結局、なにしても可愛いから ❀❀❀❀
猛き炎と仰々しいあだ名で呼ばれる英雄も一人の乙女。
乙女はここのところ、数は減ったもののグロテスクな赤い寄生獣も蝶々に見えるほど浮かれていた。それというのも、恋い焦がれた恩師と紆余曲折と狩り場で生死の境を彷徨いかねない修羅場を乗り越えて恋仲になり今が春。
逢瀬のたびに目を合わせ、手を繋ぎ、唇を重ねて…と、ゆっくりと進んでいた段階も行き着くところまで行き着いて、春も春。文字通り花開いて春真っ盛り。
そんなある日、恋しい男に王都に一緒に出かけないかと誘われ、乙女は張り切って約束の半日前から準備をした。待ち合わせ場所に現れたいつもと雰囲気の違う乙女の姿にウツシは照れながらも手を繋ぐ。ウツシもカガミにアドバイスを受けて王都に馴染む出で立ちを一揃えしていた。
そして仲良く買い物や食事を楽しみ、見知らぬ人や街の景色に二人ははしゃいで夜を迎えた。すると「暗くなる前に帰ろうか、愛弟子」と当たり前に帰路につこうとする男の袖を引いて乙女は言う。
「今日は帰りたくないです」
その日、乙女は男を喜ばせる策を仕込んでいた。これを使わずしてなるものかとすらりと伸びた脚を包む透けた生地をすり合わせる。今日、乙女が足を組むたび、さらりとした肌触りのそれに男の視線が向けられるのを知りながら。
カムラよりも何倍も広い王都には様々な用途の施設がある。
大通りから外れ、入り組んだ路地の奥にその施設はあった。ウツシは隠密活動の際に裏路地を使用する事が多い。もちろん狩り場に限らず地域の観察も怠らない彼は自然と知り得ていたそこに乙女を連れ込み、宿泊ではなく休憩がプランとしてあることに乙女は首を傾げつつウツシの後を着いていく。なにせ先導者は安心と信頼のウツシだ。悪いようにはされないのを知っている。簡素な受付と一見無愛想なフロント対応もミノトとハモンで慣れているし。
「教官、今日はここに泊まるんですか?」
「うーん…たぶんそうなるんじゃないかな?」
両傍に部屋の扉が並ぶ廊下を歩きながら乙女が尋ねるとウツシはハッキリしない言葉を返した。
――泊まるということはそういうことも…。
受付でも、廊下ですれ違ったカップルらしき二人からも気恥ずかしさからウツシの背に隠れていた乙女は、それでも期待に胸を高鳴らせながら彼の指先をつまむ。まだそちら方面がぴよぴよヒヨコの彼女にとって精一杯のお誘いだった。するとその手をしっかりと握り返されて、隣を見上げると困った顔の恩師がいる。
「愛弟子。あんまり可愛いことばかりしないでね、部屋まで我慢出来なくなるから」
目だけは雄の目をして言うウツシに乙女はまた恥ずかしげに顔を伏せて、男の忍耐を無意識で試した。
フロントで預かった鍵の部屋は普通を絵に書いたような部屋だった。
引かれたドアの向こうへ入るよう促された乙女は部屋を見回して思う。
狩人という職業柄、長旅での宿屋に慣れた乙女から見ても普通。小綺麗で王都の形式に則った調度品やソファが並ぶ部屋。
違和感と言えば大きなベッドが部屋のど真ん中にあることくらい。エキストラベッドを置くスペースはないが、その必要も二人の間柄にはなかった。
「今日は俺のためにおめかししてくれたの?」
扉が閉まる音がしてすぐ、後ろから抱きついてきたウツシに乙女は驚きながらも頷く。
――素直できゃわいい俺の愛弟子。洋装だってこんなに着こなして、どうしてカメラを持ってこなかったんだ俺のバカ!
普段は決して香ることのない香水を纏った首元に顔を埋めながらウツシが内心叫んでいると、乙女はウツシの腕に手をやって甘える素振りを見せた。
「好きな人とのデートに着ていく服を…ってラパーチェさんに相談したらオススメのお店を紹介してくれて。一緒に着いてきてくれたんです。それで色々選んでくれて…」
ウツシはそれを聞いてまず彼女を長年見守ってきた身として、彼女が里の外にも友人が出来たらしいことに安堵し、そしてある言葉を感慨深く繰り返した。
「好きな人…」
「あっ、えっと……大好きな人!」
ぎゅうっとウツシの腕を握りながら煽る乙女と火をつけられた男にもう言葉はいらない。
――俺の愛弟子がきゃわいすぎて死ぬ、死ぬ前に絶対抱く!
そして二人はヌシすら二人三脚で操る息のあった師弟、得てしてウツシも三十を過ぎて来た永い春に頭の中は春爛漫だった。
これまでの経験から乙女は身をもって知っていた。普段は温厚で優しげな師もその気になれば男の顔をするということを。
けれど予告もなく抱き上げられてベッドに投げるように乗せられたのは初体験で想定外。そしてすぐ、全身に男の影を落とされた我が身に戸惑っているとさっさと唇を奪われた。嫌なわけもなく今日に限っては願ったり叶ったり。『その気』も『その気』なウツシの首に腕を回しながら、伸し掛かる体に薄く黒いタイツを脚ごと擦り付ける。
「これもラパーチェさんが選んでくれたのかい?」
ウツシの問いに乙女は首を横にふって答えた。その間も服に滑り込む大きな手が柔い肌を撫で付ける性急さに乙女はそわそわと期待に胸を躍らせている。いつもなら今頃は髪を撫で、慈しむように触れてくるウツシが湯浴みの提案すらしない。
普段の穏やかな営みも不満はない。でもそれでウツシは楽しいのだろうかと乙女は最近不安に思っていた。
度の過ぎた飲み会や他の男ハンターから聞くそっち方面の話は刺激的で野性的だ。もちろんそうじゃない者もいるけれど、ウツシだって教官とはいえ生物学上は男。しかもハンター。そんな衝動を持ち合わせていてもいい。というか、見たい。見てみたい。恋人ならばそんな姿も見せてほしいと乙女は下世話な話で盛り上がる男ハンターたちの会話に至極真面目な顔で聞き耳を立てた。
そして今日の黒タイツである。
男たちは『タイツやストッキングを破るのは夢だ』『ロマンだ!』『実際やったけれどあれはいい!』と大いに盛り上がっていた。最後にはまるで『タイツは破るのがマナーだ!』とばかりに言う男たちによって乙女の認識は歪みに歪んだ。
ので本日、乙女は破られる気満々で薄手の黒いタイツに脚を通してきた。替えのタイツも持参している。愛しい人に気兼ねなく楽しみ、喜んでほしいからこそのアフターケア。恋する乙女に抜かりはない。
「大人っぽくて今日はずっと気になってたんだ」
そしてウツシの手がタイツに触れた。太ももからつま先まで乙女の足を何度も味わうように撫でて、くすぐったさに首をすくめた乙女の頬に口付ける。それからしばらくタイツ越しの感触を楽しんでいるウツシを観察しつつ、いつ破られるのかと焦れったさに乙女が男を見上げるとウツシは予想に反してスカートの中へ手を入れるとタイツの止まる腰に指をかけた。
「え?」
「ん?」
思わず声を上げつつもなんとなく、いつものクセで腰を上げ、脱衣を手伝ってしまった乙女は繊細な動きで臀部からタイツを脱がせる手のひらに首を傾げる。
「これって見た目以上に薄くて柔らかいんだね。破らないように気をつけないと…」
そう言って繊細な手付きでもって、片足ずつ両手で丁寧にタイツを脱がせていくウツシを乙女はぽやんと見守っていた。するする、するすると脱がされていくタイツはつま先を抜けてシーツの上に落ちる。
――あれ?思ってたのと違う…?
身構えていた衝撃も音もなく、ぽかんとする乙女をよそにもう片方も同じように手をかけたウツシはまたするすると愛撫をまじえながらタイツを乙女の足から抜き取っていく。熱を持った手のひらに生地が焼けそうだとは思ったけれど、破るなどという荒々しい行為とは程遠い。けれど次のウツシの一言に乙女はウツシらしいとも納得する。
「物は大切に扱わないとね」
「それに、キミがせっかくおめかししてくれたんだから」
嬉々として乙女を抱き締める体の向こうで黒い抜け殻は白いシーツの上にぱさりと落ちた。その光景は当初の予定とは違ったけれどそこでいつもと違う行為をねだるほど乙女は慣れてもなく、気合いを入れた身支度を気遣われたのが純粋に嬉しいと喜び、乙女を怖がらせないようゆっくりと覆いかぶさる男にその日は身を委ねた。
それから数時間後。
睦み合いベッドの中でじゃれ合いながら過ごす時。案の定、今夜はもう宿泊で明日はゆっくり王都で朝ごはんとしようとウツシは考える。そしてそれはもう機嫌良く腕の中の存在を愛でていた。
そんな折、昼間、足元に絡むウツシの視線が気にはなっていた乙女はいじらしく尋ねる。
「あのぅ、破らなくてよかったんですか?」
「なにをだい?」
「これ…」
そう言って乙女が手繰り寄せたのは足元で放置されていた抜け殻だ。丸まったタイツに一瞬、なんのことか不思議そうな表情をしたウツシはすぐに驚き目を丸くする。
「破る?服を?」
「おとこのひとはそういうのが楽しいとお聞きして…」
「誰に?」
そこでさっきまで穏やかだった目尻を上げたウツシに乙女は慌てて事情を説明する。とはいえ盗み聞き、あまり褒められたことではなくて次第に声は小さくなった。
「いつも私ばかりしてもらってばかりな気がして…教官にも楽しんでほしくて、」
「だからその…今日のタイツは破ってもよくて、スペアもありますし…」
しどろもどろになりながらも必死に伝えようとする乙女の言わんとすることを理解したウツシは二度目の心臓麻痺を起こしかけて分厚い胸を押さえる。衝動的に引き寄せた乙女の顔で。
「破られたかったの?」
「えっ…」
胸の中から聞こえるくぐもった声にウツシは再度、尋ねる。今度は髪から覗く耳に唇を寄せて。
「今日、一日中ずっと俺に破らせるために履いてたんだ?」
返事はない。その代わりにほんのりと桜に色づいた耳と首筋から体温の上昇を知らせる香水の香りがする。
「すまない、気の利かない男で」
「それにそんな事実を聞かされて、このまま眠れるほど俺は枯れてないだよね」
「堪え性がなくてごめん」とまた体を弄る手とともに謝る気のない謝罪を受けて乙女は小さく悲鳴を上げた。
そうして後日。
あれから日を置いて何度目かのデートの日。再び乙女は不意打ちで黒いタイツに脚を通した。そしてデートを楽しみ、夜が来ると。
「また俺のために履いてくれたの?」
「……はい」
タイツをつまんで引っ張り、弾いて告げたウツシの目が捕食者の目をしていた。そして肯定と同時に引っ掛けた爪先と指でビリビリと黒い薄皮を引き裂かれた乙女も目新しい生き物に瞳を輝かせる探求者の目をしている。
余談だが乙女は好奇心は猫を殺すという言葉を知らなかった。箍の外れた男のしつこさも。それを身をもって教えるのもまたすべてを教えた師であるウツシの役目だ。なお、乙女は翌日寝込んだ。一通り土下座して甲斐甲斐しく世話をするウツシを乙女はケダモノと茶化しながら笑っていたという。
と、まぁ。なにはともあれ、めでたしめでたし。