一番大切なものは……「アンジュ、これ頼まれていた資料な」
「ありがとう、ユエ」
そろそろ仕事が終わるという時間、光の守護聖ユエが女王アンジュの執務室を訪れ何枚かの書類を渡してくる。
「やっぱりね………」
「ここだろ、治安が落ち着かなくて争いが絶えない惑星っつーのは」
「そうなの。安らぎと癒しのバランスが足りないからノアとカナタにお願いしているのだけど、全然情勢が落ち着かなくて……」
「そっか」
ユエと会話をしながらアンジュは昼間王立研究院でタイラーから受けた報告を思い浮かべる。
『ここ惑星エターナルですが、数日前から人々の争いが激しくなっており、いつ大規模な戦争が始まってもおかしくない状況であります』
本来守護聖と補佐官が検討・対策する事案であるが、場合によっては宇宙の広範囲に影響を及ぼしかねないということで女王アンジュが直々に報告を受けることになった。
争いの兆候が見られるようになってからノアとカナタにサクリアを送るように命じているが、一向に改善する気配は見せない。それどころか状況はむしろ悪化しており、手の打ちようがないのが現状であった。
「こういうとき虚しくなるよな。なんのために守護聖やってるんだろって。特に今回は俺の力はあまり必要とされていないしよ」
「うん…… 頑張っていても必ずしも成果につながるわけではないとわかっているけど、やっぱりこう結果が出ないと悲しくなるよね」
アンジュが女王となり早3年。
女王になったばかりの頃は慣れていない仕事ゆえ目まぐるしい日々であったが、振り返ればやりがいを感じる3年間でもあった。
最近は仕事にも慣れてきたため宇宙のトラブルも大抵は対応できるようになってきた。
しかし、今回のように民の声に耳を傾けた上で判断をしても争いを回避できないことがあり、そういうときは正直虚しさを感じる。
そんなとき力強い存在だと感じるのが光の守護聖ユエであった。
首座の守護聖として守護聖たちをまとめているのは女王である自分にとっては頼りになる存在であった。
そして信頼している理由がもうひとつ。
「落ち着いたらメシでも食いにいかねぇか?」
執務室中には滅多に見せない恋人としての表情。状況が状況のため満面とはいかないが、彼らしい安心感を与える笑みをアンジュに見せてくる。
女王試験中に恋仲になり気がつけば3年の年月が過ぎていた。
今回のように解決の兆しが見えない場合、ひとりで抱え込みそうになるが、公私ともにパートナーであるユエがいるから乗り越えられる部分もある。
「そうだね。最近忙しくてそれどころでないもんね。早く落ち着くといいのだけど……」
「ああ、俺もお前に話したいことがあるしよ」
最後にさらりとそう話す。
ユエが言う『話したいこと』。それがなんであるか気になるが、今は話す時期ではないのだろう。それ以上触れることはなかった。
それにアンジュとしてもまずは民のためにもこの事態が一刻も早く解決することが優先であった。
惑星エターナルのことは気になるが女王自ら24時間見守るのも現実的ではない。経過観察は王立研究院の者たちに任せて今日のところは退勤することにした。
「屋敷まで送っていくな」
できる限り一緒にいたいからだろうか、ユエがそう話しかけてくる。
先ほども執務室で話をしたにも関わらず屋敷までの道のりもふたりでたわいもない話で盛り上がる。
ときには沈黙がふたりを包むものの、それすら今のふたりには心地よい時間であった。
そしてあっという間にアンジュの屋敷の前に到着する。
「なんか寂しいよな」
ドアを開け、中に入ろうとするとユエがぽつりと呟く。
「え?」
「いや、急にごめん。お前と一緒にいる時間が楽しいから、こうして別れるときが寂しいなって」
ユエの言葉にアンジュも同意する。
彼といる時間が至福のときだからこそ、離れる時間が迫ってくるのは切なく感じる。
「私もよ」
「そっか。早く明日になるといいな。じゃあ、またな」
そう言ってユエはアンジュに手を振り、背を向ける。もう少し状況が落ち着いていればどちらかの部屋で過ごしていたかもしれない。だけど、現状を考えると浮わついたことばかりもしてはいられない。
立ち去っていくユエの背中を見守るアンジュであったが、急に嫌な予感がするのを感じる。
もう一度彼の緑色の瞳を見ることは叶うのだろうか。思わずそんなことを考えてしまう。
自分たちは女王と守護聖。
健康上の理由で簡単に命を落とすことはない。
だけど、宇宙を統べる存在である以上、思いもよらない形で命を落とす可能性はいくらでもある。
ふたりで迎える明日が必ずしも訪れるわけではないとわかっているからこそ、先ほどのユエの明日を信じさせる言葉がどこか宙を漂っている気がする。
「気のせいだよね……」
屋敷の中に入りながらアンジュはそう呟く。
しかし、アンジュの願いとは逆に不安が近づく出来事が早速翌日起こることとなるのであった。
「緊急要請です!」
朝、まずは惑星エターナルの現状を確認しよう。そう思った矢先に緊急要請が入ってきた。
王立研究院にデータ分析の依頼をしたところ、ユエとシュリ、そしてヴァージルの3人が適任ではないかという判断であった。
アンジュ自身もシミュレーションしてみるが、やはりノアやカナタではなく、ユエやシュリ、そしてヴァージルがいる方が良いという結論になる。
この3人、特にヴァージルやシュリがいるあたり、ときとして実力行使もやむを得ないという意思を感じる。
宇宙の危機の前では個人的感情を出してはいけない。そうわかりつつもアンジュは不安な様子を隠せない。
「大丈夫だ、アンジュ。まだ戦争が起こったわけではない。確かに戦争が起こりそうだが、現在は民が事態を打破してほしいと助けを求めてきた段階だ」
ユエがそう説明してくる。
確かに戦争はまだ起こっていない。しかしアンジュにはその言葉が気休めにしか思えない。
だけど、女王である自分が私情を挟むのはご法度。
そう思い、ユエたちを送り出す。
ユエたちが惑星エターナルに旅立ったのち、王立研究院からやってくる報告をアンジュは祈るような気持ちで見つめている。
やってくる報告はあくまでも概要のみで、個々人がどのような状況であるかまではわからない。
ただ緊迫した状況であることと、それをユエたちが抑えていることは理解できた。
「ユエ、大丈夫かな……」
思わず出てしまう個人的感情。
彼の闇の中でも輝きを放つのではないかとすら思われる金髪。
そして、見ているものに自信を与える緑の瞳。
それらをもう一度間近でみたいとアンジュはつい願ってしまう。
すると、そのときアンジュの中にあるひとつの考えがひらめいた。それは降ってきたと言っても差し支えないのかもしれない。
「争いを収めるのに必要なのは闇や水の力ではなかったわ」
呟きのような言葉はアンジュの中に確かなものとして浸透していく。
「陛下……」
それを聞き逃さなかったのだろうか。研究員が自分を見つめながら呟いている。
「誇りよ」
そうはっきり言うことで自分の中で納得する。
「確かに平和のためには安らぎや優しさも必要だわ。だけど、もっと根底に必要なものがあって、それが誇りなの」
研究員が何かつかんだような表情をしたことでアンジュも安心する。そして続ける。
「自分に誇り、つまり自信や自己肯定感を持てないから卑屈になる。そして卑屈さは人を蔑み、そして侵略することも略奪にも抵抗を示さなくなるわ」
言葉を口に出すことでアンジュはその内容に自分自身で納得することができた。
そして、今までサクリアについて漠然とした考えしか持っていなかったが、今まさに光の守護聖が首座の守護聖である理由がわかった。
人として何よりも大切なのは誇りであるということに。
直接人に物理的な何かをもたらすわけではないが、人が人であるためにもっとも大切なのが誇りである。
そして、その誇りを支えるのが勇気であり、強さなのであるということも。ただし、使い方を間違えないのが大前提なのだが。
しかし、そのことに気がついたものの、ひとつ困ったことがあった。
守護聖の力は直接民に及ぼすことはできない。
本来であればユエを惑星エターナルから呼び戻しサクリアを送る方が効果的なのかもしれない。
だけど、民たちがユエが放つオーラを感じ取り、そして争いが終結に向かう。そんなシナリオをアンジュは願わずにはいられなかった。
王立研究院に送られてくるデータをアンジュは凝視する。
このデータの向こう側にはユエたちがおり、そしてなんと言ってもエターナルの民の平和が掛かっている。
アンジュは祈るように一瞬たりともモニターから目をそらさずに見つめていた。
こちらの一瞬は惑星エターナルではあっという間に経過していく。
現地では何日もの日が過ぎ去っているのだろう。
民は、そしてユエたち守護聖は大丈夫なのだろうか。
いつ終わるのかいつ終わるのか見守っていると、争いを示す数値が減っていくのがわかった。
アンジュが願っていたようにサクリアではなくユエたちの行動が民を動かしたのだろうか。
「よかった……」
どのような形で惑星エターナルに平和がもたらされたのかはわからない。
そして、ユエたちの顔を見るまで安心は出来ないでいたが、少なくとも危機は立ち去った。
そのことがアンジュにとって嬉しかった。
ユエたちが戻ってきたのはそれから間もなくのことであった。
「陛下、ただいま戻りました……」
目の下にくまを作ったユエが足元がおぼつかない様子で聖地に戻ってきた。
語尾もどこか力がない。
心配そうにアンジュが見つめていると目の前で倒れ込んだ。
「ユエ!!」
心配するアンジュであったが、とっさにシュリとヴァージルがユエを両方から支えた。
「心配することない。ただの睡眠不足だ」
シュリの話によるとユエはなるべく武器を使わないようにするため、民と民との間に入り交渉を進めていたらしい。
睡眠時間は極力まで削り、あちこち駆けずり回っていたという。
シュリやヴァージルに比べて起きている時間が長いのもあったし、そもそもユエもある程度の体力はあるとはいえこのふたりほど鍛えてもいなかった。
そこで体力の限界が来たのだろうとのことであった。
アンジュはユエの眠るベッドの傍で座っていた。
惑星エターナルの件についてはシュリやヴァージルから報告を受け、また王立研究院からはそれを裏付けるデータも受け取った。
今後はサクリアのバランスにさえ気をつければ当面の間は問題ないのではないかという見解であった。
惑星エターナルで余程奔走したのだろうか。
ユエはぐっすりと眠りについている。
病気やケガではないとのことであったが、あまりに長い時間眠りについているため、思わず心配してしまう程である。
それにしても彼の緑色の瞳をもう一度見たい。
アンジュのその願いが通じたのだろうか。
ユエがパチリと目を覚ました。
「ユエ、よかった……」
命に別状はないとはわかっていても情勢が落ち着かない土地へ行き、そして長い間眠りについているとやはり心配してしまう。
「ああ、心配掛けたな……」
身体を起こしながらユエがアンジュの涙を拭ってくる。
そのことでアンジュは自分が泣いていることを初めて知った。
すると、ユエがその端正な顔をアンジュに近づけてきた。
何度交わしているかわからない口づけ。今日ほど彼のくちびるの温かさを実感したことはなかった。
角度を変えて何度も口づけ、そしてくちびるとくちびるが重なるだけだったものが、だんだん舌が入り込み、互いを求めるものへと変化してくる。
このままでは流されてしまう……
アンジュがそう思ったところ、ユエはまだ体力が戻っていなかったのであろうか。くちびるが離れ、そしてアンジュの身体を抱きしめてきた。
「よかった…… お前ともう一度会えて……」
いつもに比べて息がつらそうに彼は話す。
だけど、それは身体がつらいだけではなく、うっすらと浮かんでいる涙のせいであることにアンジュは気がつく。
「アンジュ、1回しか言わねぇ。だからしっかり聞いてくれよな」
半分涙声になりながらユエはそう話してくる。
そういえば落ち着いたら話したいことがある。以前ユエがそう話していたことを思い出す。
あのときは状況が落ち着かなかったこともありさらりと流してしまったけれど、ついにそれが話される日がきた。
アンジュは身体に緊張が走る。
「アンジュ、結婚してくれないか……」
つき合って3年を過ぎたこともあり、どこかで予想していた言葉。
だけど、いざ聞くと驚いてしまう言葉であった。
はいと言いたいものの、どのように答えればいいのかわからずユエの瞳を見てしまう。
だけど、彼の緑の瞳が不安そうに揺れていることに気がつき、アンジュは首を縦に振る。
「私も同じ気持ちだったから」
そう答えるがいやなユエはアンジュに飛び付くように抱きしめてきた。
その腕の強さは先ほどまで睡眠不足による疲労で眠りについていたとは思えないほどであった。
「絶対に幸せになろうな」
今度は奪い取るようなキスをしてきてユエがそう言ってくる。
その言葉にアンジュは頷く。
女王が恋愛することが初めてというなら女王の結婚もおそらく初めてだろう。
前例がない道を歩くのは勇気がいる。
だけど、ユエと一緒なら大丈夫。彼と過ごしてきた3年以上の年月がそのことを教えてくれた。
「もっと早くに言ってくれてもよかったのに」
「死亡フラグになりそうで言えなかったんだ」
「惑星エターナルに行く前とかじゃなくて、もう少し早い時期って意味よ」
一通りの喜びを共有したものの、ユエは疲れには勝てなかったのだろうか。ベッドで横になってしまっている。
「ん…… そうだな。お前がせっかく仕事楽しんでいるから、わりーなと思ってよ」
「そっか」
ユエの言葉にアンジュは納得する。
確かにこの3年間、女王の仕事に慣れるのが精一杯で結婚に対する憧れはあったものの、どこか現実的でない自分がいた。
そして、ユエが右手で頬をかきながらつけ足してくる。
「あと、本当に俺でいいのかという気持ちもあって」
その瞳は自分ではないどこかを見つめていた。
「私にはユエしかいないよ」
その言葉に安心したのだろうか。
ユエはベッドから腕を伸ばしアンジュの首に回してくる。それに応えるかのようにアンジュはユエに身体を近づけ、彼のキスを受け止める。
「今度、指輪買いにいこうな」
まずは指輪。そしてこれから一緒に生活するにあたって、たくさんのものを揃えていくのだろう。
それらに期待しながらアンジュは返事の変わりにキスで応えた。