【メラムギ展示用】外つ国(とつくに)の三炎(はな)、ワノ国に舞い落つ 多くの人で賑わう城下町、〈花の都〉。若芽薫るあたたかな風にのり、桜花が舞う。
都の名にふさわしいあたたかさと華やかさを楽しむ人がにぎやかに行き交う往来で、ひとりの浪人が不意に足を止めた。
見れば、陽の光を受けて煌めく黄金に惹かれた花弁が一枚、浪人の髪に淡い彩りを添えている。
ゆるりと波打つ金糸からつまみ取った花弁を眺める立ち姿は、どことなく身分の高さを思わせる雰囲気もあり、まるで人気役者の絵姿。わざとらしく用のない店で足を止めたり、歩調を落としちらちらと横顔を盗み見ていたりした女たちが、悩まし気な吐息を漏らした。
ただ、端正な顔に大きく残る火傷の後や、鮮やかな青地に力強く踊る綱と紅白の紙垂をあしらった派手な文様という装いに臆し、遠巻きに眺めるだけ。
「……」
暫しの間小さな薄紅色の花弁をみつめていた浪人が、軽く眉をあげると、再び歩き出した。
往来の真ん中で立ち止まっていた自分に呆れたように、口元には薄い笑みが浮かんでいる。その表情に魅入られたかのように、幾人かの女たちが、ふらり、と浪人の方へ足を向けた時、どこからか怒号があがりその動きを止めた。
「御用だ御用だ!」
「食い逃げ野郎、どこいった!」
自然に通りの右と左にわかれた人々に紛れ、浪人は一軒の茶屋に足を踏み入れた。その背後で、駆けてきた岡っ引きたちが一旦足を止め、野次馬たちの中に険しい視線を走らせる。
「くそっ……食いながら寝てやがったくせに、逃げ足の早ェやつだ!」
「よし、おれたちは向こうを探す。おめェらはあっちだ!」
「おう!」
四方に散らばった岡っ引きたちの声を背中で聞きながら、浪人は、団子を焼く男に声をかけた。
「うまそうな匂いだ。……そうだな。十本ほど包んでくれるか」
「これはこれは……ありがとうございます」
色を付けて置かれた代金に喜色を浮かべた主が、焼きたてをお出ししやすと忙しく手を動かす。頬をほんのりと染めたお運びの娘に出された茶に礼を言って受け取りながら、浪人は、店先に貼られていた人相書きについて尋ねた。
「ああ。あれは、数日前に九里のほうで暴れた極悪人でさァ。なんでも、潜伏先を知らせた者には将軍オロチ様よりじきじきに褒美がくだされると」
「……へェ、そりゃあすごい」
心付けがきいたのか、さほど待たされることなく程よい焼き目が付いた団子の包みが用意された。それに、焼きあがる間まじまじと人相書きを眺めていた浪人に気を使ってか、よかったらこれも、と奉行所から配られたというお尋ね者の人相書きが添えられる。
「はは。それじゃひとつ、お尋ね者をとっつかまえて、またこの団子を食いにくるとするか」
「へェ。どうぞご贔屓に」
愛想たっぷりのふたつの声に見送られた浪人は、包みからさっそく一本取り出しながら、食い逃げの下手人探しで騒がしい通りにちらりと視線を向け、喧騒とは反対の方向へ歩き出した。
* * *
安くてうまいが信条の一膳飯屋。河岸が近い店内は、町人よりも船で各郷を行き来する船頭の姿が多い。そのなかで、装いの異なる男が、ひとり混ざっていた。
船頭たちの遠慮がちな詮索の目を集めるのは、いかにも侠客らしい青年だ。山吹に常盤色の花を染め抜いた単衣を着崩し、鍛え抜かれた肌を晒している。
一見、都で恐れられている狂死郎一家の一員。ただ、それなら主にも他の客たちにももっと居丈高にふるまう。食事中の者を押しのけて広々と床几のひとつをせしめ、まずいだなんだと文句をつけて金をせびり、店のものを壊すのだ。
だが、男は隣り合わせに腰かけた客ににかっと笑いかけ、「美味そうなの食ってるな」と冷や汗をかいて飛んできた主に同じものを注文した。
傍らには、その箱膳がふたつ、すでに空になっている。それなのに、まだ足りねェな、と独り言ちた男は、今度は向かい側に座る客のも美味そうだと米粒を飛ばしつつ注文している。
「どこの愚図だ、ちんたらくってやがるのは!」とのれんをはねあげ怒鳴った客も、その様を見てあんぐりと口を開けている。
だが、どれだけ空腹だったのかと周囲が呆れながらもいい食いっぷりだと見惚れはじめるなか、突如、男は箸の動きを止めた。
次の瞬間、がくり、と首が落ちる。
「お侍様、お待たせしま……ひえっ⁈」
恐ろしい相手ではなさそうだと直感しながらも相手は二本差し。待たせれば態度を変えるかもしれないと、慌てて追加の料理を持ってきた店主が、目に入った光景に小さく悲鳴をあげた。
「も、もし……?」
半分ほど焼き魚が残っている皿に突っ伏した男は、微動だにしない。恐る恐る近寄った主は、箱膳を置きそっと肩をゆすった。
その瞬間、茶碗を持ったそのままの形で固まっていた手が揺れた。あっ、と小さな声だあがる中、髷が米粒をまとった小さな山のように変わる。それでも、男が顔をあげることはない。
「お、お侍様⁈」
「おい、まさか、死んだんじゃねェよな……何かあたったのか?」
「いや……さっきおれも同じの喰ったぜ。でも腹具合はおかしかねェがな」
慌ててたちあがった周囲の客のひとりが、今にも倒れそうな主を支えた。浪人を囲んだ慌ただしい人々の動きに、壁に貼られていたお尋ね者の人相書きが、はらりと落ちる。
「……はっ……⁈」
米粒まみれの頭を隠すよう落ちたそれがきっかけになったのか、男が勢いよく顔をあげた。
「……いやァ、寝ちまってたか」
「はァ⁈寝てたっ⁈食ってる最中に⁈」
息の揃った突っ込みに、男は顔に張り付いた魚を気にする様子もなく口に運ぶと「なんだ?面白れェ店だな!」と笑った。
「それに、飯も美味い。気に入ったぜ、親爺。なあ、握り飯をこしらえてくれるか?持って帰りてェんだ。」
「は、はい!ただいま!」
すっかり警戒心の溶けた主の返事に、客たちからも笑い声があがる。だからこそ、誰も予想していなかった。
「……く、食い逃げだー!誰か、あの野郎をとっつかまえてくれ!」
そばかす顔の愛想のいい侍が、まさか、代金も払わず逃げ出すような悪人だったとは。
* * *
古ぼけた長屋が立ち並ぶ狭い通り。長屋の住民は皆仕事にでかけ遊びまわる子どももいないためか、しんと静まり返ったそこに、遠くで吹き鳴らされる呼子笛の高い音が、微かに聞こえる。
それに近づく足音が混ざっていないか耳を澄ませ、油断なく視線を巡らせながら歩いていたサボは、不意に足を止めた。
数歩先の地面に落ちる、髷を結った男の影。
ふ、と警戒を解いたサボは、懐から最後の一本になっていた団子を取り出しながら、のんびりと影の主に声をかけた。
「……よお、エース」
「おう、サボ」
それはかつて、共に夢を語りある誓いをたてた男——今は、〈火拳〉として名を馳せる兄弟。別々に海に出て、航路もそれからの人生も全く異なる道を選んだが、もうひとりの存在を胸に固くつながった絆は、離れても変わらない。
それは、エースも同じ思いだった。
たった一言の呼びかけにそれを込めたエースもまた、久方ぶりにあった兄弟の成長した姿に目を見張りながらも嬉しさに目を細めた。
四皇と称される大海賊のひとり、白ひげ海賊団の二番隊隊長として一船を率いるエースは、海賊とはまた違った形で海軍と攻防を繰り広げる〈革命軍〉という存在を何度も耳にしていた。そこで重要な役割を果たす参謀総長の名も。
「なんだ、次の的はワノ国の武器密売か?」
「ま、そういうことだ。……そっちは、家族の仇討、か」
白ひげが、かつてこの国にいた偉大な侍、光月おでんの兄貴分だということをしっかりつかんでいる革命軍の情報網に舌を巻いたエースは、まあな、と喰いかけの握り飯にかぶりつきながら頷いた。ようやく、オヤジである白ひげからワノ国への再上陸の許可がおりたのだ。それなりの人数も動いている。革命軍なら知っていて当然だ。
「それなら、食い逃げで目立つのはまずいんじゃねェか?」
「ん?まあ……それは、面目ねェ」
何でもお見通しだな、と苦笑いを浮かべるエースがイゾウに叱られるなとぼやく中、サボは、懐から丁寧に丸めた人相書きを取り出した。
「ま、もっと目立ってるのがいるけど、な」
「……んン⁈おい、サボ……それは……!」
――ルフィ太郎——
大きく記されたその名に、エースは目を見張った。名前だけなら偶然の一致かもしれないが、罪状の上、見る者を睨みつけるかのように墨痕鮮やかに描かれた兇相に、その悪人を見分ける印としてくっきりと描かれた眼の下の傷は見間違えようがない。
それは、エースとサボの大事な弟、ルフィのそれだ。
「ルフィのやつ、なにやってんだ……?」
「そりゃあ、エース、お前と同じ――」
「っ、いたぞ!」
この数刻の間にあちこちで集めて知りえた情報から導き出した答えをサボが告げようとしたとき、誰もいないはずの通りに緊迫した声が響いた。
「……おっと」
ルフィのことで頭がいっぱいになり注意力が散漫になっていたか、とさして困ったように見えない兄弟の独り言に、エースは肩をすくめて半円状に取り囲む岡っ引きたちに対峙した。
「神妙にしやがれ、食い逃げ野郎!仲間も一緒か⁈」
「仲間じゃなくて兄弟だ」
「そういうことだ。……それに、もうひとり、おれたちには大事な弟がいるんだが、そこに連れてってもらえるか?」
「……どういうことだ?」
サボの言葉に、一瞬、十手を構える岡っ引きたちだけでなく、拳を握り戦闘準備を整えていたエースも緊張を解く。
視線を向けてきたエースに、サボはもう一度人相書きを見せた。
「どうやらルフィは、兎丼という場所にある採掘場に罪人として送られたらしい」
「はぁ⁈……ったく。まあルフィなら、なんとか自分ででてくるだろうが……」
「どうせなら、また三人揃ってひと暴れするのも悪くねェだろ?エース」
「ああ、そうだな」
捕り手たちの存在を忘れたかのように会話する浪人二人に、岡っ引きたちは、これは自分たちの手に負える相手ではないとようやく気が付いた。
「……おっと、逃げるなよ?」
「ひと暴れしねェと、極悪人が送られるっていうその場所に招待してもらえないみたいだから、な」
「——竜の鉤爪!」
「——火拳!」
一気に捕り手たちを吹き飛ばす轟音に、百獣海賊団に属するギフターズやウェイターズたちが集まるまで、さほど時間はかからなかった。
* * *
「……エース⁈サボ⁈」
堅牢な牢獄を兼ねた採掘場に、業火が明けた大穴。驚く囚人たちの中で一人、ルフィだけが揺らぐ炎が形作ったふたつの影に喜びの声をあげて駆け寄った。
エースとは、二年以上前にアラバスタで、サボとは数か月前にドレスローザで航路が混じりあった。
ただ、それぞれの別々の海をゆく三兄弟が一度に揃うのは、初めてのこと。
「まさか、エースとサボもワノ国にきてたなんてな~!」
永らく百獣海賊団の支配下にあった採掘場も、いまや侍たちが制圧している。疫災弾を受けた体も、チョッパーの治療で回復した。
つかの間だが休息中ということもあり、すっかり弟の顔に戻り兄二人との再会を喜ぶルフィ。
その背後で、敵とは思われないまでも正体のわからぬ浪人の登場に戸惑う侍たちには、チョッパーが説明している。英雄ともいうべき救世主の兄だとわかり、長く虐げられ警戒心が強くなった侍たちもほっと息をついた。
「ところでルフィ……お前、なんかにおわねェか?」
ぎゅう、と抱きついてくる弟の背を撫でていたエースは、微かな異臭に顔を顰めた。
「……確かに。ルフィの体臭、じゃないな。これ」
再開までの時間の長さの違いからか、先にルフィから熱烈な歓迎を受けたくせに失礼な、とエースを睨みつけたサボも、その腕から弟を奪って髪に鼻先を埋め、僅かに不快な表情を見せた。
「ん?……あぁ。なんだっけ。もうぶっとばしたんだけど、ぱかぱか?しゃべるたんびに唾飛ばしてくる奴がいたんだ」
「うん、確かにまだくせェな!」と自分の体の匂いを嗅ぎあっけらかんと笑う弟の周囲で、ゆらり、と陽炎がたちのぼった。
「……そいつ、どこだ?」
「んー?どこでぶっとばしたかなァ。その辺で伸びてると思うぞ」
「ルフィは優しいな……大丈夫。兄ちゃんたちがお前の体を汚したゴミを、ちゃあんと消し炭にしてやるからな」
「へ?」
きょとん、と首を傾げるルフィは全く気が付いていなかったが、遠巻きに見守る侍たちには、地獄の炎がこの場を焦土と化す幻影が見えたような気がした。ここが燃えるのは胸がすくだろうが、とうの昔に失ったと思っていた君主と仰ぐべき者があらわれ、その計画を知った今、まだこの場所には利用価値がある。破壊させるわけにはいかない。
兄たち二人が纏う雰囲気で、もしや、と思い立った一人の侍が、恐る恐る声をかけた。
「その、それほど臭いが気になるようなら、体を清められてはいかがか……?」
無論牢獄にはその術はないが、看守たちが住まう塔にはきちんとその設備があるはずだ。試しに、気を失っているウェイターズの一人を覚醒させれば、幹部が使う部屋には立派な檜風呂があるという。
「……へェ。風呂、ね」
「それもそうだな。ルフィに染み付いた他の野郎の痕跡は、さっさと落としてしまわないと」
「えっ……」
ようやく、兄たちの纏う不穏な空気に気が付いたルフィが、「じゃあ、チョッパーも……」と首を巡らせるが、それよりもエースがルフィを肩に担ぎ上げる方が早かった。
「安心しろ、ルフィ。ガキの頃みたいに乱暴にこすったりしねェから。な?」
「ああ、隅から隅まで、優しく洗ってやる。……ぜぇんぶ、兄ちゃんたちに任せろ」
「う……」
どこか凄みのある獣のような笑みを向けてくるエースと、それよりも優しい微笑みのはずなのにぞくりと体を痺れさせるサボ。
これから始まるお風呂の時間がどんなものになるかそれだけではっきりと解らせられたルフィは、熱を持った顔を隠すようにエースの髪に顔を埋め、小さく頷いた。
了