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「……あ」
灯されてからゆっくりと花の蕾のように膨らんで火花を散らしていた先端が、とうとうぽとりと砂浜に落ちてしまった。
線香花火の輝きは儚いが、火玉の移ろいは一生を表すと表現されているだけあって、小さくとも強い輝きを放っていて綺麗なものだった。
その輝きに、自分の今までを重ねられるほどの生を送っていない。私はまだ歩みの途中で、辿り着く先はまだ遠い。振り返るには早過ぎるから、ただ眺めているだけで終わってしまったのは少し勿体なかったかと思ったけれど、もう消えてしまった後。
こよりに似た持ち手が夜風に寂しく揺れる。離すのが何だか惜しくて、バケツの水に浸すのはもう少し後にしたかった。
「今ので全て終了ですね。閣下、いかがでしたか?ご満足いただけましたでしょうか」
向かいにしゃがんで、私の持つ線香花火を一緒に見つめていた茨。落ちた火玉が細い煙を上げるだけになり、砂浜に消えたのを確認して茨は私から名残をひょいと取るとバケツに放った。
私は茨の声にすぐ返事をするのでなく、一度瞼を伏せた。勢いの良かったり細やかだった花火の音もまだ耳に残っていたけれど、それも段々波音にさらわれていった。
ゆっくり瞼を持ち上げ、茨を見遣る。先程まで私たちを彩っていた色彩の煌めきが無くなったかわりに、静かな月明かりが私たちを照らす。
「…とても楽しかった。満足したよ。ありがとう、茨」
「それは何よりです!その一言をいただければ、沢山の花火とこの場所をご用意した甲斐もあるというもの!」
私たちしかいない浜辺に茨の快活な声が響く。
花火をしたいという私と日和くんの要望に応えて、茨が用意してくれた4人でやるには十分過ぎる沢山の手持ち花火たちと、この場所は。
まさか海で花火をするなんて予想外で驚いていたら、「人目も避けられるので、この辺り一帯を我々で使えるように取り計らいました」とのこと。車で連れられて来たから正確な場所の把握は出来ていないけど、穏やかなひとときを過ごすには最適なところだと思った。
最初は日和くんもジュンも花火や海におおいにはしゃいでいたけれど、途中から一緒に連れてきていたブラッディ・メアリと3人で波打ち際で遊んだり、砂浜で追いかけっこをしたりとしていた。
あまり遠くに行かないように、と茨の注意もそこそこに聞いて、いつの間にか3人の姿は見えなくなっていた。花火が終わってしまった今も声だけはずっと聞こえてくるので、そう遠くには行ってないのだろう。
私は残った花火を茨と一緒に楽しんで、小さいけどしっかりと夜空に花を咲かせた打ち上げ花火に2人して感嘆の息を漏らしたり。どの花火も初めて見て、触れるものばかりでまるで夢のような心地。儚く消える瞬間も目が離せなくて、一つが終わっても中々次の花火を手に取るのを躊躇ったりもした。だけどこっちはどんな風に煌めくのか、あの花火の勢いはどれくらいのものなのかと興味が尽きず、あっという間に残るは線香花火だけになった。
最後の一本を私に譲ってくれて茨が灯してくれた火は、どの線香花火より長く煌めいてくれた。
見た目には分かりにくいけど、少なからずこの時間に心躍らせていた茨がそばに居て。色彩に照らされる姿がとても綺麗だと花火より見惚れてしまった時は、危うく手にしていた火のついたままの花火を落としかけて怒られてしまったけれど。
たった数時間でも、思い返すとこんなにも胸がいっぱいになるほど私の中に残る。ひと夏だけではもったいない思い出が出来たことが、その景色の中で茨が私の隣に居てくれることが、ただ嬉しい。
「では、殿下たちを呼んで来ますね。ここで少々お待ちくださ──」
「…あ、茨。待って」
「──おっとぉ!?」
少し耽っていると茨が立ち上がろうとしたのが見えて、咄嗟に腕を掴む。バランスを崩し、倒れそうになるのを踏ん張って茨は慌ててこちらを向く。
流石の体幹だ、なんて感心していたら、また怒られる。
「ちょっ…と、閣下!?危ないので、いきなり腕を引かないでください!もう少しで閣下に倒れ込むところでしたが!?」
「…ごめん。まだ、茨にそばに居てほしくて」
「……、…何ですか?何かご所望ですか?花火はもう無いですよ」
「…花火はもういいよ。十分満喫したから」
「では、一体何を…」
素直に謝ると引き下がった茨。
掴んでいた手を離して、私も立ち上がる。
何かして欲しいんじゃなくて、伝えたままなのだけれど。それだけじゃ伝わらないみたいだから、今度は手を差し出した。
「…少し、歩かない?」
*
花火をしていた場所から離れ、日和くんたちの楽しげな声と反対方向に歩き出したから更に遠ざかる。その声も波音に重なってしまえば、他には何も届かない。
差し出した手は取ってもらえなかったかわりに、茨は私と同じ歩幅で砂浜を歩いてくれた。
普段よりはやや広く、でも踏み出す一歩はゆっくり。コンクリートの道とは全く違った柔らかさに、足を取られないように踏みしめる。
「…………」
「…………」
何を話すでもなく、ただ2人で砂浜を進んだ。私が口を開かないから、茨も黙るを選んでくれたんだと思う。
ちょっと居心地が悪そうにしているのを横目で盗み見て、口元が綻んでしまった。かわいいな、と。
「…閣下、何ですか」
声には出していなかったはずなのに、茨は目敏く私の変化に気付いた。
暗がりでもすぐ見つけてくれるのはちょっと嬉しい、なんて、それは少し意地が悪いかな。
「……何でもないよ」
「いいえ、嘘ですね。自分を見て笑ってるじゃないですか。黙りこくってる自分がそんなに可笑しいですか?」
眉を顰めて拗ねたように私を見上げる茨が、いつもより幼く見えてかわいい。
こうなれば、もうこっそりとしても意味がない。何も言わないのも茨の機嫌を更に損ねてしまいかねないから、正直に言うことにする。
「…そんなことない。かわいいなって思ってただけだよ」
「どうしてそうなるんですかね!そう思われるくらいなら、可笑しいと笑ってくださる方がマシですな!閣下が楽しげなのは結構ですが、自分で遊ぶのはやめていただきたい!」
「…ふふ。かわいいね、茨」
「閣下〜〜?今やめてくださいと言いましたよね〜?」
いくら本心で言っていても、むしろ本心で言っていると分かっているからこそか喜ばれない言葉は、もちろん受けとってはもらえない。そんなところもかわいいと思ってしまって、もっと言いたくなる。
頭を撫でようと伸ばした手は、茨が勢いよく後ろへ下がったことにより虚しく空を切った。
「……そこまで避けなくてもいいんじゃないかな」
「はいはいすみません失礼しました〜!明日も早いので、そろそろ帰りましょう!殿下たちと合流しますよ〜!」
私の行動に対しわざとらしく切り替えて、ぐるりと踵を返した茨。
でも、無理矢理終わらせたつもりで背を無防備に、私に向けてしまったね。
「…ねえ、茨」
「はい、かっ……かァ!?」
呼ぶと必ず返事をしてくれるのは、もう染み付いた癖のようなものだろう。反射的なそれに気を良くして、私はまた茨の腕を引く。
倒れないように、今度は私がしっかりと抱き留めて。
「な、なん、何ですか!?」
想定外の事態に慌てる茨にしなやかに逃げられることもなく、砂浜で動きづらいのか下手に暴れもしないのをチャンスとばかりに、抱き締める腕に力を込める。
そして、この状況が先日ジュンに借りた漫画にあったワンシーンと似ているのを思い出したので、耳元で呟く。
「…捕まえた」
「はっ…、はい?捕ま……あの、本当に何なんですか。油断した自分が悪いのは承知してますが、背後から襲われてその一言は正直ゾッとするんですけど」
物騒な物言いには慣れているけれど、もうちょっと言い方はあるよね。…とは、今は言わないでおこう。
「…って、恋人は海で遊ぶんだよね。追い掛けて、捕まえて、あとはそう…キスをする?」
「は!?いや、しませんし、そんなこと知りません!」
「…照れてるの?」
「そう見えます!?」
とうとう私から逃れようと暴れそうになるのは、照れ隠しなんだと分かってる。
何でもないように振る舞っても、これだけ近いと君の頬が赤く染まっているのなんて見えているのに。
「…仕方ないから、帰ったらしよう」
「何を、と聞きたくはないですが、今のうちに全力でお断りしておきます。それにしても、今日は自分の話をほんっと〜〜に聞いてくれませんね!」
「…茨がかわいいからね」
「不躾ながら申しますが、自分にも理解出来るようにお話下さい」
怒っているというよりは色々諦めた様子の茨が、はあ、と大袈裟な溜息を吐く。
「…じゃあ、もう少し2人きりで居よう。いいよね?」
茨から離れ、正面に回り込む。
首を傾けて顔を覗けば、一瞬躊躇って、でも頷いてくれた。
「──…5分だけですよ。それ以上は駄目です」
「…うん。それでじゅうぶん」
さりげなく手を取り、軽く指を絡めると遠慮がちに応えてくれる仕草が愛おしくて。
この時間がずっと続けばいいなんて、小さく願ってしまった。
*
「ぼくたちを忘れて2人で仲良くしてるなんて、ずるいね!悪い日和っ!!」
「元はと言えば、おひいさんがメアリといきなりどっかに走り出したのがいけないんでしょうがよぉ〜。見失わないように必死で追い掛けたオレの身にもなってくれませんかねぇ?」
「何?ぼくが悪いって言うの?ジュンくん生意気だね!きみだって楽しんでたくせにね!」
「はいはいお二人とも!元気なのは良いですが、閣下が眠ってますのでお静かに!」
「茨がいちばんうるさいね!」
先程までの静けさとは打って変わって、賑やかな車内。茨の肩に頭を預け瞼を閉じ、私はじっとその賑わいを聞いていた。
「……ふふ」
誰にも気付かれないように、ちいさく笑って。
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