子雷狼拾いました❀❀❀❀
桜舞うカムラの里で英雄はキョロキョロと辺りを見回しながら市場、茶屋、集会所を覗いてから屋根の上のウツシに声をかけた。
「教官、あの子を見ませんでしたか?」
「あの子? そういえば見てないなぁ、また集会所の受付の中にでも潜り込んでるんじゃないかい?」
「ううん、ちゃんと見たけどいなくて…」
主語が曖昧なまま会話する師弟は二人して「うーん」と首を傾げる。
英雄は同じ質問を里の民にも尋ねたが、決して地味ではない『あの子』を見た民はいなかった。
「もしかして、またタライに乗ってどこかに流れていっちゃったんじゃ…!」
慌てる英雄にウツシは首を横に振る。
「今日はずっとここで川を見てたけど、そんな様子はなかったよ」
「本当ですか 良かったぁ」
「ふふ、そんなに心配して。愛弟子もすっかりおかあさんだね」
「そういう教官だってあの子を抱っこしてたら、おとうさんそのものですよ。そっくりですし」
『あの子』を介してお互いをそう比喩する二人は夫婦でなく、恋人でもない。英雄はまだ経産婦ではないし、ウツシも同様。それでも二人で『あの子』を慈しみ育てている事情は一月ほど時間を遡る。
❀❀❀❀
その日のカムラはいつもと変わらず、安寧と平穏を絵に描いたような風景だった。
ヒノエは団子をいつも通りの本数たいらげて、ヨモギとカゲロウは団子作りと商売にせいをだす。ツリキの父は相変わらず変なものを里に差し入れして、カジカは全裸で里を歩く。里の真ん中のたたら場からは祭り囃子のような鐘の音が響き、黒煙たなびく空は快晴だった。
「愛弟子、あれは何だと思う?」
はじめに異変に気付いたのは西を護るウツシだ。
狩猟帰りにひと通り恩師にフクズクをけしかけた英雄が呼ばれるまま屋根に上るとお面を外したウツシが川の上を指している。
「どれですか?」
「ほら、あそこの茶色くて丸い…」
師匠のいつになく真剣な横顔に英雄も目を凝らして川面を覗くと、タライが一口、浮かんでいた。
澄んだ水面にぽっかりと浮かんだタライはゆらゆらと波に揺れながら、どんぶらこどんぶらことカムラの里へと向かっている。
「タライ…でしょうか?」
「だよねぇ」
二人で警戒を解いて、顔を見合わせた師弟は打ち合わせもなく同じ方向に歩きだした。
「どこかの村から流れてきたのかもしれませんね」
「とりあえず回収しておこうか。オトモたちの潜水艇にぶつかってもいけないし」
「そうですね。ホバシラさんなら水の流れでどこの村から来たのか分かるかも。もし名前が書いてあったら届けてあげましょう」
「わざわざ届ける? 優しいなぁ、俺の愛弟子は!」
お人好しな貴方だって同じことを思ってたでしょう、と英雄は口に出さず。にこにこと目尻を下げて自分を見つめるウツシの金の瞳が輝くのを眩しく思い目を細めた。
ところがタライは二人を焦らすように里にはなかなか流れ着かず。
集会所の裏の客人用の屋敷群を挟んだ通路は松や緑が多く、集会所からの景観も意識されている。普段は静かなその通りを経て、師弟は川岸に並んでいた。その視線のすぐ先で岩にせき止められたタライは川面をゆらゆらと揺れている。
川に三歩も踏み込めばタライに手は届くが、脚絆を着込んだ二人はまず濡れない方法を考えた。タライまで届きそうな棒でもあれば…、ところがあたりはハナモリによって手入れされ、枝の一本も落ちてない。
「あそこでずっと止まってますね」
「ここを過ぎたら捕まえるのは大変かもね。ちょっと待ってて! 俺が行って取ってくるから」
「わかりました。お気をつけて」
揺れるタライにウツシが翔蟲を飛ばして近づく。それを見守る英雄は穏やかな里の日常につい笑みをこぼした。
するとタライのそばで翔蟲にぶら下がったウツシが大声を上げる。
「うわ、なんだこれ!」
「どうかしたんですか 教官」
「タライの中に葉っぱと…?」
そこで言葉を止めたウツシに英雄が首を傾げると彼は黙ってタライの中を見つめる。その様子と先程の大声に近くの松から森の忍者が目を光らせた。英雄のフクズクだ。
ピュイーと甲高い声を上げ、羽を広げたフクズクがウツシの頭を目がけて一直線に飛んでくる。そしてウツシの髪の毛を毟り取る勢いで彼の頭に鋭い爪を持つ足で攻撃を繰り出した。
「わっ! ちょっ…待って! 今は…!」
「教官!」
その勢いに翔蟲は驚いて糸を切り、ウツシは水面に落とされる。バシャン! と大きな音がして水面が揺れた。波立つ水面は停滞していたタライも揺らし、動き始めたタライは里の川岸へと進み出す。
そこで慌てたのはフクズクにつつかれながら水浸しのウツシだった。
「中に人がいる!」
「えっ」
「しかもまだ子供だ!」
タライは間近で見ると一回りは大きく見え、たしかに小さな子供の一人くらいなら入れそうな大きさだ。
まずウツシがタライの縁に両手をかけて川岸まで押すとすぐに英雄も手を伸ばす。二人で押し上げ、引き上げたタライはすぐに川岸に乗り上げた。
膝まで水に浸かっていたウツシは濡れた足元も頭にとまったフクズクも気にせず、陸地に着いてすぐタライの中を再度、覗き込む。
「ほら、やっぱり! 見てごらん、愛弟子!」
中にはカムラにはない広葉樹の葉や木の実が散らばる中で小さな子供が丸まり眠っていた。
年の頃なら四歳、五歳。
くの字に折り曲げた自分の指を吸いながらすやすやと眠る子供の横顔に師弟はじっと影を落とす。
「なんですか…この子、」
英雄は子供がいた事よりもその子の容姿に驚きの声を上げた。
頭には捻れた金の角、耳は尖って緑の甲殻に覆われている。首には白い毛皮が巻きつけられていてとても人間の子供には見えない。
髪の毛は常盤の松を思い出す千歳色、その髪によく似た色をどこかで……と顔を上げると瓜二つの髪を持つ師匠が、タライの中で丸めた体に隠れていた子供の片手を取り上げてつぶやいた。
「この子、人間かな? 耳は竜人族みたいだけど、指は五本あるし…うわ、この爪は鋭いな…」
「わかりません、でもどうしてタライに?」
「どうしてだろう。…あ、まさか…」
口には出さずに『捨て子』の三文字が頭をよぎった二人は再度、タライの中を確認する。手紙もない、食料もない、あるのは葉っぱと木の実と健やかに眠る子供だけだ。
どこから来たのか不明だが、周囲に急流も滝壺もある天然の要塞と化したカムラの里にタライ一つで辿り着いた子供の悪運に師弟は感心し、丈夫なタライにも感心していると
「くあ、」と小さな声がした。
「あ、起きましたよ!」
「えっ? あ、本当だ。ケガはないかな? きちんと確認しないと…」
カサカサと葉の音を立てて目を擦った子供は吸っていた指を離すと、もう一度「くあ」と欠伸をし、閉じていた瞼を上げる。まだ眠そうにゆっくりと上げられた睫毛の向こうと、さっきまで大きな葉に隠れていた左頬を見た英雄はまた驚きの声を上げた。
「この子、教官に似てませんか?」
「そんなわけ…えっ 俺」
子供は度重なるウツシの大声でようやく覚醒したらしい。
向かい合ってタライを覗き込んでいた師弟の間で、子供は起き上がってタライの中で座る。そしてぼんやりと辺りを見回すと、英雄を見、振り向いてウツシを見て、薄く小さな肩を跳ねさせた。
「えっと、おはよう、怖がらなくていいからね」
「だ、大丈夫だよ、お腹すいてる? それともなにか飲む?」
両方から声をかける師弟をまた子供は見比べる。
そして不安げに眉を下げ、指を折って関節をくわえるとうるうると潤ませた金の眼は零れ落ちそうなほど大きく、くっきりとした二重で英雄はまた師匠の面影をそこに見る。大人になっても涙もろい師匠は英雄がなにかすると感激して同じようにまん丸い金の月に水を張った。
「………、…」
それからタライの中で迷った素振りを見せた子供がウツシの方へとそっと近付いた。
タライにかけたウツシの腕をきっかけに、彼がいつもつけているジンオウガ装備の匂いを嗅ぐ。
「この子…白い毛といい甲殻といいジンオウガの子供に似てるね。ほら、おいで」
肩の装備までは身長が届かず、手を伸ばす子供に彼は抱っこをせがまれているのかと勘違いして抱き上げた。探るようにウツシの防具を触る子供の手には獣のような爪がある。先が削れているのは野山をよく駆ける姿を思わせた。
「よしよし、よく無事にこの里まで着いたね」
すんすん、と鼻を利かせる子供と穏やかに声をかけたウツシを見つめる英雄はひっそりと二人に一つの仮説を立てていた。
その間、子供はウツシの装備に頭の角を擦り付けて見た目に似合わぬ音をゴリゴリと立てている。
「教官、大変失礼な質問かとは存じ上げますが……どこかでお子さんを作られた覚えはありませんか?」
「?」
いつもよりへりくだった物言いは英雄も混乱してのことだ。
けれど英雄の目の前の二人は瓜二つ。
ウツシの腕に抱かれて辺りを見回す幼子は、顔の傷までそっくりそのまま師匠とお揃いだ。子供の尖った耳や角、帯電毛のような白い毛もウツシが言う通り、ウツシのお気に入りのモンスター、ジンオウガによく似ている。
「例えば、雌のジンオウガと一夜を共にしたりとか…」
「? ジンオウガの雌はだいたい群れにいるからそんな経験はないよ」
「ですよね」
ウツシの爽やかな笑顔と平素の反応から一夜を共にするの意味は伝わっていないようだと英雄は空を仰いだ。子供はウツシをそっくりそのまま幼くしたような顔で、相変わらずちゅぱちゅぱと自分の指の関節を吸っている。
見れば見るほどウツシ似の子供は可愛らしい。
すこし耳が尖っていることと、小さな頭に角があること、豊かな白い毛があらゆるところに生えて、金のしっぽまで生えているとしても。
白い毛に包まれた金のしっぽはウツシに抱えられながらふりふりと揺れて、
「えび天みたいですね(だね)」
また声を揃えた師弟は特に話し合いもなく、視線を合わせると英雄は子供の乗ってきたタライを抱えて、ウツシは子供を抱き直すと集会所へ歩きだす。
「漂着物に不審な点がある場合、まずは里長に報告を。不可解な点がある場合は御長寿かつ博識な長老に相談をする。これで良かったかな?」
「この子のように幼く、身元もわからない場合は一時的に里で保護することになりますね。幸い、百竜夜行も久しくない平和な里は子供の一人くらい受け入れられます」
師弟は並んで頷きあいながら、見た目がすこし変わった子供でもこの里の人間なら受け入れてくれるだろうとも確信していた。
「あっ、愛弟子見て! この子、肉球がついてるよ」
「え、ほんとだ! ぷにぷにですね」
「人の子供に肉球はなかったよね?」
「ありませんね、尖った耳も」
子供の手のひらを英雄に見せたウツシは爪や耳も触れて観察する。その間、抵抗らしい抵抗もせず、無邪気な雷狼竜の子はウツシの胸元の房飾りに爪先でじゃれついていた。
それから雷狼竜の子は師弟のもとで保護されることとなった。
幼子のモンスターのような見た目に異を唱える者も特になく、竜人の多い里では『竜人の亜種のようなものだろう』で結論付けられ、そちらよりもウツシにそっくりな顔立ちのほうが話題にのぼった。
そして英雄もいまだ思うところがあるのか、ある日ウツシにそれとなく尋ねた。
「あの子は本当に教官の隠し子じゃないんですか?」
「隠し子 そんな子いないよ」
「でもあんなにそっくりだし、教官も𦥑に乗って海を渡ろうとしたじゃないですか。あの子はタライに乗って里にきましたし、することもそっくりだなんて…」
「誤解だよ、身に覚えがないし…それに初めては好きな人とって決めてるんだ!」
「そうなんですか、…そう、え?」
「え?」
「え?」
いくら生死を共にした長い付き合いの師弟でも、知らないことくらいはあることも知る。
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そして場面は一月後、冒頭の子雷狼の行方についてに話は戻る。
二人は里の大通りから抜け道まで隅の隅まで見廻った。けれど雷狼の子の尻尾一つ掴めない。
唯一、幸いしたことは里の水場や崖のそばにはロンディーネやホバシラ、コガラシがいる。水車小屋の前のハネナガも。その誰もが『見ていない』と答えた。
「なにか心当たりはないのかい?」
「はい、あの子と一緒に手毬で遊んでたんですが里の人に声をかけられて一瞬目を離した隙に…昨日はあの子の乗ってきたタライを修繕に出したんですけど、あとで桶屋さんに取りに行かなきゃって話をしてて…」
「桶屋?」
そこで立ち止まったウツシは『もしかして…』と続ける。
「桶屋にはあの子も一緒に?」
「はい、ちゃんとお手入れしてもらって長く使えるようにしようねって二人でお願いに行きました」
「そこだ!」
桶屋には大小様々、用途も様々な桶屋が店の入口に所狭しと並んでいた。
その中で座り込み、桶を組む職人が慌てて駆けてくる師弟の姿を見つけると口の前で『しぃ』と人差し指を立てる。
「よく寝てるんだ。もう手入れは済んでるからそのままタライごと連れて帰ってくれてかまわないよ」
職人の指差す先には店先に並んだ桶があった。
小型の風呂桶が積まれた隣に職人の指したタライが。見慣れたタライは雷狼の子を乗せてどんぶらこと里に流れ着いたタライだ。
そして師弟が揃って覗き込んで見てみると、まずはウツシが悲鳴をあげかける。
「きゃっ…アッ、ごめん。これはきゃわいいね」
「はい、きゃわいいです」
二人の視線の先では体を丸めてタライの中で眠る子雷狼が、太くふわふわとした尻尾を抱いてぐっすりと眠りこけていた。