ひとりじめ。あまやかなひとときを、もうすこし────────
「ここを、こう…?うーん……?」
背後でうんうん唸る茨。その手元は私の髪を編み込んだり結い上げたり、と思えば解いて、ふわりと巻いたり。時折首筋に触れる指先に、むずむずとした感覚が体をめぐるのはまだ慣れないけれど。
「……ふふ、くすぐったい」
「あっ、申し訳ありません!もう少々ご辛抱を…!」
「…ん、大丈夫だよ。続けて」
瞬きするたびに変わる私の髪。
次はどうなるのだろうと、細い指先が器用に、丁寧に動くのを見ているのが楽しい。鏡越しにうつる、難しそうに顰めた顔をしながらも、楽しそうにしている様子が好き。
気付かれないように小さく微笑んで、茨を見つめていた。
「……ねぇ茨、今いい?」
「はい!チョコですか?本ですか?」
「…チョコ。いちごのが食べたくて」
「かしこまりました!どうぞ〜!」
今、茨に頭を預けて身動きの取れない私のかわりに、「長く拘束することになるので」と欲しいものを何でも渡してくれるのが嬉しくて、適度に時間間隔を調整しては茨に声をかける。
何度目かの私の要望に素早く反応し、そばのテーブルに置いていたアソートチョコレートの箱を差し出してくれたので、その中からピンク色でハート型のものを摘んで口に運んだ。うん、甘くて美味しいね、。
食べ終わるのを待っていた茨が、二つ目にいかないのを見届けて箱を置く。そして櫛を片手に、また髪に触れてくれた。頭頂部から撫でてくれる手つきが心地良い。
(……眠ってしまいそう)
時折、ストレスが極限まで溜まるとやってくる茨に良く私の髪を好きなようにさせているけれど、今回はそれと違う。次の撮影で新たなヘアアレンジを試したいらしく、茨がかれこれ数時間、私の髪を相手に奮闘しているという状況なのだ。
専門のスタッフに任せれば良いことなのに、と最初は思っていた。しかし茨がどうにも私のヘアセットだけは譲らず、それは普段の身支度から始まりライブや撮影など、様々な仕事の前にもいつも仕立ててくれる。
茨がやりたいらしいし、何より楽しそうだし。私は嬉しいし、セットに集中するから仕事だなんだと放っておかれなくて、私のことだけを見ていてくれる。
この時にしか見られない茨の手先の器用さだったり、優しく撫でてくれる手つき、完成に満足げに笑う顔とか、今日みたいに甘やかしてくれたりもして。良いこと尽くめで、文句も何も無い。
このために楽屋にあるような鏡台をわざわざ副所長室に設置したのは、流石にやりすぎな気もしたけれど。
ESビルにはもっと整った環境があったはずだし、茨ならどこかのスタジオを借りたり出来ただろう。とはいえ、そのおかげで茨を独り占め出来ていると思えば、口にする気にはならなかった。
軽く櫛を通されたあと、耳の上から両側と頭頂部の3方向からゆるく2回ずつ編み込みを作って、それをひとつに結ばれる。ハーフアップ、という結び方らしい。ふわりと軽やかな仕上がりを見た茨が、「これは少々、閣下には可愛らし過ぎますかねぇ」なんて言いながらも笑っていた。
咥内に残るチョコの甘さと茨に触れられる心地良さに微睡んでいたら、視界の端に暗紅色が入り込む。そちらに目線を動かすと、茨が覗き込む形で私を見上げる。
「──閣下、長時間のご協力ありがとうございました」
「……ん。もう、いいの?」
閉じかけていた瞼を開いて小さく首を傾げると、茨がくすくす笑う。眠たげにしていたのを気付かれてしまったようだ。
茨は体勢をまた背後に戻して、せっかく結ってくれたものをやはり解いてしまう。
「はい。間食…というか、チョコレートを多く摂らせてしまいましたので、メニューを少し考えさせていただきますが…この辺で遅めの昼食としましょう」
確かに、茨の言葉に甘えに甘えて朝食以降はチョコレートばかり食べていた。いつもだったらとっくに没収されているところを、今日は快く(内心はきっと違っただろうけど)私の要望に応えて。
遅めの昼食、と言うことは普段決めている時間からもわりと経っているはず。メニューの考案も調理も茨がやってくれているから私は待つのみだけど、これが終わればさっさと帰されて茨は仕事に戻ってしまうものだと思っていた。
「…茨も一緒に、昼食をとる?」
「え?ええ、そのつもりですが。閣下お一人がよろしければ、そのように」
「…ううん、違う。一緒に食べよう、茨」
「はい、ご一緒させていただきますね。では、一旦寮まで移動しましょうか」
ぼんやりしていた思考が、茨の言葉で漸く正常に働きだす。
するりと髪から茨の手が離れていくのを名残惜しく思っていると、ヘアゴムを一つ取り出すのが見えた。慣れた手つきは私の髪を、再度まとめて結い上げる。そうして鏡には、いつもの髪型の私が映った。
見慣れた髪型は、やはり落ち着く気がした。心なしか茨もそんな表情をしている。
「…ああ、そうだ。私も手伝おうか?」
「お気持ちだけで結構です。それよりも、長時間座りっぱなしにさせてしまったので、体をほぐしていてください」
「……たまには良いでしょ、手伝わせてくれても」
「怪我の危険性があるので、駄目です。作るまでお待たせすることにもなりますが、自分に全てお任せください」
振り返ってした私の提案は、今までも調理中はどうしてもキッチンに入れてもらえないのを思い出せば、答えは明白だったが却下され。デスクに向かう茨の背に、「…けち」と呟いた独り言へ呆れたように肩をすくめられてしまった。
タブレット端末を取り、おそらくメニューの候補を調べているであろう茨に、手伝いたいのも本音だけれど本命の一押し。
「…じゃあ、作っているのを見てるのはいいよね?」
「またですか?あまり近付きすぎなければ構いませんが…一体何が面白いんですかねぇ。あっ、やり方を覚えて自分に隠れてしようなんてこと、絶対駄目ですよ!」
「…ふふ」
「閣下?ちょっと、笑ってないでなんとか言ってください。閣下!」
部屋から先に出ると、急いで追いかけてくる茨の手を取ってしっかりと握った。驚いて目を丸くした茨が、珍しく振り解くことなく躊躇いながらも握り返してくれた。
かわいくて、嬉しくて、胸がいっぱいになる。…私の茨、ありがとう。
この手が作り上げてくれるものが、私の世界を彩ってくれるから見逃したく無い。──なんて言ってもきっと首を傾げられるだけだから、伝えるのはまだ先にしよう。
触れてくれるだけで、満足出来たらいいのに。欲張りな私に、もう少しだけ君を独り占めさせて。
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