瓦版にすっぱ抜かれる師弟の話 ❀
すこし前までは古龍や数多のモンスターの襲来に砦を往復していたのが嘘のように、桜は満開、黒煙も景気よく上がる長閑で活気ある里は皆が待ち望んだカムラの姿だ。
ただ、ここに里の往来をうろつきながらため息をつく人物が一人。
「はぁ~…」
帯に矢立をぶら下げた男は仲睦まじい米穀屋夫婦、屋根の上で睡眠を貪るゼンチ、ガルクの頭を撫でるイヌカイ、縁台で団子を次々と平らげるヒノエ、主婦と談笑するカゲロウを見渡す。
「こう平和だと商売は上がったりだ」
有事にはそれぞれ、物資の準備や怪我人の治療、ガルクの派遣、里守として前線に赴き、ハンターの物資を調達…と、走り回っていた人々はのんびりおっとりと陽だまりの中で過ごしていた。
「困ったなぁ…」
瓦版の記者である男も同様。
百竜夜行が起こると聞けば号外を飛ばし、古龍が現れたと聞けばこっそり砦に潜入して取材をし、里の新人ハンターがその古龍を伐ったときには独占〝いんたびゅー〟……。
それが平和の訪れた今や「コジリとミノトの今日の献立」がメインの記事になりつつある男の瓦版は購買層が絞られ、筆を持つ男自身もマンネリと化していた。
「はぁ、どこかに特大の〝すくーぷ〟はないものか」
とはいえ古龍は英雄が返り討ちにし、その英雄は王国へと出張に出ている。そこでの大立ち回りは彼女の教官が、そこかしこで誰か捕まえては言い回っているので今さら記事にするのも味気ない。
そういえば彼女が王国に向かう前に大社跡で新しいモンスターを目撃者した里の民へのいんたびゅー記事がここ最近で一番売れた。だとすれば瓦版が献立帳と化してからずいぶん経ったようにも思える。
さて、ここらでなんとかしなくては…。
男は何度もそう思い、里の中を歩き回るもののあるのは平和な風景だけ。あと、うるさい教官。
「でね、そこで愛弟子がルナガロンに乗り上げて華麗に躁竜を決めたんだ! すごかったんですよー! 写真も撮ってるんです、見ます?見ますよね? ほらぁ! すごいでしょー!」
「すごいニャね」
「ハモンさんも見てくださいよ! 俺の愛弟子の勇姿を! あれ?ハモンさん? 聞いてます?」
「…………」
加工屋の前で大騒ぎするこの里の教官は今日も元気にハモンに絡んでいた。となりのフクラが相手をし、淡々と刃を砥ぐハモンには無視をされている。それでも五分に一回は「そうか…」と返事をするハモンは優しい人なのだとフクラは言っていた。
「ところでウツシ、その話はいつになったら傀異化克服モンスターの討伐に行き着くんだ?」
「えっと…、あと七頭のモンスターを倒してからかな。ここからがさらに大切なんです! そのルナガロンの素材から作り上げた武器を片手に愛弟子はさらなる強敵に…」
「…………そうか」
たしかにハモンは優しい人だった。
記者である男からすれば聞くに耐えない要点の得ない話をまだ聞いてやるつもりらしい。一度は注意しても直らなかったのだから諦めの境地にいるとも言えるかもしれない。
「でね、愛弟子ってばそこでお肉を焦がしちゃって! フフ、まだ肉焼きがじょうずに出来ないなんて可愛いところもありますよね!」
「うん、可愛いのニャ」
「でしょでしょ? 俺の愛弟子はそういうところがあるから! かっわいいんだぁ」
そしてまた、いつの間にか飛躍しているウツシの話にフクラが相槌をうち、ハモンは革を叩いていた。そんないつもの光景、いつものやり取りを見ながら記者の男はあることを思う。
――そういえば、この教官は口を開けば「愛弟子」だ。その愛弟子は里の英雄で、その英雄を追いかけて出張先にまで顔を出すことで有名。英雄が発つ日には臼と杵で海を渡ろうとした男に里の大半が呆れとその熱意にある種の畏怖を抱いた。
そしてその熱意の対象である猛き炎は年頃の娘で、男はまぁ黙っていれば精悍な青年。
これは……なくはないんじゃないか? と。
それから記者の男はウツシの周囲を探った。
はじめはそれとなくウツシの行動を尾行していたものの、早々に諦めたのは追いかけても煙に巻かれたように消えるウツシを見失い続けたからだった。
巷では分身しているのでは…?と噂されるほどの男だ。普段の言動はどうあれ一筋縄ではいかないらしい。
けれどウツシのオトモは飴玉一つで記者の求めていた情報をくれた。
「もしうちのご主人に恋人がいたら、三人どころか四人に分身出来ないとおかしな話になるニャ。それに今はあの子がいるしニャ」
恋人もなく、いるのは愛弟子だけ。他は仕事仕事の毎日。黄色いアイルーはそう言って笑い、口の中の飴玉をカランと鳴らした。
恋人はいないとなると猛き炎とも健全な関係。だとしても、もう少し探れば何か出るのではないかと記者は取材を続けた。
そしてタイミングのいいことに時を同じくして猛き炎が里に帰還する。
一時的な里帰りとして休暇をもらったのだと言う英雄に里の民は歓迎し、盛大な宴を開き、もちろん彼女の教官であるウツシも両手を広げて再会の挨拶を交わす。
力いっぱい抱きしめられ、猛き炎がウツシの腕の中で窒息する寸前まで続いた挨拶に記者の男はこっそりとカメラを向けた。
それから数日、猛き炎の住まう家屋の向かいの焼栗屋から小屋を見張っていた記者は夜更けに水車小屋を訪ねる人影と遭遇する。
「愛弟子、今すこしいいかな?」
「えっ、あ! ウツシ教官?! ちょ、ちょっとだけ待ってください!」
慌てた猛き炎の声からしばらく、髪を撫でつけながら玄関を開いた彼女にウツシは手にしていた荷物を差し出した。
「修練場に忘れ物をしてたよ」
「あ! 探してたんです! ありがとうございます!」
そのやり取りに記者は昼間のことを思い出していた。昼間は昼間で二人して修練場にこもった師弟はカラクリ蛙相手に汗を流していた。らしい。
記者は一艘しかない船に乗れるわけもなく、師弟とともに里に戻ったセキエイのところを訪ねて飴玉と交換で聞き出した情報だ。
『二人はいつも真面目に訓練をしてるのニャ。でもときには楽しそうに談笑もして、いい関係だニャ』
まぁるく大きな飴玉を両手に持ち、透かして見ながら答えたセキエイはにこにこと嬉しそうに言った。記者のほしい情報まで今ひとつではあるものの、神聖なる修練場で尻尾を出すことはないだろうと記者は気持ちを切り替えた。
そして夜更けの水車小屋だ。
「里に戻って気が抜けたのかな?」
「かもしれません、ごめんなさい。教官にお手数をかけて…」
「いいんだよ、愛弟子。しばらくここでゆっくりして俺に甘えても。また向こうに戻ったら忙しくなるんだろうから」
「教官…」
ウツシにしては穏やかな声とウツシを見上げる年相応な猛き炎の表情に記者はカメラを持ち直した。さっきのやり取りも一言一句、記憶する。
そして師弟にしては甘ったるい空気に包まれた二人のうち、先に動いたのはウツシだった。
「俺のほうこそごめんね、せっかく休んでいたのに邪魔をして」
そう言って彼女の髪に手を伸ばしたウツシが毛先を撫でつける。よく目を凝らして見てみるとウツシの撫でる猛き炎の毛先がぴょんと跳ねていた。その仕草に気付いた猛き炎は恥ずかしそうに俯くとつぶやく。
「さっき直したのに…」
「ふふ、これはなかなか直らないかもね」
いい雰囲気だ。記者はシャッターを何度もきりながら思い、頷いた。
そして何度目かのシャッターを下ろしたとき、水車小屋の中から顔を覗かせたアイルーが一匹。猛き炎のルームサービスだ。
「ご主人、お茶を入れましょうかニャ?」
「えっ、いいよ! もう夜も遅いし俺はすぐ帰るから…」
ウツシは慌てたが猛き炎は足元のアイルーに視線を合わせて「お願いできる?」と微笑みかける。そして、視線を上げると
「……教官さえよければ」
そう言ってウツシにも笑みを向けた。
下からまんまるドングリのような瞳を四つも向けられたウツシは迷う素振りを見せつつも、一人と一匹に招かれて水車小屋へと入っていく。
もちろん記者は猛き炎とウツシが並んで玄関をくぐる瞬間も激写する。レンズを覗く目が一瞬、振り向いたウツシと合った気がしたがこの瞬間を逃す手はなかった。
「さあ、今日は大すくーぷだよ! なんとカムラの有名師弟が熱愛発覚だ! 深夜の密会! 師弟間の禁断の恋だよ!」
夜なべの成果で出来上がった瓦版は翌日、朝早くに売り子によって里の往来で陽の目をみた。大胆でセンセーショナルな売り文句に里の人々が足を止める。
「本当なの?」
「火のないところに煙は立たない、みんな二人のことはよく知ってるだろう?」
「…そういえば、ずいぶん仲がいいよね」
「ちゃんと証拠写真もついてるからさ、一部どうだい?」
「写真も? じゃあ…買っちゃおうかな」
「はい、お買い上げありがとう!」
その様子を離れて見守っていた記者は己の書いた瓦版に目を落とす。
紙面にはデカデカと熱愛の文字、その隣には猛き炎の髪に触れるウツシの写真。そして夜の帳がおりた風景の中で暖かな光が漏れる水車小屋に入っていく二人の後ろ姿の写真が順を追うように添えてある。もちろん足元にいたはずのルームサービスは映らない角度で撮影していた。
そして記事欄には昨夜のやり取りを詳細に記し、『仲睦まじい二人は水車小屋の中に消えていった』ところで文章は終わる。実際のところ深夜でもなければウツシはすぐに帰宅の途についたが、記者はあのあとすぐに瓦版の作成に取り掛かったのでそれを確認していない。
嘘は書いてない、が記者の言い分だ。
そして一部にはデンコウとセキエイの証言をすこしばかり大袈裟に解釈し、抜粋して盛り込んだ。
ウツシをよく知る証言者甲は『恋人? ご主人には猛き炎がいるニャ』二人をよく知る管理人乙は『二人は良い仲ニャ』と。
そう、こちらはほぼ嘘だった。
証言のそばには熱い抱擁を受け、ウツシの胸に埋もれる猛き炎の写真を二人の周囲にいた人々は切り取って配置してある。
こちらも、完全なる捏造だ。
そこまでやった時点で記者の腹は据わっていた。里長に怒られたらそのときはその時だ。けれど数日間、密着した師弟の言動を見るに自分の見立ては間違ってないという自信があった。
記事をすこし盛り過ぎただけで。
「なにこれ! どういうことですか!」
わいわいと盛り上がる売り子の周囲で一際、大きな声がした。見れば猛き炎が瓦版を手にしてふるふると小刻みに震えている。顔は真っ赤、その様子に隣にいたウツシも記事を覗き込んだ。
「なんだいこれ?! 俺と愛弟子が…えっ?どういうこと?! あっ、昨日のカメラはこれかぁ!!」
すると、ウツシまでがみるみるうちに頬を染めて慌てる。
そうして二人仲良く半分ずつ瓦版を持った師弟はゆっくりと顔を見合わせた。奇しくもそれは写真の中で笑い合う師弟と同じ角度で周りの視線を集めてしまう。
「わ、私と教官はそんな関係じゃ…」
「そ、そうだよ! 俺と愛弟子はそんな関係じゃ…」
そこまで言って口を噤んだ二人は慌てて互いから目をそらし、照れながらそっぽに向いた様子に、半信半疑で紙面を見ていたその場の民の意見はそれとなく満場一致する。
そこで売り子は機転を効かせた。
「…っこ、これは予言の瓦版だよ! 近いうちにきっとそうなることが書いてある! 今ならコジリちゃんとミノトさんの旬のれしぴもついててお買い得! どうだい? 一部!」
よく通る売り子の声に人々は群がって一部、また一部と瓦版は飛ぶように売れた。猛き炎を見上げて無邪気に真偽を尋ねるヨモギや、紙面に目を通しウツシの肩を叩くハモンと脇腹を突くフゲンにまで瓦版が回ったところで売り切れ御免と相成った。
「禁断の恋だなんて…ひどい…」
「そうだよ! 別に誰も禁止なんて、教官の規則にも載ってないし…」
「えっ、載ってないんですか?」
「載ってない…はずだけど…」
「じゃあ教官に恋してもいいんですか?!」
「えっ?」
「えっ?」
「それはどういう意味だい? 愛弟子…」
「……なんでもありません」
そうして逃げるように撤収した売り子に記者は分け前を渡しながら、残された師弟がいまだ、もじもじと視線を合わせられない状況に次の見出しを考える。
「次は『結婚秒読み』なんてどうだろう」