お見合い師弟 元々、お見合いには乗り気じゃなかった。結婚だって今は考えてないし、まだまだハンターとして活躍していたい。そもそもハンターという職種は家を空けがちだし、毎回の仕事が命がけだ。手強くないモンスター相手でも道すがら虫の毒で命を落とすこともある。足場の悪い狩り場なら奈落に落ちてそのままなんてことも。
そんな危険な生業に就いている私が結婚らしい結婚どころか畳の上で死ぬなんて無理に決まってる。ハンター同士ならまだわかるけど…。
ううん。なにより長年好きだった人への失恋の痛手はまだ完全には癒えてない。
その人にどうやら想い人がいるらしい、と里中の噂になって、娯楽の少ない里では相手は誰だと里娘や市場の人たちが大騒ぎしていたから嫌でも耳に入ってきた。その出処不明の噂が気になってはいたけれど、本人に聞く勇気もないし、詳しく聞きたい噂でもなかったのでそれ以上は知ろうとしなかった。
その人とは私が彼を避けるような態度をとってなんとなくギクシャクして、だからそんな時にお見合いなんてする気になれず断り続けていたけれど。
「お日柄もよく、お見合い日和ゲコ」
窮屈な振り袖で歩くのはこの里の長老のお屋敷の廊下だ。床はピカピカに磨かれて、沈んだ気分で見ても中庭の松が見事。射し込む陽の光の下で戯れる雀たちはピチチと可愛らしい声を上げている。
「今日会ってもらうのはおぬしにピッタリの相手ゲコ。ちゃんといい子でお相手するゲコよ」
「はぁい…」
そう言って前を行くゴコク様は今回の話を持ってきた張本人。長老の勧め、しかも当日に家まで迎えに来られたとあっては私も無下には出来ない。に、してもうきうきと楽しそうなゴコク様は足取りも軽く杖は添え物になっている。
ただ私は、会うだけで話をしたら適当に断ってしまおう。ついでにハンターのお仕事のとびきり怖い話でもすればきっと向こうも引いてくれる。そんな心持ちでこのお屋敷を訪れていた。
「さあ、いよいよご対面ゲコ」
急に立ち止まったゴコク様に躓きそうになりながら私も立ち止まると、ぴんと張られた真っ白な障子の向こうにうっすら人影が見える。そしてゴコク様の手によって開け放たれた部屋にはなぜか、
「えっ? どうして……」
「愛弟子…?」
いま一番会いたくない人が。私の恩師が座っていた。
教官はいつもの装備を身に着けて座卓の前に正座していた。
それはもう、私と同じくらい驚いた顔をして。
「な、なんでキミがここに?」
「教官こそ。こんなところで何をしてるんですか?」
「俺は…その…お見合いをするように里長から言われて…」
「その格好で?」
「断ったんだよ?! でも今朝、突然うちにカエンが飛び込んできて…」
「無理矢理連れてこられたってことですか?」
「そう、引きずられて…」
そう言うと教官は首の後ろの頭巾に触れた。よりにもよって頭巾に噛みつかれて引きずられて来たらしい。そういえば私が家を出る前に遠くから教官の悲鳴を聞いた気がする。いつも通りなにかやらかしたんだろうと思っていたけど、そんなことになっていたなんて。
「それで連れてこられたのはゴコク様のお屋敷だし、門のところで仁王立ちの里長に『遅い!!』って叱られるしで」
それでも大人しくお見合いの席についたのは私と同じ、里長に命じ…勧められては教官も断りにくかったんだと思う。
でも今はとりあえず、
「ゴコク様、お見合いの部屋を間違えてますよ?」
「間違えてないでゲコよ?」
「だってここは教官がお見合いをする部屋ですよね?」
部屋の入口に立ったまま足元のゴコク様に尋ねると、長老は福々しい顔をあげて目を細め、好々爺たる表情で言う。
「おぬしの見合い相手はウツシでゲコ」
その屈託ない一言に私たち師弟は揃って顔を見合わせた。
教官の向かいの席を案内され、ヒノエさんとミノトさんがお茶とお茶菓子を運んできてくれた。一足先に教官の前にも同じお茶とお菓子が置いてある。里の菓子職人さんが作るホオズキとブンブジナの顔が並ぶ練りきりは可愛い、味も美味しいのを知っている。
「どうして私が教官とお見合いをすることになったんでしょうか?」
釣書も写真もないお見合いに違和感はあった。けど、どうせ断ってしまうのだからとたいして気にも留めなかった。
まさか、こんな種明かしが待っているとは思わないし。
「ウツシもいい歳ゲコ」
「だからって私にお鉢が回ってくる意味がわかりません。それに教官には好きな…」
そこまで言うとゴコク様は言葉を遮るようにして私を見る。
「おぬしももう一人前でゲコ」
「たしかに愛弟子はもう一人前ですがまだまだやることがありますし、きっとこの先、俺なんかよりもっといい相手が…」
私の代わりに答えたのは教官だ。
「そういうところでゲコよ。特にウツシ」
呆れたように言ってゴコク様がパクリと自分の前の練りきりを口に放り込む。続いて玉露をすすり、私たちの顔をそれぞれ見ると「よっこいしょ」と腰を上げた。
「いくら年寄りの気が長いといっても限度がある。二人してよそよそしいのも見飽きた。さあ、あとは若いもん同士よろしくやるでゲコ」
「あっ、ちょっと待ってください! ゴコク様!」
教官の目を見て言い、背を向けた長老は私の声を無視して敷居を跨ぐと足取りも軽く部屋を後にする。後を追うために立ち上がった足は振り袖の裾に囚われていつものようには動けなかった。やっと立ち上がって廊下の向こうを覗いた時にはゴコク様はもうそこにいない。
「ああもう、教官からもなにか…」
ため息をついて振り向くと教官はなぜか大人しく席についたまま、じっとこちらを見上げていた。その視線が振り袖に注がれている。
「教官?」
そして困ったように笑うと口を開く。
「その振り袖は今日のために?」
「あっ、ゴコク様が用意してくださったらしくて…」
「そこまで…。ああ、じゃあもう本当に腹を括らないと…」
小声でなにかを呟いた教官が難しい顔をして視線を伏せた。教官にしてはごにょごにょとはっきりしない口調は、きっと彼も現状に困惑しているんだと思う。
よりにもよって自分の弟子とお見合いだなんて。
ところが、困りましたね、と声をかけようとした瞬間、
「すこしお話でもしようか。愛弟子」
「はい?」
「とりあえず座って」
「でも……」
「着席!」
凛、と張りのある声で号令を出されると自然に体が動いた。でも、つい癖でその場に座り込んだ私に教官がくすくすと笑うのを見て頬をふくらませる。それから元々案内されていた席に手を伸ばして座布団とお茶菓子を引っ張ると部屋の入口に座り直した。向かいは本当にお見合いみたいで緊張するから嫌だ。
「……………」
しばらくお互い黙ったままで気まずい空気が流れる。その間、いつもなら美味しいお茶菓子を前に手を伸ばさないなんて師弟揃って異例だと思った。
それにお話しようと誘ったのは教官なのに、黙ったまま私を見る教官の視線が優しくてくすぐったい。思わず視線をそらして玉露を口に運ぶと甘い香りに気持ちが少し落ち着いてため息をもらす。
そしてまず口を開いたのは沈黙に耐えかねた私だ。
「いいんですか? この人選はきっと、ツワモノ同士をかけ合わせたらちょうどいいくらいのノリですよ?」
「そういうわけではないと思うけど…。里長たちにもお考えがあって…」
「だとしても、もし誰かにこのことを知られたら『はっきり断った』って言ったほうがいいですよ」
「断った? 誰が?」
「教官が、です」
「俺は断るつもりなんてないけど」
「えっ、まさか里長やゴコク様に言われたから私と結婚するつもりですか?!」
「そんなつもりは…! あ、いや、でも、うん…」
煮えきらない返事をした教官にいよいよ混乱する。
私は教官の恋のために今回のことは他言しないし、ゴコク様にもうまく誤魔化すつもりでいた。教官には本当に好きな人と幸せになって欲しい。相手は知らなくても教官のことを応援していたし、誰よりも隣で見ていた私は時おり見せる彼の物憂げな横顔を知っていたから、噂を耳にしてすぐ、自分の淡く長い初恋にも蓋をした。
だから教官のはっきりしない態度につい、
「でもっ、でも、教官には好きな人がいるじゃないですか!」
無理矢理連れてこられたとはいえ、彼の想い人にこのことを知られるのはあまり良くない気がした。ダンっと座卓を叩くと湯呑の中のお茶が揺れ、中身がすこし溢れた気もする。
「教官の好きな人は知ってるんですか? お見合いのこと」
「それが……知らなかったみたいだね」
「知らなかったみたい?」
「お見合いだとは聞いてたみたいだけど…最近、避けられてたからあまり話が出来ていなくて」
変な言い方だ。答えになっているようでなってない。それがはぐらかされているようでつい声を荒げる。
「私はこんなふうに貴方と添い遂げたいわけじゃないし、きちんと相手に想いを伝えてその人と幸せになってください! こんなことでその人のことを諦めないで! じゃないと私は……」
やりきれないし、嬉しくない。
それに想いを伝えずに身を引くつらさは今の私がよくわかっている。ついでに、失恋した相手にここまで発破をかけないといけない寂しさも。
「ゴコク様と里長には私から断ったって伝えます。だから教官は今日はもう帰ってください」
そのほうが今後、その人と教官が気兼ねなく一緒になるにはいいはず。いくら里の上層部の指示とはいえ、このお見合いが、私が、教官の幸せの障害になるのは嫌だ。私はその人のように想われることはなくても、せめて今のまま愛弟子でいたい。
なんて頭ではわかっていても、一度でも教官と想い人のことを口に出してしまうと話している途中から鼻の奥がつんと痛みだした。
「愛弟子、泣いてるの?」
「泣゛て゛で゛す゛…」
「ああっ、ごめん! 泣かせるつもりは…」
俯いて目をこすっていると膝を突き合わせるように教官の袴が見えた。見慣れた墨色は私のそばに近寄って、顔を上げると同時に私の視界は闇に遮られる。
「ぅわっ、なに…」
闇だと思ったそれが教官の胸の中だと気付いたのは乾いた風の匂いと、暖かな腕が私の頭を包み込んだからだった。
「教官、なにして…! こんなところを誰かに見られたら誤解されますよ!」
「してもらっても俺は困らないよ」
「え?」
よしよし、と後頭部を撫でた手が背中も撫でる。突然の抱擁と理解しかねる言葉に驚いて涙の引っ込んだ私は瞬きを繰り返しながらその顔を見上げた。
「してもらっても…って。じゃあ好きな人は…?」
「諦めたくないなぁ」
「……?」
意味がわからない。私とのことを誤解されてもいいし、好きな人のことも諦めたくない。ということはこのお見合いを受け入れるつもりもあるし、好きな人のことも好きなまま? その二つが意味する答えは…。
「不貞宣言ですか? 見損ないました!」
「ちがっ、そんなことしないよ!!」
「じゃあどういう意味ですか?」
その時、まっすぐ見上げた先で蜂蜜色の瞳が揺れた。
「お見合いも想い人も、どちらもキミが相手だから俺は何も困らないんだ」
『驚きすぎて魂が抜ける』という表現は大袈裟だと思っていた。でもいざ自分がその状態になると呆けた顔のまま微動だにできなくなることを知る。
「私…?」
かろうじて動いた唇は掠れた声で問いかける。外からはさっきの雀たちの鳴き声と里の元気な子どもたちの声がした。
「そう。きっとこのお見合いも俺を見兼ねた里長たちのお心遣いじゃないかと…」
「お心遣い…?」
「少し前にね。変な噂が立っただろう?」
胸の中の私にだけ聞こえるように、潜められた教官の声がいつもより低くて落ち着かない。
でもここ最近で里で一番騒がれた噂というと、
「教官の好きな人の噂…?」
「うん。その噂が出るすこし前にゼンチ先生から頼まれて自白剤を打ったんだ」
「自白……なに打ってるんですか!」
「いやぁ、頼まれると断れなくて…。それにいくつか借りもあってね。里に侵入したならず者に使うものだって聞いたし、丈夫なハンターでまず試したいって話だったから。それに薬には耐性があるつもりだったんだけど…」
言いにくそうにする教官が困った顔で笑う。自白剤なんて本当にあるんだ、と思っていると教官は再度口を開いた。
「打ったあとに催眠をかけるんだけど目の前で揺れるゼンチ先生の猫じゃらしを見ているうちにリラックスしてきて、眠りそうになったんだ。するとそこでゼンチ先生が『ウツシは好きなオナゴはおるのかニャ?』なんて聞いてきたから…」
「変な質問…」
「だよね、ゼンチ先生は悪ふざけのつもりだったんだろうけど。俺のほうは実験だと認識して油断してたのもあるし、思ったより強く調合された薬だったみたいで、もう次の瞬間には本音が…。止めようとはしたんだよ?! でも一度、口にしたら止まらなくて…」
「…ちなみに、なんて答えたんですか?」
「――――」
そこで教官は私の名前を口にした。聞き返すのも難しいほどはっきりした声で呼ばれた名は間違いなく私の本名だ。
「ぼんやりした記憶だけど、そのあともゼンチ先生にキミへの好意を語ったらしくて。きっとその話が巡り巡って里中に…」
「それってお医者の守秘義務は?」
「ゼンチ先生が話さなくても診療所の待合室は開放されてるし、外は人通りも多い場所だし」
「教官の声も大きいし?」
「かっこ悪い話だからあまり言いたくはなかったんだけど…」
バツが悪そうに頷く教官の頬がすこしだけ赤い気がする。でもなにそれ。噂を聞いたあの日の私の涙を返してほしい。かっこいいとか悪いとか、そんなのどうでもいいくらい好きにさせておいて。
「でもだったらどうして、相手不明の噂に?」
「それは、俺は教官だから。キミに迷惑がかかってもいけないし、名前は一度答えたきりであとはすっごく我慢した!」
その答えがすごいのか、すごくないのかわからない。でも薬を打たれても意図したものが自制できるということはすごいんだと思う。きっと。教官は至って真剣な顔をしてるからそうだ。私の教官はすごい。無理矢理そう納得する。
「で、その噂がゴコク様たちの耳にも入って…」
「今日のお見合いですか?」
「じゃないかなぁ?」
どう思う? と尋ねられ、これまでの経緯を聞けば世話好きなゴコク様たちのやりそうなことだと納得しかけている私がいる。
「おまけにこの日のための振り袖まで準備されたら、俺はキミを口説き落すまでこのお屋敷から出してもらえないんじゃないかと…」
「くど…え?」
「だってもう俺の気持ちはバレたわけだし。俺たちは仕事も趣味も食べ物の好みも寝相だって知ってる仲だよ? 今さらお見合いごっこだなんて、逆に何を話せばいいのかわからないよ」
言われてみればそれも確かにそうだ。だからといってこの急展開についていけずにいると教官はめずらしく結われた私の髪に触れた。
「キミは俺たちの間柄でこれ以上、何を知りたい? 俺はキミのことならキミよりも知ってるよ」
「そんなこと…!」
思わず否定しかけたけれど、あながち嘘でもなさそうでもあり、私もそれなりに心当たりがある。
そこで、じり、と墨色の装束が私に近づく。
「もし俺も知らないキミがあるなら、キミがぜんぶ俺に教えてくれる? たとえば、キミの気持ちとか」
そうして目の前に迫る胡桃色の瞳の瞳孔が徐々に開く様子に、狩り場でモンスターを追い詰めるときにみるハンターとしての教官の瞳を思い出していた。