「護衛依頼ですね?」
冒険者協会の窓口まで行き、初めてキャサリンさんに話しかけた。鍾離先生は眠たそうなのでお留守番だ。帝君ぬいみたいな姿で眠そうだととてもかわいくて、心行くまではぐしたいと思うのだけど、正体は鍾離先生なのでままならない。
あんなに眠そうなのは疲れているとか、何かの病気かもしれないと思うとすごく心配になる。
冒険者への依頼は初めてなので、ちょっと緊張している私にキャサリンさんは優しくてゲームで見るように快活だった。星と深淵を目指せ!を聞けてしまってちょっと感動もした。困っている人の受付に慣れているんだろうなあと尊敬してしまう。
「望舒旅館までということですが、今、登録している冒険者がみんな任務中なんです。三日ほどお時間をいただくかと思います」
「えっ三日……」
確かに璃月の街中で冒険者という肩書の人をあまり見たことがないかもしれない。冒険者よりも商人や、確か用心棒もいたから、頼る先を間違えただろうか。
「お急ぎのご依頼でしたか?」
私が困っているのを見て、キャサリンさんが声をかけてくる。
「はい。そうなんです」
「そうでしたか……。ご依頼は旅慣れしていないから案内も兼ねて護衛が欲しい、とのことですが、もし良ければ冒険者協会に必要物資を届けてくれる行商人の方々に連絡を取ってみましょうか。用心棒が所属しているところに声をかけてみますよ」
「良いんですか?ありがとうございます」
「仲介料はいただくことにはなってしまいますが……」
「もちろん大丈夫です!」
しっかりと頷いた。総額でどれくらい掛かるか分からないが、この状況じゃ惜しくない。
近くに行商人の店があり、すぐに連絡が取れるというので待たせてもらった。
ほどなくして、一度奥に姿を消したキャサリンさんが戻ってくる。
「大丈夫とのことです。馬車が開いてるそうなので、代金を少し上乗せすれば乗せてくれるということでしたよ!」
「良かった……。歩けるか心配だったので」
金額を教えてもらって、それくらいなら貯金から十分賄えるとほっとする。
「出発は2時間後だそうです。璃月の出口付近で待っているとのことでした。あまり遅いようなら出発してしまうとのことなので、お急ぎください」
「分かりました!ありがとうございます!キャサリンさん」
「いえ。お役に立てて嬉しいです!良い旅を」
にこり、と笑ってくれたキャサリンさんに手を振って、私は急いで自宅へと帰る。
泊まりになるかもしれないけどあまりたくさん荷物は持っていけない。必要最低限なものだけもって、足りないものはモラで殴ればなんとかなるはずだ。
私が家に帰ると、鍾離先生が私を探していたのかすぐに足元までとことこと歩いてきた。うっかわいい。小さいから足が短くて可愛い。私を見上げるその体をもったりと抱き上げて視線を合わせる。
「先生、なんと行商人の馬車に乗せて貰って望舒旅館に連れてってもらえることになりました」
ぱちくりと目を見張ってから、鍾離先生はふるふると首を横に振る。
「え?その反応はどういう……。まさか行きたくないんですか?」
すると先生は頷く。いやでも昨日先生が望舒旅館に連れてってくれって言った気がしたんだけど、あれは本当に夢の類だったのだろうか?
「望舒旅館に行きたかったんですよね?」
こくりと小さな龍は頷く。
「じゃあ行きたいんですよね?」
首を横に振られる。いや全然分からない。
「どうしよう。約束の時間まであまりないし……」
言いながら先生を机の上におろして、ばたばたと私は支度を始める。前世ではスマホと財布さえあればなんとかなると思っていたけど、やっぱり武術とか習っておけばよかったなあ。当然魔術の才能もない。護衛用によく宝盗団が使ってる妙な試験管とか調合してもらえば良かったかなあと思いながら(投擲の腕もあるわけじゃないけど)、なんとかリュックに最低限のものを詰めると、一番大切なモラを分散させて持ち(先生を入れるバッグとリュックとポケットだ)、私は先生に向き直り、体を抱き上げようとしたらじたばたと動かれ嫌がられた。
やんわりじたばたされたので爪で引っかかれるようなことはなかったけど、可愛い姿をしたものに嫌がられてちょっとショックを受ける。
「せ、先生~~!時間がないんです。私ごときが先生のお世話が出来るとも思えませんし~~!」
なんとか抱き上げようと必死になる私と、手を出せば猫パンチのごとく手を叩き落しに来る先生の姿ははたからみたらだいぶシュールかもしれない。
「何か突然行きたくなくなった理由があるのかもしれませんが、やっぱり先生が心配だし、早めに望舒旅館に行った方が良いと思うんです……」
私がすぐに会えそうで頼りになりそうな仙人は魈さんしかいない。ピンばあやのことがちょっと頭をよぎったけど、玉京台へ行けと言わなかったので、先生は魈さんが良いのだろう。確かにピンばあやとはずいぶん会ってない様子だったし。
ずっと家に籠ったところで何とかなるような気がしない。それにこの状況はやっぱり異常だ。
先生はつぶらな瞳でじっと私をみると、仕方なさそうに私の元までやってくる。良かったと私は先生を抱き上げた。鞄の底は、揺れても大丈夫なように昨日より厚くした布のクッションを作ってある。そっと乗せると、上から蓋を被せる形の鞄を全部閉めずに、空気が通るよう、でも中は見えないようにして抱き上げる。
「急げば間に合いそう」
鍵をかけて家から出かけた。
初めて璃月から外に出る。結構、行き来する一般人は多いけど、私はどうにも怖くて街の外に出られなかったのだ。ゲームでも魔物に近づかなければ襲われないと知っているけど、私が無力なことも知っていた。
合流した行商人の人たちに丁寧にあいさつをして前金を支払い、私は馬車に乗せてもらう。
行商人が三人と、用心棒の人が二人。一人は御者も兼ねているそうで、二人は外側に乗るらしい。
初めての外に緊張するかと思えば、バッグの中の先生が気にかかってそれどころじゃなく、いつの間にか璃月の街の外へと出ていた。
私が緊張しているのに、同乗しているこの行商人の人が気を使っていろいろと話しかけてくれた。景色を眺めると良いよ、と言われて顔を上げる。
窓の外を見て目を見張った。ゲームとしては覚えのある、そして私の知らない璃月が広がっていた。心地よさに緊張もゆっくりとほぐれてきて大きく深呼吸をした。
鞄の蓋が少し持ち上げられたのにちょっとだけ開けてみる。先生と目が合った。首をかしげる先生に、大丈夫か?と問いかけられているのだろうかと思って大丈夫とちょっと微笑むと、先生は頷いておとなしく丸まった。
のどかな光景が続いている。ゲームであれほどあちこち歩き回った璃月の記憶。
がたがたと揺れるし快適とは言えないけれど、歩きよりもずっと早く到着するからありがたい。
二時間ほど揺られたところで、ふいに馬がいなないて馬車が大きく揺れた。急停止して椅子から転げ落ちる。
「な、なに?」
行商人の人と顔を見合わせると、馬車の外側に乗っていた用心棒の人が飛び降りたのが見える。
「魔物だ!外に出ないでください!」
びくりと体が強張って鞄を抱きしめた。魔物?
窓の外を覗くと、見慣れたヒルチャールが見える限りで三体、近寄ってきているのが見えた。用心棒の人は神の目は持っていないけど、二人掛かりで上手に撃退している。
けど。
「な、なんだ……ほかにもこちらに向かってきてないか?」
不安げな行商人の人に、ヒルチャールが他にもこちらに走ってくるのが見える。
「う、うそ……」
ゲーム中でもそんな数に囲まれたことがないと思うような数に目を見開く。用心棒の人は無理やりヒルチャールを弾き飛ばすと、馬車に飛び乗った。
急発進して悲鳴を上げる。がたがたとさっきよりずっと速い速度で走り出した馬車に、弾き飛ばされたヒルチャールが飛び掛かってくる。
悲鳴をあげそうになった次の瞬間、ばちん!と音がして馬車に手が届く前にヒルチャールが吹っ飛んだ。
「え?」
目を見張った私に、馬車の外に金色の透明な壁が張られているのが見える。見覚えのある──!
「玉璋シールド?!」
慌てて鞄を見下ろすと、先生が前足を鞄の淵にかけて頭をのぞかせていた。たてがみや目の金色の部分をほのかに光らせていて息をのむ。
「せ、」
と、窓の外を鋭い影が横切った気がして顔を上げる。
ヒルチャールの悲鳴が聞こえた。
「おい!お嬢ちゃん!!危ないぞ!」
行商人の人の声も気にせず、馬車から顔を覗かせて過ぎ去っていく景色を見る。
そこにいたのは、緑色の鋭い槍を鮮やかに振り回す魈さんの姿があった。はっとして私は馬車のドアを開ける。
「お嬢ちゃん!」
「気にしないで行ってください!あの助けてくれた人知り合いなんです!」
普段なら走ってる馬車から飛び降りるなんて大胆なこと絶対しないのに、気が大きくなっていたのか、私は飛び降りてなんとか転ばずに済んだ。走り去っていく馬車と反対方向に走る。みるみるヒルチャールは減っていく。強い。知らず歩調を緩めて、その姿を見つめてしまう。
小柄に見える体で、長柄を振り回す。閃く切っ先が大きな円を描き、ヒルチャールに叩き込まれる。軽やかな跳躍から、槍をたたきつけるように落下してくる姿は迫力があった。
ぼんやりと立ち尽くす私に、ぐるりと魈さんがこちらを向く。金色の瞳が私を見据えた。その眼光が静かな殺気を宿しているのに息が止まった。距離があるのに体が震える。
次の瞬間、その腕から槍が一投されて後ずさる。ぐんぐん私に槍が迫り──
すぐ横を通り過ぎていった。
「ぎゃあっ!」
ヒルチャールの悲鳴がすぐ背後で聞こえて振り向いた私の目の前で、今まさにヒルチャールが消えていくところだった。
背後から襲われかけていたらしい。ぞっとして、私はそのまま座り込んでしまう。
あ、あぶなかったんだ……私……。
「怪我はないか」
いつの間にか近くにいた魈さんを見上げる。仮面を被っている向こうと目が合った感覚がある。
「あ……、」
ありがとうございますと会えてよかったと大変なんですが同時に口から出そうになって大混乱する。それを怯えているのだと思ったらしい魈さんは口を開く。
「お前に危害を加えるつもりはない。どこか怪我をしたか?」
「い、いえ、あの、私……!」
ぎゅっと鞄を抱きしめてからはっとする。そうだ、先生!
慌てて中を覗くと、先生はちゃんと中に入っていた。だけど……。
「せ、先生?」
ぐったりとしている気がして、慌てて手を差し入れて抱き上げる。
「先生……!」
「なっ」
私が鞄の中から取り出した小さな龍の姿に、魈さんが仮面を外した。目を見開いてるのが横目で見えたけどそれどころじゃない。
体が冷たい。出会ったときみたいだ。腕の中でぐったりとして目を開かない体を抱きしめる。
「ど、どうしよう……。弱っちゃってる……」
さっきシールドを張ったからだろうか。夢枕でも長くは話せないようなことを言ってたし、力を使い果たしちゃったのかもしれない。驚愕の表情を浮かべている魈さんを私は必死で見上げた。
「私、鍾離先生を助けたくて魈さんを探してたんです。先生、どうしたら……」
「……見せてくれ」
先生が丁寧に魈さんに抱き上げられるのを見上げる。体の冷たさを感じてか、魈さんも顔を厳しくした。
「……ここでは何もできないな。望舒旅館へ行こう」
言った次の瞬間、魈さんが私の腰に手を回して体を肩に担ぎあげたのに悲鳴をあげそうになった。でもよく考えると、魈さんが右腕で丁寧に先生を抱き上げているなら私の扱いはこれで合ってる。
「おとなしくしていろ。すぐに着く」
その言葉の通りに、気が付けば望舒旅館の高台まで移動していた。早すぎる……。
目を瞬いている私を魈さんは下ろしてくれた。思ったより優しい扱いに気遣いをありがたく思う。力が入らないなんて言ってられない。なんとか力を入れて立ち上がると、魈さんは望舒旅館の中に入っていった。
「ここは……」
到着したのは角のドアの前だ。宿泊部屋の一つに見える。
「必要ないというのに我に用意されてる部屋だ」
端的な説明だけで中に入ってしまう魈さんの後に続いた。
広い部屋は調度品が一通り整っていた。暖炉はないが、部屋を暖めるようの火鉢が目に入る。
広いベッドの上にそっと先生が下ろされた。先生はぴくりともうごかない。
「あ、私だっこしてます。見つけた時もそうやって温めたら動けるようになったので……」
そういうと魈さんはとても何かもの言いたげだったが、頷いた。部屋の火鉢に火がいれられて、私は先生を抱きかかえたままその近くに座る。
すぐに目を開けますように……!祈る私に、魈さんは落ち着かなげに向かいに立ち尽くしている。
「あの、すぐに元気になる方法とか……」
魈さんは首を横に振る。
「今この場で出来るものに思い当たるものがない。その方が鍾離様ということは分かった。まずどういう経緯か教えてくれ」
言われて頷いた。魈さんは私の向かいに座る。視線が合うと少し威圧感が少ない。緊迫した魈さんの雰囲気にプレッシャーを感じていたのでちょっとほっとした。
私は昨日の出来事を話し出す。と言っても説明できることなんてほとんどない。
弱っている小さな龍を見つけて、どうやら鍾離先生らしいと分かったこと。夢枕で望舒旅館に言って欲しいと言われたことだけだ。
どうして知ってるか聞かれたら答えられないことは隠しながら話すと、魈さんは腕を組んで深刻な表情で考え込んでいた。
「あの……」
「鍾離様がこのような状況に陥られたことはない。少なくとも我の知る限りでは。見たところ、力の気配はいつも通りの鍾離様のように思える。ただ、滞りが見られる。うまく制御できないとでもいうのか……」
「何か原因があるんですよね……?治りますか?」
「分からない」
苦しげな表情でそう返事をすると、魈さんは鍾離先生を見つめた。
「昨夜、鍾離様は我の夢枕に立ち、数日中に望舒旅館を訪れる女の手助けをしてくれとおっしゃられた。おそらくお前のことだろう。だがこんな状況だとは……」
「そうだったんですね……」
言われてみれば魈さんが何の警戒心もなく私の言うことを聞いてくれたのは奇妙だ。先生が先手を打っておいてくれたのは流石としか言いようがない。
正直魈さんの言うことは意味は分かるけど、理解はできないという感じだった。この世界にある様々な力について、私には分からないものでしかない。多分力も仙力とか魔力とかそういう名称があるんだろうけど、魈さんは私にわかりそうな情報だけを教えてくれてる印象だった。
「鍾離様の御意志がどのようなものかをお聞きできないが、他の仙人に頼るのは最後にしよう。我よりもっと仙術に詳しい仙人はいるが、我の名をあげられたということは、他の仙人に知られたくないという御意思かもしれない」
「ああ、そうなんですね……」
とか頷いちゃったけど、それは何も知らないはずの私が納得するには微妙な提案だった。まあ夢枕で先生に聞いている体にしているので魈さんは気にしていなさそうだった。後で先生に何か聞かれたら……後のことは後で考えよう。
「しばらくお前の護衛は我に任せるといい」
「……え?」
首をかしげると、魈さんも首を傾げた。
「あの、鍾離先生を魈さんに預けるということで私は望舒旅館に来たのでは……?」
「我はお前を手伝えとの命を受けた。鍾離様のお世話をするのはお前だろう?」
んん?
「お前には迷惑をかけるが、これも鍾離様と璃月のため。よろしく頼む」
「……………お、おまかせください」
モブの私ごときが魈さんのようなすごい仙人と押し問答をするわけにも行かなくて、というか確かに手伝えと言ったのなら主体は私だよね……。先生、幼児のような扱いでも別に良かったんですか……。
私は結局それ以上の抵抗をせずに頷いた。考えてみたら魈さんもこんな風に抱きかかえるような性格じゃないだろうし。
「でも護衛って……」
「力が使えないということは、力が身に溜まるということでもある。それほどの影響はないが、外に出れば魔物を引きつけやすいだろう。心配するな。我が守る」
私が画面の前で今の台詞を聞いていたら間違いなく悶絶していた。真剣なまなざしで魈さんにそんなこと言われたら、ときめくなんてものじゃない。さっきの戦ってる姿もすごくかっこよかった。今はそんな状況じゃないからそう思うけど、でも今の言葉はすごく頼もしかった。
「よろしくお願いします」
胸に手を当てられないので、深々と頭を下げる。すると腕の中でもぞりと先生が動いたのに、顔を向けた。
ぱちり、と目を開いた先生と目が合う。
「あっ、気づいた……!良かった…………」
体もあたたかくなっている。先生はぐるりと周囲を見回して、魈さんと目を合わせた。重々しく頷くのに、魈さんも頷く。なんだか目配せだけで意志の疎通があったようで、お互いの信頼を感じてちょっと感動した。
「鍾離様、言笑に何かあたたかいものを作らせます。少し待っていてくれ」
「はい」
頷いた私を見て魈さんは部屋を出ていった。ドアがぱたんと閉じて、私は息をつく。そこで自分が緊張していたらしいこと自覚した。
初めての旅、大変だったなあ。あ、あの行商人の人たち望舒旅館で休むって言ってたから後で会うかも。お礼と謝罪をしないと。前金しか払ってないけど、一度お願いしたのだし、どうやら先生の気配でヒルチャールが寄ってきたらしいので、残りの金額も支払いたい。
「先生、早く戻れると良いですね」
爪の感触を感じながら、手をにぎにぎすると先生は私を見上げる。まだ動きが鈍い先生のしっぽがぱたりと揺れた。
とりあえず、望舒旅館任務は達成したけど、私の魔神任務はまだもう少し続くようだった。