死神の古書店────────
この街に何十年と住んでいるけれど、今日初めてこんな路地裏に入った。ビルとビルの隙間を抜け、色んな建物を横切ってまるで導かれるようにたどり着いたのは、赤いレンガ造りのこぢんまりとした家。どうしてこんなところに家が?という疑問を抱きつつ近づくと、家の前にある花壇の花たちが迎えてくれた。見ると先程水をあげたばかりなのかしっとり濡れていて、花弁から水滴が垂れていた。小さくて可愛いな。そういえば昔、花の世話をしたことがあったが、しっかり管理出来ずすぐに枯らしてしまったことがあったと思い出した。
薄暗いはずの路地裏へ、いつの間にかその家の周りに陽の光が差し込んでいて少し幻想的にすら思えた。ふと顔を上げる。よく見るとドアの上にひどく掠れた文字で、『本屋』と辛うじて確認出来た看板。一軒家でないことが分かったけど、やはり浮かぶのは何故こんなところに?という疑問。考えていても始まらないか、とまず窓から中を覗く。
が、室内を確認することは叶わなかった。窓辺にはたくさんの本が積み上げられていて様子が全く分からない。学生の頃、本棚に入り切らなくなると、こうして床に積み上げていたな、と思い出した。
久しぶりに何か読んでみようと思い、ステンドグラスの埋め込まれた木造りのドアを開けた。
「……いらっしゃいませ」
一歩踏み入るとすぐ正面から声が聞こえる。
カウンター越しに迎えたのは、光に照らされ輝く白銀の髪を持つ、この世のものとは思えないほどに美しく端正な顔立ちの男。なんて言い表せばいいのか分からない、この美しさを例える語彙がなかった。
本を閉じ、掛けていた眼鏡を取ってこちらを見て微笑むその表情に、仕草に、思わず見惚れてしまった。
「───にゃあ」
暫くぼうっとその場に立っていたら、足元から鳴き声。それにハッとして視線を落とすと、少し暗いが赤い毛色に青い瞳の猫が見上げていた。珍しい毛色の猫だ、可愛いな。子供の頃に飼っていた、いつでも一緒にいた大好きな猫のことを思い出した。
赤い猫はカウンターの方へ走って行き、軽やかにそこへ飛び乗ってそのまま男の肩に乗った。
「……久しぶりのお客様だから、嬉しいんだと思う。ゆっくり見ていってね」
頬に擦り寄る猫を撫でながら、低く、優しい声音が耳に届く。ああ、落ち着くなあ。ずっと聴いていたいなあなんて。
体中にじんわりと、あたたかい何かが染み渡っていく気がした。
「……探していたもの、見つかったんだね。あとは私に任せて、安らかに…おやすみ」
ふわり、ふわり。私の手の中に漂うもの。
ようやく迷うことなく旅立てる。
君が見つけたものは、一緒におくるよ。
そっと撫でて見つめたあと、空へと舞い上げた。
「──閣下、お疲れ様です」
それが消えるまで空を見上げていると、ひょいっと肩に乗ってきたのは、暗い紅毛色と青い瞳の猫。私の使い魔、茨だ。
「…うん。茨もありがとう。あの人、猫が好きだったみたいだね」
「そのようですな。そばに寄れば微笑んで見つめてくるだけでしたが…こちらを見る目はとても優しいものでした」
「…私も見たよ。大好きな家族も居たみたいで、思い出はあたたかいもので溢れていた」
自分の掌を見る。
もう消えてしまったけれど、確かに憶えているその人の記憶。
思わず綻んでしまうほどに、陽だまりのように優しく、あたたかな。
「なるほど。自分はそれを見れませんが、閣下のお役に立てるならと試していたこの姿も、馬鹿には出来ませんね。まあ…移動も楽ですし、最近は少し気に入ってますよ」
顔を上げ、小さな口でいっぱい喋る茨を見つめた。
何にでも化けられる茨だけれど、最近は本人の言うように猫の姿でいることが多かった。
かわいいし、柔らかいし、かわいいから、私はとても好きだけど。たまには人の姿になってくれないかな、なんて思う。
それを言うともちろん従ってくれるんだけど、ふふん、と長い尻尾をピン、と空に伸ばして胸を張る姿がかわいくて顎を撫でた。
「…ふふ。かわいい」
「にぁ、ふ……、…んっ」
気持ち良くてごろごろと喉を鳴らすが、こうすると恥ずかしいのかすぐ離れてしまう。
私から降りた茨は、小さな手をびしっとこちらに伸ばす。
「お戯れもこのへんで!次は報告書の作成があるんですから、ちゃんと今日中に仕上げてください!」
「…もう終わり?まだ触らせて、茨」
「駄目です」
抱き上げようとする手を尻尾で叩かれた。
…器用だなあ。柔らかいから全然痛くないんだけど、触れないのは寂しい。
でもしつこいと嫌われちゃうかな。仕方ないから引き下がることにした。
「…残念。あ、そうだ。この前日和くんから貰ったお菓子、まだあったよね?紅茶も」
「ご用意しますので、しっかりやってくださいよ!そうしてはぐらかして提出遅れると、怒られるのは閣下なんですからね!」
すっかりお説教モードの茨が家へ先導する。
私が後ろからついてきているかを、ちらちら振り返りながら見るのがかわいい。
茨がそばで見てくれるのなら、面倒なことも片付けられる…とは、思うけれど。
「…何で死神が、報告書を提出するんだろう…」
「それは!閣下が!部屋ごと現世なんかに来るからでしょう!その罰として課せられた責務を果たすまで、冥府に帰れないんですからね!」
どこからそんな大きな声が出せるのかな…、不思議。
聞きながら、久しぶりに自分のことを振り返る。
──人の世に在るべき存在では無い私たち。
魂の管理者、死神。暗く深い深い、冥府の者。
現世で迷ってしまった魂の未練を晴らし、冥府に送り届けることが今の私の役目。
家を埋める本は、未だ現世を彷徨いながらもこれに導かれてやってきた魂たちの未練を記したもの。
これを全て無くすことで、ようやく冥府へと帰れるわけなのだけど。
「…うーん。こっちの方が楽しいから、私は帰らなくてもいいんだけど」
「本気ですか?なら自分は冥府に帰らせていただきますが。幸い使い魔には、閣下のその責務は適用されていませんので」
「…えっ、駄目だよ。茨は私の使い魔、ずっと一緒に居るべき存在なんだから」
「そう思うのなら、真面目に責務を果たしてください!」
家の中にこだまする、茨の叫び。
落ち着けるためにはしっかり取り組むしかないと思って、まずは茨を抱き締めることにした。
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