七夕逢瀬今日は七夕。天の川の両岸にいるという、古の夫婦が逢瀬を許される日だそうだ。そのためか、ふたりが無事逢瀬できるか、夜空を見上げる人が多い。
さて、目の前の子も同じかな。
「やあ、愛弟子」
声をかけるとはっとしてこちらを向いた。非番だったのだろう、着流しに団扇を仰いでいた。
「ウツシ教官、おかえりなさい」
「うん、ただいま。星を見ていたの?」
はい、と応えて再び愛弟子は夜空を見上げた。
「今夜は特に綺麗に見えるので」
夕方まで雨が降っていたから、空気中の塵が少ないのだろう。今夜の空は特に澄んで見えた。
「教官がいらっしゃるのが分からなくて、さっきはちょっとびっくりしました」
「驚かせてごめんね」
諜報員としての訓練を受けていたから、気配を消すのが癖になってしまった。だから声をかけると驚かれることはよくある。里の人に声をかける時は気をつけているのだけれど、愛弟子たちは別だ。なんだったら伝授したいくらいだけど、それはまた別の話。
謝るとこの子はふるふると首を振った。
「いいえ、教官の気配を察知出来なくて悔しいなって」
教官が話しかけるより先に、おかえりなさいと言うのが目標なんだと、愛弟子は言った。
この子は少し特殊な体質で、光に弱い。光をとらえる力が強すぎて、視力が弱い。その代わり、音で捉え、匂いで判別し、人や物の動いた空気を感じて周りを認識する。視覚以外の感覚をフルに使って、状況確認をする。そのため、かえって人よりも気配察知に優れていた。
「あは、それは楽しみだなあ」
愛弟子の成長意欲を感じて嬉しい。百竜夜行の元凶を、王都を苦しめる元凶を、かつてカゲロウさんたちの里を襲った元凶をも討ち果たしても、この子は驕ることなくまだまだ伸びる、伸びようとしている。そのひたむきさが、健気さが、好ましくて愛おしい。
「それにしても、今夜の空は本当に綺麗だね」
「はい。天の川も他の星々も良く見えます」
愛弟子は嬉しそうに目を細めた。ああそうか。夜空の光は、この子にちょうどいいのかもしれない。
「夜の空は好きです。みんなと同じように見れるから」
陽の光で肌が焼かれる心配も、日中の強すぎる光も、夜になっても眩い街の光もない。
みんなと同じ土俵に立つことすら、日常的に苦労しているこの子にとって、みんなと同じように楽しめることは貴重なのだろう。
「俺たちよりも、君の目にはずっと綺麗に見えてるのかもしれないね。この空」
そう言うと、愛弟子はそうでしょうか…と言いつつはにかんだ。
「そういえば教官、お夕飯は」
「あっ、食べてないや。任務終わってすぐこっち来ちゃったから」
お腹ぺこぺこ、と笑うとすぐ用意します、と愛弟子が立ち上がった。
「ああ、いいよ、オテマエさんのとこで…」
「とってある冷奴がありますから」
うわあ冷奴。魅力的だなあ。
「愛弟子、君はご飯は?」
「もう頂きました。残り物で恐縮ですけど、ご飯と味噌汁もありますので…」
「ううん、構わないよ。むしろ、ごめんね」
そう言うと、すぐご用意できますから、待っていてください。とぱたぱたと厨へ行ってしまった。愛弟子の顔を見に来ただけのつもりだったけれど、ご馳走になっちゃったな。
突然押しかけたけど、あんなに嬉しそうに準備に走ってくれて。ああ、愛されてるなあ、とじわりと体の芯が温かくなる。
あなた達もこういう心境なのかな。はるか遠くの空で逢瀬を果たす夫婦に、そっと思いを馳せた。
おしまい