標的変更!逃走するジンオウガを捕獲せよ! その日は里がざわざわしていて、大人たちは忙しそうに里の中を走り回っていた。
「砦の近くでモンスターが出た」
「百竜夜行まではいかなくとも数頭が確認されている」
「警備に回るものは急げ」
「ハンターに連絡は? そういえば、ウツシが今なら里にいる」
頭上で交わされる会話は半分も理解出来なかったけれど、ウツシにぃにの名前は聞き取れた。そこに集会所から出てきたミノトねぇねを見つけて私は彼女の服を引っ張る。
「ミノトねぇね、なにかあったの?」
「案ずることはありません。すぐにハンター様が向かいます」
「あんず…?」
ミノトねぇねの言葉は難しいからいつもよくわからない。でも淡々と喋るミノトねぇねは他の大人たちよりも落ち着いてみえた。それだけで私もすこし安心した気分になる。
それから私はゴコク様に言われミノトねぇねのそばを離れず、一緒に集会所で過ごした。ミノトねぇねもお絵かきがじょうずだから、ウツシにぃにの似顔絵を描いてもらっていたら…
「ああ、無事に戻られたようですね。おかえりなさいませ」
集会所に背を向けた私の背後を見てミノトねぇねが頭を下げる。おかえりなさいということは誰かが帰ってきたんだ。そう思って振り向くと、そこにいたのはかっこいいジンオウガの顔をした知らないお兄ちゃんだった。
「だれ…?」
思わず尋ねた私に二人分の「え…?」という声が重なる。一人はミノトねぇね、もう一人はたぶん…目の前のお兄ちゃん。
「ハンター様ですよ。あなた様がよくご存知の……」
そう言ってさっきまでお絵かきをしていた紙に指を向けたミノトねぇねが突然黙って、集会所の入り口を見つめる。その視線に誘われるようにまた振り向くと、お兄ちゃんは「しぃ」と巻物をくわえたジンオウガの顔の前で指を立てていた。
「こんにちは。オレは名無しのハンターだよ。今日はこの里がピンチだからって呼び出されたんだ」
「ななし? ぴんち?」
膝を折って私の前に視線を下げたお兄ちゃんはウツシにぃにとそっくりな服を着て、髪の色もそっくりだ。でも声がぜんぜん違う。顔もウツシにぃにはジンオウガじゃない。
「そう、名前がないんだ。よかったらキミがなにか呼び名をつけてくれ」
とつぜん、知らない人にそんなことを言われてもむずかしい。でも名前がないのはかわいそうだし、お友達になったら呼びにくい。だから私はうんうんと唸ってから見たそのままを口に出した。
「えっと…じゃあ、ジンオウガのお兄ちゃん」
―○●○―
はじめはほんの出来心。
最近凝っているお面作りでジンオウガのお面を作った。特別気合を入れて制作したそれはこれまでで最高の出来だ。そのお面をつけているときに会った仲のいい女の子がまるで俺だと気付かなかったから、声帯模写を使って別人を演じた。
本当にほんの出来心。身なりをみて、すこし話せばすぐに気付くだろうと思ったらその子はまったく気づく様子がなく…。
それどころか普段の俺には向けない、照れたような人見知るような仕草を見せたから新鮮でつい、タネ明かしをしそびれた。
「ウツシにぃに。ジンオウガのお兄ちゃんって知ってる?」
「ジンオウガのお兄ちゃん?」
「そう! あのね、きのう集会所で会ったの! ジンオウガのお顔をしてて、お顔はちょっとこわいけどミノトねぇねみたいに『くーる』ですっごくかっこいいお兄ちゃん! にぃにと同じハンターをしてるんだって!」
くーる?どこで習ってきたのかわからない言葉は異国の言葉のようだ。けれど『ミノトさんみたいに』ということは物静かということだろうか。うん、まぁ確かにモンスターを追い払ったあとで気を静めようと平静を装っていたから、いつもより口数は少なかったかもしれない。
「それでね! ジンオウガのお兄ちゃんがモンスターのげきりんをくれたの。いい子でおるす番できたごほうびって!!」
そう言ってその子は懐からキラキラと輝く鱗を取り出すと大切そうに抱きしめる。間違いない。俺があげた逆鱗だ。
「そのあとジンオウガのお兄ちゃんはまだおしごとがあるからってどっかに行っちゃって…もういっかい、会いたいなぁ…」
はぁ、とため息をこぼした彼女。逆鱗をうっとりとした瞳で見つめるのがつるりとした鱗に反射していた。
―○●●―
「ジンオウガ? さあ、知らないでござるニャ」
「見たことないでゲコね」
朝からあちこちにジンオウガのお兄ちゃんのことを聞いて回ってもだれもその人のことを知らなくて、いつもはなんでもおしえてくれるウツシにぃにも笑って困ったような顔をするだけ。
「ミノトねぇね! ジンオウガのお兄ちゃんは来た?」
「いいえ。本日はいらっしゃっていませんよ」
「う〜…そっかぁ…」
集会所の受付で背伸びして聞いてみてもミノトねぇねは首を降る。でもがっかりする私にミノトねぇねはパラパラと依頼書をめくると茶屋の奥の外に面した席を指していいことをおしえてくれた。
「そちらでお名前を呼んでみてはどうでしょう。きっとジンオウガのお兄ちゃん様にも聞こえるかと…」
「ほんと?!」
「ええ、おそらく。飛んでいらっしゃるはず…」
家で狩猟道具の手入れをしていたら里中に響く俺を呼ぶ声がした。そうはいっても「ジンオウガのお兄ちゃん!」という彼女しか呼ばない呼び名にあわててお面をつけて、集会所に降り立った俺をオテマエさんは飛び上がって驚き、呼んだ本人は歓喜の声を上げる。
そしてすぐこちらに駆け寄ると、
「あのっ! ジンオウガのお兄ちゃんはおだんごは好きですか?」
「ああ、好きだよ」
「じゃあっ! じゃあっ、いっしょにたべましょう!」
腕を取って言う少女に引きずられて茶屋の席に着くと集会所の受付からミノトさんが視線を寄越した。お面越しにその視線を受けて苦笑を返すとまた彼女は興味なさげに業務に戻る。
「ジンオウガのお兄ちゃんはどのおだんごにしますか?」
いつもより背筋を伸ばして、緊張した面持ちで言う少女の小さな指がそわそわとお品書きをたどった。
「ジンオウガのお兄ちゃん?」
「えっと…そうだな。キミのおすすめはなに?」
「おすすめ?」
小首を傾げた少女の不規則にさまよっていた指がお品書きを一周して、考え込むような仕草を見せる。それから顔を上げるとふにゃりと笑って見せ迷いなく答えた。
「ぜんぶ! オテマエさんのお団子はぜんぶおいしいよ!」
「ニャ、団子屋冥利に尽きるのニャ〜」
その声に注文を取るために隣に控えていたオテマエさんが嬉しそうにする。よしよしと頭を肉球に撫でられながら目を細める少女もご機嫌だ。そんなやり取りを微笑ましく見つめているとふと、少女と目が合った。
「………」
慌てて視線をそらした彼女がまた、うかがうようにこちらを見上げる。いつもなら俺の膝の上で振り向くように見上げてくる視線が向かいから控えめに注がれるのはやっぱり新鮮だ。
めずらしく、はにかんだような笑顔も可愛い。
だからもう少しだけ。
あと少しの間。ジンオウガのお兄ちゃんはお面を外さないことにした。
「ジンオウガのお兄ちゃんはいつまで里にいるんですか?」
「えっ? あー…そうだなぁ。ずっと居るよ」
「ほんとに?!」
そう何度も尋ねるとジンオウガのお兄ちゃんはうんうんと頷いてくれた。そのことが嬉しくて私はお団子を持ったまま立ち上がり、浮足立つ足元に誘われるまま踊りだしたくなる。するとジンオウガのお兄ちゃんは慌てて手を伸ばすと私を席に戻した。
「あっ、こら。危ないから座って食べようね!」
「はぁい」
すると肩に置かれた手が、口調が、言うことが引っかかって、思わずその顔を見上げると思ったことが口をついた。
「ジンオウガのお兄ちゃん、ウツシにぃにみたい」
「えっ?!」
「ウツシにぃにはね、おもしろくてたのしくて、いっぱいあそんでくれるからすき。お絵かきもじょうずだし、モンスターのモノマネもホンモノみたい。それからびゅーんってとんで、とおくくまでいっしゅんでつくのもかっこいい!」
だから私の初恋はウツシにぃにだと思っていた。ジンオウガのお兄ちゃんに会うまでは。
「あっ、ジンオウガのお兄ちゃんもやさしくてかっこいいです! えっと、だから……うーん…」
ジンオウガのお兄ちゃんも好き!と言いそうになって、『これってもしかして、欲張り?』と気付いた私はじっとこちらを見つめるジンオウガの顔が見られずについ顔を伏せる。
「よくばりな子のところにはおばけが来ますか?」
「うん? どういう意味?」
「ウツシにぃにもすき、ジンオウガのお兄ちゃんもすきだから、よくばり…」
スズメの舌を切ったお婆さんは強欲、あれも欲しいこれも欲しいと欲張って大きな葛籠を持って帰ってしまった。そして葛籠から出てきたおばけたちに襲われてしまう。だから欲張りな人のところにはおばけが来る。
その時の挿絵を思い出して身震いした私はさっきまでの楽しい気持ちが嘘みたいに消えていく。
「ぅ…おばけこわい…!」
そしてぐずぐずと泣き始めると向かいにいたジンオウガのお兄ちゃんが急いで自分の顔に手をやった。それから次に瞬きすると、ぽろりとほっぺたを伝った涙の感触のあとに、
「大丈夫だよ! キミは欲張りじゃなくて、ほら!」
目の前、さっきまでジンオウガのお兄ちゃんがいた席にはウツシにぃにが座っていた。
「あれ? ジンオウガのお兄ちゃんは?」
「ここ、ここ!」
そう言ってウツシにぃにが手にして見せたのはジンオウガのお兄ちゃんの顔…。
―○●○―
「いやぁ、あのときは参ったよ。『ジンオウガのお兄ちゃんの生首だー!』ってキミが騒ぐから」
「幼気な子どもを声帯模写まで使って騙すからです。本当にびっくりしたんですから」
「あれは騙すつもりはなくて、いや、騙したことに違いはないんだけど…キミの反応が可愛くてつい…」
あの後、ミノトさんの後ろに隠れて出てこない私とミノトさんの冷たい視線に教官はそうとう懲りたようでしばらく私の前でお面をつけることはなかった。だから次にジンオウガのお兄ちゃんに会えたのは成長して教官が一緒に狩り場に連れて行ってくれるようになってから。
そしてあの日、幼心を奪われたままの私はお面をつけたその姿もまんまと目で追うようになっていて…。今もそれは変わらずだ。
「同じ人に二度も初恋を奪われるなんて悔しいです」
はっきりと気持ちは伝えたことがないけれど、昔話に便乗して告げた言葉はしばらくの沈黙のあと思いもしない返しをされることになる。
「そう? 俺はキミに何度も惚れ直してるけど全然悔しくないよ!」
突然、爽やかに言ってのけたジンオウガは惚ける私を置いて、獣道からのっそりと現れた標的のモンスターへと一足先に翔け出した。
その背中を見つめてしばらく考える。
何度も? 惚れ直して…?
「教官! ちょっと待って! 今のってどういう意味ですか!」