少し前まで空気は暑さを含んでいたが、ここ数日は一気に秋の涼しい風へと変化した。
底から伝わるような冷たい空気に変化するのも時間の問題だろう。
そんな刹那的な空気を感じ取りながら堂本大我は京都の街を歩いていた。
すると、少し先を見覚えある姿が目についた。
向こうも自分に気がついたのだろうか。手を小さく振りながらこちらにやってくるのが見えた。
「お久しぶり」
「ああ。って先月も会った気もするが」
「そう? でも、以前は御門家を訪れるたびに会っていたから、1ヶ月も会っていないと久しぶりな感じがする」
堂本に話しかけてきたのはかつてスターライトオーケストラのコンサートミストレスとして活躍していた唯だった。
数年前にコンミスの座は後輩に譲り、そしてその後学生の身分もなくなったためスターライトオーケストラの所属ではなくなった。
今は御門家に嫁ぎ、そして浮葉の父親のオーケストラを浮葉たちとともに再建に尽力している。
「珍しいな。こんなところにいるなんて」
「ええ。浮葉さんの誕生日だからプレゼントを買いにきたの」
言われて思い出す。
そう言えば彼の誕生日はちょうどこの季節の変わり目であることを。黒橡として活動していた頃、この時期になると事務所にたくさんのプレゼントが送られた。
唯の手には近くの洋菓子店のロゴが施された紙袋を持っている。ふたりでゆっくりとお茶の時間を過ごすのだろうか。
そんなことを考えていると唯のお腹が膨らんでいることに気がつく。
少し前に浮葉から「正式な発表はこれからですが」と前置きされつつ彼女の懐妊を告げられた。
普段笑顔らしい笑顔を見せない彼であるが、このときばかりは幸せを隠しきれない様子であり、驚きを感じずにはいられなかった。
だけど、第三者の自分にも伝わる幸せな雰囲気は決して嫌なものではなかった。
そして、あらためてひとつの命が誕生しようとしているのを感じ、堂本自身も心が温かくなるのを感じる。
「幸せそうだな」
思わずそう呟く。
幸せの定義は人によって異なる。
だけど、よほどの事情がない限り、新たな命が胎内に宿っていることは幸せなことだろう。
すると、唯は少し顔を歪ませる。
「そうね。あなたのことを恨んだこともあったわ」
それを聞きながら、だろうなと思う。
今は幸せな唯と浮葉であるが、出会ったばかりのふたりが別々の場で活動する原因は自分にある。
「でも、あなたが浮葉さんに声を掛けてくれたから、御門家はこうして再建に向かっているし、私たちもこうしていられると思うの」
別れもそれにまつわる切なさも、乗り越えられたからこそ実感する幸せ。
それを得た実感が唯から伝わってくる。
いつの間にこんな絆ができたんだか。堂本はついそう考えてしまった。
すると、ふたりの間に風が通るのを感じる。見れば太陽の光が橙を帯びつつある。
「風が冷たくなってきたな。そろそろお開きにするか」
「お気遣いありがとう。また御門家にも顔を出してね」
「ああ」
彼女の配慮を無碍にしたくないためそう答えるが、自分が御門家に行ったところで浮葉が眉間に皺を寄せるのが想像つく。
もっともあえてその様子を見てみたい悪趣味な気持ちもないわけではないが。
「さ、行くとしますか」
あの滅びに向かっていた家にまた活気が戻る。そして、そこにさらに新たな命が芽生えようとしている。そのこと自体は喜ばしいことだと思う。
ただどこかくすぐったい感じさえするが。
去り行く唯に背を向けながら堂本はそう呟いた。