富豪×ディーラー 2────────
スロットに消えていく何枚ものコイン、運命を決めるルーレットを回るディーラーの投げた球、積み上げられるチップ、客達の歓声や悔しがる呻き。
様々な音が入り混じるこのカジノにて、それらをかき分け今日はいっそう響き渡る声があった。
「メルメル〜!しっかりやってっかァ〜!?今日は大・勝・利!の燐音くんが遊びに来てやったぜェ!」
上等そうなファーのついた黒のジャケットにゴールドのアクセサリーをいくつも身につけ、その容姿から嫌でも目をひく上機嫌な赤髪の男は。
一人のディーラーが立つルーレット台のテーブルにどかっとついた。
「天城…。こちらはまだ業務中なので、騒ぎ立てて邪魔をしないでください」
ちょうどゲームを終わらせ、チップを回収していたそのディーラーは、男を見るなり心底迷惑そうに顔を顰めた。
そして天城、と呼んだ男へ、手で追い払う仕草をする。
「邪魔ってヒデェな。せっかくさっき勝った分を使いに来てやってんのによォ〜?」
「要らないのです」
「つれねえこと言うなって。なぁ、早く終わらせて俺っちと遊びに行こうぜェ?」
「ちょっと、天城!」
男はずいっとテーブルへ乗り出し、素っ気なくあしらい続けたディーラーの腕を掴んだ。
と、同時に。男の肩に手が置かれる。
「失礼、お客様。当カジノでは、ディーラーへの接触は禁止させていただいております。──さあ天城燐音氏、これで一体何度目の注意でしょうか?」
「チッ。もう来やがった。相変わらず鼻がきくねェ、蛇のオーナー?ああ、今は支配人なんだっけか?」
バッとその手を振り払い、男──天城燐音は渋々引き下がる。
燐音が軽く睨み付ける先、そこにはすらりとした細身の体躯をタキシードで整え、燐音よりは暗い紅の髪が特徴的な支配人がにこやかに見遣る。
「ええ、支配人の七種でございます。いい加減に注意を聞いていただかないと、支配人権限で当店への出入りを禁止せざるを得ませんな?」
「わァ〜ったって!それなら早くメルメル解放してくれよ。今日はニキが捕まらなくてつまんねえんだって」
「椎名の代わりにHiMERUを連れ回そうとするのは、迷惑なのでやめてほしいと散々言っているのですが」
「やれやれ、相変わらずですね。なら、HiMERU氏とのゲームに勝利すればその要求を呑みましょう」
そう支配人が告げると、HiMERUは先程より顔を顰め、燐音は「よっしゃ!やるぜ!」と椅子に座り直す。
程々に相手をしてやれ、と支配人がハンドサインを送れば、HiMERUは大袈裟に溜息を吐いたあとチップを賭けるように燐音に促した。
「……対処、ご苦労様」
バックヤードに戻ると、クラシック風デザインの本革張りで黒のチェスターフィールドソファに足を組んで優雅に座り、支配人を出迎える男が一人。
「いえいえ、いつものことでありますから!オーナーの憂いを払うのも自分の役目。それに全てはこのカジノのため!万事茨にお任せください!」
先程の店内での対応とは違い、握った左手の拳を右胸に当て、支配人──茨は快活に返事をする。
向かうソファにゆったりと掛けるオーナー──凪砂は、そのすらりと長い足を組み替え、背凭れに体を預けると茨を見上げた。
「……どうしてまだ、あんな客と連む子を雇っているの?人材には困ってないよね?」
スッとその琥珀色の双眸を鋭く細めた。凪砂の問いは穏やかに聞こえてその実、少しの怒気を含んでいたのが読み取れる。
それを正面から認め、元々良い姿勢をもう一度正す茨。
「彼が特に優秀な人間だからです。いくら数を増やしても、こちらの期待通りに動いてくれる人なんて早々いないんですよ。…というか、今更人材に文句つけるんですか?店の運営などには口出ししないと仰いましたよね?」
「……毎回毎回、茨が対処することでその分の仕事が遅れるというのは分かってるよね。私はそのタイムロスを無くしたいだけ、もっと効率よく出来る部分でしょう」
至って冷静に会話をしているはずなのに、段々とひりつく空気が一触即発を感じさせた。
この場にいるのはこの二人だけだが、他の従業員が居れば耐え切れず、冷や汗を流しながら逃げ出したくなることだろう。
「天城燐音氏はああ見えて弁えています。それに、あれほど人の目を惹く男が羽振りよく、しかも全力でゲームを楽しむ姿は他の客へのいい刺激になっているんですよ。実際、あの男が来た日は売り上げがいつもより上がります。それを逃す方が、店としては痛手ですので」
茨が重ねて言い放つと、む、とその端正な顔を顰めて分かりやすく拗ねる凪砂。
「………分からず屋」
「あっはっは!何とでも!運営に関しては、いくらオーナー様と言えど譲りませんので!」
その様子に満足げに笑う茨の声で張り詰めた空気は消えたが、そこで凪砂が上体を起こす。
「……じゃあ、ゲームをしよう」
「はい?」
脈絡のない凪砂の言葉に、茨は首を傾げる。
今の会話から、どうしてそうなる?そう出かけた言葉を飲み込んで、次を待った。
「……私が勝ったら、この後の茨の時間を私にちょうだい」
「いや、何の勝負なんですか…?金にならない無意味なゲームは、したくないんですけど」
「……茨が勝ったら、今日の売り上げに同等の額を上乗せして、新しい備品と優秀な人材を手配してあげる」
こうした凪砂の唐突な発言は今に始まったことではないが、今回はかなり破格の条件を提示された。
今までは、やれ茨の作った料理が食べたいだの、あれこれ欲しいだのと簡単な要求してくるばかりだったのだが。
(全ての要求を聞いてきたわけではありませんし、自分も負けっぱなしは腹が立つので仕返しもするのですが…今回は何なんだ?)
茨は訝しむ。
そうして凪砂を見遣ると、ただ柔らかく微笑まれた。真意が分からず、頬がひくつくのを感じた。
「随分なお話ですね。…いやはや、何がお望みで?」
「……私はただ、茨とゆっくり過ごしたいだけ。それに、喧嘩もしたくないから。…やらないの?それなら私の勝ちでいいかな」
「───何ですって?」
西洋で言えば、今これは勝負のために凪砂から手袋を投げつけられたところ。
茨が受け取らねば成立はしないが、しかし。
ふっかけられて、受け取らずに勝ちを譲るなんて真似が出来るわけがない。
単純な挑発だが、勝ちにこだわり負けることを許せなかった茨に。ある日圧倒的なまでの勝利を収め、悔しいがいっそ清々しいほどだと言わしめたのが、凪砂だ。
もちろん、そのまま負け通す茨ではない。更に技術や知識を磨き、凪砂の癖やパターンを観察しては記録し、次に活かす…そうして作戦も組み立て、勝負に勝つことが増えている。
(天性の才能、運…全てにおいてこの人は俺の上にいる。どれだけ腕を磨いても、どれだけ記録しても、追いつくことは容易ではない。…けど。その背が、見えないわけじゃない)
そう。勝ち上がらなければ、勝たなければ意味がない。何故カジノのオーナーをやっていたのか、その理由を思い出した。
嫌味の一つでも言いたいところを堪えて、凪砂を見据える。
「そこまで言われて、引き下がるわけにはいきません。受けて立ちます。売り上げがかかっているので、今回は自分の勝ちになるでしょうね。負ける覚悟は宜しいですか?」
元々拒否権は無いも同然なのだが、うまくかわしたところで引き下がりなんてするわけもない。
あくまでこちらに承諾させる形にしてくるのは、この人のたちの悪いところだ。と、内心独り言ちながら凪砂の正面に腰掛け、就業中は一切身嗜みを崩さない茨がジャケットを脱ぐ。
凪砂との勝負は、いつでも白熱してしまうからだ。
「……ふふ、良い目だ。そうこなくちゃ♪」
ご満悦な様子の凪砂は、カードを取り出しそれを茨に渡す。
受け取ると手早くテーブルにカードを配り、準備を整えた。
これから始まる勝負、両者一歩も譲らないものとなるのだが。
──果たして勝利の女神は、どちらに微笑んだのか。
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