そのまま静かにしていてください硝子の元々うっすら浮かんでいるクマがさらに濃くなり、ポツリと『酒…』と呟いたら限界のサインだ。命に関わる怪我人以外は通常の病院に運び込まれて硝子は七海くんセレクトの美味しい居酒屋へと運び込まれる。今日はたまたま居合わせた私と、居酒屋選任責任者の七海くん、そしてどこからともなく聞きつけてやっきた五条の四人で飲み会だ。ちなみに七海くんを『居酒屋選任責任者』と呼ぶとちょっと怒るので面白い。
今日は個室のお座敷に案内された。可愛い後輩七海くんのことが大好きな私は七海くんの隣を陣取っていて、私の前に硝子、さらにその横に五条がいる。太くて逞しくて見てるだけで興奮させられるような左腕になーなみくん♡と巻き付いてみれば、太くて逞しくて見てるだけで興奮させられるような右腕で私のおでこを掴んで、なんとも迷惑そうに引き剥がされる。ああもう大好き!
「揚げ出し豆腐がこんなに美味しいなんてことある!?」
「確かに美味しいですね」
「硝子も食べる?」
「私はたこわさがあるからいい」
「なるほどね、じゃあ七海くんと二人で食べよ。はい七海くん、あーん♡」
「自分で食べるので結構です」
「おーい僕は?」
「箸そこにあるよ」
「七海の時と態度違いすぎじゃない!?」
「日頃の行いだろ」
「さっすが硝子!わかってるぅ」
なんとまあ大胆なことにジョッキで日本酒を呷る美女と、無心で酒と揚げ出し豆腐を口に運ぶ北欧系の男前がいてとても目の保養になる。デレデレと鼻の下を伸ばす私に七海くんが溜息を一つ。これでは誰を癒やすために来ているのかわからない。
「よし、七海くん王様ゲームやろう」
「寝言は寝て言ってください」
「いいね、私審判やるよ」
「王様ゲームに審判はいりません」
「じゃあ僕と三人ね」
「いや、七海くんと二人でやって永遠に『一番が王様にキス』って指令出し続ける」
「お断りします」
「王様の命令は絶対だから。ほら七海くんキスして」
「しません」
また太くて逞しくて見てるだけで興奮させられるような左腕にするりと巻き付くと今度は左腕をもぞもぞと動かして抵抗するだけですぐに諦めた。これは七海くんが酔い始めた証拠だ。硝子と目を合わせて、ウンと頷く。五条にはグッと親指を立てる。
「じゃあ四人で王様ゲームね」
「しませんよ」
「硝子と五条と三人でクジ引いて、残り一本が七海くんね」
「……ハァ──────」
観念したような溜息をついた七海くんにニヤリと笑う悪い先輩三人。今日こそ七海くんの金髪頭に猫耳カチューシャ付けてネコちゃんにしてやるぞ。
割り箸を2膳割ってその先に番号と王冠マークを書いた。その部分を隠して持って三人に差し出す。ノリノリな二人と嫌そうな七海くんがくじを引いて、残りが私。
「王様だ〜れだ?」
「私だ」
「硝子王!お手柔らかに!」
「んー…じゃあ、二番が一番の頭を撫でる」
「ありゃ私じゃない……。……どっちがどっち!?」
「……私が一番です……」
「僕二番」
玩具を見つけた悪ガキのような顔をした五条がこの世の終わりのような顔をした七海くんの横に座った。そして徐にサングラスを外す。
「七海……」
「何故サングラスを外したのですか」
「七海、愛してるよ……」
「うわ七海くんの腕ヤバ、鳥以上に鳥肌立ってるよ」
「私も出てるわ。可哀想な七海」
「こんなゲーム止めましょうよ……」
「ダメ、続ける。七海くんをネコちゃんにするまで止めない」
「は?知らない計画なんですが」
また三人でクジを引いて、私の手元に王冠マークの描かれた割り箸が残った。三分の一の確率で七海くんに何か出来る。七海くんにキスしてほしいけど、同じ三分の一確率で五条にキスされるハメになる……。五条は嫌がるどころかノリノリで舌を入れるからその事態は避けなくてはならない。被害に遭っていた七海くん猪野くん、そして伊地知くんに思わず手を合わせたのは記憶に新しい。
「じゃあ三番が二番にビンタ!」
「え、僕二番なんだけど」
「私が三番です」
七海くんが五条にビンタ出来ると理解した硝子と二人で思わずガタンと膝立ちになる。こんな面白いことは滅多にない。
「いいぞいいぞ!七海くんやったれ!」
「日頃の『感謝』を込めた熱烈な一発をお見舞いしてやれ」
「無下限禁止ですよ五条さん」
「待って待って待って七海のマジビンタなんか受けたら死んじゃうって!」
「その時は私が治してやる」
「いや死んでからじゃ遅いから!」
「王様の命令は絶対だろ五条。ほらとっとと跪いてビンタされな」
「こら!条件増やすな!お前は王様でもなんでもないだろ!」
「ドサクサに紛れて袖を捲らないでください」
「せっかく五条をビンタ出来るチャンスだよ?本気出さないと」
ベタベタと触りながら腕まくりをしているのがバレた。溜息の後七海くんは右腕も腕まくりした。あー、エッチすぎる。……おっと、危ない。涎が垂れるところだった。
「薄っすら無下限していい?」
「それだと七海くんが痛いだけじゃん。我がキングダムではそんなの重罰だよ」
「七海のマジビンタが一番の重罰なんだって」
「ほら五条男だろ、覚悟決めろ」
「建人きゅん、優しくしてね…」
「なんであそこで罪を重ねるんだろうね」
「七海の手の平は私が治してやるから」
「そのレベルのビンタはマジでやめて!」
七海くんが五条の頬にそっと手を添えたりなんかするから思わず羨ましい……と漏らしてしまった。私も七海くんにアレしてほしい……。例えその後に地獄のビンタが待っているとしても……。七海くんが礼儀正しい上五条に対してある程度諦めがあったから五条はこうして無事生きているだけで、今まで五条が七海くんにしてきた可哀想な仕打ちの数々を思えば一回くらいマジビンタされるべきだ。
手に汗握る緊張感の後、バチン!と大きな音がして五条が吹っ飛んだ。
「…え?落雷?」
「フ──────…」
「いいね七海、爽快感がすごい」
「ほ……本気で殴った……コイツ……グッドルッキングガイの顔を……本気で……」
「本気なら今頃五条さんの首と胴体が外れていますよ」
「ヒェン七海くんカッコいい……抱いて……」
「抱きません。ほら五条さんいつまでひっくり返ってるんですか。次やりますよ」
七海くんは心なしかご機嫌になっている。さっきのビンタを伊地知くんにも送ってやれば胃薬の数が減ったかもしれないのに……。迂闊だった。
「七海オマエ覚えてろ、絶対やり返してやる」「さっきのビンタが日頃のやり返しなんだから五条にそんな権利ないよ」
「ある!ほら次!王様僕でしょ!?」
「それは運次第…さあどうかな」
左頬を赤く腫らした五条に促されてもう一度割り箸を集めて皆で引いた。三番か。王様が良かったな。
「私が王様か……。次は軽いのにしたいね」
「そうね、ずっと興奮状態だと疲れちゃうもん」
「二ターン分、三番が猫耳カチューシャで語尾に『ニャン』」
「『軽い』ってなに?」
「お!オマエが猫耳!?硝子やるぅ!」
「なんでそんなものを用意してあるんですか……」
「七海知らなかったの?コイツらいつも宴会にはコレ持ってきてるよ」
「当分飲み会への参加を控えます」
「控えちゃ駄目にゃ〜ん」
「うわキッツ」
「キッツって言うな、有り難く享受しろよにゃ〜ん」
こういうのは躊躇うほうが恥ずかしい。いっそのこと堂々と付ければ恥ずかしくないのだ。ゴロニャンゴロニャン七海くん大好きだにゃ〜んと言いながら七海くんの左腕にまとわりつくと、低く小さい声で『6点』と呟かれた。ねえ七海くんそれ何点満点?何点満点でも大体失礼じゃない?100点満点だったらどうしよう。しばらく立ち直れない。
「ネコちゃ〜ん、僕のところにおいで♡一晩中可愛がってあげる♡」
「うわキッショ、ミカンより無理だニャン」
「三味線にしてやろうか」
「怖!私を三味線にするなら七海くんを倒してからにしろにゃ〜ん」
「私を挟まないでください」
「居酒屋で倒すといえば飲み比べ一択」
「やりませんよ」
「僕のコーラと七海のワインで飲み比べ対決だ」
「やりません」
「どっちも笑えるくらい飲み比べに向いてねー」
「五条そんなもん飲んだらゲップやばそう。…ニャン」
「次やりますよ次」
「おっ七海乗り気だな」
飲み比べしたくない七海くんの仕切り直しにより今度は私が一番、王様は硝子だった。
「神様王様硝子様お願い!七海くんとキスさせて!」
「語尾」
「ニャン!」
「じゃあ…三番と一番がペーパーナプキン越しにキス」
「クッッッソ!!硝子今すぐ二番に変えて!!」
「なんでお前キスしたがってんの」
「えっじゃあ七海くんが三番ニャン!?」
「……ハァ──────」
「やった!やった!七海くんと念願のキスだ!硝子後でなんでも奢るから好きなの言って!」
「語尾忘れてるよ」
「ニャン!あっあと動画撮っといて!生涯大切にするから!」
「語尾忘れてんぞ」
「ニャン!」
紙ナプキンをいそいそと用意する私の頭は突然大きな手で掴まれた。え、と驚く私の耳に飛び込む録画開始音。そして紙ナプキンを一枚も挟むことなく唇がくっついた。
「なっなな七海くん!?」
「語尾」
「ニャン………」
慌てふためく私と爆笑する二人をヨソに七海くんはなんともう一度唇を重ねてきた。
「いつもいつも抱いてくれだのキスしろだのこっちの気持ちも知らないで……」
「あっ……うぅ……ごめんなさい……」
「語尾は」
「ニャン……」
「ほら念願のキスですよ。もっと喜んでください」
「さっ……最高です……ニャン……」
何この状況、意味がわからない!全く飲み込めない!なんで私七海くんにキスされた後謎の説教をされてるの!?正直に言うとめちゃくちゃ興奮しててこのまま抱いてほしいくらいだけど、問題はいま目の前に第三者が二人いてそのうち一人は動画を撮っていること。
「硝子動画消して……これ駄目なやつ……お蔵入りです……」
「語尾は?」
「お蔵入りだニャン……」
「てか早くしなよ二人とも」
「何を…?」
「紙ナプキン越しのキス」
「さてはお前鬼だニャン?」
チラと七海くんを見るとなんと口元を紙ナプキンで覆って真っ直ぐこちらを見つめていた。
「わたっ、私からするの?!ニャン!?」
「そりゃ先輩だからな」
「関係なくない!?」
「ほら、早くしてください」
「そうだよ腹くくれ、それか僕がやる」
「さっきからなんでキスしたがってんの?」
「ダメダメ七海くんの唇は渡せない…ニャン…」
ぱちぱちと何度もまばたきを繰り返して深呼吸、七海くんの肩と頬に手を添えて指で唇の位置を確認して目を閉じた。指の位置を頼りに顔を動かして、紙ナプキン越しに柔らかい何かに触れた。これ、やばい。
「……『普段からかってごめんなさい』は?」
「ふ…、普段からかってごめんなさい………」
「語尾」
「ごめんなさいニャン……。……」
「沈静化に成功してる……やるじゃん七海」
「……まあ飼い猫に躾は必要ですから」
先輩になんてこと言うんだ、と思ったけれどまだ七海くんと会話するという行為すら恥ずかしすぎて俯いたまま話すことも出来ない。
「そのまま静かにしていてください。今日は静かに飲みたい気分ですので」
「次は僕を潰さないと無理だよ〜」
「飲み比べでもしますか?お互いアルコール入りで」
「ガチじゃん」
沈静化したいがためにキスしたの!?と思うけどやっぱり言葉に出来ない。恥ずかしさもあるけれど、七海くんがそんなことのために他人とキスするような人じゃないって、私が誰よりも知ってるから。
「で?いつ付き合うの?」
「彼女が私のことを本気で好きになったらですね」
「あ、付き合う気満々なんだ」