エルリワンライ「オフ」ふ、と意識が浮上する。背中に朝の気配を感じながら、緩やかな眠りの浅瀬を揺蕩う。
窓の外では遠く、鳥の声が聞こえる。
腕の中にいる恋人をそっと抱え直し、鼻先を柔らかな髪に埋める。仄かに香るシャンプーは、エルヴィンが好んで使用しているそれだ。
胸に広がる多幸感のまま、恋人の旋毛に唇を落とそうとした瞬間、ベッドサイドのスマートフォンが起床のアラームを鳴らし出す。
「オイ、エルヴィン。朝だ、起きろ」
無情にも、アラームの音を聞いた瞬間、恋人はさっさと起床し、エルヴィンの腕の中から抜け出して行ってしまった。
二人は同じ企業に勤める営業部長と次長だ。
エルヴィンがリヴァイを口説き落とす形で部下に引き入れた。
また、会社所有マンションの隣人同士でもある。
上司と部下、隣人、戦友、ベランダ越しの飲み友…。そうして同じ時間を共有し、積み重ねてきた現在、週末は大体エルヴィンの部屋で共に過ごす恋人同士となった。
「エルヴィン」
リビングから短く呼ばれる。
ベッドに居座って、リヴァイの立てる音に耳を傾けていたが、これ以上は怒られそうだ。
仕方なく身を起こすと、室内ですら冬の冷たい空気が肌を刺す。つい先程までリヴァイがそこで眠っていたというのに、隣に空いた真っ白な空間は、既に冷たくなっていた。
■
「なぁリヴァイ、ちょっと良いか」
マーケットでパンやたまごを買いながら、眼下に見える旋毛に声を掛ける。
「どうしたエルヴィン」
「休日の朝は、もう少しゆっくり過ごさないか?」
「ゆっくり朝食を食っただろうが」
「ああ、美味しかったよ。ただ、起床時間をもう少し遅らせたいんだ」
「ダメだ。ただでさえ平日は寝る時間もバラけてんだ。朝ぐらい同じ時間に起きねぇと自律神経が乱れちまう」
リヴァイの言うことが分からない訳ではない。
ただ、それこそ平日はほぼすれ違いだ。
会社が同じとはいえ、お互いに責任のある大人同士、オン、オフはきっちり弁えている。
そして、夏はベランダで一杯できても、冬は厳しい。
だからこそ、休日をゆっくりと過ごしたいのだ。
どう言いくるめようか頭の中で算段を立てていると、リヴァイが小さくくしゃみをして、鼻を啜った。
「…風邪か?」
「馬鹿をいえ。何でもねぇただのくしゃみだ」
「今日は一段と冷えるな、早めに帰ろう」
エルヴィンは荷物を持っていない方の手でリヴァイの手を握り、コートのポケットに招き入れた。
握った手は氷のように冷たくて、少しでも早く自分の熱が伝われば良いと思った。
■
「部長、前回までの議事録と、今回の会議資料です」
「あぁ、ありがとう」
「…次長、大丈夫でしょうか」
二人でマーケットに出掛けた三日後、リヴァイが熱を出した。
取り急ぎ病院へ連れて行くと申し出たが、その時間があれば少しでも部下の仕事を減らしてやれ、と言って聞かないので、せめてもの思いでタクシーを呼んだ。
「病院へ行って診察を受けたようだし、後はゆっくり休む以外の選択肢は無いさ。大丈夫だ」
部下に微笑んでやると、そうですね!と部下も笑った。
リヴァイの仕事を引き継いで、その丁寧さに舌を巻く。こうして部全体と、エルヴィンを支えてくれていたのかと思うと、本当によく出来た男だと改めて痛感し、彼のいない空席を見つめた。
熱は下がっただろうか。食事はどうしただろう。薬は飲んだのか。苦しんでは、いないだろうか…。
感染の恐れがあるからと、通話のみで顔も見ていない。
エルヴィンは、商談や社内会議をこなしながら時計と睨めっこをし、何とか定時で帰れるよう手を尽くした。
■
灯りの灯らない部屋を目指し、突き進む。
エレベーターの速度はこんなに遅かっただろうか。
慣れた手つきで玄関を開けると、部屋は静寂と暗闇に包まれていた。
寝室に入ると、冬の分厚い布団に埋もれたリヴァイの青白い顔が浮かんで見えた。
口元に手をやると、まだ熱い息がかかる。
上下する胸に耳を当てると、鼓動の音が聞こえ、ドッと安堵感が押し寄せた。
(生きている)
「おい、重てぇぞ不法侵入者」
もぞもぞと布団から伸びた腕が、リヴァイの胸に耳を当てたまま動かないエルヴィンを、そっと撫でた。
「あぁ…」
「いま何時だ。仕事はどうした」
「うん」
「聞いてるのか?」
「あぁ、ちゃんと生きてる」
「…生きてるよ」
「そうか」
「そうだ」
灯りも灯らない部屋の中で、リヴァイの腕は、エルヴィンの大きな体躯を撫で続けた。
「リヴァイ、君と迎える朝をゆっくり過ごしたいと言ったが、それは嘘だ」
「あ?」
「今日一日、君に会えなくて、顔が見たくて堪らなかった。一日中ずっと、そんな事ばかりを考えていて、気が付いたんだ」
エルヴィンは、リヴァイと視線を合わせた。
カーテンを閉め忘れた窓からは、登ったばかりの月が二人を照らす。
「リヴァイ、一緒に住まないか?君を、独り占めする権利が欲しい」
今、空を思わせる様ない双除は、リヴァイだけを映している…その事実に、どうしようもなく高揚する。
この眼に見つめられると、リヴァイはいつも、射止められた様に動けなくなってしまう。
ぬっ、と伸びてきた左手に顎を掬われ、互いの鼻先が触れるほど至近距離にエルヴィンの顔が迫る。
「リヴァイ、答えを」
(知っている)
瞬間、リヴァイは何故か既視感を覚えた。
いつか、ずっと昔にも、こんなことがあったような気がする。ここでは無い、どこか…。
リヴァイはいつも待っていた。そして、エルヴィンも、リヴァイを待っていた。恐らく、リヴァイの答えを。
鼻先の触れる、この距離でいつも…。
(いや、今はどうだって良い)
エルヴィンが答えを待っている。
そして、リヴァイはその答えを持っている。
「了解だ、エルヴィン」
リヴァイが僅かに空いた隙間を埋めるように唇を寄せるので、エルヴィンは笑った。
「いいのか?これは確実に感染するぞ」
『クソが…』というリヴァイの悪態が音になる前に、ぱくりと食べてしまった。
■
ふ、と意識が浮上する。背中に朝の気配を感じながら、緩やかな眠りの浅瀬を揺蕩う。
胸に広がる多幸感のまま、恋人の旋毛に唇を落とそうとした瞬間、ベッドサイドのスマートフォンが起床のアラームを鳴らし出す。
「オイ、エルヴィン。朝だ、起きろ」
腕の中の恋人は這い出る元気も無いらしく、気怠げに為すがままだ。
「伝え忘れたが、今日一日だけ有給を取ったんだ」
「…そうか」
リヴァイはもぞもぞと動き、スマートフォンの電源をそっとオフにした。
「俺はまだ病人だからな。ゆっくり寝ていてやっても良い」