当て馬と大虎と狼の話❀
「『キミは若いから。親愛や憧れと恋を錯覚してるだけだよ』なんて言うんですよ」
「それはひどいな…」
胸の谷間に気を取られ、うわの空の内心を隠し神妙な顔を装って頷くオレの前で、この里の英雄はぐい呑みを煽った。すると首まで桃色に染めて『ひっく…』としゃっくりなのか泣き声なのかわからない声を上げる。
「もうずっと大好きって言ってるのに、いつもそうやって子供扱いして!」
「そうかそうか、ツラいよな。わかるぜ…その気持ち」
頷くふりで見下ろした胸元は顔や首と同じほんのりと赤い。その艷やかな肌やふっくらと膨らんだ胸、際どくさらけ出された太ももはとても子供とは思えないのに、奇特な男もいたもんだと感心する。
それと同時にその類稀なる奇特さに感謝もした。
最近知り合ったハンターは僻地の里に住んでいる。
それがまた強くて可愛い女の子だったので暇さえあれば里を訪れて口説き、あわよくば…。そんな下心を抱え、つれない態度にも燃え上がって、仲間内で誰が真っ先にその子を落とすか競い合っていた。
そしてオレはダメ元で酒を持参した今夜、千載一遇の機会を得る。
夕暮れにその子の暮らす水車小屋を訪れ、開きっぱなしの玄関を覗き込む。
すると奥からすんすんと鼻を鳴らす音がする。
「………っぅ、…うぅ…」
その子はというと、奥の部屋でこちらに背中を向けて畳まれた布団に突っ伏していた。
「どうした? 泣いてるのか?」
「…っ、なんでもありません」
「嘘つくなよー?」
「泣いてないです…!」
小屋はいつもの愛想がいいルームサービスも不在だ。思わず部屋を見回すオレにその子は目元を拭うと振り返った。
「なにか用ですか? 今日は狩りの気分じゃないから、ご一緒は出来ませんが…」
「いやぁ、たまにはゆっくり酒でも飲んで親睦を深めようかと思って。ほら」
そう言って一升瓶を見せながら、なるべく人畜無害な笑顔を試みる。手にした酒は水のように飲みやすく、とんでもなく度数の高い『ここぞ!』というときのための秘蔵酒だった。
「……そのためにわざわざ?」
「そのためにわざわざ」
山を越え、川を渡り、岩場すら越えて君と一発やりたいがために! そんなことは口が裂けても言えやしない。聞くところによると彼女は好きな男がいるらしいから警戒されては意味がない。
なので下心は悟られないようになるべく笑顔で無邪気に言った。
「だから飲もうぜ」
な? と誘いかけながら、八割は断られるだろうと思っていた。これまでもサシ飲みは断られていたし。
まぁ、断られた時はそのへんのアイルーや加工屋も誘って宴会にしてしまえばいい。サシじゃなければ口説けないほどオレはガキでもなければ繊細でもない。ただこれまではチャンスやタイミングがなかっただけで。
「うまい酒なんだ、かならず気に入るぞ!」
そう思って駄目押しをすると彼女はしばらく視線を漂わせ、そして信じ難いことにオレを見つめて首を縦にふった。
それから茶屋に酒を持ち込み、場所も移したオレたちは始めは控えめに、二杯目からは競うように酒を飲んだ。
そして酒のおかげですっかり大虎のその子は、ふとした時に『今日も好きな相手にフラれた』と口を滑らせた。
彼女が言うには、
『もう何年もフラれ続けて告白した回数も覚えていない』
『バレンタインも受け取ってくれたのに』
『子どもの頃、お嫁さんにしてくれるって約束したのに』
『いつも通り告白していつも通りフラれるの繰り返し』
『最近はフラれるために告白している気さえする』
ということらしい。
「もう知りません、あんな人っ!」
嘆くようにくだを巻く英雄はまたぐい呑みの中身を飲み干した。その迫力に若干引きながら次の杯を注ぎ足す。一升瓶の中身は半分をきってきた。
でもまだ焦る段階じゃない。
「ありがとうございましたニャー」
夜が更けるにつれ賑やかな茶屋の出入りは落ち着いて、席を立つ客も増えてきた。
飲み始めたときは外の茶屋の少女が店じまいを知らせに来た。
そのあと祖父の酒を取りにオトモを連れた少年が訪れ、二階から降りてきた加工屋たちは団子を二人前持ち帰った。
こちらと同じように酒と食事を取っていた行商人とハンターらしき二人は少し前に席を立った。
そして、さっきまで近くで団子をつまんでいた美人姉妹もいつの間にか帰ったようだ。
どうしてそうオレがよく覚えているかと言うと皆、一様に、荒れる英雄をちらちらと見ていたからだ。
「ねぇ、いいの 知らないオトコの人と一緒だったよ」
「なんだか様子が変だったけど…ヤケクソ…っていうのかな? 放っておいて大丈夫?」
「あのお酒はぁどこかで見たような…なんだっけ? コジリ」
「師匠のところで見たことあるニャ。とんでもなく飲みやすくてとんでもなく酔う酒豪潰しのお酒ニャ」
「見た? あのいやらしい目つき。肩に手まで回して」
「鼻の下も伸び切ってたな。それに後輩もされるがままで」
「あれはいつ噛み付かれて物陰に連れ込まれても、おかしくない状況でしたな」
今夜はヨモギちゃんから始まり、カゲロウさんまで俺のところを時間差で訪れて、主語のない茶屋で見たものを玄関先から放り投げてくる。その頻度や内容はとてもお面の作成には集中出来そうになく、早々に道具を片付けた。
話の内容は愛弟子が男と飲んでいる。ただそれだけのことだ。
ハンターならそんなこともあるだろう。あの子には二人きりで男と飲んでいたという事例が今までないだけで。
みんなは口々に心配だと告げるけど、あの子だってツワモノだ。それに茶屋なら本当に危なそうな時はオテマエさんが止めてくれる、と今にも様子を見に行きそうな自分を納得させていると玄関にはまた新たな影が現れた。
「もう知らない」
ヒノエさんが言った。
「あんな人」
ミノトさんも続く。
「「だ、そうですよ?」」
背後で声を揃えた双子の姉妹に振り向くと玄関先で片方はニコニコと、片方は微かに眉をしかめている。
「いいんですか? このまま捨てられてしまっても」
「姉さま。逆に、ああも無下にしてこれまでよく持ったほうかと」
「無下になんて…っ!」
思わず反論しかけた俺に動じず、姉妹はおっとりと顔を見合わせる。
「してましたよ? 一生懸命な英雄さんを。ねぇ、ミノト」
「はい、姉さま。鬼畜の所業とはこのことかと、この数年ずっと思っておりました」
そして酷い言われように言葉を失うとヒノエさんは俺以上に悲しそうに眉を下げ、ミノトさんはため息をついた。
「花盗人をみすみす見逃すのは口惜しいですが」
「花守も知らぬ存ぜぬでは致しかたありません」
そうは言われてもただの教官である俺が割って入るような話ではないし…、そうだ。俺は教官で、愛弟子はまだ若い。恋と親愛や憧れの区別がついているのかも判りかねるし、もし愛弟子の気持ちに応えたとしてそれであの子の目が覚めてしまったら、教官ではない俺を見て幻滅されたらと思うと怖くて今日も今日とて、彼女の言葉に頷けないでいた。
かといって心配なものは心配だし…。でも、もし二人がいい雰囲気だったらそんな場面こそ見たくない。あ、だめだ。想像しただけでちょっと泣きそう。だって好きなんだもん。愛弟子のことが。
「だって俺、教官だよぉ?」
そして雁字搦めの思考で動くに動けず、半泣きで頭を抱える俺の背にヒノエさんが思い出したように言った。
「ああそうです。彼は今夜、里に宿をとっていらっしゃいませんよ。一体どこで休まれるつもりでしょう。この時間ではもう、里共有の水車小屋くらいしか…優しい英雄さんは頼み込まれたら頷いてしまうかもしれませんね」
狩猟にしろ、恋にしろ、何事もタイミングが大事だ。
たまたま里を訪れたら、狙っていた子がひどい失恋をしてたまたま傷心だった。その巡り合わせに便乗して、ついでにその子にも跨がってやろうとチャンスを窺っていると、大虎は土産の酒がよほど気に入ったのか一升瓶を抱きかかえてうつらうつらと船を漕いでいる。
「な? 気に入っただろ?」
「………ん…」
酔いと眠気の回った頭は喋るのも億劫らしい。遅れて頷くと「おいひい」と呂律の回らない声で応えた。そんな彼女の肩を抱き寄せると目下に甘く匂い立つ谷間が見える。
マガイマガドさえ酔わせる酒に、意識はあっても警戒心はゼロ。とろんと眠そうな瞼を合図に仕上げにかかった。茶屋の客はもうオレたちだけだ。
そばでは茶屋の女将さんと従業員のアイルーが他の席の片付けをしている。目の前の桜の木のウロの中で団子を焼いていたアイルーもそろそろ火を落とすつもりなのか、周囲の団子を皿に盛っていた。
「そろそろここも店じまいだしさ、続きはオマエんちで飲もうぜ」
「…うち?」
そしてそのままなし崩しに泊まっちまえば…そこまで想像したところで背後に何かが落ちるような、微かな音がした。思わず振り向いたオレの真後ろに仮面をつけた男が立っている。
「うわっ!」
「…………」
いつの間に。そう口に出す前に一升瓶を抱く上機嫌の大虎の後頭部を見た男は、隣に座るオレを見下ろす。そしてジンオウガの仮面をはぎ、眉間にしわを寄せた素顔をさらすと「チッ」と舌打ちしてみせた。
「……ん?」
その異様な気配に気付いたらしい大虎が天井を見上げるように首を倒す。そして二人の目が合うとまず男が口を開いた。
「愛弟子、今日はもう帰りなさい」
「や! きょーかんにはかんけいにゃいっ!」
言い聞かせるように言う男から視線をそらした英雄は身をよじって駄々をこねる。その拍子に肩に回していたオレの手は振り払われた。
帰れ? 思わぬ横槍に『なんだこいつ…』と男を見上げると、オレの存在はもう見えていないのか男は真っ直ぐに英雄を見て声を荒げる。
「関係なくない!」
「かんけいにゃいもん! きょーかんは私のことなんて好きじゃにゃいくせに!」
今度はいやいやとぐずるように首をふる彼女を見下ろして男は一瞬、黙っていた。それからすぐ仮面を握る手に力がこもる。
「好きだよ! 大好きだ!」
「ニャッ!」
男の振り絞るような声に茶屋の女将さんが飛び上がった。そしてこちらを見つめるアイルーたちの大きな目の前で、英雄と男は言い合いを始める。
「うそつきっ!」
「嘘じゃない! 好きだから、キミが心配でこうして…!」
「そんなのどうせっ! まにゃでしとして好きなんですよね」
「それは……」
一瞬、言い淀んだ男を振り向いた英雄は悲しげに眉を下げて目に涙を溜める。それから一升瓶を俺に押し付けると、飲み残しの溜まるぐい呑みに手を伸ばした。
「ほらっ、やっぱり! きょーかんのバカ! キライです! 私のことはほっといて!」
英雄の叫びに男は一瞬、表情を歪めると眉間の皺を深くする。
「…わかった! キミの言う通りバカでいい! でも俺はキミが思ってるより大バカだからね!」
そして英雄の手がぐい呑みに届くよりも早く、その白い腕を掴んだ褐色の手が彼女を立ち上がらせる勢いで強く自分のほうに引き寄せた。そのまま振り向かされた彼女が言葉を止め、次の瞬間には二人の顔が重なっている。
真横から見ていたオレは、口布を下げ現れた噛み付くような男の口が英雄の唇を覆った瞬間を見た。
「……ふ?」
間抜けに響いたのは英雄の声だ。
ぱちぱちと瞬きした睫毛の奥が男と視線が絡んだ瞬間に見開かれる。事態を把握しそこねているのはオレも彼女も同じだった。
突然現れた男が自分の口説いていた女の唇を奪った。
しかも、今も重なったまま離れる気配すらない。
「…ん、んん~〜」
それどころか、きつく目を閉じて言葉にならない声をもらす英雄の様子に舌までねじ込まれているような気がする。
あまりにタチの悪い出来事と男に呆然とその景色を見つめているオレの向かいでお盆越しにチラチラと二人を見ていた女将さんと目があった。女将さんは「ニャァ~…」と小さく鳴き声をこぼしながら相変わらずお盆から目元を隠したり出したりしている。
「…ふ、ぁ。…きょ、きょうかん…?」
そこでようやく英雄の唇を解放した男に、彼女は息も絶え絶えなまま男の顔を見上げる。よくよく見れば男は一世代は上だ。とはいえ顔は悪くない。悪くないのがまた腹が立つ。
「アンタ、一体なんのつもりで…!」
腰を浮かし、声を荒らげそうになった瞬間、とろんとした英雄の横顔が視界に入った。高揚したように八重に染まった頬も、潤んだ瞳も、血色の増した唇も、酒のせいじゃない。
明らかに、その男にだけ向けた雌の顔だ。
「弟子としてじゃないって、わかった?」
「……………………………………ひゃい」
そしてさっき以上に呂律の回ってない舌で、甘ったれた返事をした英雄を男は安心したような顔で見下ろす。男の胸元に遠慮がちに顔を寄せた英雄は、支えるように肩を抱かれるとゴロゴロと喉でも鳴らしそうに上機嫌だ。幸せそうに細められた目はこれまで見たことがない。
「ごめん、もっと早く素直になればよかったね」
「でもどうして急に? きょうフラれたところなのに…」
「ここでの話を聞いて…キミを失うのも怖いけど、誰かに獲られるのも我慢ならないことに気が付いたんだ。だから今さらって怒られるのを覚悟で…許してくれるかい?」
「……………もういっかい、好きっていってくれたらゆるします」
「何回でも言うよ。キミが俺に言ってくれた以上に」
…どうやら二人はあの一瞬で酒とは違う意味で出来上がったらしい。そんな二人の前でオレは中途半端に立ち上がったまま、完全に置いてけぼり。
もとより認識されていたかどうかも怪しい。なにせ始めに男がオレに向かって舌打ちをして以降、視線が合ったのは茶屋の女将さんただ一匹だ。
「だから今夜はもう帰ろうか?」
「…かえる、教官といっしょに帰る」
返事のかわりに愛おしげに英雄の頭を撫でた男は自分の装束を握る彼女の手を取る。そして誘われるように寄り添った英雄は今、思い出したようにオレを見ると男とオレ、交互に視線を向けて顔を真っ赤にした。
「…あっ、っと、その……お酒ごちそうさまでした! オテマエさん、今夜のぶんは彼のも含めて私にツケといてください! じゃあ、おやすみなさい!」
そう叫ぶとぺこりと頭を下げ、男を足元からつついていた女将さんは「元凶のウツシにつけとくニャ」とカラカラ笑う。
さて、それからすっかり酔いもさめた様子で彼女は男に手を引かれて集会所を出ていった。控えめにじゃれ合う背中が見えなくなって、一人取り残されたオレはテーブルのぐい呑みを一人で煽る。
「……おやすみなさい? …あんなことしておいて眠れると思ってるのか オレも! そっちも! なぁ まずどこに帰るって? あの水車小屋か? 絶対に違うだろ! 確実にあの男の家だ! そこで眠れると思ってるから周りに生娘がバレてるんだよ!」
「ではスズカリさんにお赤飯を用意しておいてもらいましょうか?」
「姉さま、さすがに米穀屋さんももう眠っていらっしゃるかと…」
叫んだ直後に集会所の入口から声がした。そちらを見ると今日この茶屋で居合わせた竜人姉妹が並んで集会所にはいり、不気味なお面たちの前で話し始める。
「朝一番にお伝えすれば昼にはなんとかなるかも…。あっ! そうです! どちらも茶屋なら…オテマエさん、小豆はご準備できますか?」
「もちろんあるニャ、餅米も都合がつくニャよ」
「では今宵のうちに下準備をしておきましょう…と、その前に」
ちらり、と視線をよこした竜人の一人が深々と頭を下げた。
「今宵はご協力感謝いたします。あなた様のおかげでわたくしどもの懸案事項が解消されました。これでカムラの里も安泰です。ぜひ、この後も里でごゆるりとお過ごしください」
仰々しく告げた竜人の隣ではよく似た顔の竜人が一言「お世話になりましたぁ」とオレに頭を下げ、すぐに「女の子でしょうか? 男の子でしょうか? 久しぶりの赤ちゃんですし、楽しみね。ミノト」なんてはしゃいでいる。
「気が早いのニャ、ヒノエさんは」
「だってずーっと見守ってきたお二人ですもの。あっ! 安心したらなんだかお団子が食べたくなってきちゃいました」
「そこのお団子でよければ食べてニャ。あたしの奢りニャ」
女将さんが指したのはさっき男が現れる前に火から下ろされた団子の山だ。それに喜々として手を伸ばした竜人…ヒノエと呼ばれた美人はそばの縁台に腰掛けると幸せそうに団子を頬張る。瞬く間に皿から消えた団子に呆気に取られていると、女将さんがオレのそばにも皿を置いた。
そして、
「今日の宿は大丈夫かニャ? 集会所の部屋なら空いてるから使っていいニャよ」
そう言って笑うと「布団はセルフで敷いてニャ」と付け足した。
…どうやら、姉妹や女将さんの発言から察するところによると。
すべてのタイミングが良かったのはオレじゃなく、あの男にとってだったらしい。