1時間後には食われてそう グラウンドに虎が出たよー、と聞いた私は五条のいつものくだらない冗談だと思ってサラッと聞き流した。このクソ忙しい時期に馬鹿の冗談になんか付き合ってられないと思ったのだ。しかし学生達のはしゃぐ声と慌てる教員の声にもしかして本当なのか? と疑念を抱く。五条は虎としか言わなかったけれど、そういう呪霊かトラ猫かのどっちかならあり得るのかもしれない。真実を問い質そうとしたのに怪しい目隠し男はもう既にどこかへ行ってしまっていた。
虎型の呪霊というなら、おそらくあの鋭い爪と牙は持ち合わせているのだろう。大きな体格に対して驚くような俊敏さも兼ね備えているかもしれない。これは一級術師である私の出番だ。もしただのトラ猫なら、その時はいっぱい写真を撮らせてもらおう。猫好きだし。
待機室を抜けグラウンドに向かったけど誰も何もいない。もしかして誰かがもう祓ったのかな? 虎型の呪霊かトラ猫かわからないけど、見たかったな。今日早く上がれたら動物園に行こうかな。呑気に予定を立てて油断する私の前方にある草むらから音もなく虎が現れた。
……え? 虎だ。
虎出没注意って言って本当に虎がいるのって中国とかじゃないの。ここ、日本。自然豊かだけど、東京。もしかして動物園から逃げ出してきた? この大きさはおそらトラの中でも大型、しかし頭からお尻までは大きいけれど頭から足まではそれほど大きいわけではない。そして長い冬毛、きっとアムールトラだろう。アムールトラがいる動物園……多摩動物園? そんなところからニュースにもならずにここまで来れるか?
考えることを間違えた、と思うのは虎と目が合ってからだった。逃げるべきか戦うべきか、そういったことを考えるべきだった。そして私の術式は相手の呪力ありきのものだから、きっとただの虎にはなんの効果も発揮しない。逃げる一択と導き出した私に向かって、虎が走り出した。鋭い爪をスパイクにして、身を低く風の抵抗を最小限にして、巨体から鳴っているとは思えない小さな足音で真っ直ぐ私に向かってくる。一級術師である私の強さは術式ありき、私の術式は相手の呪力ありき。つまり虎から見た私などただの肉に過ぎない。目を閉じて脳裏に過ぎる小学校入学から現在に至るまでのダイジェストムービーに思いを馳せる私の目と鼻の先に虎がいた。
……あれ? 走ってきたから飛びついてくると思っていたけれど、今はグルグル唸りながら大きな頭を私のお腹に擦りつけている。いや……これ唸っているのではなく喉を鳴らしているのでは……? え、可愛いぞ……? 恐る恐る頭を触ろうと手を伸ばすと、バシ、と大きな肉球のついた腕に弾かれた。怒らせたかとヒヤヒヤする私をよそに器用に固い肉球で手繰り寄せて手の匂いを嗅いでいる。ザラザラの舌で三度舐めたあと手からは興味を無くし私に身体を擦りつけながらウロウロと歩き回る。……あれ? 猫じゃない? この子ただの大きいネコちゃんじゃない? しばらく擦りつけて満足したらしいトラちゃんは私の足元にゆったりと寝転んだ。さすが、ネコ科。もう大きいネコにしか見えない。目と目の間、鼻の少し上の短い毛を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らしながら気持ち良さそうに目を細めるのがもう只管可愛い。エサとかあげたい。撫でるのを止めるとゆっくり開いた瞼から覗いた海色の瞳と目が合う。
「え? 七海くん?」
ぴくりと耳が動いて、地響きのようなゴロゴロ音もピタリと止んだ。こちらをじっと見つめる瞳の色はやっぱり可愛くて仕方ない後輩のソレと同じ色。トラの目ってこんな色だったっけ? 黄色寄りの茶色のような色だった気がするんだけど……。気のせいかな。よし、今度七海くんをタイガーアイと呼んでみよう。多分嫌そうな顔するんだろうな。楽しみ。なんだか七海くん撫でてるような気分になってきた。縞の部分がトラにしては少し明るい茶色な辺りももう七海くんにしか見えない。
「七海く~ぅん? なぁんでトラになっちゃったんでちゅか~? 懐きすぎてトラじゃなくて猫ちゃんだよ~? 七海くんは元々猫ちゃんくらい可愛いけどね~? ほらにゃ~んって言ってみ? にゃ~ん」
「いるよねェ猫撫でる時に気持ち悪くなるヤツ」
「うわっ五条!!」
「おつかれにゃ~ん」
「お前のにゃ~んは求めてない!」
まさかトラにうざ絡みしてるところをうざ絡みの天才に見られるなんて、最悪だ。項垂れる私の耳に七海くん(仮)のゴロゴロ音が飛び込んでくる。誰でもいいのねトホホだなんて思いながら顔を上げると、想像とは裏腹に牙を剥き出しにして五条に唸り声を上げる七海くん(仮)がいた。足が竦む。やっぱりトラはトラだった。ネコじゃない。
「五条…トラからも嫌われるなんて…可哀想に…」
「『も』って何?」
「私がトラとこんな近くにいるのに怒らせるとか最悪……死ぬじゃんこれ……」
「ねぇ『も』って何?」
あれ? でも五条に唸っているだけで私のことは見向きもしていない。私やっぱり安全圏? 眼中に無い? ならいいや。
「このトラなんなの? 家出?」
「ソイツ、七海だよ」
「え? どこからどうみてもトラじゃん」
「七海くんって呼んでたんだから心当たりはあるでしょ」
「確かに目の色が七海くんだけど…」
する、と目隠しを上げた五条が七海くん(仮)をじっと観察する。
「七海の奥深くに呪霊が潜り込んでるね」
「ちゃちゃっと祓っちゃってよ」
「融合しかけてるから、ちゃちゃっとやったら七海死ぬかも」
「丁寧にお願いします」
「万が一のことを考えて中でやろう」
「万が一を思うなら余計外じゃないの…?」
「オマエのためでもあるんだよ?」
言ってる意味が全くわからないけど、きっと五条にしか見えていない何かがあるんだろう。
『医務室まで七海連れて行ってね、僕は後で着いていくから』なんて言われた時には目隠しを引きちぎってやろうかと思ったけれど、七海くん(仮)は私が医務室に向かうと大人しく着いてきた。だんだんお腹空いてる野良猫に見えてきた。時折するりと頭を寄せる七海くん(仮)を撫でながら仲良く無事医務室に到着した。中にいた硝子は目を丸くしたけど特に逃げる素振りは見せない。檻の中ではないトラを見たのに動揺しなさすぎでしょ。
「ホントにトラじゃん」
「どう? 私猛獣使いに見える?」
「一時間後には食われてそう」
「わかる」
今のところ唸ったのは五条だけ。逆に、唸らなかったのは硝子と私。女好きか~? と言いながら頭を撫でると、がぶりと噛まれた。サッと血の気が引く私と声高らかに笑う硝子。しかし冷静になってみればただの甘噛みで痛くない。
「ツッコミを入れられた…? 人の言葉わかるのかな」
「わかるだろ、七海だし」
「えーじゃあさっき普通のトラだと思ってうざ絡みしたの覚えてるのかな…忘れてほしい…」
「『普通のトラだと思ってうざ絡みした』…? しまじろうとかの世界で生きてる?」
ガラッと医務室の扉を開けて入ってきた五条にまたもや七海くん(仮)が威嚇する。なんでこんなに警戒するんだろう? 五条の圧倒的な強さを本能的に恐れているとか? それか五条への苛立ちがなんとなくトラになっても残っているとか? 五条が手にしていたのは七海くんの服一式だ。『高専に落ちてた』らしい。私が見付けて拾いたかった。
「今日の七海の任務は、元々動物園だった敷地を綺麗にすること。そこで入られたんだろうね。もしかしたらゴリラになってたかも」
「ゴリラもかなり怖いな…ハムスターとかがいい」
「それはそれで踏みそうで怖いけどね」
グルグルと威嚇されながらスタスタと近付いた五条は当然無下限を発動している。思いっ切り噛み付いたのに手応えが無くて驚いたらしく耳をペタンとさせている七海くん(仮)の首根っこを掴んだ。イカ耳七海くん(仮)は可愛い。
「硝子、気絶させて」
「ん」
ぶわ、と右手に集まった光を七海くん(仮)へと投げた。エネルギーを一気に喰らい一瞬吼えて気を失った七海くんに五条が呪力を注いだことで呪霊が出てきてあっという間に五条が祓った。気を失ったまま唸る七海くん(仮)の身体が震えて、どんどん小さくなって毛が薄くなっていく。不思議な光景に目を奪われているとトラはだんだん七海くんへと変化した。すごい。かなり大胆なアハ体験だ。
「やべ、ちょっと残っちゃった」
「え? 見た感じ綺麗サッパリ…ていうか七海くんってめちゃくちゃいい身体してるよね」
「セクハラだよそういうの」
「ゴメンナサイ」
素っ裸で冷たい床にうつ伏せになる七海くんの大きな背筋や小さなお尻にどうしても目がいってしまう。いけない、これでは本当にセクハラだ。既に興味なさそうにしている硝子に目をやろうとした途端、五条が七海くんをベッドに投げた。
「は!? もっと丁寧に扱ってよ!!」
「出たよ七海贔屓。モンペの言うことは聞きませーん」
「モンペじゃなくてマトモな先輩でーす」
「ほらマトモな先輩、七海に服着せて」
「倫理観捨ててきたんか? 男が着せんかい」
「七海の身体なんか見慣れてるだろ」
「いや初見なんだけど…身体付きすらカッコよすぎて無理、本当に結婚してほしい…」
「まじまじと見るチャンスだよ」
「見ちゃダメでしょ今は」
硝子の向かいの席にガタンと座った五条は本当に着せる気がないらしい。せめてパンツだけでも履かせてと頼んでも『男に興味ないし』と言われる。女なら頼まないよ、と言う硝子も着せたくないらしい。せめてタオルケットだけでも被せて、伊地知くんを呼んでこよう。なるべく目を逸らしながらふわりと被せる私に呑気なセクハラが飛んでくる。
「七海のデカいでしょ、トイレでびっくりするもん」
「いやそれは本当にダメな方のセクハ、うわっ」
五条に向かって大声を出す私の腕を七海くんが掴んだ。目が覚めたのか、よかった……。……あれ? なんだか目付きがおかしいような? なんというかあまり人間っぽくないうか、ワイルドでこれはこれは素敵というか。
「七海くん…?」
「……あ?」
「えっあの七海くんがそんな粗野な返事を!? っうわぁ!!」
子宮に突き刺さるような一文字を発した七海くんに引っ張られてベッドに倒れ込んだ。すんすんと首周りの匂いを嗅ぐ七海くんの目は明らかに正気を失っている。な……、なんてことだ、それでもカッコいいぞ。付き合ってもいない素っ裸の男に押し倒されているというのに危機感が沸かずトキメキだけが胸を埋め尽くしている。
「五条! 七海くんどうしちゃったの!?」
「やっぱそうなった? なんか下半身だけ仕留め損ねたんだよねぇ」
「そんなことある!? もう一回祓って!!」
五条が呪力を流し込んだのに何も変わらない。残ったのは『下半身』だというし、これもしかして本当にマズイのでは…?
「五条? 助けて?」
「無理無理、どうしようもないよこれ。七海のためにガンバレ」
「これのどこが七海くんのため…?」
「多分出せば治ると思う」
「いやそんな下痢じゃないんだから」
「せめてもの情けで周囲は立入禁止にしといてやるよ」
「せめてすぎ…え? もしかして私貞操の危機?」
「ウン」
「だめだめ七海くんとの初夜は七海くんの家でって決めてるから」
「付き合ってないのに決めてんのキモいわ」
「シンプルに辛辣なのやめて」
「あの理性じゃ前戯無いだろうね」
「前戯無しであのサイズは拷問だろ」
「可哀想に」
「え!? 助けて!?」
べろ、と首周りを舐められて身体が跳ねた。このまま抱かれちゃうの? チラとみた七海くんの七海くんは既に臨戦態勢を取っていて、五条と硝子は立ち上がって伸びなんぞして部屋から出ようとしている。助けを求めようとする私の股の間に七海くんが硬いものをへこへこと擦り付けてくる。あ、やばい。イイとこにあたってる。やばいこれ。
「なんだ前戯あるじゃん。よかった。じゃ、おつかれサマンサー」
「や、待って、ぅあ、」
「トラって二日で百回交尾するらしいな」
「……え? いや七海くんは人間、んんっ」
「結果は明日聞くわ。じゃ」
立ち去った二人が外から鍵を締めた音がする。逃げようとしたけれど腕や腰を掴まれて叶わない。トラは二日で百回かもしれないけど七海くんは人間なんだから限界はあるはず。太ももでぎゅうと挟んで擬似的にアレを作ってとっとと出してもらおう。
ぎゅう、と太ももを締め付けると熱い吐息を浴びせられて身体がずくりと疼いた。何度かへこへこと動いたあと、すぐに七海くんは吐精した。
「七海くん、正気に戻っ…てないな」
また首周りをべろべろと舐めながらイイところを抉るように腰を揺らす七海くんにどうしようもなく声が漏れる。これ、いつまで続くの……?
♂♀
三十分か、一時間か、三時間か。永遠にも思われるような時間イイところをグリグリと擦られては僅かに射精されて私の理性は限界を迎えようとしていた。おそらく今の七海くんに人間としての記憶はない。手を一切使わずに舐めたり噛んだり腰を動かすだけの行為がその証拠だ。だから私が脱がなければ挿入は避けられる。
私が脱がなければ、だ。
しかし普段から想いを募らせている異性に性感帯を刺激され続けて冷静でいられる人間なんかいるのだろうか。熱っぽい瞳はずっと私を捕らえて離さない。堪えきれず、カチャカチャとベルトを外してゆっくりパンツごと膝までおろした。急に擦り心地の変わったソコに目をやった七海くんがグリグリと角度を変えて動かし始めた。……探している。すでにトロトロになっているだろうソコを先端で探し当てた七海くんが、一気に奥まで貫いた。
♂♀
「申し訳ありません」
「や…、いいよ…、うん…仕方ない…」
「本当に申し訳ありません」
「いいって…」
「責任は取ります」
「責任なんかないから…頭上げて」
「……本当に、なんとお詫びすれば良いのか……」
「記憶は…あるの?」
「……はい」
「いかがでした?」
「セクハラですよ」
「口コミくらい聞かせてよ」
「………正直物足りない」
「ひっ一晩中抱いたのに!?」
「腰しか使っていません。どうせなら貴女にも気持ちよくなってほしかった」
「どろどろにされたんですけど…」
「もっとドロドロに出来ます」
「人間辞めさせるおつもりですか?」
「人間辞めても好きですよ」
「わっ…七海くんってもしかしてヤッたら好きになるタイプ?」
「する前から好きです」
「え?」
「順番が入れ替わりましたが、付き合ってください。生涯大切にします」
「……え?」