ブラッシング「チェズレイ、髪を梳かしましょうね」
「うん、おかあさま、フラッフィもおねがいできますか?」
「じっと大人しく座れるかな?」
「うん!」
椅子に行儀よくお座りするチェズレイの後ろから二つブラシを持ってサティアは己に似たチェズレイの髪を梳かす。一つは細工のされた髪の毛用の櫛、そして、もう一つは紫のリボンがついた木製のブラシ。器用に使い分けながらサティアはチェズレイの髪の毛を綺麗に仕上げた。
「いつかチェズレイもおおきくなったら好きな人に髪の毛も、大きいおみみも撫でてくれたらいいわね」
鏡を持つチェズレイのブラウスとボウタイを直す。その間ずっとチェズレイは笑顔でいた。
「はい! でも、おかあさまのおててがいいの」
「まあっ! チェズレイったら」
ちょっと遠い話をしちゃったわねと言いながらサティアは我が子を後ろからしっかりと抱きしめた。
「いいこいいこー」
「えへへ……おかあさま、だいすき」
ぽよんぽよんとチェズレイのフラッフィがくるりと動くと親子は向き合う。
まだ小さいチェズレイと視線が合うように、サティアは中腰になってチェズレイと同じ眼の高さで向き合った。
「私も大好きよ、チェズレイ」
ぎゅっとチェズレイが母にしがみ付く。その小さな手にこたえるようにサティアは小さいチェズレイの額にキスを落としたのだった。
大きい手がフラッフィを撫でていた。チェズレイの頭の大きさにしてはやや大きいフラッフィが撫でられている。
「モクマさん、どうされましたか?」
突っ伏した体を起こし、チェズレイは眼前の男――モクマに話し掛けた。
どうやら夢を見たようだとチェズレイは辺りの殺風景な壁紙を見ながら思った。もう二十年以上前の出来事なのに鮮やかに思い出されるのは今モクマがチェズレイの髪やフラッフィを撫でているからだろうか。
「起こそうとしたんだけどチェズレイの髪の毛もフラッフィも凄く肌触りがいいなって」
「そのように触るのは私の母くらいでした。フラッフィが落ちてからは主に下衆が私の髪を褒め称えましたね。嬉しくも思わなかった、この髪は下衆を呼び出す道具だと」
「俺は?」
モクマが問い掛ける。その問いにチェズレイは首を横に振った。
「あなたは母と違い大きく無骨な手だ。なのに母と同じくらい気持ちがいい……奴等とは違います」
「ありがとね。あ、チェズレイ、お詫びといっちゃなんだけどフラッフィ梳かしていいかな」
チェズレイの言葉にモクマは胸を撫で下ろすと何かを思い出したかのように申し出た。モクマなら悪いようにしないし悪意をもってフラッフィを触れることはないだろう、一つ息を吐くとチェズレイはモクマに許可を出した。
「藪から棒に……どうぞ」
チェズレイの言葉にモクマは己の鞄から袋に入った櫛とブラシを取り出した。一つ目は普通のブラシ、二つ目は青いリボンがついている木製のブラシだ。それを取り替えながらモクマはチェズレイの髪の毛と柔らかいフラッフィの毛並みを整えていく。
気持ちのいい、懐かしいブラシの当たりにチェズレイはあァと言葉を漏らす。母が優しくブラッシングしてくれたあの柔らかさと同じ当たりがする。不思議に思ったチェズレイはモクマに問い掛けてみた。
「このブラシは?」
「これ? この前俺がひとりで買い物に行ったでしょ。そのときにうさぎ専門店でお子様のような通りのいいうさぎ耳に最高級のブラシを……って売ってたんだよ。ヴィンウェイ生まれのブラシだし、お前さんの髪の毛に合うかなって……どしたの?」
前髪をブラッシングしようとしたモクマははと気が付く。チェズレイの瞳からは滅多に零れ落ちない雫がぽたぽたと菫色の瞳から零れ落ちていた。
「昔を思い出していました。母もブラシで私のフラッフィを梳かしてくれたんです。二人でお揃いのお目々のリボンのついたブラシで。フラッフィが落ちたあの日からもういらないと思っていたから……」
とめどなく溢れる涙を抑えきれないチェズレイにモクマはそっとチェズレイを抱きしめた。母と違う広い肩幅に包まれたチェズレイにモクマはそっと声を掛けた。
「思い出をありがとうね。チェズレイ、髪の毛も梳かしていい?」
「ええ。髪を梳かしてくれたひとはモクマさんで二人目ですよ。わたしが愛しているひと、ふたりだけです」
「それは光栄だ」
最初に取り出したブラシでモクマはチェズレイの髪を梳かしながらチェズレイの言葉を返す。職歴の多いモクマにしては覚束ない手つきにチェズレイは涙を止め、クスリと笑った。だが、いやな感じはしない。ただいつまでもモクマに髪も、フラッフィも手入れして欲しい。僅かに芽生えた欲をチェズレイは口にした。
「ずっと、私の髪を梳かしてくださりますか?」
チェズレイの真摯な、切実な瞳が訴えるまでもなくモクマは思っていた言葉をそのままチェズレイに言葉を返した。
「……勿論。チェズレイが嫌と言うまで」