兵器と番犬────────
「茨、次の任務です」
「げっ。…あんたが直接持ってくるなんて、珍しいですね。一体どんな厄介ごとなんです?弓弦」
「文句を言わずに受け取りなさい。これは最優先事項…殿下直々のものですよ」
「…どっちにしろ、面倒なの確定だろ…」
「おや、茨?返事はどうしました?」
「あ、アイ・アイ!教官殿!もちろん、任務はちゃんとやりますってば!」
「はい、よろしい。では、この書状に目を通したら、すぐに破棄してから任務先へ向かうように」
「分かってますよ。ええと──……、…は?」
「これは、殿下が貴方を直々にご指名です。失敗は許されません」
「ちょっと待ってください。これが俺への任務?何かの間違いでは?」
「ふふ。ちゃんとやってくれるんですよね?頼みましたよ、“番犬”さん」
「なっ…!何で俺が、ガキの子守りなんてしなきゃいけないんだよ!」
これは、ある国の王家直属部隊を一つ率いる青年が、敢闘する物語。
「はぁ〜っ…」
「隊長、もう着きますが…」
目的地へ向かう、やや重い足取りの道中。
部隊員の前だが、任務内容を思い返して深い溜息が出る。
「ああ…失礼しました。何しろ、気が重くなる殿下直々の任務なもので」
「お察しします」
一つ愚痴をこぼすと、苦笑する部隊員。
それもそのはず。自分たちの仕えるあの傍若無人な…いえ、自由奔放な殿下に振り回されることは、もはや日常茶飯事。
しかしそれでいて人を惹きつけてやまない魅力を持ち、ずば抜けたカリスマ性と太陽のように眩しく輝かしい、…我々の道標でもある。
いくら無茶な任務だと思っても、それが全て自分や隊員たちのためになるので、憎たらしく悔しいが従わざるを得ないのが本音。
だから今回の任務にも、自分には考えの及ばない意図があるのだと言い聞かせてやってきたが…。
…駄目だ。出発前にバルコニーからこちらを見下ろす殿下の笑顔が、なんだか引っかかる。
普段見せる快活な笑顔とは違う、含みのある笑み。
そして、弧を描いていた唇が動いたのを見た。
『がんばってね』
読唇術を習得していて後悔したのは、これが初めてだった。
(ああ、いけない。何はともあれ、任務に集中しないと…)
小さく頭を振り、集中するために全て一度かき消す。
「屋敷内は先行部隊がすでに制圧済みです。目的の部屋に近い入り口の解錠も済んでいて、そちらから中に入れるようにしてありますので」
続いた隊員からの報告を受け、グローブをきつく締めた。
「分かりました。屋敷内の人間は全て捕虜にとのお達しなので、抵抗されたとしても殺さないように。自分はターゲットを連れて後から追うので、先に城まで戻って伏見教官に捕虜の引き渡しと、報告を」
「了解!」
───今回の任務内容は『城下町のはずれにある屋敷へ向かい、敷地内の人間は全員捕虜に。そこに囚われている銀髪の少年を、警戒されず無傷で連れ帰る』こと。
それが書かれた書状を見た時、思わず感情的になったものだが。
実際に、捕らえた捕虜たちの数、目的地の屋敷のありようを見て、これは殿下の気まぐれで出されたものなんかではなく、確実に遂行しなければ自分の首が飛びそうなことが分かってしまった。
(それであのメッセージなんだとしたら、恐ろしすぎる…)
また思い出す、殿下のあの笑顔と一言。
夢にまで見そうだ。
「しかし、制圧にはもっと手こずるかと思ってましたけど。まさか屋敷の中が、研究施設になっていたとは…」
目的地の屋敷に戦える人間は居なかったようで、捕らえた人間を見れば全員白衣を着た研究員ばかりだった。
武装した先行の部隊員が踏み入ると、ほとんどが抵抗なくこちらの指示に従ったという。
無駄に多い部屋の中には、覗けば研究資料やそれらのサンプル、数々の道具があった。
何をどう使うのか、記されているのか。
見ても用途は分からないが、人体実験を行っていたという、とにかく悪趣味そうな研究だとは理解出来た。
(更には、所々散ってる血痕が、そうであると物語ってる。随分古くてこびりついているものから、最近ついたであろうものまで…)
室内には床や壁、資料に至るまで、拭う手間すら惜しかったのかそのまま残されており、血痕の無い部屋は無かった。
自分の部隊が制圧の際に争った形跡も無く、そんな報告も受けていないので、これらは全て研究中に出たものだろう。
(研究員ばかりで戦闘にはならず、難なく制圧。これくらいのものなら、何故自分たちの隊が今回駆り出された?)
目的の少年と接するのも、他の隊員にはさせるなと何度も念を押された。
…色々と深読みをしてしまってるのかもしれない。
しかし、番犬と名付けられた隊長の自分率いる、前線に立つことばかりな部隊に、こんな任務が舞い込むことはまず無かった。
(考えても仕方ないのかもしれないが、違和感が拭えない)
思考を巡らせ、人気がなくなったとはいえ、屋敷内を警戒しつつ進む。
そうして辿り着いたのは、この屋敷で一番大きな扉の前。
豪奢なつくりで重たそうな扉なのに施錠はされていないようで、不用心にも僅かに隙間があいていた。
「七種隊長、お待ちしてました」
扉の前にいた隊員が自分に敬礼する。
「ご苦労様です。例の少年がいるのは、この部屋ですね?」
「はい、そのように聞き取りました。隊長に言われた通り、室内の確認まではしていませんが…」
「ええ、それで構いません。教官殿から、目標と接触するのは自分だけにしろと言われてます。貴方はここで見張りを」
「了解です!」
張りのある返事を受けて、隊員には扉から少し離れるようにハンドサインを出す。
投擲用に使っている小型のサバイバルナイフを手元に潜ませながら、肩でゆっくり扉を押し、室内を見遣る。
確かに人の気配があるが、動く様子はない。
目線だけを動かすと、奥の窓辺に目的の少年らしきものの銀髪が見えた。
こちらに気付いていないのか、何なのか。
どうやら、呑気に本を読んでいるようだ。
(というか、何だこの香り。やけに甘ったるい…)
扉を開けていくにつれて、鼻腔を強く刺激する香りが広がる。
長く嗅いでいると、危険だろう。
着けているフードの襟で、少しでもこの香りを嗅がないようにと鼻元まで覆う。
見張りの隊員に嗅がせるのもまずいと、通れるほどに扉を開けたら身体を滑り込ませる。
しかし、それに気を取られすぎた。
「!」
窓辺にいたはずの少年が、消えていた。
気配を探る、姿を探す。…見当たらない。
普段ならこんな不覚は取らないのに、…この香りのせいか?
(いや、それより一体どこに…!───上!?)
自分が踏み込んだ一瞬であの間合いを詰め、更に音もなく自分の頭上を取ってきたというのか。
ゾッと、全身総毛立つほどの殺気と共に、降ってきたのは美しい銀の髪。
気付き、急いで顔を上げた。
「あ、」
ばちっと絡んだ視線に、その瞳に、一瞬で囚われる。
───ドクン、と胸が強く鳴った。
(まずいっ…!)
だが本能で、咄嗟に何かを察した。
この瞳は、この少年は、見つめてはいけないと。
『───その少年と、目を合わせてはいけません。その容姿に、見惚れてはいけません。自分を見失ないたくなければ、何をしてでも理性を保ちなさい』
言われていた弓弦の言葉。思い出した。
手にしていたサバイバルナイフを少年に投げるのではなく、ハンドルをくるりと回し、自分の太腿へ思い切り突き刺した。
「ぐっ…!クソ、あっ…!」
「───……!?」
歯を食いしばり、刃の部分を全部押し込む。
そうして痛みで強制的に意識を取り戻してから、ナイフを引き抜いて床に投げ捨てた。
「はっ…!はぁっ…!」
フード部分を取り外し、患部に巻き付ける。
すかさず衣服のベルトを引き抜き、出血箇所より数センチ上をきつく縛り上げ、止血を施した。
応急処置だが、何もしないよりはいい。
そうして何とか膝をつくことなく、両足で踏ん張って耐える。
(───危なかった!)
何が自分の中を襲ってきたのか分からない。
あの少年を見た瞬間、全てが奪われる気がした。
(弓弦が言っていたのは、このことか…!)
たまにはあの堅物の小言も、真面目に聞いておくものだ。
嫌な汗が滲む。荒くなった息を整えながら、ふと目線を上げる。
「…………」
先程の殺気はまるで無かったもののように消えて、こちらを見て立ち尽くす少年。
長く美しい銀の髪から覗く瞳。
強く燃える、炎のような色。
陶器のように白く、傷一つない肌。
人形のように華奢な体で、どこにあんな殺気を潜めているというんだ。
(──これほどまでに綺麗な人間が、存在するのか)
…いけない。気付いたら考えていた。不意に目を奪われてしまう。
理性を保たせたといっても、無理矢理なものだ。
室内に充満する香りもなるべく吸い込まないように呼吸を最小限にしつつ、手の甲を鼻元に当てがう。
もしまた、先程のあの感覚が襲ったらと思うと次は本当にどうなるか分からない。
直視はまずいと目線を外し、かわりに、室内を見回す。
(しっかり整えられた大きなベッドにソファ、柔らかそうなカーペット、真っ白な壁一面にある本棚…。なんだ、この本の量)
恐らくこの少年が、屋敷での研究対象のはず。
しかし、部屋の外の有様からはそうであると、いまいち確信付けられない。
まるで、この部屋に大事に保護されていたみたいで。
彼の体には傷一つなく、拘束すらされず自由に過ごしていたであろう様子しか見受けられない。
(どういうことだ…?資料にも、この少年が研究対象らしき記述はあった)
少年が殺意を潜めたのをいいことに、室内の観察を続けていた。
ふと目線を落とした先、自分ではない手がこちらに伸びてきた。
「!?」
「……ぁ……」
また気配なく少年に近付かれ、その手は先程手当てした箇所を触れようとしていた。
その寸前で後退りすると、彼は悲しげに表情を曇らせた。
「もしかして、心配して……?」
行動の意図は読めなかったが、そう口にしたら、
「……!」
こくこく、小さな頭で何度か頷かれる。
そして、形良く薄い唇が動く。
『…いたい?』
声は聞こえなかった。
しかし、唇の動きがはっきりそう告げた。
「これくらい、平気ですよ」
「!」
読み取りそれに返事をすると、彼は何故か驚いて目を丸くした。
だがすぐにパッと表情を明るくし、自分に詰め寄る。
「なに、……────!」
その綺麗な顔を近付けられ、また胸が高鳴るのを感じてしまった。
だが、あの大きく重い扉の向こうから、聞き逃してしまいそうなほどに小さかったけど、確かに呻き声が聞こえてそちらに意識が向いた。
外にいるのは、見張りを任せた隊員だけのはず。
屋敷に居たのも非力な研究員ばかりで、自分の隊の隊員を打ち負かせる人間はいなかった。何よりとうにこの屋敷から連れ出されている。
しかし、確かに誰かが、居る。
少年を庇うように立ち、扉のほうをじっと睨みつけた。
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