ゼロ距離師弟が拠点を騒がす話❀❀❀
カムラからやってきた師弟は二度見するほど仲がいい。
一度は我が目を疑って、二度目は「はぁ」「ほぉ…」と皆がなんとも言えない感想を述べる。師弟と思えぬほど距離は近く、エルガドの常識では考えられないことを簡単に口にする。
その一つ目がウツシが観測拠点に来てすぐのことだ。
まず狩人の乙女の部屋に招かれていた彼がルームサービスから歓迎の紅茶を振る舞われ、慣れないティーカップに悪戦苦闘しているところにフィオレーネが声をかけた。
「カムラよりの客人に部屋を用意した。観測拠点という性質上、簡素なものにはなるが寝泊まりするぶんには問題ないかと思う。なにか要望があれば私や船員に伝えてもらえば出来得る限り希望に応えよう」
「そんな気を使わなくていいのに」
「そうもいくまい。貴殿らは王国にとって大切な…」
「俺はここでいいよ」
「は? ここは猛き炎の…」
猛き炎のために特別に誂えた部屋は船内ということもあって決して広くはない。備品を少し片付ければもう一つくらいベッドは入るものの、せっかく客室があるのだからウツシの主張ではわざわざ窮屈にするようなものだ。
それに猛き炎は立派な女性、いくら師弟といえども男のウツシ教官と同室では落ち着かないのでは…とフィオレーネが戸惑っていると、
「愛弟子も俺と一緒がいいよね!」
「はい!」
そんなこともないらしい。
くったくなく笑う彼女の笑顔はここでは見たことのない甘えたものだった。と、後にエルガドの主要人物たちを集めて秘密裏に開かれた「あの二人はどうなんだ会議」でフィオレーネは語る。
そうしてガレアスになんと報告するか困りつつも引き下がったフィオレーネをよそに、ふたりは当たり前に同室に帰り、当たり前に揃って起き出してくる。余暇にはマーケットやカムラからの物資で食料を揃え、テーブルを用意した甲板で仲睦まじく食事を摂る。星の見える夜は砦で身を寄せ合い、その冷え込む空に英雄の肩を抱き寄せるウツシの姿をフィオレーネは目撃した。そして普段の様子は言わずもがな。
一事が万事、師弟と言うには近すぎる。ウツシの猛き炎への愛情はダダ漏れを通り越して彼が愛そのものだ。猛き炎もまた、その愛を満更でもない様子で受け入れている。そしてそんな風景にいつしか観測拠点、主に指揮官周りは一つの意識を共有していた。
「あの師弟はそういう関係なのだろう」と。
今日も汽笛の音がすると船着き場に向かって翠の輝跡が走った。風を切る音に顔を上げたアルローの上をくるりと一回転した影は、すぐにタラップの下に着地する。
そして膝をついた男が顔を上げる少し前に船から元気な声が降った。
「ただいま戻りました!教官!」
「おお、おかえり!我が愛弟子!」
「お迎えありがとうございますー!」と嬉しそうに手を振る乙女に男は立ち上がって大きく腕を振り返す。すると乙女は口の横に手を添えてさらに声を張り上げた。
「ウツシ教官ー!あなたの愛弟子が帰りましたよー!」
「ああ、待ちきれないよ!早く俺の愛弟子の顔をよく見せて!」
乙女の倍は大きな男の声に、タラップを無視して船から飛び降りた乙女はこちらも当然のように抱きとめるウツシにそのまま抱きつく。ひしっと抱き合うその姿をマーケットの面々は仕事の手を止めずに横目で覗いた。
「本当におかえり、無事でなによ……ん?」
ところが突然、猛き炎の首筋に鼻を突っ込んだウツシにまずはフルルが面食らう。一体ここで何をするつもりだと様子を窺っているとウツシはすんすんと乙女の体を嗅いで眉を顰める。
「無事でもないね。毒を受けたんじゃないかい?」
「あっ…はい、もう抜けたと思ったんですが」
「完全には抜けてない、解毒剤は?」
「ちょうど切らしてて…」
ウツシの言葉に乙女は首を横に振り、ウツシは大袈裟にため息をついた。
「だめだよ、準備はしっかりして狩りに向かわないと」
「はい。次からは気をつけます」
「今から気をつけて、もしキミを失ったら俺は……」
またしても大袈裟に嘆くウツシと、しゅんと肩を落とした猛き炎は完全に二人の世界に入りきっている。額をくっつけてぐずぐずと睦み合う二人と離れたところでフィーノは眉間を押さえてから遠くを見た。今日も空は青い、遠くの船までよく見える。
すこし離れたところで郵便屋は小さな手で目を塞ぎ、ナギたちは微笑ましく二人を見守った。
「失ったら?」
「意地悪なことを聞く子だね。とにかく今日は安静に、解毒剤は俺が用意するからキミは毒が抜けきるまでじっとしてなさい」
そして猛き炎を抱き上げたウツシは続けて彼女に囁く。
「それにキミはもう一人の体じゃないんだから」
微かに響いたその一言に、マーケットと聞き耳を立てていた船員は一気にそちらを向いた。
ところが振り向いたときにはウツシと猛き炎はその場から消え失せ、あとに残されたのは船着き場の前にマーケットを設けたがだけで毎度そのやり取りを見せつけられ、今回爆弾まで落とされた面々のみ。そしてマーケットのざわつきに遠くではアルローとファロが目を合わせていた。
そこからエルガドは揺れに揺れた。
「そういう関係」で人目をはばからないほどの仲の良さは百歩譲って「あの悪魔を討った英雄だ。贅沢は言うまい、姫様への悪影響がなければそれで…」と目を瞑っていた指揮官も黙ってはいられない。
緊急の「猛き炎が身重とはどういうことだ会議」が開かれた。
「妊婦を狩猟に向かわせるのはどうなのか」
「そんなことは一言も聞いていません」
「でも現にウツシ教官がそう言ったのを聞いた人たちが複数いますよ」
「そもそも今回の猛毒を扱うモンスター相手の狩猟はギルドの確認不足、責任問題になるのではないでしょうか?」
「だとすればそれを知っていて見送ったウツシ教官はどうなるんですか?」
「彼は意外とスパルタだと聞いて…だとしても大問題だ。教官としても」
「まず彼女はここのところ観測拠点か狩り場の往復です。妊婦ならば相手は…」
「一人しかいないでしょう」
「一人しかいないな」
顔を合わせたフィオレーネとガレアスは互いの言葉に頷く。そして当人同士が良いのならば、とはならない問題にエルガドの優秀な指揮官は一時的な処置を下した。
「どうして?なぜクエストを受注できないんですか?」
「申し訳ありません。どうしても受付けてはならないと提督からの指示で」
「でもウナバラさんはさっき…」
「あなた様のクエストは受けつけられないのです」
「そんな…受付られない理由を教えてください」
「わたくしも詳しくは教えていただけなかったのですが、どうしてもだめだと…」
その処置にがく然とする乙女はもちろん自分の教官に泣きついた。
がっしりとした雷狼竜の膝に顔を埋め、おいおいと泣く乙女の小さな頭を撫でながらウツシは「よしよし、一体どういうことだろうね」と首を傾げ、ひとまずアルローになにか知らないかと声をかけることにする。
「そりゃあ、妊婦に狩猟はマズイだろ」
「妊婦?誰がですか?」
「猛き炎だろ、もうバレてるんだ。この際、隠しごとはなしで…」
「愛弟子が妊婦?!?!誰の子ですか?!それが事実だとしてアルロー教官はご存知だったんですか?!長年付き合いのある教官である俺より先に?!」
目を見開いて驚くウツシにアルローは思った。これは様子がおかしいぞ、ていうかいまだに俺と張り合うつもりなのか、めんどくせぇ教官だな…と。
そしてその場ですぐにアルローが猛き炎を呼び出し、ウツシも揃って本人たち召還のうえで事実確認が行われることになる。
真面目なガレアスは二人に季節の挨拶とそれぞれの調子について尋ねかけたがそれに真面目に答える師弟を見て、じれったさに居ても立っても居られずフィオレーネは単刀直入に切り込んだ。
「貴殿たちが恋人同士なのはいい、だが赤ん坊を身ごもっているとなるとギルドに報告は必須と考えているし、それ相応の対応がこちらにも…」
「アカンボウ?」
「コイビトドウシ?」
すると師弟はフィオレーネに向かって首を傾げる。初めて聞く言葉のように片言でオウム返しする様子に周囲はおかしな空気に包まれる。その空気に違和感を覚えながらもフィオレーネは一つ咳払いをして二人を見つめた。
「貴殿とウツシ教官がだ。なんでも貴殿は子供を身籠っていると噂で…」
「教官と……?私が?」
「俺が愛弟子を孕ませたってこと?!」
それぞれ自分を指さしてフィオレーネを見つめ返す師弟にいつも冷静な彼女も戸惑いながら頷く。
「「そんな事実はありません」」
仲良く口を揃えた師弟に会議の面々は半信半疑、とはいえ同じベッドで寝泊まりする事実を知るジェイは『では、まさか爛れた関係?』とつぶやき、驚愕に口元を押さえ、その脇を無言のルーチカが肘で打つ。
「たしかに俺と愛弟子は強い絆で結ばれていますし、彼女は俺の特別な愛弟子ですが…ねぇ?愛弟子」
「はい。教官のことは尊敬しているし恩師だし、もちろん大切な人ですが…ねぇ?教官」
顔を見合わせた師弟は「ねぇ」とまた言い合ってじゃれる。
「ずっと狩猟ばかりしてきたから恋とかよくわからないし」
「奇遇だね、愛弟子もかい?俺もだよ」
「あっ、教官もですか?嬉しい!お揃いです!」
「うん、愛弟子とお揃いだね!」
そうしてまたイチャイチャと手を繋いではしゃぐ二人にフィオレーネが頭を抱えた。するとふと、狩人の乙女が思いついたように言った。
「それに教官はおじさんですし。そういうことはおとなの人同士でするものですよね?」
「あっ、おじさんだけどおじさんって言わないでよ」
「だっておじさんだもん」
「こらぁ!言わないでって言ってるのに、キミはもぉ!」
「こうしてやる!」と猛き炎を捕まえ、頬擦りするウツシに黄色い声で悲鳴を上げて笑う彼女を見てみな唖然とする。それでその事実がなければ何があったらそうなんだと。まずその家族でも親類でもないおじさんと添い寝している今の状況に疑問はないのかとエルガドの指揮官は顔には出さずに考えた。
そんなガレアスの隣で今度はアルローが口を開く。
「じゃあ一体どういう意味だぁ?『キミはもう一人の体じゃない』ってのは」
「一人の体じゃ…?……あぁっ!それは里の英雄でもあり、王国の英雄でもある俺の愛弟子はどちらの守護も兼ねてますし、きっと今後もどこかで誰かが困っていれば声がかかることでしょう。そうして高みに登り続けるこの子は自分の為ならずみんなのためにも尽力し、生き延びなければ。だから愛弟子は里や王国、まだ見ぬ沢山の人々のためにも一人の体ではないと…」
そこまでウツシが語ると眉を歪めたアルローは口もひん曲げて忌々しげに呟いた。。
「っなんだよ、紛らわしいヤツだなぁ。人騒がせもいいところだ」
「え?アルロー教官、なにかお怒りですか…?」
「え?俺、なにか変なことを言いましたか?」
子鼠のように寄り添いきょとんとアルローを見つめる師弟に重騎士は派手なため息をつく。次に「変かな?」「変じゃないです」「だよね?」「うん、私はおかしくないと思います」とこそこそ話し合う師弟にはガレアスがため息をついた。
そこで様子を見守っていたオボロが一歩前に出る。そして幼子に言い聞かせるような口調で二人に声をかけた。
「ねぇ、二人は恋愛ってしたことある?」
「噂には聞いたことがありますけど…さっきも言った通りよくわからなくて」
「それらしきものを見たことはあるけど、俺も愛弟子と同じで」
「「よくわかりません」」
また声を揃えた師弟は純粋無垢な辺境の里の民を思わせる瞳で観測拠点の面々を見つめ返した。
年若い猛き炎はまだわかる、ウツシに関してはなにがどうしてそうなったとこっそり参加していたバハリが瞳を輝かせてアップを始めた。準備体操とばかりにスクワットをする彼に捕まる前にウツシの肩を組んで声を潜めたアルローが言う。
「さすがに初恋の経験くらいはあるだろ?な?」
「初恋…?」
ぴんとも来ていないウツシの声にアルローはすぐに察し、天を仰いで呟いた。
「こいつ、マジか…」
そしてその日の夜、再び秘密裏に集まった面々で「それはそれで不健全だと思われるのだがどうなんだ会議」が開かれた。今回初めて参加したロンディーネは「里でも二人はあの調子で誰も何も言わないので、てっきりそういう文化なのだと思ってたよ!ははは」と高らかに笑い、カゲロウから話を聞いていたらしいタドリも深く頷く。
結局その日の会議は意見らしい意見もなく、まとめようもなく「多少思うところはあるがやること(調査)をやってくれたらそれでいいか」とざっくりとした結論で幕を閉じた。
それから指揮官は元々はカムラの民であるナギのもとを訪れる。
「お二人は狩猟一辺倒でとても真面目なハンターですニャ。もちろん色恋にうつつを抜かすこともなく今日まで切磋琢磨してこられましたニャ」
「お二人の距離が近い?こちらに来られてからは他所様の土地ということもあって里よりも控えめで以前は一緒にお風…あっ!隠密隊が戻りましたニャ!この話はまた今度!みんな、おかえりニャー!」
と、ナギはさらにエルガドの面々を困惑させそうな情報をこぼし、元々寡黙なガレアスの口をさらに噤んだ。
その後も、
「だいたいカムラの情操教育はどうなっているんだ会議」
「里も公認とはいえ結局のところお互いどう思っているんだ会議」
「そろそろくっついてもよくないか会議」
「一体なにをすればくっつくんだ会議」
「パサパト殿からもなにか言ってやってください会議」
と、ことあるごとにエルガドを揺るがすことになる師弟は、
「愛弟子、今日も教官の愛情たっぷりご飯だよ!」
「やったー!私、教官のご飯大好き!お婆ちゃんになっても食べたいです!」
「うんうん、俺もキミの食べっぷりが大好き!いつまでも俺の愛弟子でいてね!」
「はい!教官もいつまでも私の教官でいてくださいね!」
そんなことは微塵も知らず、今夜も仲良く甲板で星を見ながら二人きりのディナーを楽しんでいる。
が、数カ月後のカガミの帰還により、揃ってそれ相応の男女の距離感を伝授され異性を意識した結果、お互いの目すら見られなくなるという事態に陥ることも知る由はない。