茨欠乏症────────
「はい、もちろん良いですが…今日は少々立て込んでいるので、大したお構いは出来ませんよ。それでも良い?なんと、寛大な御心に感謝致します!でしたら、室内のものはどうぞ好きに使ってご自由にお寛ぎ下さい」
事前連絡も何もなくふらりと副所長室へやってきた閣下。まあ慣れていることだし出入りも許しているのでそこは気にしていなかったが、暫くの間ここにいて良いかと聞かれ、断る理由も特にないので了承した。
(重要な電話は済んだし、あとは山積みの事務作業と…ああ、あの案件はどうなったかの確認に、殿下への連絡に…)
頭の中であれこれと考えながら、目の前のPCで業務連絡とメールを打つ。途中、取引先からの電話を取り次なる商談の話を進めていた───わけですが。
「閣下。そろそろ、この状況のご説明をお願いしても宜しいですか?」
そうして電話が終わるまでから今までの約30分ほど。ええ、確かに好きにしろとは言いましたが。
自分が手を離せないのをいいことに、閣下への対応を本当に疎かにしてしまったがために。電話中いつ背後に来られたのか、くるりと回された椅子から抱き上げられデスクからソファへ強引な移動。
(突然すぎて電話中というのに間抜けな声が出たんですが?)
そして「よいしょ」という閣下の声で膝の上に向かい合わせで乗せられ、腰に腕を回されてしまい…そしてそれはもう、隙間なくしっかりと抱き締められていたのだった。
「……茨が、部屋のものは好きにしていいって言ったでしょう」
「言いましたね」
「……だから、好きにしてる」
「閣下、それは説明というより…うっ」
こちらが全て言い終えるより先、抱き締める閣下の腕の力が強くなった。もう後頭部しか見えない。…いや、何なんだ本当に?
♢♢♢
(……ひなたくんが「ゆうたくん欠乏症になる!」と、そう言ってゆうたくんを抱き締めて何やら甘えていた様子を偶然見て、どういうことなのかと聞いたら試したくなって実際にして…。うん、上手く説明するのは難しいけど、こうしてると満たされる感じがする。この場合は…心、かな?茨に触れられて嬉しい、あたたかい。好きだと思う。心地良い。私のかわいい茨。……ああ、そっか。もしかしたら私も、『茨欠乏症』…だったのかも)
茨の胸元に、大型犬よろしく無遠慮にすり寄る凪砂。
その表情はとても満足そうに微笑んでいるのだが、茨がそれに気付くことはなかった。
(つい間抜けな声を上げてしまったことに対する言い訳、先方にはなんとか通じたから良かったものの!一体何なんですかねこの時間!…はあ。離せと言って離して下さる様子でもないし、暫くこのままにさせておくしかないのか…。どうしましょうかねえ、メールの送信もまだなのに。別件で待たせてしまっている殿下には「遅い!」と怒られそうだ)
凪砂の表情を一目見れば、茨のこの色々な憂いも疑問も一度忘れられるというのに。されるままに受け入れているだけにしなければ、次にされる凪砂の行動に反応出来たかもしれないというのに。
本日二度目となる「ひぇっ」なんて、普段なら聞けない焦るような驚きの声は。
凪砂から重ねられた唇に消えることとなる。
──このあと連絡を待ちくたびれてやってきた日和にタイミング悪く目撃されて甲高い悲鳴をあげられてしまい、ジュンには「お熱いっすねぇ〜」とニヤニヤ揶揄われる茨なのだった。
終