『僕たち結婚します!?』② 渚カヲル。
歳は七歳。だけど数ヶ月後には八歳になるというから、学年的にはシンジよりもひとつ上だ。
好きな食べ物――わからないけど、なんでもよく食べる。
嫌いな食べ物――多分なさそう。
得意な教科――算数。二年生なのにもう六年生で教わるような問題が解けるらしい。
趣味は……音楽?
ここ数日で仕入れた婚約者の情報を、シンジは頭の中でひとつひとつ確認していく。
なぜなら暇だからだ。
今日は平日。外は雨が降っているから、庭で遊ぶこともままならない。
まずはこの家に慣れることが大事だから、新しい小学校に行くのは九月からにして、それまでは家で家庭教師が勉強を教えましょう、ということになっている。
今日の分の勉強は午前中に全部終わってしまった。
カヲルが学校に行っている間は、シンジはとても退屈だ。本を読むのは嫌いじゃないけど、ずっとだと疲れてしまう。
だから、だいぶ前に父がくれたS‐DATで音楽を聞きながら、ぼんやりと外を眺めていた。
先日、使用人さんに『最新の音楽プレイヤーの方が使いやすいでしょう。購入の手配をしておきましょうか?』と言われたけど、シンジは首を横に振った。だって、これは父が唯一、シンジにくれたものなのだ。使いにくくても、壊れてはいないし、別にかまわなかった。
この家の使用人たちはとても親切だ。親切すぎて、時々どうしていいのかわからなくなる。ねだれば一緒に遊んでくれそうな気もしたけど、シンジは部屋に引きこもって一人ですごすことを選んだ。
この日は三時半を回ってようやく、カヲルを迎えにいった黒塗りの車が敷地内のロータリーに戻ってきた。
そわそわと窓際で待っていたシンジは、窓をあけて手を振った。
すると、気づいたカヲルが、すぐに手を振り返してくる。
「シンジくん、濡れてしまうから入って。すぐに行くから」
言われて、窓から身を乗り出したせいで前髪が濡れてしまっていることに気づいた。
「うん」
首を引っ込めると、カヲルは安心したように微笑んで、玄関に入っていく。
カヲルの部屋はこの部屋の隣だ。廊下で待っていると、ほどなくしてカヲルはやってきた。
「ただいま、シンジくん」
「おかえり……カヲルくん」
手招きされたので、部屋に入る彼についていくことになった。
「さがっていいよ」と告げられた使用人は、ドアの前でシンジにカヲルのランドセルを渡して去っていく。
「ごめんね。それくらい、自分で持つのに」
「いいよ。僕も……なにかできることがあった方が嬉しいし」
ランドセルを椅子の上に置くと、次はカヲルが脱いだブレザーを受け取ってハンガーにかける。
カヲルが通う私立小学校には制服があるのだ。おしゃれなデザインだし、生地もなんだか高そうな素材が使われている。きっと、ドラマに出てくるようなお坊ちゃま校なのだろう。九月から自分もそこに通わなければいけないと思うと不安だ。
学校、楽しかった? と聞きたくなったけど、やめた。
シンジも過去に大人にそう聞かれて、返事に困ってしまったことが何度もあったから。
「宿題を先に片付けてしまってもいいかな?」
几帳面なカヲルは、着替えが終わるとすぐにランドセルを開いて、プリント類を片付けている。
「うん……あの、邪魔じゃなかったら、僕、この部屋にいてもいい……?」
おずおずと聞けば、カヲルはくすりと笑う。
「自由にくつろいでくれてかまわないって、いつも言っているだろう? 遠慮しないで」
背筋をピンと伸ばして机に向かうカヲルの後ろ姿を、シンジはソファに座って本を読むふりをしながら時々眺めていた。
この家に来てから、そろそろ五日ほど。
突然できた婚約者との距離感を、シンジははかりかねていた。
カヲルはとても優しい。シンジがなにかで失敗しても怒らないし、いつもあたたかい言葉をかけてくれる。
だけど、どこまで甘えていいものか、わからない。
だって、今まで人に甘えたことなんてなかったから。
母は幼い時に亡くなってしまってほとんど記憶はないし、父もずっと別に暮らしていた。
シンジを育ててくれたおじいさんは、どちらかというと無愛想で、父ほどではないが、口数も多くはなかった。ただ、料理はとても上手で、シンジが料理を手伝いたいと言うと、丁寧に教えてくれた。
「来週もしばらく雨が続くみたいだよ。外に出られなくて退屈だろう? シンジくんは、ゲームとかやるのかな? 欲しいものがあれば、取り寄せてもらうから言って」
「……え?」
ぼんやりしていたら、いつの間にかカヲルが宿題をする手を止めて、こちらを振り返ってきていた。
「なにか、家でやりたいことはある?」
「え、えーと……料理、かな」
特にはなかったので、たまたま考えていた料理のことを口にすれば、カヲルが目を丸くする。
「シンジくんは料理が作れるのかい?」
「簡単なものなら……たぶん」
たまに一人で作ってはいたけど、自信があるというほどではないので、返事はぼそぼそと小さい声になる。
「すごいな。僕は包丁も持ったことがないよ」
「カヲルくんの家には、立派な料理人さんがいるもんね」
お坊ちゃまなのだ。そりゃあ、料理の手伝いをする機会などあるわけがないだろう。
「うちの調理場でいいならいつでも使って。コックには話を通しておくよ。食材も、足りなければすぐに買いに行かせるし」
「い、いいよ。そんなわざわざ……。あるものを使わせてもらえるだけでじゅうぶん……」
そんな大ごとになったら、逆に申し訳なくて使えない。
「あるものだけでなんとかなるのかい? すごいな」
「全然、すごくないよ」
感心されても困る。だんだん恥ずかしくなってきた。
「できたら、僕にも食べさせてもらってもいいかい?」
「え、えーと……練習するから待ってて」
相手は舌の肥えたお坊ちゃんだ。適当なものは食べさせられない。
「……カヲルくんの好きな食べ物って、なに?」
「特にはないかな。なんでも食べるよ」
「じゃあ、肉と魚だったら、どっちが好き?」
今まであまり考えたことがなかったのか、美しい顔を乗せた頭が、こてんと傾けられる。
「魚、かな」
あえていうなら、という雰囲気だったが、シンジはそれでもかまわなかった。
「魚だね。わかったよ!」
穴だらけだったカヲルのプロフィール欄が、シンジの中で、ひとつ埋められた。それだけでもじゅうぶん嬉しかった。
「クロマグロでも仕入れるかい?」
「……カヲルくんは、マグロが好きなの?」
「いや、なんとなく。いい食材といったらクロマグロかなと」
ずいぶんな適当さに、シンジは笑った。カヲルは頭がよくて大人びているが、料理に関してはまったくの素人なのだ。彼にしては子供らしい発想に、親しみがわく。
「スーパーでも買えるお魚でもね、おいしいの、たくさんあるんだよ」
カヲルくんの口に合うかはわからないけど。でも、少しでも美味しいと感じてくれたら嬉しいな。
*
次の日は土曜日だったけど、カヲルは家の用事があるとかで、朝から出かけてしまった。
せっかく今日は天気がいいのに。退屈だ。
お昼ご飯のあと、シンジは部屋でのんびりしているうちに、いつの間にかうたた寝してしまった。
亡くなった母が夢に出てきた気がするけど、あまりよく覚えていない。
うっすらと目を開けたままぼんやりしていたら、どこからか、かすかにピアノの旋律が聞こえてきた。
「……?」
目元を擦りながら起き上がる。
ドアをあけてそっと廊下に顔を覗かせたら、さっきよりもハッキリと聞こえてきた。
聞き間違えではなかったらしい。
そういえば、普段はあまり使われていないリビングの一角に、グランドピアノがあったのを思い出す。
誰が弾いているんだろう。
興味をそそられて、シンジは一階へと続く階段を降りていった。
壁も家具も白で統一された優雅な空間。天井まで続く大きなはめ込み式の窓の横にたらされた赤いカーテンの前に、黒いグランドピアノがあった。
窓から差し込む午後の光が、ステージライトのようにピアノを照らしている。そこに座る、銀髪の少年も。
(わぁ……)
階段の途中からこっそり覗いたシンジは、美しい光景に、足を止めた。
流れる旋律もまた美しい。
でもなんだろう。少し物悲しい曲だ。
きゅっと胸が締めつけられる感じがして、身動きができなくなった。
不意に旋律が止まる。
「シンジくん」
どうやら、気づかれてしまったらしい。
「降りてきなよ」
今さら隠れることもできなさそうなので、シンジは階段をトコトコとゆっくり降りていった。
ピアノの前に座る少年はカヲルだった。
「ごめん、起こしてしまったかな?」
「え……?」
「昼過ぎに帰ってきたんだけど、シンジくんの部屋を覗いたら、眠っているようだったから」
「ご、ごめんね……! カヲルくんが帰ってきてたの、気づかなくて……!」
寝顔を見られたのかと思うと恥ずかしくなる。シンジの頬に赤みが差した。
「かまわないよ。休みだというのに、今日もひとりにさせてすまなかったね」
カヲルが座る位置をずらすと、隣に中途半端な空間があく。隣に座れということだろうか。
おそるおそる、端の方にちょこんと腰掛けると、おもむろに腕が伸びてきて、腰をぐいと引き寄せられる。
「遠慮しないで」
「そうはいっても……」
「緊張しているのかい?」
「そりゃあ……」
距離が、近い。腰と腰が触れあいそうな距離だ。カヲルと話をするのにはだいぶ慣れたけど、人と触れあうのにはまだ慣れていないシンジは、緊張でガチガチになってしまう。
「僕たちは婚約者なのに?」
ドキドキしながら視線を向けたら、顔が近づいてきて、ちゅっとされた。おでこじゃなくて、口に。
「……っ!?」
あまりにも一瞬だったけど、今のは間違いなくキスだ。
「これは、嫌?」
「…………イヤじゃない」
心臓がうるさくなりすぎて困るけど、やわらかな感触は、不快どころか気持ちいいものだった。
「じゃあもう一回、してもかまわないね?」
「…………」
どう答えようか考えている間に、ゆっくりと唇が重なってきた。さっきよりも全体的にぴたりとくっつけられたから、その柔らかな感触をじっくり堪能できた。
キスはもちろん、生まれてはじめてだ。親にだってされたことはない。
だからすごく、特別なことのように感じられた。
「……小学生が、こんなことしてもいいの?」
唇が離れていったあと、恥じらいを隠すために、冷静ぶって聞いてみた。
「大人に見つかれば、怒られるかもしれないね。だから、内緒だよ?」
悪戯っぽく笑うカヲルは楽しそうだ。
ああ好きだなぁ、とこんな時にふと思う。どうしよう。またキスしたくなってしまった。
俯いたら、白と黒の鍵盤が目に入る。
「そういえば、カヲルくん、ピアノ弾けるんだね。すごく上手だったよ」
「ありがとう。君も弾いてみるかい?」
「僕……?」
「難しく考えなくていい。指で音を鳴らすだけさ。鍵盤はどこを叩いても音が鳴る」
「足元のペダルみたいなのは……?」
「これは、音を長く響かせたり、音を柔らかくするためなどに使われる。音による表現の幅を広げるには必要なものだけど、慣れない間は別に使わなくてもいい」
「そうなんだ……全然、知らなかった」
試しに目の前にある鍵盤をひとつ、人差し指で押してみた。
ポーン、と軽やかな音が返ってくる。
ちらりと隣を見たら、にっこりとやわらかな笑みを向けられたので、隣の鍵盤も叩いてみた。
さっきとは少し違う音がした。
新しいおもちゃを与えられた時みたいな、子供特有の好奇心がそそられる。
でもこれじゃあ、本当にただ音を鳴らしているだけだ。全然音楽にはならない。
次はどうしようかと思っていると、隣から綺麗な旋律が響いてきた。
一小節分くらいの短いメロディ。さっき、カヲルが一人で弾いていた時よりもゆっくり弾いてくれたので、一音一音をハッキリ聞き取ることができた。
「……いまの、もう一回……」
「いいよ」
カヲルが同じメロディを弾いてくれると、今度は、指の動きもしっかり見れた。白い指が軽やかに動いて、とても綺麗だ。
見惚れてぼうっとしていると、シンジの手が掴まれて鍵盤の上に乗せられる。
「君はここ。さっきの僕の指の動き、真似てみて」
「え、えーと……こうかな……?」
おっかなびっくり、記憶を頼りに真似てみた。
少し似ているメロディが出た。でも多分、途中から一音がずれてしまった。
怒られるかと反射的に警戒したが、カヲルは微笑んだままだ。
「いいね。上手だよ」
――褒められた。
めったに褒められることのない少年の胸が、思わず弾む。
「ごめん。もう一回、教えてもらってもいいかな?」
今度は間違えずに弾きたい。おっかなびっくりだった態度が変わり始めていた。
「もちろん、かまわないよ」
ひとつできたら次のメロディ。それができたらまた次。
ただの音だったものが、繋がることで音楽になっていく。その過程がおもしろくて、なかなか上手くいかなくても、飽きることはなかった。
一人だったら『やっぱり難しいから僕には無理だよ』とあっさり投げ出していたかもしれない。
でも、隣には彼がいたから。ちゃんと自分の音を聞いてくれて、それに応えてくれる人がいたから。もっともっと、と思ってしまう自分がいた。
途中でメイドさんが『おやつはいかがですか?』と聞きにきたが、シンジが「おなか、すいてない」と言うと、カヲルが「あとでいいよ」と伝えてくれた。
気づけば、ピアノに落ちる窓からの光が、色を変えていた。
心地よい疲労感をまとって、ベッドに沈み込む。
こんなのは久しぶりだ。一日中、暇を持てあましている日が続いていたからなおさら、充実感で胸が満たされている。
(カヲルくん、ここ最近は忙しくて弾いてなかったって言ってたけど、明日はまた一緒に弾いてくれるかな?)
勉強をしている時のカヲルも凜々しくてカッコイイけど、ピアノを弾いている時のカヲルはもっとこう……空気が柔らかくて、上手く言えないけど、ずっと眺めていたい気分になるのだ。
(これが『好き』ってこと?)
わからない。
でも、彼の隣にいるのは心地いい。
キスも……嫌じゃなかった。
思い出したらドキドキしてきて、指先でそっと自分の唇に触れてみる。
(そっか、僕、ファーストキス、しちゃったんだ)
キスは大人のすることだ。
いけないことをしてしまったような罪悪感と、少し大人になったような高揚感が小さな胸の中でまざりあう。
(カヲルくんもはじめてだったのかな……?)
ずいぶんと手慣れているように見えた。だけど、いくら大人びているとはいえ、彼だって小学生。歳はひとつしか変わらないのだ。きっと、はじめてだったに違いない。
(今さらだけど僕、キスされた時、変な顔してなかったよね?)
ちょっぴり不安になってきた。
失望されなかっただろうか。気持ち悪くなかっただろうか。そんなことが気になってくる。
たとえ気持ち悪いと思っても、カヲルくんは顔には出さないはずだ。なんとなくわかる。カヲルくんはとても優しい人だから。
(ピアノを教えてもらってる時も、僕がすぐに覚えられないから、迷惑かけちゃったし……)
不安はどんどん広がって、弱い心を蝕んでいく。
結局この日、シンジが眠りについたのは、零時を越えてからだった。
翌朝は当然、寝坊だった。
ハッと目を開いた時、カーテンはすでに開け放たれて、眩しい日差しがベッドに差し込んでいた。
時計を見たら十時を回っていて、頭から血の気が引く。
「シンジくん?」
勢いよく起き上がったのとほぼ同時に、そばから声が聞こえてきた。
見れば、ベッドのそばにカヲルが椅子を置いて、本を読んでいるところだった。
いきなり起き上がったシンジを見てびっくりしている。
「ご、ごめんなさい……! あさごはんの時間、す、すぎて……」
「君の分の朝ご飯はちゃんと取ってあるから大丈夫だよ」
「そうじゃなくてその、ちゃんと起きれなくてごめんなさい!」
この家に来てから、シンジは毎朝、遅くとも七時までには起きて、すぐに仕度をすませ、カヲルと一緒に食卓についていた。そうしろと誰かに言われたわけではないが、こんな大きいお屋敷に住むことになったのだ。マナーは大事だと自分なりに考えてのことだった。
「別に、何時に起きようが君の自由だ。誰も君を怒らないよ」
「え? そうなの……?」
以前、シンジを預かってくれていたおじいさんは、八時すぎまで寝坊した日には怒って、しばらくむすっとしていた。だから、さすがのカヲルでも怒るだろうと思ったのだが、彼はいつも通り落ち着いている。
「シンジくん、昨日はよく眠れなかったのかな? なにか悩みでも?」
「……たまたま、寝つきが悪かっただけで……」
まさか、君に嫌われていないか心配で眠れなかった、なんて言えるわけがない。シンジの身を気遣うようなカヲルの表情には、一切の嫌悪が含まれていなかったから。
「そういうことは、よくあるのかい?」
「わりと……」
大丈夫だよ、とごまかすべきなのはわかっていたけど、カヲルの前で嘘をつくことはできなかった。
「すまない、気づかなくて。今度からは、眠れないことがあったら僕を呼んで」
「え?」
「環境の変化で神経が敏感になるのは当然のことだよ。なにもおかしいことじゃない。だから、謝らなくてもいいから、今度からは僕を頼ってほしいな」
お坊ちゃまは、拳を胸に押し当てて、『任せて』とばかりのポーズをしている。どうしよう。余計に面倒なことになってきた。
「遠慮しなくていいからね」
「……うん」
「遠慮するなら、なにもなくても、僕の方から君の部屋に行くからね」
「どういうこと?」
「一緒に寝よう、って言ってるんだよ」
「だ、だめだよ……!」
いったいなぜこんな話の流れになったのかわからないが、それだけはハッキリ言える。
拒絶の意志を示したシンジに、カヲルは目を瞬かせる。
「どうして?」
もしかしてカヲルを怒らせしまったかもしれない、と思うと、心臓が縮み上がる。
「…………」
「僕と一緒じゃ、嫌?」
嫌じゃないけどダメなのだ。どうしたら、カヲルの気分を悪くすることなくシンジの気持ちを伝えられるだろう。
「カ、カヲルくんと一緒だったら、ドキドキしすぎて余計眠れないよ!」
叫んでから、『言ってしまった』と後悔した。
気持ち悪いと思われないかな、とまた不安になる。
カヲルは目を丸くしたあと、ぷっと小さく吹き出した。
「へぇ……そう。眠れないくらい僕にドキドキしてくれるんだね。嬉しいよ」
持っていた本を椅子に置いて、カヲルはベッドの端に腰掛けてくる。当然、距離が近くなる。端正な顔立ちが、目と鼻の先まで迫った。
「君はまだ子供だと思っていた僕の考えは改めなければいけないようだ……すまない」
「?」
どういう意味の謝罪かときょとんとしている隙に、こめかみのあたりに口づけられる。
「……っ!」
「そうだね。いくら婚約者とはいえ、君に下心を持つ男を安易にベッドに入れるのはよくないね。賢明な判断だよ」
「したごころ……?」
カヲルはにっこり笑うだけで、シンジの疑問には答えてくれなかった。
「僕の婚約者殿は今日も可愛いね。早く結婚したいな」
「……!?」
かわりに、とびっきりの口説き文句を囁かれて、耳まで真っ赤になったシンジは、とっさに掴んだ羽毛布団を頭までかぶってうずくまる。
「シンジくん?」
布団越しに、カヲルが呼びかける声が聞こえてくる。
腹の虫が、ぐぅ、と空腹を訴えてきたが、それどころではなかった。
「ねぇ、シンジくん、着替えて、ご飯を食べてから出かけようよ。君を連れて行きたいところがあるんだ」
「…………」
「遊園地、ってほんとは言いたいところだったんだけどね。今から行ったらお昼すぎてしまうから、遊園地は来週にして、今日は水族館に行こう」
「水族館!?」
もうちょっと隠れていたい気分だったのだが、子供心をくすぐる言葉に、つい顔を出してしまった。
「シンジくんはクラゲって好き?」
「クラゲってあの、白くて……刺すやつだよね?」
「ふふ。海水浴に行って海にクラゲが出たら注意しなければいけないけど、水族館で見る分にはなにも警戒する必要はないよ。今日行こうと思ってる水族館……クラゲの水槽がとても綺麗なんだ。嫌じゃなければ、嬉しいんだけど」
水族館には一度、幼稚園の遠足で行ったことがある。その時はクラゲなんて気にしたことなかったけど、カヲルがそう言うなら、きっと見る価値はあるのだろう。
「カヲルくんが見たいなら僕も見たいけど……カヲルくんは、クラゲが好きなの?」
さっきの質問をそのままカヲルに返しただけなのだが、彼は予想に反し、ちょっと困った顔をする。
「……なんとなく、自分に似ているような気がして、見ていると落ち着くんだよ」