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    つきあってるビリグレ
    ※事後描写有

    その情報、超機密事項につき「——あ」
     意志を持たない短い母音に、柔らかい暗髪が振り返る。存外長く密度の高いまつ毛が二回、『どうしたの』の代わりに舞った。
    「んーん、なんでもナイ」
    「……? そっか」
     ふい、と蜂蜜色のひとみが再びそっぽを向く。細め青ぶちのブルーライトカット眼鏡は、グレイの白い肌と髪色によく似合っている。いつだったか、なんだったかの記念日にプレゼントしたものだ。オイラたちはなにかと適当な口実をつけて記念日をつくる癖があるから、たぶん『お気に入りのカップケーキ屋を見つけた日』とかそんなものだったと思う。『グレイが長期出張でいない間にグレイの実家に泊まってみた記念日』だったかな。
    「っあぁ〜……」
     まるで飲んだくれのおじさん——身近な人間で言うとキースパイセン?——みたいな声で唸りながら、グレイは手にしていた携帯ゲーム機を放ってシーツに顔を沈めた。眼鏡が当たって痛かったのか、億劫そうに身じろぎながら外している。
    「苦戦中?」
    「んーん、逆……このシリーズ、前回のナンバリングからバトルシステムの監修が変わったみたいで……難易度がぐっと落ちて拍子抜けしちゃう感じになっちゃって」
    「ワオ、さすが元プロゲーマーならではの感想!」
    「僕じゃなくてもそう思うよ……」
     ストーリーはすっごくいいのに、とくぐもった声が聞こえて、それがあまりにも惜しそうで思わず噴き出してしまった。つい悪戯心が勝って『運営にお気持ち表明文送ったら?』と訊いてみる。無視。これは本当に送るつもりなのかも。
    「……ていうか、もうこんな時間なんだね。そろそろ起きないと……ビリーくんもお腹すかない?」
    「ん〜? 俺っちはグレイが起きる前にちょっとだけドーナツをつまみ食いしたから、まだ空いてないカナ」
    「! そうだ、ジェイさんに貰ったドーナツがあるんだった……!」
     うつ伏せになっていたグレイが勢いよくベッドの上で身体を起こした。長い脚が当たって俺っちの隣にあったグレイの枕を蹴落としたけれど、本人は気づいていないしどうでもいいらしい。グレイは案外こういうところがある。オイラの前では気を遣ってくれていることを充分に知っているから何も言わないけど。フローリングに転がった枕をこっそり拾って、クッション代わりにしている自分の枕の隣に並べた。
    「くっふふ! グレイ、昨日ジェイに貰って帰ってきたときはあ〜んなに嬉しそうだったのにネ。ダイニングテーブルにポツンと置き去りになってて寂しそうにしてたヨ」
     案外冷たい男なのね、とドーナツのふりで泣き真似して見せると、今度は身体ごとこちらに振り向いたグレイの目が恥ずかしそうに丸くなる。
    「そっ、それは……! び、びり、……うぅ……」
    「HAHAHA〜! 真っ赤になっちゃってカ〜ワイイ」
    「……」
    「うッ……ソーリーソーリー、オイラのせいデス」
     なかなかに強い力で鳩尾を小突かれてしまって慌てて慰める。はげしく照れたとき、視線を泳がせて目尻を紅くして唇を噛み締める癖はずっと変わらないんだけどな。だけどまあ、こうしてたまに遠慮が無くなるようになったこと、実はけっこう嬉しかったりする。

    「ビリーくんはお仕事まだかかりそう?」
    「あとちょっとだけ! このメール送ったらとりあえず急ぎの用事は何もないヨ」
    「そっか、じゃあ午後になったら買い物行こっか。たぶん冷蔵庫ほとんど何もないから……」
    「出かけられる?」
    「えっ?」
     あぐらをかいた腿の上に広げて乗せたノートパソコン。その液晶画面から、同じベッドの上にいるグレイへと視線を移した。それぞれ専用の部屋はあるけれど、ヘッドボードを背もたれにしてベッドの上で作業するのが一番捗る。たぶんハンモックの上で作業をしていた頃の名残だ。グレイもグレイで超最新のゲーミングデバイスだらけの自室があるくせして、結局こうしてベッドの上でうつ伏せになりながらゲームするのが好きらしい。
    「オイラ、昨日は結構はりきった自信あるんだヨネ。グレイが足腰立たなくなるくらい」
    「……! ……う、はわ……」
    「ボクちんとしては〜? 今日は一日じゅうベッドの住人になるのもイイかなと思っ」
    「——っ僕! とりあえずドーナツ食べてくるからっ!」
     成人を超えた男二人が並んでもなお有り余る、クイーンサイズのベッドからグレイが飛び降りる。昨晩酷使した下半身に衝撃が響いたのか『はう』と情けない声が聞こえた。そのまま予想通りぎこちない動きでそそくさと寝室を出ていく後ろ姿を、噴きだしたいのになんとか堪えながら見守る。
    「あーあ、惜しいや。見えなくなっちった」
     立ち上がったとき、重力に従って落ちたトランクスの裾がお尻をすっぽり隠してしまっていた。グレイは窮屈さを嫌うところがあって、家の中ではTシャツ一枚にトランクスだけなんてことがざらにあるのだ。さっきこっそり盗み見た、うつ伏せのグレイのうしろ姿を思い出す。
    「……あんなところにほくろあるなんて知らなかったなあ」
     比喩でもなんでもなく、グレイの身体は余すことなくぜんぶ見た自信があったし、なんなら触れてきたとも豪語できるけれど。足をこちらに向ける形でうつ伏せになって、履き古したトランクスが捲れ上がっていて、それで初めて気がついた。脳天からまっすぐ下。お尻と脚の境目に、申し訳程度に佇む小さな黒子があることに。
    「んっふ、これは情報屋としての腕が鳴るネ」
     こんど身体中のほくろを探させてと言ったら怒るだろうか。怒りはしなくとも嫌がるだろうなあ。こんなふうに無防備なところは曝け出すくせして、いまだに明るい場所で裸を見せ合うのは恥ずかしいグレイのことだから。
     

     一ヶ月ぶりに被ったオフだった。研修プログラムをとっくに終了して、別々の部署に従事するようになってからは、こういうこともぜんぜん珍しくなかった。相手の気配は感じられるのにどこを探しても存在はない虚無の日々が続き、ここ数日は特に忙しかったのもあってか、なかなかに精神が削られた。家庭内別居ってこんな感じなんだろうか。できれば一生迎えたくない単語ではある。
     昨晩少し遅れて帰宅したグレイは、山積みの業務を終えた部下を労うジェイからの差し入れをうれしそうに報告してくれた——のに、無邪気な笑顔の奥に潜む欲に充てられてしまって、晩御飯もおざなりにふたりして寝室にもつれ込んだのだ。そこからは、まあ、ね。
     制服を脱がせるときにはもう必死だったから何も言わなかったけど、昨日グレイが着けていたのは俺のネクタイだった。こういうことをして情欲を煽るようなおとこになってしまったのだ。間違いなくビリー・ワイズとかいう恋人のせいで。性格だったり外見だったり変わらない部分もあるけれど、グレイは昔に比べてずいぶん大人になった。物凄く綺麗にもなった。仕事ではしっかりしていて頼り甲斐があるのに、家の中ではちょっぴりだらしない素性を曝け出してくれるようになって。斯く言う俺も気がつけば、出会った頃のグレイと同じ歳になっていた。
    「……もしものときのためにネ」
     厳重にロックをかけた、グレイにさえも開けさせるつもりのないフォルダを開く。その日の情報はその日のうちに整理する、が昔からのモットーなのだ。なんて、上辺だけの言い訳を浮かべながら。たったいま知ったばかりのグレイの情報をメモ帳に書き留める。
    「ハハ、これ……はたから見たらヤバいかも」
     恋人とはいえこっそりと秘密や癖やほくろの位置をメモってるなんて、情報屋の肩書きを持ってしても言い逃れはできまい。でもグレイの要素が自分の中に募っていく気がして、人知れず優越感に浸れるのが気持ちよくて、ついつい指が動いてしまう。まあグレイのことだから、いざバレてしまったとしても喜んでくれそうな気もするが。なんなら『僕もビリーくんが残した書き置き全部取ってある』とか言い出しそうでもある。それは流石に期待しすぎか、というか書き置きを保管しているのも結局オイラだ。もうダメだ。
    「……」
     軽い自虐に心を痛めつつ、秘密のメモをじっと眺める。——ガムを膨らませるのがへたくそなこと、足の人差し指が長いせいで靴下が破れがちなこと、いつも爪の長さがばらばらなこと、電話してるときも頭を下げたり身振り手振りする癖があること、歯磨き粉を出しすぎちゃうこと、本人はバレてないと思ってるだろうけど俺のつむじのにおいを嗅ぐのがすきなこと。羅列するときりがない。我ながらなかなかの執着ぶりだとは思うが、読んでいるだけで不思議と口角が上を向く。ときどき、ほんとうにときどき、グレイと小さな喧嘩をしてしまうことがあるのだけれど、そういうときにこのメモを開くのは禁物だ。すぐに許してしまいたくなるからである。
    「ビリーくん、レモンあったからレモネード作ったんだ、けど……」
     両手にグラスを抱えたグレイが寝室を覗き込んできて、顔を合わせるなり語尾を萎ませた。
    「! 飲む飲む、サンキューグレイ……、なに?」
    「いや……なんか、にこにこ? してたから……」
    「HEY,HEY! オイラはいつでもニッコニコスマイルでしょ〜?」
    「そ、そうだね……」
    (あっぶな……)
     バレても構いはしないものの、いざ暴かれそうになるとつい躱してしまう。グレイの前ではすっかり鳴りを潜めるようになった情報屋の性だ。コントロールとSを押して、閉じたノートパソコンを脇に置く。シーツと枕を整えて、隣に入り込んでくるグレイを出迎えた。
    「ドーナツたべた?」
    「うん、ちいさいの一個だけ……あとはおやつにしようかなって」
    「お昼ごはん食べられなくなっちゃうもんネ」
    「……さっきさ」
     うん、と隣に振り向けば、グレイは微笑んでいるようで不安げなようで、なんとも言えない顔をしていた。べっこう色のフレームのブルーライトカット眼鏡——これはグレイがお返しにプレゼントしてくれたものだ——を外して首をかしげる。
    「なんでもないって言ってたけど、なんか、気になることとかあった?」
    「……ン?」
    「おもいだしたとか気づいたとか……何かあったのかなって、あとからちょっと気になりだしちゃって」
     レモネードのグラスに口をつけたまま、グレイの瞳だけが控えめに向けられた。一瞬なんのことだか全く検討がつかなくて間抜けな顔を晒していたら、すこしずつ糸が綻ぶみたいにグレイがじわじわと微笑んだ。
    「——あっ、さっきの?」
    「そう。さっきの」
    「気になっちゃったの?」
    「……気になっちゃったの」
     真っ直ぐで優しくてあまい、蜂蜜みたいな眼差しから目を逸らし、レモネードに口をつける。グレイがつくるレモネードは昔から変わらない味のままだ。
    「……そっかそっか、気になっちゃったかあ」
     おとなになったし綺麗になったし随分自立した、けど、グレイは昔の比べてわがままにもなったなと思う。明確な言葉や態度を欲しがるようになって、甘え下手だったのが少しずつ露骨に甘えるようになって、言いたいことやしてほしいことをはっきり伝えてくれるようになった。もちろん気遣い屋でどこまでも優しくてすぐネガティブ思考になってしまうところは変わらないけど、なんていうか、グレイのなかでの唯一を占められているんだなって、それがうれしくて愛しくてたまらない。脚の付け根にほくろがあるのも、恋人には意外と甘えたがりなのも、世界じゅうのだれひとりだって知らないのだ。俺以外。

    「……高いヨ〜?」
    「えっ、も、もしかしてお仕事関係……?」
    「ううん、ぜんぜん」
     なんたってたった今仕入れたばかりの超レア情報、さすがのグレイでもそう簡単には渡せない。飲み干した空のグラスをサイドボードへ避けて、グレイの手からもそれを奪う。頭の周りにクエスチョンマークをいくつも浮かべているグレイのくちにキスしたら、レモネードとドーナツの甘い味がした。どこの誰に何ドル積まれたってこの情報は渡さないけれど、グレイだったらそうだな。
    「……もっかいキスさせてくれたらね」
     耳朶に寄せた唇で囁けば、グレイは一瞬目を瞠って、それからうれしそうに瞼を閉じた。

      
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    DONEビリーが依頼人と喋ってるだけのビリ→グレ
    (ビリグレワンライ【恋の悩み】)
    マジック・アワー「ロニー・ビードルよ」
     きれいに切り揃えられた桜貝のような爪が、音もなく一枚の写真を差し出した。ご挨拶だな、とビリーは思う。ゴーグルの中で目を細めながら肩を竦めてみせる。こちとらまだ店に着いて席に座ったばかりだというのに、間髪入れず仕事の話ときた。無駄がないのは嫌いじゃないが。
     胸元がざっくり空いた漆黒のワンピースを纏った彼女は、どうやらビリーと視線を合わせてくれるつもりは無いらしい。小さな顔がすべて隠れてしまいそうなほどのサングラス。ビリーが言えた義理ではないが素顔を露わにしたくないのだろう。緩くウェーブがかった明るい茶髪を耳に掛け、それきり彼女は俯いた。
     ビリーは彼女を一瞥してから店内に視線だけを滑らせる。夕暮れのアンクルジムズダイナーは取引の穴場だ。ディナータイム前で客が疎らな時間帯、一番奥のボックス席に呼び出されたビリーを待ち受けたのは一人の女性と、テーブルの上で冷や汗をかいているブラックのアイスコーヒーだった。ニューミリオン随一の情報屋という肩書きだけが先走ったらしく、店に着いたビリーが席に座るなりその若さに彼女が僅かに驚いたような素振りを見せたのがほんの十秒前のこと。アンクルジムズダイナーならばチェリーサイダーかジンジャーエールが良かった。そんなことを宣える空気では無く、ビリーは仕方なくアイスコーヒーのストローに口をつけた。なにせ目の前の女性の口元が、上がった肩が、話の真剣さを物語っていたからだ。
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    DONE喧嘩したビリグレが深夜ドライブする話
    (ビリグレワンライ【ドライブ】)
    naked くぐもった音を合図に前方の景色が開かれたのを見て、ビリーは雨が降り出したのだと悟った。車窓に流れゆく景色は変わらず、等間隔で背の高い街灯をうつし出している。きれいに舗装された広い道には人はおろか他の車だって見当たらない。眠らない街・ニューミリオンでもさすがに深夜のハイウェイは閑散としていた。
    「もうそろそろブルーノースに入るヨ。サービスエリアがあるけど寄る?」
    「……まだいいかな」
     ビリーは僅かに眉を上げ、スマートフォンの灯りを消した。それならばしばらくナビゲーションの必要は無い。出る幕なしだ。口を閉ざしてしまえば、そこに残ったのは息が詰まるほどの静寂だった。タイヤがアスファルトを削る低音を背後に、フロントガラスに降り注ぐ霧雨を拭うワイパーの間抜けな音だけが続く。彼の実家の車とは違ってエリオス社貸し出しの車のシートは硬く、けれどそれよりも遥かにぶっきらぼうな返事の方が固かった。ビリーくんは大丈夫? トイレとか平気? 普段ならかけられるであろう言葉もかけられないほど、今のふたりの間には薄く張り詰めた氷のようななにかがあった。
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