卒業式のあとは結婚式❀
これまでのあらすじ
迫りくる災禍から外の人間を遮断して五十年。そもそもの立地もあり、古き良き風習、価値観をいまだに引きずるカムラの里。
婚姻についても純潔の花嫁を良しとし「清い身体でないと嫁に行けない」とまで繰り返す年寄りたちに囲まれ、下の世代にも脈々とその教えは受け継がれていた。
そして里で年寄りと長く過ごし純粋なウツシも例にはもれず。彼もまた、幼い頃から知り、慈しみ育てた可愛い可愛い教え子の婚姻に夢を見ていた。
「愛弟子もお嫁に行くまで清い身体でいようね」
兄とも父とも師匠ともつかない顔でまだ幼い猛き炎に言い聞かせ、年頃になると安易に近寄る男を笑顔で虫払いし、クエストにまで着いてくる。どこで見ているのか、いつ聞いているのか、何を調べているのか猛き炎に接近する男はことごとくウツシが遠ざけた。
それもすべては教え子の幸せを願ってのこと。
いわく「愛弟子は里育ちで世間を知らないだろう? ハンターは血の気が多いし、概ね衝動的なところがあるからね。そんな環境に身を置く愛弟子の貞操は俺が守らないと。だって俺、教官だよ?」爽やかな笑顔で平然と言ってのけたウツシ。ほぼほぼ意味の分からない言い分に半笑いのアヤメと、いまだに異性と手も握ったことのない猛き炎は困った顔をする。
ちなみに彼女はウツシとは幼い頃から今に至るまで何度も手を繋いでいる。それに関してウツシのいうところによると「俺は教官だから」ノーカンらしい。
そんな日々を繰り返し、いつしか猛き炎に言い寄る男はいなくなる。
彼女を口説いていると背後に音もなく立つジンオウガが気味悪がられ、暇さえあれば教え子の様子を見に来る教官の距離の近さと愛の重さに慄き、里育ちの教官囲い、箱入り娘な性格も相まって正直、遊ぶにしろ付き合うにしろ「なんか面倒くさそうな女だ…」と印象がついてしまった。その間もウツシは「我が愛弟子」「俺の愛弟子」と言い回っているのでそれが拍車をかけたとも言える。
そして猛き炎はある日、師匠の家を訪れ「愛弟子とお泊まり会だ!」と年甲斐もなくはしゃぐウツシに一服盛ると頃合いのいいときを見極め、手際よく師匠を縛り上げた。その手腕を後にウツシは語る。
やっぱり俺の愛弟子はハンターとして一流だ、と。
ウツシが縛られたのはちょうど湯浴みを済ませ、布団を敷いて「枕投げでもする? それともすこしお話しようか?」と弟子に問いかけたときだった。
「ま、愛弟子…? これはいったい…」
両手を後ろに縛られ、薬でいうことをきかない体に戸惑うウツシの横で、きちんと正座した猛き炎は淡々と口を開く。
ここまでは予定通りだといった顔で。
「私だけ経験がないんです。友達はみんなもう経験済みなのに」
「へ? 経験って…」
状況も彼女の言葉にも皆目見当がつかない様子のウツシに猛き炎は形のいい眉をすこしだけ釣り上げた。
「経験どころかおとこの人とまともにお話したこともないなんて!」
「どういうこと? 男の人なんてそこら中にいるし、それに今日も一緒にクエストに行ってたハンターと話して…」
「それは業務連絡! そのあとあの人は教官の噂を怖がって、すぐどっか行っちゃいました!」
「痛っ!」
褐色の腕をつねった猛き炎にウツシは理不尽だと顔に書いて彼女を見上げる。けれど見上げた先のへの字の唇にひとまずここは引き下がった。普段はニコニコ可愛い弟子がなにやら怒っている。それだけは感じ取れたからだ。
「でもだからって俺を縛り付ける理由は…それに、なにか盛ったね?」
痺れて感覚のない指先をおぼろげに確かめながら探るウツシの視線に猛き炎は悪びれもせず、袂に隠していた小瓶を畳に転がす。その瓶の形は里の名医の診療所で扱うものだった。
「お風呂上がりのポポのミルクに混入させていただきました。ゼンチ先生も私の身の上に同情して協賛についてくれたので」
「待って話が見えてこない、キミの身の上って…」
「私が処女のままなのは教官のせいですから」
脈略のない答えとはいえ、言われてウツシは考える。
それはそう。だって愛弟子がきちんとお嫁に行けるように、男関係で傷つくことがないよう小さな心を、しいては貞操を俺が守ってきたのだから。
けれど「教官のせい」と言われるのは心外だった。
「それはキミのことを想って、花嫁さんは清い身体じゃないと…うわっ!」
戸惑うウツシを背後の布団に転がすと、その腹の上に乗り上げた弟子の白い太ももが割れた夜衣の裾からさらけ出される。思わずその裾を直そうとしたウツシは縄の食い込む手首に自分が後ろ手に縛られていることを思い出した。
縄抜けくらい、と足掻いてもぴたりと吸い付いたように縄は解けず、緩みもしない。関節を外す前に『薬のせいはあるとしても、縄がおかしい…』そう気付いたウツシが猛き炎を見上げると彼女は花も恥らう乙女の顔で、
「縄は色々と見かねたコガラシさん提供です」
そう言って笑う。
ふわふわ尻尾の頭領は凧を飛ばせば里一番、凧を操る縄にもこだわりがあると見える。名医に隠密隊の頭領が愛弟子のバックについている。おまけにその愛弟子はウツシを始め、里の面々が手塩に掛けて育成したハンターだ。
この時点でまんまと捕獲された雷狼竜に勝ち目はなかった。さて、それでもなんとか縄を解こうと躍起になるウツシは置いておいて。
猛き炎のいう「見かねた」はコガラシに限らず里の大半が常日頃抱えた感情だった。
ウツシは親心、兄心、そして師匠のつもりで猛き炎に接していても外から見ればその目に宿るどろどろとした好意は一目瞭然。そんなウツシの前にはおそらく一生現れないだろう「俺の愛弟子に相応しい男」を勝手に選りすぐる様子は「不毛だからそろそろ誰か止めないか」と酒の席で一度は話題に出るほど。
さらに、他の雄を蹴散らすくせに囲い込んだ雌には指一本触れず、口説くでもなく、閉じ込めるでもない男は剛速球の好意のみ雌に投げつけて返事も聞かずに悦に浸っている。まずもって、自分の好意の種類に気付いているのかというところから躾…わからせないといけなかった。
「くそっ…外れない…。ねぇ、ゼンチ先生にコガラシさん、愛弟子まで共謀して俺になにをするつもり?」
猛き炎を腹の上にのせたままウツシは尋ねる。表情にはめずらしく、すこしの怯えと焦りが含まれている。
「…私だってそういうことに興味くらいあるんです」
「そういうこと…?」
「でも誰でもいいってわけじゃないし」
先述の通り長年大きな矢印を向けられ、軽やかに注がれる重い愛情を浴び続け、翔蟲以外は虫の一匹も寄り付かなくなった猛き炎は一つの結論に達していた。
「そこまで想ってくれるなら。じゃあもう、教官でいいかなって」
「じゃあもう、って……なにしてるの!」
ウツシの夜衣の合わせから手を差し込んだ弟子は恐る恐る、鍛えられた胸元に触れる。
「わあ…おとこの人の肌ってかたい…」
なんて感慨深そうな声を上げたかと思うと、次はこっそりと夜衣の中を覗き込んだ。好奇心を隠そうともしない猛き炎の視線がくすぐったく、ウツシは身をよじった。
「愛弟子やめなさい! なんでこんなことを…! 今夜は枕投げをしようと思ってたのに…」
「まだ体が動くんですか? さすが教官です。やっぱりもう少し多めに盛ってもよかったかな…」
「教官に薬は盛っちゃだめ! いつからキミはそんな悪い子になったんだい」
「だって、そうでもしないと教官を捕まえられないじゃないですか」
「捕まえるって何」
「あ、もう! 怖くないから暴れないでください」
「ちょっ…どこ触って…ていうか、俺の帯をほどかないの!」
「ほどかないとよく見えないんですもん」
すりすりと胸元を撫でていた猛き炎の手が下がり、帯にかかると細い指に結び目はすぐに解かれ、ウツシがぎょっとする。
この状況でなにを見るつもりでなにをするつもりなのか、猛き炎の言動から導き出される答えは信じ難いものだったけれど『もしかしたら寝技の訓練かもしれない、これは愛弟子に一本取られたな』などと一縷の望みをかけていた。
そしてその願いは猛き炎の口から一生聞くはずのない言葉に打ち砕かれる。
「先っぽだけですから、ね?」
「先……、ね? じゃなくてぇ! 先っぽってなに! 先っぽもだめ!」
「大丈夫、きちんと勉強してきました。教官に痛い思いはさせません」
「いつ勉強したの なにをっ」
「もう。ムードがないなぁ、ちょっとだけ静かにしててください。すぐ済むので」
「なにが済むんだい ねぇ!」
終始、狩猟の最中のような真剣な瞳で猛き炎はウツシから目をそらさずに告げた。対してウツシはひたすら猛き炎の下で慌てふためいていた。そしてまだ彼女の下から抜け出そうとよじる体は、薬の効果と猛き炎の健康的で強靭な太ももにロックされてぴたりと動きを止める。
「教官のお身体拝借しますね」
「まっ…!!」
「先っぽだけって言ったのに…!」
それから数刻、乱れた布団に突っ伏して泣くウツシの姿があった。
「愛弟子が俺で卒業しちゃった…」
「俺のせいで愛弟子がもうお嫁に行けない…」
すんすんめそめそと布団を濡らす師の頭を猛き炎はよしよしと撫でつける。
「教官泣かないで」
「だって! 愛弟子はこの世で一番の花嫁さんになる予定だったのに…」
「とはいえ、教官だってけっこう楽しんでたじゃないですか」
猛き炎がさり気なく触れた白い首すじの皮膚は赤く腫れて、形のいい歯型がくっきりと。それは明日には腫れが引くだろう代わりに紫色の鬱血の地図が広がるのが予感された。
「そ、そんなことないよっ!」
「ほんとうに? 途中で薬も抜けてましたよね?」
次に猛き炎が視線を向けた先には縄が。行灯が消される前にウツシの手首を縛っていた縄が、布団の外に投げ飛ばされていた。
「ソンナコト…」
「教官の声がちっさい」
ふふふ、と笑う猛き炎から視線をそらすように両手で顔を隠したウツシに寄り添いながら彼女は語りかける。
「ところで、ウツシ教官。私は里の教えからいうとお嫁に行けないそうなので、代わりにお婿さんを貰おうかと思うんですが」
「………?」
「来ますか?」
大きく目を開き、無言で己を指差すウツシに猛き炎はにっこりと微笑んだ。
その後の寝物語に猛き炎が語ったのは『自分の周りは結婚前にも恋の一つや二つ、婚前交渉の三つや四つはこなしている。清い身体で嫁ぐなんて建前で実際はみんな隠れてやることをやっているのだ』と、色恋に疎く日々健全な生活を送るウツシにとって衝撃の事実だった。
「そんなっ…! じゃあ純潔の花嫁さんはいないってこと」
「みんながみんなそうじゃないでしょうけど…ロンディーネさんも『バージンロードをバージンで? ずいぶんギャンブラーな花嫁さんもいたもんだね!』って笑ってました」
「ぎゃんぶらー?」
「賭博師のことだそうです」
可憐な花嫁さんと賭博師。ウツシは頭をひねりつつ、普段は決して結びつかないもの同士を結びつけることを早々に諦めた。
そして、言われてみればとカムラの強かで艷やかな女性陣の顔を思い浮かべ、教え子の話に妙に納得したりもする。まず、純潔かどうかなんて実際に寝たところで真実は男にはわからないものだ。それにいざ生娘じゃないとなったところで激怒するような男がいるかというと、外の村や集落はいざ知らず、己も含めカムラには思い当たる男がいなかった。
狭い里で性が乱れても困り物。そう思えば理にかなった教えでもあるし、娶る側としてもデメリットはない。嫁ぐ側も黙っていればわからない。そして客人がなく、外の考えが輸入されることが極めて少ない里ではそういうものなのだとされてきたんだろう、広く表面上は。と、ウツシは思い至る。
「それに教官も、何事も経験だ! ってよく言うじゃないですか。本番までに適度に練習をしておくほうが合理的だと思います」
俺の言葉の真意はそうだけどそうじゃない。とはいえ、まさか自分が教え子に手籠めにされる経験をすると思わなかったウツシはその経験からなにかを悟り、わからせられたのも事実。隣で笑う愛し子の笑顔にも免じて今夜は反論しないことにした。
「…ね。教官、もういっかい練習しませんか?」
可愛い誘いも受けたことだし。
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「アヤメさん、私もうすぐ結婚するんです。先日、契りも交わしたので」
「へえ、あの鉄壁の一人包囲網をくぐり抜けた男がいたんだ? いったいどんな猛者?」
「あそこで私のフクズクにつつかれてます」
『わっ、ちょっと…! なんかいつもより攻撃が激しい! なんで 俺、なにかした』
「………へえ」
「泣かせた責任はとらないといけませんし」
「………ふぅん。まぁ、いいんじゃない? お似合いね。おめでとう」