩が残念がっていたのを思い出した。
「!パエリア!そうだそれがいい!」
ぱあ、と目を輝かせ、パエリアのレシピページに飛んだ。
「うん、うん。これなら家の食材でなんとかなりそう。早速作るよ!」
すぐ作りたいから、クロガネも手伝って!とセツは腕まくりをした。
「仕事から帰ったばかりなんだが…」
「お腹減っただろ?1人よりも2人でやった方が早くご飯にありつけるけど?」
なんだったら手伝いながらビールとかおつまみとか食べてて良いから、などと言う。どうやらゆっくりさせてくれる選択肢はないらしい。
やれやれとため息をつきながら、上着を脱いで袖をまくった。楽しそうなこいつを間近でみるのも悪くはない。
イカ、海老を炒めて一旦皿に移し、オリーブオリーブオイルで刻んだ玉ねぎ、ニンニクを炒めた。そこへ米をぶち込んで炒めた後、例の海老出汁やトマトなどを入れてしばらく煮立たせるという。
どうせ一緒に入れるんだし、もう入れちゃおう。と泥水…ではなく出汁にコンソメや酒を入れていった。
「サフラン、て、なんだ?」
「スパイスのひとつ。パエリアとかカレーライスで黄色いご飯見るだろ?あれはサフランのおかげ」
「へえ。どれだ?」
「うちにないよ。だから、カレー粉で代用する」
「カレーに頼るのは負けって言ってなかったか?」
「カレー粉はあくまでえぐ味消しと風味づけだけだから。海老出汁の悪い所を消すだけだし、カレーライスじゃないからセーフ」
「負け惜しみじゃないのか?」
ニヤニヤしながら聞いてみたら、セツが必死に反論してきた。
「違う!カレー粉だけじゃ味が丸々カレーになるわけじゃないんだぞ。出来上がりを食べてみれば分かる」
「おい、アサリとか入れてないけど良いのか。レシピに書いてるぞ」
「良いんだよ、家にないから」
「白ワインってあったけど酒でいいのか」
「いいんだよ、家にないから」
「意外と適当なんだな…」
「そりゃあ、レシピ通りに作ったら美味しいんだろうけど、わざわざそのために買いに出るのは面倒だし」
帰りに味わった熱射と不快度指数の高い湿気を思うと、確かに買い出しは面倒だと思った。日は落ちかけているが、気温は落ちていない。
「白ワインは臭み消しと風味付けだと思う。最低限臭み消しさえできたらいいし。アサリも出汁とれるけど、コンソメ入れるから大丈夫」
とはいえなんとなく物足りないかもしれないな、と引き出しをあさっていたら、ツナ缶を見つけたらしい。
「これ!これ入れよう!そしたらきっと美味しいよ」
ツナ缶も入れて、弱火でしばらく置いておくとぷくぷくと煮立ってきた。ふわりと海鮮の匂いとほんの少しのカレーのいい匂いがした。
「ここでさっきの海老とイカ、ピーマン入れて。そのあとまた弱火で8分置いておいたら完成」
「へえ、こんなもんか」
「うん、混ぜて、煮込むだけ。簡単だろ?」
「ま、味次第だな」
「もう。まあ、確かにそうか」
パエリアが出来上がるまで待っている間、レタスをちぎって皿にのせたり、顆粒スープの素とワカメを入れて汁物を作ったりしていたら、晩飯が出来上がった。
「よし、そしたらテーブルの準備しようか。クロガネ、お箸とかコップとか出しておいて。お茶取ってくる」
「おう」
そうして今晩の飯が出来上がった。
「いただきます」
「いただきます」
2人して手を合わせ、早速パエリアに手をつけた。
「…ん、美味い」
あんなに不味かった出汁だったが、確かにイカやらコンソメやらのお陰で旨味があった。カレー粉でほんのりカレーっぽい味もするが、主張しすぎない程度に出汁のエグ味を殺している。
「うん、思ったよりも上手くいった。やっぱりツナ缶入れたの正解だったな。あれの油分で大分美味しくなってる」
あわよくば焦げ目もついてくれると嬉しかったけど、さすがに難しかったかな、などとセツは話していた。
「あと、ちょっと水分も多かったかなあ。パエリアってもうすこしパラパラしてるんだけど、少しべちゃっとしちゃったな」
次はどうしようかな、もう少し火力上げて長めに煮込んだ方がいいかな、いや、米の種類もあるか。日本米だと水分多いから、今度はタイ米で…などとひとりごちている。
こいつは料理で気に入らなかったことがあると自省するのだが、そうなると長くなる。
「俺はこのパエリア嫌いじゃないけどな。美味いし」
ベチャついてるかどうかは他の食ったことねえから知らんが、少なくとも俺は好きだ。と言ってやると、セツはハッとした顔をしてから、照れ臭そうに笑った。
「そ、そっか。うん、良かった。自分の手で作ると美味しく感じるよな」
「まあ今日は確かにお前の手伝ったけど。いつだろうとお前の手料理で不味いもんはない」
だからぶつぶつ言ってないでお前も食えよ。食いづらいだろ。そう言うと、セツはふっと笑った。
「ふふ、クロガネってそういうところあるよな」
「なんだよそういうところって」
「クロガネは優しいなって意味だよ、ありがとう」
「…別に、思ったこと言っただけだ。礼言われるようなことじゃない」
「うん、俺も思ったこと言っただけだ」
ニコニコしながら正面からそう言うこと言う。やけに顔が熱い。理由は分かっていたけど、見ないふりをして、冷たい麦茶を流し込んだ。
おしまい