浄玻璃の鏡「おれたちが地獄行きなのはさ、もう決まってるんだよね」
ジャージの裾に出来た小さなほつれを指先で弄りながら、真っ白なシーツの上で膝を抱えた一松がぽつりと呟く。
「…まぁ、もう一回行っちゃってるわけだしな、地獄」
「しかも、無理矢理逃げ出してきちゃってるし…今のおれたちの扱いってあっちではどうなってんだろ、脱獄犯的な?」
もぞもぞとパーカーを脱ぐ姿をなんとなく立ったまま見守っていると、何見てんだよ、なんて少し照れたように言われる。これからそれどころじゃない事たくさんするのに、兄弟としてのお前なら、進んで見せつけて来たりするくせに。切り替えが上手なのか下手くそなのか分からないけれと、そういう所が可愛いなって思う。
「地獄かぁ…死んだらもう一回あそこに戻らなきゃいけないのはちょっと嫌だな」
「でも仕方ないでしょ、おれたち一人残らずクズだから」
「働いてないのがそんなに悪いことか?別に誰かに迷惑かけてる訳じゃないだろ」
「父さんと母さんには大迷惑だと思うよ…てかそれ意外にも色々やらかしてるし」
「イヤミよりはマシだろ」
「イヤミと比べたらこの世の殆どの人間は天国行きになっちゃうから」
地獄で受けたあらゆる地獄を思い起こして寒気が走る。あれは本当に地獄だった…まぁ、地獄だから当然なのだが。
ベッドに乗り上げて、俯いたおでこに軽くキスを落とす。じわ、と一松の体温が上がったのが分かって頬が緩んだ。続きを強請るようにじっとこちらを見つめてくるのが可愛くて、軽く押し倒してジャージの中に手を入れる。ぴくんと肩を跳ねさせるのに興奮を煽られた。
「…閻魔様にさ、言われたでしょ、おれたちの事をずっと見張ってたって」
「えぇ、そうだったか?」
「見極めた結果、地獄行きになったわけで、多分今後また死ぬことがあっても、もう判定済みだから直で地獄に落とされるだけなんじゃないかなって思うわけですよ」
死んだ時の事をなんとなく思い起こしてみる。誰が地獄行きになるか散々押し付けあって、結局全員で落とされたんだっけ。全く、オレはこんなに素直で誠実なパーフェクトガイなのに地獄行きだなんてどうかしてる。カッコ良過ぎるのも罪だと言われてしまえばそれまでだけどな。
「…なんか今からめちゃくちゃ良い事したら覆るとかそういうのがあるかもしれないじゃないか」
「あちらさんの世界も暇じゃないだろうし、一回地獄行き判定した奴らの事なんてもう見張る価値もないだろ」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんでしょ、だっておれ生き返ってからあいつの事見かけてないし」
「…聖沢庄之助?」
「うん」
「……そういえば見てないな」
シーツが擦れる音が辺りに響き始める。すり、と甘えるように腰元を撫でられて、段々と雰囲気に呑まれていく。唇を強請る仕草がまるで好きにしてくれと喉元を晒しているようで、うなじに水滴を垂らされたような感覚に襲われた。それが興奮によるものなのか恐怖なのかは、よく分からない。
「浄玻璃の鏡って、あるでしょ。閻魔様が使う、死者の生前の行動を全部映すってやつ」
「あぁ…そういえば鏡、あった気が…」
「…おれさ、小さい頃にその鏡の事聞いてから、すごく怖かったんだよね」
「怖かった?なんでだ」
「だって、常に自分がした事をどこかで見られて採点されてるって怖くない?悪いことしちゃいけない、いい子でいなきゃ地獄に落とされる、ってさ」
「その割にはお前…というかオレたち全員だけど…別にそこまでいい子ではなかっただろ」
まぁそれもそうか、なんて柔らかく笑う一松に、そういえばこいつは、いつからこんな風にオレに笑いかけてくれるようになったんだっけ、とふと思った。最近の一松は、なんだか憑き物が落ちたみたいだと思う時がある。
「…どうせ何したって地獄行きなんだから、もう余生みたいなもんなんだよね」
ぺろりと唇を舐める仕草。引き寄せられて、身体が密着する。お互い、少しずつ息が上がって段々何も考えられなくなっていく。
そうか、オレはもう天国へはいけないのか。死んだら美しいエンジェル達に囲まれながら下界を見下ろす事になるものだと思っていたが、現実はそう甘くはないらしい。
…まぁ、でも、あの時みたいに六人一緒だったらそう悪くもないかもな。
「…もう、誰にも見張られてないから、悪いことしよう?」
耳元で甘く囁かれて、一気に心臓の音がうるさくなった。なんだかやけに楽しそうな一松は、地獄行きがそんなに嬉しいのだろうか、不思議なやつだ。
「…悪いことじゃなくて、イイコトって言うんだぞこれは」
「ひひ、よっぽど自信がおありのようで」
ぎゅう、と力一杯抱きしめてみると、痛いんですけど、なんて笑い混じりに背中を叩かれた。こんなに楽しくて幸せな気持ちになるんだから、悪いことな筈ないだろう?
「さぁ、一緒に天国へと旅立とうじゃないか」
「…ばーか、お前はおれと地獄に堕ちるんだよ」