鍾離に合鍵を渡して、琉嘉はいつでも入ってきていいと言ったが、鍾離は鍾離で当然のように仕事があるようだった。
その知識を頼ってくる人間は多くいるだろう。
十日も待たないで家具が出来ると言っていたので、届く頃にまた来るだろうと、琉嘉も仕事に集中していた。人間を相手にしている。それも繊細な心を扱う職業だ。ひとつひとつ気が抜けない。
だが、やはり疲れるときは疲れる。
今日の仕事中、縋りついてくる契約者を上手にあしらって帰宅した琉嘉は、家の中から光が漏れているのに足を止めた。それから自分にしっかり移っているだろう、契約者の家の香を思い返す。
どういう影響を与えるかは分からないが、鍾離が問題ないと言ったのなら問題ない、はずだ。琉嘉は躊躇った後、扉を開けて室内へと足を踏み入れた。
途端にいい匂いがするのに、疲労と空腹を再度自覚する。
「ああ、おかえり」
「……ただいま」
あの頃はあんなに慣れていた挨拶なのに、ただいまと口にするたびに力が抜けていくようだった。
近寄ってくる鍾離に、逃げるわけにも行かず琉嘉はその場に佇む。
「遅かったな。今夜は……」
言いかけて鍾離は琉嘉の前で足を止める。
「香が残ってるな。先に風呂に行くと良い。準備してある」
「ああ。助かるよ。ありが……」
金色の瞳が細められるのに、どうしてか琉嘉は体が強張るのを感じた。不愉快、の色がにじみ出ている鍾離を見るのは初めてだ。初めて人間らしい(鍾離らしくない)感情を向けられて息を止める。
「こういう時は、嫉妬をしても良いものだろう?」
琉嘉の反応を眺めるように、鍾離は言う。
「……俺は最初に、他の人間とプレイしていても構わないのか、とちゃんと聞いた」
「そうだな。聞き分けのない俺に、仕置きはしてくれないのか」
綺麗な形をしている唇に微笑を浮かべると、それだけで迫力が出る。美しい男は厄介だな。と思いながら琉嘉は手を伸ばすとその顎を掴む。
「そうだな。今日は帰れないよ。鍾離先生」
琉嘉の意図を探るような視線に変わるが、それ以上琉嘉は何も言わずに鍾離から手を離す。
「風呂に入ってくる。いい子で居ろよ」
反応も見ずに琉嘉は部屋を後にした。