光の行く末(共通ルート)朝の光が眩しい……
そう思いながらアンジュが目を開くと、そこにあったのは光よりも眩しいのではないかと思うユエの笑顔であった。
「よ、おはよ」
そう言いながら自分の額に、そして次はくちびるにキスを落としてくる。
「うん、おはよう」
ユエのキスが甘くて再び眠りに引きずり込まれそう。そんなことを思いながらアンジュは挨拶を返す。
「もしかして、起きるの待ってた?」
「ああ、寝ているお前もかわいいけど、やっぱりこうして目を開けて口を開いてくれるお前の方がかわいいからな」
恋人、そして婚約期間を経た上で婚姻して早3ヶ月。
恋人時代から互いの部屋で朝を迎えることがあったため、こうして朝を迎えるのも数えきれぬほどになったはずだが、朝、彼からこのような言葉が紡がれるのはいまだに変わらない。むしろ結婚したからこその余裕と安心感からなのだろうか。より素直に想いを口にしているような気がする。
甘くて優しくて、自分への愛情をひしひしと感じる。
こんなに愛されていいのだろうか。そう思うくらい彼は惜しみなく愛の言葉を口にしてくる。
「ん……」
ユエのくちびるがアンジュの首筋に落ち、跡になるかならないかの圧を感じる。
そして、そのくちびるがもっと下の方にいきそうになる気配を感じ、アンジュはユエの頭を押さえ込む。
「ユエ、今日は会議でしょ」
月一回の定例会議。
守護聖はもちろん、タイラーやサイラス、そしてレイナも集まる中、ふたり揃って遅刻するのは避けたい。
「じゃあ、夜のお楽しみにしておいて、行くとするか」
最後にもう一度だけアンジュの身体を抱きしめ、そして本日何度目になるかわからないキスをしてくる。
「愛してるぜ、アンジュ」
このときのふたりはまだ考えもいなかった。
自分たちの力は有限であることに。そして、力を失う時期も決して同じではないことに。
いや、もしかすると頭の隅にかすめていたのかもしれない。ただ、自分たちの身に現実的に起こるという意識がないだけで。
少し先に起こる危機など考えもせず、それぞれ朝の準備を始めていた。
「今のところ宇宙の状態は安定しております。また守護聖様がたのサクリアも問題ないかと見受けられます」
守護聖、タイラー、サイラス、レイナにアンジュが集まる月一回の定例会議。
以前は会議などをする余裕もなくその場しのぎで対応に追われていたらしいが、アンジュが女王に即位したこともあり、宇宙の状態はかなり安定するようになった。
とはいえ、危険の目は早めに共有しておいた方がいい。
ユエの提案により、このように月一回、主たるメンバーが集まり会議を開くことになった。
タイラーがモニターに映し出す画面は彼の言葉通り宇宙に滞りなく、そして満遍なくサクリアが行き届いていることを示している。
安堵の溜め息を吐くもの、ほとんど表情は変えないがわずかに眉を動かすもの。
表面に出てくる感情の起伏の大きさは人それぞれであるが、その場にいる全員がほっとしているのは疑いようのない事実であった。
その中で一番安心しているのは、言うまでもなく上座にいるアンジュであった。
訳もわからぬまま挑むことになった女王試験。その結果、女王になったものの、無我夢中で行い、宇宙全体を余裕持って考えられるようになったのはそんなに遠い話ではない。
ようやくゆとりを持ち宇宙全体を見渡し、今の秩序を保てるようになったのは率直に嬉しい。
特に問題も見受けられないとのことで、すぐに会議はお開きとなり、守護聖たちは席を離れる。
アンジュも席を立ち、隣に座っていたユエに話し掛けようとした。
仕事の話というより、むしろ今夜は何時頃帰るのか、夕飯は何にするかといった私的な側面が強かったが。
すると、守護聖のほとんどが部屋を出たのを見計らうかのようにサイラスがおもむろに口を開く。
「ところで。アンジュ様、そしてユエ様。おふたりには残っていただいてもよろしいでしょうか」
丁寧な口振りであるが、おそらく拒否権はない。
話の内容に心当たりがないため、アンジュはユエの顔を見上げるが、ユエも同様らしい。
怪訝な顔をし、若干強い視線でサイラスを見つめていた。
「私は先に行っているわね」
レイナが三人の様子をうかがいながらアンジュに話し掛ける。
「うん。もし、必要だったらあとで連絡するね」
相談できるものだったらいいけど。
内心そう思いつつアンジュは扉から出ていくレイナを見送った。
部屋にいるのは、アンジュとユエ、そしてサイラスとタイラーの四人であった。
「で、話ってなんだよ」
データを見る限り、他の守護聖やレイナにも話せないような危機が迫っているようには思えない。
早く本題に入ってほしい。ユエの口調からそれが伝わってきた。
するとサイラスもそのことを汲み取ったのかアンジュとユエ、それぞれに視線を送り尋ねてきた。
「おふたりが婚姻されてどれくらい経ちますか」
「ん? そろそろ3ヶ月になるが、それがどうかしたのかサイラス」
質問の意図がわからない。
そう思いつつもユエは聞かれたことに答える。
なるほど。そう小さく呟きサイラスはどこか上を見つめる。そして、視線をふたりに移してくる。
「他の方がいらっしゃいましたので、あえて議題にはしませんでしたし、このようなことを話題にすること自体まるで『昔の近所のデリカシーのないおじさん』のようですが、今後のためにあえて聞きたいと思います」
そこでいったん区切り、サイラスは軽く息を吸う。
そして、ふたりを交互に見つめて口を開く。
「ユエ様、アンジュ様、ストレートに聞きます。お子さんについてどのようにお考えですか」
本人が話すようにあまりに率直な質問。アンジュはどのように答えればいいのか口ごもっていたが、ユエは質問の意図を理解していないらしい。
目をぱちくりさせながら話す。
「ガキのことか? そりゃたまにムカつくけど、かわいいとこもあるよな」
うんうんと頷いているが、サイラスは納得していない様子だった。
表情を少し先に固くし、ユエの瞳をしっかりと見つめる。
「そういう話をしているのではありません。あなた方夫婦に子どもが欲しいかの話をしているのです」
サイラスの質問の意図を把握し、ユエは先ほどまでとは打って変わり動揺しているのが見てとれた。
「ま、ま、そりゃ、子どもは欲しいとは思っているけど……」
子どもが欲しい。それはユエもアンジュも一緒の考えだった。
今はまだ宇宙が安定したばかりだし、もう少しだけふたりの時間を過ごしたい気持ちもある。
だけど、あえてセーブをしているつもりもなかった。もしふたりの間に妖精がやってきたときは、その命を大切に育もう。
そう考えていた。
だけど、そのことをふたり以外のものにいう勇気は持ち合わせていない。
「これ以上、話すことは勘弁してくれ」
それだけを話し、ユエはうつむきになる。頬は真っ赤に染めながら。
もちろん隣に座っているアンジュも同じように真っ赤な顔をして。
そんなふたりの反応に対し、サイラスはなるほどなるほどと呟く。
「おふたりの考えはわかりました。では、こちらでもおふたりがそのような考えをお持ちということを前提に対応したいと思います」
「サイラスの質問の意図はわからないけど、たぶん私に赤ちゃんができたあとのことを考えているのよね」
お昼休みはレイナと一緒にカフェで過ごすことにした。
真っ昼間のカフェで話すような内容ではないが、執務室でじっくり話すには今のアンジュには荷が重く感じる内容でもある。
うんうんと頷きながらレイナがフォークに刺さったサラダを口に運ぶ。
「バースにいたときも結婚した先輩が仕事を続けていたけど、そのうち妊娠して産休や育休を取っていたな」
アンジュの脳内にはもう行くことのない会社の光景が浮かぶ。
自分が入社一年目の終わりに結婚が決まり、式にも招待してくれた先輩。
間もなく赤ちゃんが出来、つわりで休んだり、はたまた大きなお腹を抱えて仕事していたのを思い出す。
やがて産休に入り、アンジュのもとにも赤ちゃんが産まれた報告がやってきた。
しかし、彼女の育休が終わらないうちに自分は飛空都市に来てしまい、もう二度と会うことは叶わない。
「そうそう。結婚はともかく、妊娠はいつするか周りにはわからないのよね」
レイナも心当たりがあるのだろうか。
どこか心ここにあらずといった風で話す。
「私も赤ちゃんができたらどうしよう。女王に産休とかあるのかしらね」
先輩の代わりは派遣社員や中途採用の社員で補っていた。
でも、女王ともなればどうなのだろう。
短期間であれば補佐官が代理を務めることになっている。
しかし、そもそも女王が恋愛すること自体、前代未聞のため、妊娠や出産などといった女性のライフスタイルに関することについては取り決めがない。
だからこそサイラスの言葉につながるのだろうが。
「そもそも、できたらって、あなた、赤ちゃんは自然にできるものではないってわかっているわよね? ユエとそういうことをしているのだったら、いつできてもおかしくないと考えた方がいいし、それを前提に先のことを考えた方がいいわよ」
レイナが言うことはもっともだ。
自分たちは子どもができることを望んでいるし、実際、そのような行為も行っている。
ただ、時が満ちないのかまだ自分たちの元に来ないだけで。
でも本当はきちんと考えておくべきなのだろう。
自分たちは宇宙の運命を握る存在なのだし、それ以前にまず夫婦として今後のあり方を話し合っておかないといけないのかもしれない。
だけど、考えると現実的な問題が押し寄せて潰れそうになるのも事実。本当はこんなんじゃいけないのだろうけど。
「次代の女王は私が任命することで決めることも可能よね。だとすればレイナが女王になることもできるわよね」
「あなた、そんな気軽に……」
レイナは呆れているが、制度上では現女王が次の女王を決めることは可能だ。むしろ令梟の宇宙ではそのやり方で女王を決めることの方が多く、試験で決めるのは今回が初めてとも聞いた。
ただ、自分の考えなしで宇宙の女王をそのような形で任命することになるのは避けたかった。
「そうね、ユエときちんと話さなきゃ」
女王試験のときに恋仲になり、本来なら諦めるべき試験を続けるように助言を送ってくれた男性の存在を思い出す。
そのときの言葉と、その後の彼の行動のおかげで今、自分たちは幸せを手にしている。
彼となら新しい未来も築けるかもしれない。
そんなわずかな期待を込めながらアンジュはレイナと別れ午後の仕事に取りかかることにした。
「なるほど、レイナとそういう話をしてきたってわけか」
夜に私邸に帰り、ユエとふたりで食事をとりながら今日一日に起こったことを簡単に報告する。
「うん。もちろん結論は出なかったけどね」
「まあ、公人としての立場としてより、個人としての俺たちがどうしたいかって話だしな」
丁寧にナイフとフォークをさばきながらユエが考え込みながら話す。
「それでまずお前はどうしたいんだ」
ユエに聞かれアンジュは考える。
午後、仕事をしながらぼんやりと考えていたこと。
まだはっきりと形にはなっていないけれど、今の気持ちだけは伝えておきたかった。
「そうね。できれば女王は続けたいと思う。せっかく宇宙が安定してきたところだもん。もう少し見届けたい思いもあるし」
アンジュの言葉にユエの顔がぱあっと輝くのがわかる。
妊娠しても、母親になっても女王を続けたいのは自分。
だけど、表情から察するにユエも同じ考えなのだろう。
アンジュは心の中でほっとするのがわかる。できれば目の前の人と同じ意思でありたいというのが本音だったから。その方が自分に迷いが出たときに道を照らしてもらい、改めて自分の考えを思い知ることができそうだったから。
「そうだよな。俺もそれがいいと思う。せっかく女王試験を受けながら恋をし、女王でありながら結婚までしたんだ。次は母親を目指そうぜ」
初めて出会った頃から変わらないユエの真っ直ぐな瞳。それがアンジュの固まりきらなかった考えを決意に変える。
「ありがとうユエ。ユエがそう言ってくれるなら、頑張れそうな気がする」
そう言ってそこでいったん区切り少し考える。そして、肉を一口運び、ユエの顔をしっかり見つめる。
「いわゆる産休期間はレイナに代理を頼もうかなと思うんだ。レイナの許可はこれからだけど」
さすがに今日は自分が何も考えていなすぎたから呆れられた。だけど、自分の考えを示し、今後のことも話せば納得はしてくれるはず。そう信じたかった。
「そういえばユエのいた世界では、女の人って育児と仕事、どう両立していたの?」
夜になり、ベッドに横たわりながらたわいもない話をする。
今日はどうしても妊娠とか育児とかそういう方向に考えがいってしまう。
「両立も何も。仕事っつーても、お前のいた世界のように職場と家が離れていることはなく、酪農とか農業とかそういう自宅の周りでする仕事がほとんどだったしな。あと、星に住む奴らがほとんど顔見知りだから、お互い助け合っていたぜ」
へぇと思いながらアンジュはユエの話に耳を傾ける。かつてのバースもそんな感じだと聞いたことがある。今はさすがにそのような子育てはかなり珍しいだろうけど。
もし自分が母親になったらどのような子育てをするのだろう。想像すらつかなかった。でも、避けることができない今後の課題のうちのひとつになるだろう。
すると、ユエがアンジュの首筋にキスをしてくる。熱いのか冷たいのかわからない感触がアンジュの脳を刺激してくる。
ユエの求めに応じたい気持ちはある。だけど、
「ユエ、ごめん。今日は妙に眠いんだ」
午前中から会議やら、今後考えないといけないことやらいろいろあったせいか疲れが溜まっている。
「そっか。まだ週半ば出しな。それに俺もなんか疲れているんだよな。今日はこのまま眠るとするか」
行動を起こしてきたものの、疲れているのはユエも同じだったらしい。
だけど、肌を重ねることはできなくても、隣にいるこの人からエネルギーを分けてもらいたかった。アンジュがユエの体躯をそっと抱き締めるとユエも何かを察したらしい。アンジュの身体が潰れない程度に抱きしめ、そして頭にキスをしてくる。
「これでいいか?」
「うん、ありがとう。少し疲れが取れた気がする」
アンジュがそう返すと、となりのユエももぞもぞと動くのが伝わってくる。
「俺からもひとつお願いしてもいいか?」
「うん、なあに」
ユエに甘えたあとに彼が起こす行動は何となくわかっている。だから、できるだけ甘い声で返す。
「俺もお前に思いっきり甘えたい」
そういうなりユエはアンジュの胸に頭を埋める。普段は見せない甘えている様子が新鮮であり、かわいくもある。
そして、ユエの少し固い感じのする髪を撫でながら思う。
普段、仕事をしているときはつい見惚れてしまうほど、ユエは首座の守護聖としての役目を果たしていると思う。
そんな彼が癒しを求めてくるのが自分であるのが嬉しくもあり、どこか照れくさい部分もあった。
「ありがと、アンジュ。これで明日も元気でいられそうだ」
気恥ずかしいのもあったのだろうか。おやすみ。そう簡単に話してユエは目を閉じる。
そして、その様子を見て思う。結婚し、子どもをどうするか話し合える今はたぶん人生で一番幸せな瞬間だと。
でも、アンジュはわかっていた。
自分たちは女王と守護聖。
力の源がいつ尽きるかはわからない。
そして、尽きるのが同時とも限らない。
だけど、そんな不安を心のどこかに抱きながらも願わずにはいられなかった。これからもずっと聖地で暮らし、そして新たな家族も加わる未来も。
そんな願いが崩されるのはそれから間もなくのことであるとも知らず。
「ごめんね。ユエとふたりで聖地を離れることになって」
定例会議から一週間後、アンジュはユエとともにエリューシオンの視察を訪れることになった。
本来、アンジュには直接関係ない内容であるようだが、せっかく大切に育んできた土地ということもあり、レイナがアンジュもうかがうように勧めてきたのだ。
「ううん、いいのよ。それにエリューシオンは時間の進みが早いから、向こうの数日がこっちだと数時間でしょ。なんなら新婚旅行だと思ってゆっくり過ごしてきてもいいのよ」
そんな風に笑顔で見送られると却って気後れするが、結婚後、ユエと新婚旅行どころかまとまった休みが取れないのも事実。
レイナの言葉にほんの少しだけ甘えることにした。
アンジュがユエとともに降り立ったエリューシオンは育成していた頃に比べるとはるかに時間は経過していたものの、あの頃と同じ優しい光が降り注いでいた。
ユエに感じている気持ちが恋愛感情だと気づいていない頃に訪れた土産物屋は、見違えるような外観に変化していたが、街の雰囲気の温かさは変わらずだった。
「そういえば、レイナとは話し合ったのか」
「うん。私がちゃんと考えているとわかったら納得してくれたよ。ただ、レイナも同じ年だけに何があるかわからないから、もし自分の方が先になったらごめんとは言ってたけど」
アンジュの言葉にユエは驚いたのか目を丸くする。
「レイナ、彼氏いるのか?」
アンジュは首を軽く横に振る。
「今はいないよ。でも、いつどこで恋に落ちるかわからないでしょ」
「まあな」
あの頃はライバルとして接していたため、認めることのできなかったレイナの優秀な部分。一緒に仕事をしているからこそ今は素直に認めることができる。
レイナもとても優秀で魅力的な女性だと。
だからこそ自分に恋愛をしてはいけないと枷をかけたため、それが逆に女王試験では不利に動いてしまったように思える。
彼女がもう少し、本当に少しだけ心の扉を開くと、彼女と恋に発展する男性が現れてもおかしくはない。アンジュはそう思っている。もっとも、それはアンジュが既婚者だから余裕の眼差しでそう見てしまうのかもしれないが。
通りを歩いていると鼻腔をくすぐる匂いがしてきた。ワインの試飲があるらしい。
「飲みたいけど、今日はジュースにしようかな」
「珍しいな」
ユエがそう反応するが、アンジュにとっては不思議でも何でもない出来事だった。この間から、もし子どもができたらということを話題にしているからだろうか。なぜかアルコールを口にすることに抵抗があるし、実際飲んでいない。
それに考えすぎているのも影響しているのかもしれない。生理予定日を数日過ぎたにも関わらず、今のところ生理は来ていない。一応のことは考えておこうという気持ちもある。
「うん、おいしい」
白ぶどうでできたジュースはさっぱりとしているが、あっさりとしすぎておらず飲みやすい。
隣のユエは赤ワインを飲んでいるが、口づけながらどこか安心したようにしていた。その様子が気になりつつもアンジュはユエに問いかけてみた。
「そういえば、どうしてエリューシオンの視察に来たの?」
できるだけ深刻になりすぎないように。だからといって軽くなりすぎないように。
そう意識して聞いてみる。
「ちょっと気になることがあってな。ここが俺の力が一番反映していると思ったんだ」
アンジュの配慮にユエも気づいたのだろうか。翳りを帯びていた表情を一瞬で消す。だけど、いつもの自信過剰な様子ではなく、少し落ち着いた雰囲気で話しかけてくる。
「なあ、プラチナコーストに行ってみないか」
もちろんアンジュはこっくりと頷く。
光と風と炎のサクリアでできた街。
女王試験の最中、何度もユエと足を運び、そして愛を育んできた想い出の場所。
ふたりが行った場所は土産物屋と同様、大きく様変わりしているのだろうけど、今、どうなっているのか確認したかった。
試験の頃は星の小径から歩いて通っていたプラチナコーストであるが、現在は交通網が整備されており、あっという間についた。
「綺麗……」
あの頃も自分をときめかせる場所であったが、自分の胸を打つ輝きはいっそう増しているような気がする。
想い出の場所は姿を変えているところがほとんどであったが、街全体の面影は自分の知っているプラチナコーストのままで嬉しかった。
「ねえ、ユエ、どこに行く?」
思わず隣のユエの袖をつかんで話しかけてしまう。名目上は視察で来ているということをすっかり忘れて。
だけど、ユエは反応を示さない。不振に思い、アンジュが顔を上げるとそこには凍りついた表情をしているユエの姿があった。
「ユエ……?」
アンジュが問いかけると、ユエははっとする。
「ああ、すまねえ……」
そして、いつもの自分に接するときの表情を向けてくる。プライベートでありながら、どこか首座の守護聖らしさを備えた凛とした姿に。
「な、せっかくここまで来たんだし、遊んでいかねーか、夜通しでよ」
先ほど、翳りを帯びた表情を一気に隠した様子が却って気になる。彼にしては珍しいひきつった笑顔。そして、作っていることを隠すこともできないのはさらに珍しいと思う。
きっと自分にも話すことができない重要で、そして何か彼の根幹に関わること。
自分はそれが何であるのか知ることはあるのだろうか。そして、それを知ったとき、どんな反応をするのだろう。
そう思いつつも今はそのことを忘れることにした。
当の本人であるユエも、それに聖地にいるレイナも、ここに来ている自分に楽しんでほしいと願っている。
なら、今は思いっきり楽しもう。
それが今、大切な人たちにできるせめてものことだから。
そう思いながらアンジュは思いっきり頷く。
「うん!」
その言葉に呼応するかのようにユエもアンジュの手を取る。
今は何も触れない、触れられたくない。
薄氷のように壊れやすい気持ちを抱えながら、ふたりは夜のプラチナコーストに消えていった。そっと。
「え!? 舞踏会?」
ユエとアンジュのエリューシオン視察から数日後、レイナがアンジュに提案したのは舞踏会の開催であった。
「社交ダンスか……」
アンジュが懸念しているのはいまだに生理がやってこないこと。そろそろ来るだろうと思いつつ来ないので、検査しようか考えているところだ。そして、結果によってはダンスを避けないといけない。そんな風に考えていた。
もっともお腹に子どもができていた場合、考えるのはそれだけで済まないこともアンジュは認識していたが。
だけど、アンジュの気が乗らないのはそこにあるとはさすがにレイナも思っていないようだった。
「ほら、女王試験中にユエとミスティックカナルに行ったとき、上手く踊れなかったと話していたじゃない。それで舞踏会を開催すれば強制的に練習せざるを得ないし、いいのではと思ったのよ」
レイナの話を聞いてなるほどとアンジュは思う。自分の気持ちもはっきり見えていて、ユエの気持ちも痛いほどわかって、でもまだ恋人になる勇気が持てない頃に行ったミスティックカナル。
社交ダンスを踊る機会があったが、全然踊ることができずユエのリードに従うだけだった。
そのとき、ユエが「教えてやる」と話してくれたものの仕事が忙しく、さらにその上で結婚までしたので、ダンスの練習どころではなかった。
しかし、今後、視察やはたまた他の宇宙の守護聖たちとの交流などで社交ダンスを踊る機会はあるだろう。今回、強制的に練習しておけばこの先何があっても対応できるし、それを考えるとレイナの提案は確かにもっともなものであった。
「うん、わかった。でも、数日、考えさせて」
それだけの日数があれば自分の体内に変化が起こっているのか起こっていないのかわかるだろう。どうすればいいかそのときに考えよう。
そう思ってアンジュはレイナの提案を保留にすることにした。
表向きはダンスの練習が面倒な体を見せて。
その後、やはりというべきか、生理は来なかった。
身体には妊娠初期の兆候と思われる変化もあったが、生理前の現象とも似ているため、正直それだけでは判断がつかない。
とりあえずアンジュは誰にも知られないようにこっそりと通販で取り寄せた検査薬を使うことにした。
陽性か陰性か。
陰性なら今月もいつもと同じように過ごせばいいだけ。
陽性なら素直に嬉しい。考えることは多いけど、ユエと一緒なら乗り越えられる、きっと。それにレイナだって、他の守護聖だっている。きっと大丈夫。なんとかなる。
結果が出てくるまでは一分程度。だけど、それが永遠に続くかのように感じる。
「そろそろかな……」
心臓がかつてないほどドキドキするのを感じながら、アンジュは検査薬を見る。するとそこに示されていた結果は……
「えっ……」
線がついていれば陽性、つまり妊娠の可能性があるということ。そしてアンジュが使った検査薬は陽性を示していた。
やっぱりという気持ちとどうしようという気持ちがせめぎあう。
子どもが欲しいよねと常日頃ユエと話し合ってきたとはいえ、現実にできたとなると戸惑いの気持ちも大きい。
だけど、それ以上に嬉しい気持ちが大きかった。お腹の中で大切に育まれている小さな命。まだ存在すら感じないけれど、でも自分の中にいるであろう愛の結晶。
急いでユエに報告しなきゃ!
アンジュは咄嗟にそう思った。
仕事中だけど自分たちは同僚でもあるし、そもそもこれは夫婦として家族として今後を変える大切な出来事。それにユエだって子どもができることを待っていたのだから一秒でも早く知りたいはずだ。
焦る気持ちの一方、自分ひとりの身体ではなくなったので無理してはいけないと思いながらドアを開ける。
すると、そこに大きな影が立ちはだかっていた。一瞬驚いたものの、それがシュリの姿であると気づく。
「ああ、シュリ、あなただったのね」
驚かさないで。内心そう思いつつ、シュリを見上げると、シュリはいつになく真剣な表情でアンジュを見つめてきた。
ユエとは違い滅多に感情を出さないシュリだが今日は明らかにショックを受けた表情を見せている。顔色も暗い。
ここにいるということは女王である自分に報告することがあるのだろう。そして、今から自分に告げられるのはよくないこと。それもかなりひどい類いの。
心を防御しながらアンジュはシュリから放たれる言葉に耳を傾ける。何が起こっても動じず、女王として対応できるように。
しかし、シュリの口から聞こえてきたのは想像を越えるもので、そしてアンジュを絶望の淵に追いやるものであった。
「ユエのサクリアが急激になくなっている。急いで王立研究院に来てほしい」
アンジュは早速王立研究院へと向かった。
タイラーが部屋を用意しており、そこに入るとユエの姿を確認することができる。
アンジュも軽く礼をして椅子に腰掛ける。
すると、タイラーがモニターに何かを映し口を開いた。その様子からすると、アンジュが来るのをいまかいまかと待ち構えていたのであろう。
「端的に申し上げますと、ユエ様のサクリアが急激になくなっております」
先ほど聞いたこと。
何らかの間違い、あるいは聞き間違えや認識の違いだったらいいのにと願っていたが、やはり願望は願望のまま、事実が変わることはなかった。
ーユエのサクリアはなくなりつつある。今、この瞬間も確実に。
あと、どれくらい持つのだろうか、その間に新しい光の守護聖を見つけ、そして聖地に招き入れることはできるのだろうか。
瞬時に考えなければならないことがアンジュの頭の中を駆け巡る。
「おそらく2ヶ月持つか持たないかかと思います」
アンジュの思考を読み解いたようにタイラーが話す。
2ヶ月。
それだけの期間があれば、新しい守護聖を探し出し、そして引き継ぎをすることもギリギリ可能…だと思う。
希望的観測かもしれないが、まったく時間がないわけではない。今はそれに向かって突き進むしかない。
ただ、それはあくまでも女王としての役目。個人としてのアンジュがどうするべきか考えるのは別の問題。
「タイラー、ありがとう。急いでやらないといけないことは多いけど、まずはユエと話しをしてもいいかしら」
アンジュの言葉を予想していたのであろう。タイラーは無表情さを崩さないものの、穏やかな声で返答する。
「ええ、構いませんよ。では、何かあればお呼びください」
タイラーが去ったあとの部屋は物音ひとつせず、自分の心臓の音がユエに聞こえているのではないかと思うくらい、静まり返っていた。
ユエとともにいるときに沈黙を味わうことは何度もあったが、いつもは信頼しているがゆえの温かさがそこには流れていた。
しかし、今、ふたりの間に流れている空気は今までに感じたことないほど重いものであった。
「ユエ、本当なの?」
先に口を開いたのはアンジュであった。
その声が震えているのを自分で感じる。
「ああ。自分でもはっきりとわかる」
ユエの声から感情を読み取ることはできなかった。
ショックを受けているのか、それとも少し早いけど来るべきときが来たと受け止めているのか。
ただ確実のは彼はもうじき聖地を去るということ。
自分と、そして宿ったばかりの小さな命を残して。
「私もユエと一緒に聖地から去ろうかな」
思わず出てきた言葉。
アンジュにしてみれば自然な結論。
「バカっ! お前はここに残れ」
しかし、アンジュの事情を知らないユエはそのことに納得しない。
アンジュは反論しようとユエの顔を見つめたが、ユエの緑の瞳の中に絶望という名の黒い影が走っていることに気づく。そして、そこにユエの隠しても隠しきれぬ本心を見たような気がした。
「陛下に対し、言葉が過ぎました。申し訳ございません。この件につきましては、後日、日を改めてお話しさせていただければと思います」
そして、自分に背を向け部屋から出ていく。
残されたのはアンジュただひとり。
やるべきこと、やらなければいけないこと、それらをひとつひとつ頭の中で整理していくと、ひとつのことに気がつく。
「ユエに赤ちゃんのこと言うの忘れてた」
こんな状況ーユエの力が衰えている状況でさえなければ真っ先に伝えたいこと。そして、彼はもしかすると自分以上に喜んでくれるかもしれないこと。
「でも、こんな状況じゃ言えないよ……」
誰もいなくなった部屋にアンジュの呟きが響き渡った。
夜、アンジュは散歩をしていた。
考えることはたくさんあった。女王としてもアンジュ個人としても。
そして、そのどちらも自分ひとりの一存で決められることではないが、だからと言ってユエにどうやって話を切り出そうか悩む類いのものでもあった。
そのため外の空気を吸いながら考え事をしたくなったのだ。
なんとなく歩きたどり着いたのは小川であった。
女王試験が行われた飛空都市にも似たような川はあったが、ここ聖地にもやはり川は流れていた。自分が住んでいたバースのとは異なり、澄んだ流れで、夜にも関わらず魚たちが泳いでいるのが影となって見える。
すると、少し先に見覚えのある金の髪の頭が川を覗き込んでいるのが見えた。
「ユエ……」
無意識に呼んでしまう。彼は自分と話したくない気分なのかもしれないのに。
だけど、
「アンジュ……」
自分の声はちゃんと聞こえたのだろう。そして話すことは拒まないのであろう。彼は頭を上げて自分の方を振り向いた。
「お前も来たんだな」
ユエの言葉にアンジュは首を縦に振る。そして、彼の隣にそっと座る。
今までは気にならなかった夜の風の冷たさ。今日はなぜか気になりつつも、アンジュはユエと川を見つめていた。
何から話そう……
そう思うアンジュより先にユエが先に口を開く。
「やっとわかったんだ」
「何が?」
「女王に恋愛が禁止されていた理由ってやつ」
数時間のうちにいろいろ考えたのだろう。ユエの声は思いの外冷静であった。
自分も彼に報告、そして相談したいことがあるが、まずはユエの言葉に耳を傾ける。
「神鳥の宇宙のように年若い少女が女王になる場合、恋愛に夢中になって任務がおろそかになる可能性もある。だけど、ここ令梟の宇宙では物事の分別がつく女性が女王になることだって多いのに、それでも慣例的に恋愛は禁止されていた」
その言葉にアンジュは頷く。
歴代の令梟の宇宙の女王がどのような人物だったのか、直接知ることは叶わない。
だけど、わずかに入ってくる情報を総合するとある程度落ち着いた年齢の女性が務めることが多かったらしい。
そして、女王である間は恋愛を禁止されていたことも。
「相手が守護聖であっても、力尽きるのは一緒とは限らない。むしろ数年単位で差が出ることの方が当たり前だ。そして、愛するものが聖地から去ることになったとき、宇宙を犠牲にしてでも聖地から去った例があるのではないかと俺は踏んでいる」
昼間のアンジュのセリフを意識しているのであろうか。
だとすれば、彼に大切な、ひとつの報告をしなければいけない。
そう思いながらアンジュは口を挟む。
「でも、私がユエと一緒に過ごしたいのは……!」
確かに個人的私情かもしれない。
だけど、それなりの理由はある。少なくともアンジュにはあるつもりだった。それを知った上で彼がどういう判断を下すのか知りたかった。
「ユエ、私、あなたに話さなければならないことがあるの」
「マジかよ……」
アンジュの話を聞き終えたユエはそれだけを呟いた。
言葉ではそう言っているが、表情のあちらこちらから喜びが隠しきれない様子が見て取れる。
「だけど……」
喜びも束の間、ユエの表情が絶望に覆われることにアンジュは気づいてしまう。
そう、彼はもうじきこの聖地から去らなければならない。
おそらく子どもの顔が見られない未来を想像しているのであろう。
「ねえ、ユエ」
アンジュは目の前の川を見ながら彼から以前聞いた話を思い出す。
バースには夫婦で川の水を一緒に飲めばまた巡り会えるという伝承があることを。
「そうだな…… 次は普通の人間として生まれて、お前とまた出会えるかもしれないよな」
それは言葉を返せば今生では二度と会えないかもしれないということ。アンジュとも、そしてまだ見ぬ子どもとも。
だけど、その覚悟はできていた。少なくともアンジュは。そしてユエも同じだったのだろう。ふたりとも守護聖と女王候補として出会い、彼と仲が深まるにつれて意識していたこと。
ただ今は「いつか」起こると思っていた未来が突然やってきて戸惑っているだけで。そして、それが想像以上に早く、そきて残酷な形でやってきているだけで。
「うん、この、広い宇宙の中で、しかも時間の流れが違うのに出会えたんだもん。きっとまた出会えるよ」
ユエが守護聖になったのはバースでは恐竜がいた時代だと話していた。
数千万年とも数億年とも取れる気の長くなるような時間の中、ほんの一瞬とも言うべきの時の狭間にいた自分を見つけ、そして恋仲になった。
だから大丈夫。別れてもきっとまた巡り会うことができる。ただ、今回は寂しい形の別れとなるだけで。
そう思いながらアンジュは川の水に口をつけた。隣でユエが同じことをしていることを横目で確認しながら。
翌週、臨時で会議が開かれることとなった。
「本日は大切なお知らせがふたつあります」
女王アンジュがそう切り出す。
一瞬場がざわつくが、アンジュがうながすことで静粛した空気へとなる。
「まずはユエ」
凛とした声が部屋に響くとそれに呼応してユエが立ち上がる。
「ここ数日、俺のまわりで落ち着かない状態が続いていたから、既に知っているヤツ、察しているヤツは多かったと思う。そして、それについて話す機会がなくて申し訳なく思う」
一息吐いて、そこにいるものに視線を送る。
「俺のサクリアだが、ここ数日で急激になくなっている」
サクリアがなくなるという守護聖にとっての一大事を報告するというのにユエの声は落ち着いていた。むしろまわりのものの動揺の方が大きく、それはどよめきとなって部屋中に響く。
タイラーによると急激になくなっているとはいえ、今すぐ任務に支障が来るものではなく、数ヶ月は持つのではないかという話だった。そのことを淡々と説明する。まるで自分のことではないかのように。
そして、それくらいの猶予が与えられたのであれば、次の守護聖を見つけ出し引き継ぎをする時間もあるだろう。
実際、タイラーから次の光の守護聖の目星はついたという報告も受けている。
これらについてはこれから考え進めていくしかない。そう思いながらアンジュは場にいる者全員に視線を送る。
「そして、ふたつ目の報告は私からです」
そして、すうっと息を吸う。
納得してもらえるとは思わない。だけど、自分とユエがどういう考えであるかは知ってほしい。そう思いながら。
「私のお腹の中に赤ちゃんがいます」
一同から驚きと喜びの声が飛び出す。
そして、聡いものたちは先を見越して自分たちがどのような選択をするのかうかがっているのだろう。
目の光を緩めることなくアンジュは皆を見つめる。
「ここ数日、いろいろ考えました。ユエとも、そしてレイナとも話し合いをしました。その上で私が出した結論は」
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ここからは3つの結末をご用意しています。
→ED① 再会ルート
→ED② 女王退官ルート
→ED③ 別離そして……ルート