「…………」
「…………」
私がレンゲですくった杏仁豆腐をぱくつく先生の姿が可愛い。なんで小さい生き物ってこんなにかわいいんだろう……。相手が先生じゃなかったらかわいいかわいいと騒ぎながら食べさせていたに違いない。というか先生、自分で食べられると言っていた気がしたんだけど、もしかして気に入ったのだろうか。鼻先を突っ込むよりは汚れないし、可愛いから役得なんだけど今回は……視線を……感じる。
ちらりと振り返ると、魈さんが立ってじっとこちらを見つめている。
うう、プレッシャーだ……。
本当は先生が満足してから私も食事をとりたいけど、先生が食べろと器にこつんと頭突きしてくるので、自分も食べながらの……これは餌付けに思えてきた。いや不敬。
魈さんは世話役はお前だと、この手の手伝いに関しては何も手を出そうとしない。まあ私より恐れ多いだろうし、構わないけど、視線の圧がつよい。
食事が終わって私が食器を片付けにいこうとすると、魈さんがさらっと取り上げて持って行ってしまった。望舒旅館の人になんて説明してるんだろう。説明してなさそうだなあ。そして望舒旅館の人もちゃんと仕事はするけど必要以上に気にしなさそうだ。ゲーム中で魈さんにとってちょうどいい距離感を保っているように感じた。
それにしても、力の気配を感じるということは、この小さな先生にちゃんと仙力とかそういうものがあるのだろうか?でもそれをうまく使いこなせないということなのだろうか?
何が原因でそうなったのかが分からないことには、どうしようもない。
先生、夢を介さないとしゃべらないし。
食事が終わると、先生はうとうとしだしたので、体を抱き上げてベッドへと連れて行った。そっとおろして毛布を軽くかける。
同時に魈さんが部屋に戻ってきて、鍾離先生と私を順番に見た。
「あの、これからどうしたらいいんでしょう?」
「お前の目から見て、鍾離様は回復しているか?」
「どうですかね……。ずっと安静にしていたわけじゃないので分からなくて」
「我は今夜の鍾離様の夢告げを待とうと考えている。急を要すなら鍾離様なら対策を取っておられるはずだ。時間的余裕はあるだろう。少し休んでいただこうと思っている。体調が優れないご様子なのも心配だ」
「そうですね……」
つい、たてがみをふさりと撫でると先生は心地よさそうな顔をする。うっ……無防備でかわいい……。
魈さんに怒られないかとどきどきしていたけど何も言われない。良かった。
ふいに出そうになったあくびをかみ殺す。気が抜けた途端にどっと疲れが押し寄せてくる。
「少し休むといい。人間が鍾離様をここまで連れてくるのは大変だっただろう」
「でも……」
ここで寝てしまうのも気が引けた。
でも眠いことを気づかれているらしく、魈さんがじっと私を見つめる。
「人間は弱い。きちんと休息を取れ。我はお前に体調を崩されても碌に看病をしてやれない。我に……向いてはいないからな」
そんなことを言うのだから、優しいなあと私は思うんだけど、魈さんを困らせたくもないし、頷いた。
「分かりました。じゃあ、失礼して……」
床に座ると魈さんがぎょっとした顔をする。
「な、」
「あ、大丈夫です。床で寝落ちたこともあったので」
「体を痛めるぞ」
「でも先生の隣にお邪魔するわけには……」
「それもそうだが……」
ですよね。
「毛布をもらって……」
言いかけて魈さんが視線を移動させる。それを追いかけると先生が毛布の下から抜け出してきたところだった。あからさまな溜息を吐きながら私の元に来る。覚えのある行動に慌てて手を差し出すと、先生が身を乗り出してきた。袖をくわえてひっぱられる。
「え、えーーっと……」
怒られるかもと魈さんをちらりと見ると、心なしか眼圧が強い。
「鍾離様のお心遣いを受け取らないつもりじゃないだろうな?」
あっ、そういう方向。
とんでもないと、先生にひっぱられるままベッドに乗った。シャワーとか着替えとか色々浮かんだけど、この流れでそれはちょっと面倒だった。昨日とおんなじ展開だ。何より疲れている。明日筋肉痛かもしれない。無茶をしたし。
魈さんに見られていることが気になったけど、先生の隣でも爆睡してしまったしもういまさらな気がしていた。それにモブの女の行動をそれほど構いやしないだろう。
やわらかいベッドと、自分の家よりも肌触りの良いシーツに横になるとあっという間に眠くなる。
なんだか魈さんの溜息が聞こえたような気がしたけど、すぐに私は眠ってしまった。
顔に誰かの影がかかったような気がした。
ぼんやりと目を開ける。頭が重い。まどろみから抜け出せない。
「驚くかもしれないが、安心して眠っているといい」
低い男の人のそんな声が聞こえて、私は返事も出来ずにうとうととする。
ふいに、
ドン──ッ!!!!
と地面が揺れたのに飛び起きた。
「な、なに!?」
部屋を見回すと誰もいない。慌ててベッドの隣を見ても先生はいなかった。
『安心して眠っているといい』
さっき聞いたような声を思い返す。
「……先生の仕業かな」
なんだかそんな確信があった。
だとすれば安心だ。驚いた人たちが起きだして旅館内が騒がしくなる気配が遠くでしたけれど、私はまた毛布にくるまって眠ってしまった。
「しかしこの人間、いささか無防備すぎないでしょうか。鍾離様」
「それは俺も思うところだが、すぐの矯正は難しいだろう。おそらく性分だ」
なんだか人の話し声が聞こえて目を開ける。
地震があった気がしたけど夢だったんだろうか。日本人、夜中の地震に対応できないから呆れないで欲しい。
「起きろ。鍾離様の前だぞ」
そんな声をかけられる。
……鍾離様の、前?
「っ!?」
ばっと身を起こすと顔の良い男の人が二人私を見ていた。その一人は、しょ、しょうりせんせい!!??
「わあ!?」
慌ててベッドから降りて壁際まで後ずさる。一緒に引きずってきた毛布を抱えた。
「…………」
「…………ふ」
私の反応を見て笑う先生を目を丸くして眺める。魈さんはあきれた顔をしていた。
「すまない。笑うつもりではなかったが、まさかそんなに驚くとはな」
「鍾離様に失礼な振る舞いをするな、女」
魈さんに女、とかいわれるとちょっとどきどきする。認識された感覚というか。
というか先生?本物の先生だ……。
「え、っと、えーっと、鍾離先生……」
「ああ」
「無事に戻られたんですね……?」
「ああ。貴殿のおかげで無事、対処することが出来た。こちらに来てくれないか」
寝起きで恥ずかしいし人の鍾離先生をまじまじと見ることなんて初めてだし、正直めちゃくちゃ近寄りたくなかったけど仕方なしにおずおずと近寄る。挙動不審だから顔を見るのにも気が引けて上目遣いになってしまう。
というか来てくれないかと言って自分から来ないところにちょっとした神様ムーブを見てしまった。
「じゃあ私はこれで任務完了ですね……?」
「貴殿に任務を与えたことはないが、貴殿の助けに感謝したい。名も聞けていなかったな。貴殿の名を教えてくれないか?」
「あ、名乗るほどの者じゃないので」
手を横に振ると、鍾離先生は沈黙した。
「鍾離様が尋ねられてるんだぞ」
「いや、認識してもらうのも申し訳ないというか……」
すると魈さんはそれは分からなくもないというように腕を組んで考え込む仕草をする。先生に関しては割と魈さんと意見が合うかもしれない。
「恩人の名を知らない方が無礼に当たるだろう」
鍾離先生にそんなことを言われて困ってしまった。
こうして使命を果たした以上、どちらかといえば私は鍾離先生たちに関わりたくないというか……、正直認識されたくなかった。
前にも考えた通り、私はキャラが擦れ違うだけの名前があるモブだ。そりゃあ、原神のキャラと推しキャラの先生や魈さんと会話できるのは失神しそうなくらい興奮するし嬉しいけど、その考えが私を冷静に保っていた。
「感謝したいというのなら……お願いがあるのですが……」
となると、先生の感謝の気持ちを利用することになって大変申し訳ないが、思いついたことがあった。
「何でも言ってみてくれ。俺に出来ることは少ないが、出来るだけ叶えよう」
「じゃあ……、今回のこと、私のことは忘れていただけませんか?」
「何?」
目を見張る先生の表情を、驚いた顔って珍しそうと思いながら続ける。
「今回のことは私にとって本当にイレギュラーというか、もともと一介の璃月の民でしかありませんし……。当然のことをしただけなので、感謝もお礼も特には……」
「いらないのか?」
心なしかしゅん、とした顔をした鍾離先生に、私はう、と詰まる。
「いらないというか……いえお気持ちは大変嬉しいのですが……」
「貴殿が俺に心を砕いてくれたことも忘れろと?」
うっっっっっ。
気のせいか少しだけ先生の眉が下がっている。あの小さな龍の姿と重なって私はものすごく動揺した。いや鍾離先生にそんな可愛さはないけど、なんだか重なる影を見ている。
「そうして……いただけると……私の人生に幸いです…………」
自分がものすごく悪人になった気持ちだったが、先生に認識される方が問題だった。先生は演技も上手いし、璃月で私と擦れ違っても知らないふりをしてくれるだろう。
こんなに頑張ってかけずり回ったので、それはちょっと寂しい気もしたけど、でも先生と一緒に食事をする自分の方が想像できなかった。
「貴殿がそれを望むなら叶えよう」
しばらくの沈黙の後の鍾離先生の返事に、少し後ろに立っていた魈さんが何か言いたげな顔をしたけど、黙ったままだった。
「名も聞けないのは残念だが……、貴殿にも事情があるのだろう」
手を上げる先生に、なんとなく反応して無意識に私も手を上げると、手を握られる。私より大きい男の人の手で、ぬいみたいな先生の手をにぎにぎしたことを思い出した。戻っちゃったんだなあ。
「無事に戻って良かったです」
ようやく微笑んだ私に、鍾離先生は頷いた。石珀色の瞳が私を見ている。何もかも見透かされそうだと思いながら、もう関わることはないだろうからと、思い切ってその色をよく見返す。
「魈、彼女を璃月に連れて行ってくれないか」
「承知しました」
私の手から先生の手が離れていく。
「先生、どうぞお元気で」
「ああ。貴殿も」
今生の別れの一種なんだろうなあと思う。私を見送る先生に頭を下げて部屋を出る。高台へ上る魈さんの後に続く。
「良いのか」
「え?」
「望めば大概の願いが叶ったかもしれなかったんだぞ」
「そんな、良いんですよ。私は先生や、魈さんが元気ならそれで」
「……そうか」
魈さんはそう言ってそれ以上何も言わなかった。ちょっと寂しくなってしまう。もうあの戦ってる恰好良い姿をみることもないんだろうなあ。
肩に担がれるのかと思いきや、思いがけず横抱きにされてむしろ悲鳴をあげそうになった。そ、そんな贅沢な扱いされて良いんですか?
ひと目につかない璃月港の一角におろしてくれた魈さんに、私は向き直る。
「魈さんも、いつもありがとうございます」
「何のことだ」
「魈さんが璃月にいると思うと、私も背を伸ばさないといけないなと思うから」
目を見張る魈さんに、私は胸に手を当てた。
「お世話になりました。お元気で」
何か返事を聞いたら名残惜しくなりそうで、私はすぐに身を翻す。
たった一日しかいなかったのに、璃月港がいつもと違って見えた。
とりあえずシャワーを浴びてのんびりして……、仕事にとりかからないとなあ、なんて思う。
でも今日は一日ぼんやりしよう。非日常から平凡な日常に戻るのに時間が欲しい。
そういえば、先生がどうしてちいさな帝君になっていたのか聞きそびれたな、と思いつつ、むしろ聞かなくて正解だったのだろう。
空っぽになっている鞄の中から敷布を取り出す。先生の痕跡はほとんど残っていなかった。レンゲくらいだ。
どきどきしたなあ、とちょっとだけの旅を思い返す。
蛍ちゃんやパイモンもああいう旅を続けているのだろう。彼らの旅の行く先を、私は知らないのだけど、でもそれは危険とともにきらきらしているなあ、なんて思った。
一生の思い出だ。
「お茶でも淹れようかな」
今日からまた日常が始まる。
「ううう、やっぱり筋肉痛……」
翌朝、身支度をして職場に行こうと家を出たら、
道端に岩王帝君が落ちていた。
「……え?」
周囲を見回してみる。璃月の中心から少し外れた通りにある家の周辺はいつも人気がない。もう一度目の前の通りを見ると、ぽとりと茶色いものがやっぱり落ちている。
両手で抱えられるくらいの大きなトカゲのように見えるが、茶色の体に金色の背びれや角、たてがみにしっぽはどうみても、
「しょ、しょうりせんせい……?」
思わず出した声に反応したのか、ゆっくりと先生が頭を上げてこちらを振り返る。金色のつぶらな瞳と目が合った。
かわいい。いやそうじゃない。
「なんでここに!?」
声が周囲に響いて慌てた。向こうからやってくる人が不審そうにこちらに視線を向けた様子を察して慌てて先生の体をもったりと抱き上げる。あ、体温がある。あったかい。ということは弱ってない。
混乱しながら家の中に抱いたまま入り、ドアを閉めると先生を抱き上げて目を合わせる。
「……先生」
「…………」
先生は首をかしげる。うっかわいい。かわいさに何もかも黙らされそうだった。
「ど、どうしてここに……」
『貴殿の中で前回のことはなかったことになってないようだがいいのか?』
「うっ」
それはその通りなんだけど、この状況で初対面を装うのって辛くない……?というか先生、直接脳内に……。流石にテンプレート台詞をそのまま叫ぶ根性が私にはなかった。
『貴殿のあの願いは破棄ということで構わないな。』
「はい…………」
昨日の私の決意はなんだったんだろう?
というかなんでこんな状況に。
『それからいつまでも猫のように抱き上げられていると少々居心地が悪い。どこかに降ろしてもらえないだろうか』
「…………」
小さな帝君は喋れると可愛さが割と減るのが分かった。
『残念そうな顔をしているな。貴殿は俺を抱き上げたままが良いのか?それなら……』
「いえ……恐れ多いので降ろさせていただきます……」
テーブルの上に布を敷いてそっと上に乗せる。愛らしい小龍の顔が私を向く。
『そう固くならずともいい』
「そういうわけには……」
『出来ればいつもの貴殿で居てくれないか』
先生の声が少し困っているように感じて、先生を困らせる訳にはいかないかと私はなるべく緩もうとする。難しくない?
『魈の世話になっても良かったんだが、彼は俺に恐縮しすぎる。貴殿となら上手く過ごせるだろうと思ったんだ』
「私も恐れ多いんですけど、魈さんは……そうかもしれませんね」
『貴殿は猫かわいがりしてくれたからな』
「す、すみません」
あまりのかわいさについ。
『いや、心地よかった。俺にあのような態度をとる者はいないから新鮮でもあった」
そうだろうな、としみじみ思う。どちらが正しい対応かというとちょっと私がどうかしていた。かわいさのせいで。
私は先生の前に椅子をもってきて座る。
「でも、どうしたんですか?問題は解決したんじゃ?」
『解決はしていない。……貴殿が何をどこまで知っているのかは分からないが……』
どきりとしたけど、先生はそのことを追及するつもりではなさそうだった。
『俺は最近大きな魔力器官を手放した。そのせいで体内の元素のコントロールが上手く行っていない。手放す際に予想していたので対処はしていたのだが、諸事情で出かけたら、あの姿で動けなくなってしまったんだ。体が小さいとよく冷えることを考慮に入れていなかった』
「…………」
人じゃないものってそういうところ下手なんだなあ。
『体が弱る間にも体内の元素のコントロールも行わなくてはならず、立て直せずにいた。結局、人のいない孤雲閣を過ぎた地域で過剰に溜まった岩元素を放出して鍾離の体に戻った』
それがあの地震かあ。その体でエネルギーがすごい。
「なんでそんな可愛い姿なんですか?」
『元素の体は扱いやすいが、巨体では目立つ。だからこの姿だ。貴殿の言う可愛さは意図していない』
「なんでまた私の家の前に……」
『貴殿に拾って貰いたかったからな。お互い訳ありの身だ。だろう?』
「そ、うですね……」
といっても私はゲームの記憶があるだけなのだけど。
『改めて貴殿に頼みたい。安定するまで、貴殿の家に泊めては貰えないだろうか』
「良いですよ」
あっさり頷くと、先生はぱちぱちと目を瞬く。
『良いのか?』
「はい。鍾離先生が困っているのなら、助けない理由はありませんから。私に出来ることなんて少ないですが……」
『いや、そんなことはない。感謝する。今回はきちんと契約を結ぼうと考えている。代わりに貴殿が望むことは何だ?』
問われても困る。モラなんて言えないし、ほかに欲しいものもない。私は璃月に生きているだけで満足しているし、むしろ可愛いちっちゃな帝君の面倒を見られるのは癒しだ。大変失礼な話だが、喋らなければだけど。
「私の望むことは……。じゃあ、私の"訳"は聞かないで欲しいです」
『それだけでいいのか?』
意外そうに言われた。
「それだけって……、先生は気になるんじゃないですか?」
『ああ。だが俺が聞かなければ良いだけなのだろう。貴殿が話したくなるかもしれない』
「それは……」
ないんじゃないかなと思うけど。
『他には?』
「え、他に?」
『対価の釣り合いが取れていない。他に望みは?』
「…………ええと……」
さんざん思いつくのに苦労してから、私は口にした。
「鍾離先生の作った腌篤鮮が食べたいです」
『それは構わないが……貴殿はもっと強欲になった方が良い。仙人でさえもうちょっと主張が強いぞ』
構わないんだ……!?あの選ばれたものしか食べられない腌篤鮮!
たしなめるような調子でそんなことを言われてしまったけど、だいぶ主張が強いと思うけどなあ。モブなのに先生の腌篤鮮……。この身に余る栄誉……。めちゃくちゃ楽しみ……。し、しねない……食べるまで……。と両手を握った私を先生はじっと見つめている。
『では契約成立だ。しばらくよろしく頼む』
「はい、よろしくお願いします。鍾離先生」
出された前足をにぎにぎする。
小さな前足にかわいいと和む。中身、鍾離先生だけど……。案外先生も可愛い人なのかなあ、なんて考える。
しばらく小さな帝君と暮らすことになりました。