借金師弟のバニー事件 ❀❀❀
前提として私には不慮の出来事で抱えた莫大な借金がある。その保証人になってくれたのが教官で、彼は土下座する私を見て快く借用書にサインしてくれた。
そして狩猟やギルドの刊行物への寄稿で地道に借金を返済していたけれど、一ゼニーでも多く返済を進めたい私はある“あるばいと”に手を上げた。
新年明けて今年はうさぎ年にちなんで茶屋のうさ団子販売強化月間が設けられた。
その期間、カムラでは観光客の皆さんに向けてヨモギちゃんやオテマエさんたちがうさぎの耳を頭につけて茶屋に立っているらしい。
そしてその頃、里と連携した茶屋があるエルガドで借金返済に励む私は……。
「うさ団子はいかがですかー!とっても可愛くて美味しいお団子でーす!」
エルガドの寒空の下、ホットドリンクを飲みながらバニースーツで茶屋の前に立っていた。
販売強化月間といっても、カムラと違って観光客が訪れることのないエルガドでは新規の集客はなかなか見込めない。でもエルガドを研修や視察で王国の調査員や騎士たちが大勢訪れる機会があると聞いた茶屋からはまずその人たちにうさ団子を普及しようという声が上がった。
そしてその企画に際した報酬金の高い売り子の募集に手を挙げた結果がバニー。募集の時間帯が夜だったから報酬がいいのかと思っていたら、ギルドを通した依頼なのに衣装として手渡されたのはまさかのバニー。
それでも背に腹は代えられず、首も回らない私は泣く泣くその衣装に袖を通すことになる。
それも二日すれば慣れて、お客さんのあしらいかたもすこしはわかってきた四日目。
明日にはエルガドに滞在していた人たちも港に停泊した船に乗り込んで王国へ帰っていくから頑張ってうさ団子を売り込まないと!今夜がこの売り子のあるばいとの最終日だし!と、気合を入れていた。
「はんたーさまのおかげで売上倍増ですニャ!」
「そんなことないですよ、アズキさんのうさ団子が美味しいから皆さんリピーターになってくれたんです」
「おーい、そこのうさぎちゃん!こっちにもうさ団子!」
「あっ、はーい!すぐお持ちしまーす!」
私を呼ぶお客さんに手を上げて返事をしていると、足元でこちらを見上げたアズキさんが「ニャ、はんたーさまのおかげですニャ」と嬉しそうに笑う。
そして滞在最終日とはいえ、明日は朝が早いのを理由にいつもよりも浅い時間にお開きにする人たちが多かった今夜は、茶屋もそれとなく早い片付けを始める。
「ありがとうございました〜」
そして最後のお客さんを見送っていると拠点の上を流れ星が飛んだ。碧く尾を引いたそれが翔蟲の輝跡だと気づいたのはその場で私だけ、そしてその高さを悠々と駆けるのは他でもない私の恩師であり借金の保証人。
「やあ、愛弟子……?」
そうして近くを流れた輝跡と共に目の前に膝をついて地に降りた彼は笑顔で立ち上がりながら私を見上げ、言葉を止める。
そして金の目を見開くと同時にその顔から笑顔が消えた。
「お疲れ様です、教官」
そういえば、拠点についてすぐ、また里長になにかを命じられてエルガドの外に出ていた教官はこのあるばいとのことを知らない。
こんな格好でびっくりさせちゃったかな?
なんてその時の私はのんきに思っていた。
「それは新しい装備?」
訝しげに教官が尋ねた。
「いいえ、あるばいとの制服で…」
「あるばいと」
「借金返済のために夜の茶屋で売り子をしていたんです」
「夜の茶屋で売り子」
「はい、皆さんにとても気に入っていただけました」
うさ団子を、と口に出す前に胃が持ち上がるような急な浮遊感。そして視界には茶屋の板張りの床がいっぱいに映る。空気にさらされたお腹にある圧迫感は教官の肩だと気付くのに時間はかからなかった。
「アズキさん、この子をすこし借りてもいい?」
「どうぞどうぞニャ。もうすぐ茶屋も火を落としますし、もう売り子は上がりの時間ですニャ」
「えっ、私もみなさんと一緒にお片付けを…」
「ありがとう。じゃあ貰っていくね」
肩に担がれ、勝手に話を進められ、笑顔で手を降るアズキさんに必死に手を伸ばしても、あれよあれよといううちに茶屋は遠ざかっていく。
「あああ、ちょっと!降ろしてください!一体どこに……」
「さぁねぇ。猟師に捕まったうさぎさんはどこに連れていかれるんだろうね」
口調こそのんびりと答えた教官の声がいつもより固い。その淡々とした感情の読めない声に戸惑いながら連れて行かれたのは…。
港に停泊して波に揺られる船の自室。
柔らかい橙色の照明から少し離れて、玄関に教官と私はいた。
錠をかけていなかった自室は簡単に扉を開けて、ルームサービスも帰って誰もいない入口の樽のそばにドアに背を向けて降ろされる。担いだときよりも優しく降ろされたけど、前に立ちはだかる教官の顔が逆光でよく見えない。
するとすぐ背後でドアの閉まる音がして、こちらに伸びた指先に視線を合わせるように顎を上げさせられた。
「うさぎさんの耳、首につけ襟、胴体は胸を強調したコルセット、手首にふわふわのカフス、腰は短パン。に、申し訳程度の茶屋の前掛け?」
「わわっ!」
ぴら、と手に取られた前掛けを当然のようにめくられて思わず手で押さえた。でも教官は気にした様子もなくひらひらと裾をもて遊ぶ。
「ああ、これも特別仕様なのか…裾のファーが可愛いね。さっき担いだときに見たけど短パンに尻尾までついてるの?」
「ついてます、あと短パンじゃなくてショートパンツ…」
「なんでもいいけど、お尻が半分見えてるよ」
「ひぃ…」
耳元で囁かれ、大きな手で鷲掴みされたお尻が形を変えた。太ももでとまるストッキングを留めたガーターも弾かれた。そして素肌に触れる指に驚き悲鳴を上げるとすぐにその手は離れていく。
「うさぎさんは今夜でいくら稼いだのかな?」
「あるばいとは四日あったので、ええっと…」
「四日?!」
そこで驚いた声を上げた教官は声が裏返る勢いで「そんな格好で四日!」なんていう。
「だって、借金が…。それにこのあるばいとは報酬が高くて…」
「だってもなにもない。しかも『皆さんにとても気に入っていただけました』だって?」
「はい」
うさ団子が、とまた答える前にほっぺたに教官の指が食い込んだ。片手でほっぺたを掴まれて思わず「いひゃいれすっ」と訴えると離れた手は自分の衣服を探る。
そして何か取り出した彼は、手に持ったそれをさらけ出された私の胸の谷間に無遠慮にベシベシと打ち付けた。当たっているのが財布だと気付いたのは現物を見るよりも先に、打ち付けられている物の中で微かに金属の触れ合う音を聞き取ったから。
「胸もこんなに大きく開いて、背中もほぼ見えている。おへそまで出てるじゃないか」
眉を顰めながら教官の財布から抜き取られ、お小言を貰いながら胸に詰め込まれたのはお札だ。しかもコルセットとの隙間にねじ込まれた枚数は一枚や二枚じゃない。最終的には財布の中の紙幣をすべて谷間に詰められる。
「あの、教官…これはなにを…」
「おひねり。キミがこんな衣装を身に着けるほどお金に困ってるみたいだから」
「たしかに困ってますけど…これはそういう意味で着てるわけじゃなくてですね、」
「じゃあ一体、どういう意味で?」
「ひ、耳元で喋らないでくださいっ」
耳をくすぐる吐息に跳ねる胸をコルセットとお札が圧迫する。どうしてこんなことに…と困惑する私を見下ろしてくる金の瞳は心なしか怒っているような気がする。
「そんなに困ってるなら俺が借金ごとキミを買ってあげるって前に言ったよね?」
それは確かに聞いたけど冗談だと思っていたし、今も思っていた。保証人になってもらえただけでもありがたいのに、そこまで面倒をみてもらうなんて申し訳ない。
「それともこの四日で他に買い手を見つけた?」
「そんなこと…!」
「こんなにえっちなうさぎさんがいて誰も手を付けなかったのかい?」
「ここを訪れるかたは皆さん紳士ですから、あと、ぇ、えっちなんて言わないで…」
囁きに身をすくめて答えていると憮然とした声が真横から耳に直接、吹き込まれる。
「だって誰がどう見てもえっちじゃないか」
「、だ、だから耳元で喋らないで…くださ…ぃ」
「さっきからビクビクしてるけど叱られてるから?それとも、」
「耳っ!ぞわぞわして…!」
「…ふぅん、うさぎさんの弱点はやっぱり耳なんだね」
「ひっ!」
聞き慣れない低い音に驚いてすぐに隣を見ると、なんだか楽しそうな目をした教官と視線がぶつかった。楽しそうというか、意地悪な目だ。
「弱点特攻したらどうなるのかな?」
「弱…え?」
そして言葉の意味を考える前に両頬を包むように触れてきた手が耳を塞ぐ。
「な…ひあっ!」
カサついた指が耳の縁をゆっくりと撫でて穴の周りを行き来していたかと思うと突然、世界は無音になった。代わりに自分の悲鳴がやけに響く。
「ぁ、ちょっと待っ…指いれちゃだめ、汚いからっ」
「うんうん、効いてそうだね」
「あっ、ゃ、やめ、本当に…んんっ、」
やめせようとして掴んでも、びくともしない手首の先で好き勝手に動き回る指に膝が震えた。すこし耳をくすぐられただけで段々と高くなる自分の声が脳に響いてくらくらする。
「キミは身売りだとか、挑発的な格好で売り子をしてみたりだとか、人の地雷を的確に踏むのがじょうずなうさぎさんだね。強がらずに俺に買われておけばいいのに」
指に塞がれた鼓膜の向こうで教官の声がする。断片的に聞こえる言葉は意味を考える前に同時に背筋を走る感覚にうまく咀嚼できなくて頭を振った。
指先に翻弄されて何も考えられないなんて…。
「きょうかん、変な声出るからっ…!」
「うん、初めて聞く声だ。威嚇や咆哮にしては弱々しい」
「咆哮じゃなくてっ…ん、ぐりぐりしないで!」
立っていられなくて背後のドアにもたれながら訴えるけど、教官は目を細めて耳たぶをつまんだり、軟骨を撫でたり、穴に指を突っ込んだりやりたい放題だ。
でもどうしてこんなことをするのかわからない。
「あっ、ぁんっ、はぁ、ちょっ…ほんとに…」
「あーぁ、立ってるのもやっと?でも愛弟子は今、うさぎさんだから仕方ないよね」
いいんじゃない?と軽く返されてぼんやりした頭は考えた。背筋を駆け上がるような感覚に必死に目を閉じ、教官の手を縋るように握りながら。
そっか、私は今、うさぎさんだから…。うさぎさんなら仕方ない。だってなんでも教えてくれた教官がそう言うんだもん。
そしてなんとなく納得しかけた瞬間、
――トントントン。
凭れた真後ろのドアから控えめなノックの音が聞こえた。ビクッと体を跳ねさせて振り向くと腰のあたりから困ったような声がする。
「旦ニャ様、まだ起きていらっしゃいますかニャ?ボク、旦ニャ様のお部屋に忘れ物をしてしまったニャ」
思わず顔を合わせた教官は困ったような笑みを見せると私に変わってすぐにドアを開き、足元の小さなお客さんにいつもの笑顔で笑いかける。
「起きてるよ。どうぞ」
部屋に招かれたルームサービスは慌てて胸元のお札を隠す私に見向きもせず、一直線に自分の定位置に向かうとスツールの上に置かれていたトロッコの模型を手に取った。彼がいつも遊んでいる玩具だ。
「ありましたニャ!ありがとうございますニャ、旦ニャ様にウツシ教官様」
「見つかってよかったね」
「はいですニャ!これでゆっくり眠れますニャ。夜分に失礼いたしましたニャ」
「うんうん、外は暗いからね。気をつけて帰るんだよ」
「はいですニャ!重ね重ねありがとうございます、おやすみなさいニャ」
「おやすみなさい」
「おやすみ、いい夢をみてね」
また玄関のドアを開けてあげて、爽やかな笑顔でルームサービスを見送った教官が隣りにいた私に振り向き、その手元でなぜかドアはまたしっかりと閉じられ……
「さて、うさぎさん。今の間になにか安心しているようだけど」
「ひゃいっ!」
ふぅ、と耳に吹きかけられた息に驚き散々弄ばれた弱点を押さえる。その間に教官の腕が囲い込むように私の肩に回り、
「キミの弱点に指より奥まで入るものがあるのを知ってる?」
押さえていた手をやんわりと外されて、耳の軟骨を舌でなぞられ歯を立て齧られると今日一番の甲高い声が出た。
前日譚↓
不慮の出来事で多額の負債を背負った私への借用書には下から数えるのもつらい数のゼロが並んでいた。青い顔に震える手で名前を刻んで教官のところに走ると、地べたに這いつくばる勢いで土下座して保証人欄を差し出した。
取り急ぎ事情を話して「本当に名前を書くだけ、絶対に迷惑はかけません!」そう私が言い終わる前に彼は易易とその紙に署名して「まったくもう、愛弟子は…」と嬉しそうに笑ったのが印象的だった。
それからも教官はいままで通り、借金まみれの弟子にも優しく接してくれる。決して事情を深くは問わず、むしろきちんと食べているのかと差し入れまでくれる始末。こんなにお人好しで優しい人がいていいのか感激していると、
「ところであの金額を返済する算段はあるのかい?」
差し入れのお団子を咀嚼しながら、隣で同じようにお団子をかじる教官に迷いながらも頷く。
「ひとまず依頼をたくさん受けて、それからギルドの刊行物にも寄稿しようかと思ってます。…原稿料って意外ともらえるらしくて」
赤鬼さんと黒鬼さんが教えてくれた意外な収入源を答えると教官は「ふぅん」と興味なさそうにつぶやいた。噂を聞きつけた狩猟関係の冊子からいくつか誘いが来ていたから挑戦してみようと思う。机に向かうことは不得手だけど、背に腹は代えられない。
でもどちらも私の抱えた借金に対して微々たる報酬だというのはわかりきっていた。ただ、今は一ゼニーでも借金を返済しないと保証人である教官に迷惑をかけてしまう。恩師だし、大切な人だけにそれだけは避けたい。
「それでも間に合わなかったら、一か八か…体でも売って…」
馬鹿なことを言った自覚はあった。キスもしたことがないくせに身売りだなんて。それでもヤケにもなりたくなるような借金の総額に私は自嘲をまじえて笑みをこぼす。
すると隣でゴソゴソと教官が何かを探っている。
「いくら欲しいの?」
そして財布を開きながら真顔で言う。
「え?」
「キミを買ってあげるよ」
「ん?」
私の胸に財布を押し付けて言う彼がそのまま財布から手を離した。パサッと音を立てて私の太ももに落ちた財布は口を開いたまま、引き出されていた紙幣をばら撒く。
そのことを意に介さない教官はお団子を持ったまま固まる私の唇に指を這わせた。
「ところで愛弟子は身売りがどんなことをするか知ってるの?」
「…よ、よくは、わからにゃいけろ…」
唇を這っていた親指がお団子の蜜で滑るように口内に入り込んだ。歯を立てないように喋る私を知ってか知らずか、歯列をなぞって舌に触れた指はゆっくりと舌先を撫でる。唾液に濡れた指先がつるつるの舌に何度か触れていると変な感じがする。
「よく分からずにそんなことを言ったんだ?」
「らって…」
「だって?」
相変わらず舌を撫で付ける指はそのまま。先を促すようにこちらの顔を覗き込んだ教官の手が私からお団子を奪って箱に戻すと今度は腰に回ってくる。引き寄せるように動いた腕に腰を引こうとしたけど、びくともしない。
「お金が必要で…」
「お金のために好きでもない男に身を預けられるんだ?生娘のくせに?」
信じられない言葉と同時に増えた口内の指が上顎をなぞる。なんでそんなことを知って…、そう声を上げたいのに今は喋ると確実に教官の指を噛んでしまう。それに腰の手のひらもそわそわする手付きで骨盤を撫でてきて、だから私の口から出るのは指先一つで翻弄されて情けなく乱れた呼吸だけだ。
「ひゃっ…!」
いや、そうでもなかった。しばらく口内を弄んでから指を抜き取った教官が私の肩に手を置き、体重をかけられ重力のまま後ろに倒れ込むと自分でも驚くような高い声が出た。そんな事態にも畳で頭を打たなかったのは後頭部に添えられた彼の手がクッションになっていたからだ。
「心配だなぁ。こんなに簡単に押し倒されてて愛弟子がじょうずに身売り出来るのか…。やめたほうがいいんじゃない?」
口調はひどく柔らかいのに。至近距離でこちらを見下ろす教官が見たことない目をしている。思わずその瞳をじっと見つめていると、彼は視線をそらすように私の首筋に顔を埋めた。『これはなにをしてるんだろう…』と不思議に思いながらも、さっき見たおとこの人の目つきが角膜に焼きついて離れない。
そして、それからすぐに熱い吐息が皮膚にかかった。
「っ、くすぐった……いっ……いっだぁぁあ!!痛い!痛い!痛い!」
そして皮膚に鋭いものが食い込んだ感触に体を引きつらせる。噛み付かれていることに気付いたときには遠慮も配慮もなく犬歯は皮膚に押し付けられていた。
「なにしてっ…!千切れる!首が千切れます!」
いくら悲鳴を上げても、肩や頭を死に物狂いで押しのけても獲物に噛み付いたガルクのように教官は離れず、それどころかバタバタと暴れる足すら問答無用で押さえつけられた。
それからしばらくしてやっと開放された首を鏡で慌てて確認すると痛々しい歯型がついていて、しばらくはストールかガーグァの被り物が手放せそうにない。
「あーぁ、そんなものをつけて身売りなんて出来ないね。愛弟子」
そう言って笑う教官に保証人の恩はあれど言われのない暴力に一言、言おうとしたら
「でも。どうしてもっていうときは俺が借金ごとキミを買ってあげるから、いつでもおいで」
満足そうな笑顔でさらりと、とんでもないことを言われた気がした。