1人失った2人と、2人失った1人の話ここには消えない傷がある。
脈動と同じはやさで、一緒に心に流れこんでくる。
それは、冷たい日は痛くて、熱い日は重い。
静かな1人の部屋に、僕1人は寂しい。
消え去った僕の思い出は、きっと幻のように、誰にも知られず土に埋まったんだ。
***
同居人が1人いなくなって、数ヶ月が経った。
修繕の済んだ家には既に違う人間たちが暮らしていて、俺たちがあの土地へ近寄ることも無くなった。
良い風が吹く、良い場所だったと思う。
あの家を少し車で進むと、同居人の現在の住処がある。
たまに来ては、俺とマークとで近況を伝えたりしている。
近況とは言っても下らない話ばかりで、親戚にお前そっくりのガキがいてビックリしたとか、お前が好きだったあのミュージシャンが別荘で結婚式を挙げたらしいぞ、とか。
今日もついでに、花束を置いてやる。
「春になったなあ」
「あぁ、暖かくなってきた」
「……今日は何して過ごそうか」
空虚な思いは未だに変わらない。
童話で読んだ中に出てきたような、ぼんやりとした水彩画のように、霞む風景が広がる。
ここに眠る【お前】という存在は、果たして俺の知る【お前】であり、今もここに居続けているのか?
俺の意識が溶けていくところを、マークの手が支えた。
「何処でも良いよ、この街を歩くのは嫌いじゃない。勿論お前もだろ?」
「……」
雲の伸びていく空を見上げて、俺は静かに頷いた。
***
「おはようエドゥアルド!」
「おはようマーク!」
さて、1人しかいない家で誰かを呼んでも意味なんてないけど、今日の日課はいつも通りやるつもりだ。
ベッドは3人分きちんとシーツを整えて、洗面台の鏡はきちんと拭いて
朝食はよく焼けたパンと卵とベーコン
外の芝生にいい感じで水を撒く
洗濯しておいた洋服に着替えて
足りない物を確認して家を出る
「今日はショッピング日和だね」
「大丈夫だよ、僕だって車の運転に慣れてきたんだから」
「いつも2人がなんでもやってくれるからね」
駐車場に車を停めて、鞄を抱えて歩き出した。
休日だから人も多いけど、僕だって負けてられない。
3人の生活を支えるのは僕なんだから、僕がしっかりしないと。
***
俺はマーク。
カフェテリアでアイスコーヒーを啜るこの男の名前は、エドゥアルドと言う。
1人の同居人にうっすらとした恋心があったが、実り切る前に死別した過去を持つ。
俺だって3人で同居する日々を愛していたし、あのまま3人で揃って爺さんになる事を覚悟していたつもりだった。
晴れやかな気持ちになるのにはまだ時間がかかる。
エドゥアルドも、勿論、俺も。
すぐに受け入れるなんて無理だ。
突然の出来事に気持ちの整理が一緒についてくるわけが無いんだから。
***
俺とマークが1人の同居人を失ったこの世界とは別の世界で、2人の同居人を失ったジョンという男がいた。
カフェテリアの店内はまるで異空間にでも繋がっているのか?
ふらりと入ってきたその男を視界に入れた瞬間、俺はその妄想を信じざるを得なくなった。
***
バキバキに割れたグラスは床に落ちていって、俺が声を上げるまもなくエドゥアルドはその男に近寄って行った。
店員が慌ててテーブルへ駆け寄っていくのを完全に尻目にしながら、2人は互いを見つめて驚いた様子で声に出した。
「まさか、お前なのか」
「まさか。君なわけない」
アイスコーヒーで濡れた手で、男の頬に触れるエドゥアルド。
触れられたことで確信して、声を出せない男。
そして、ぎゅう、と潰すような強い抱擁。
恋愛ドラマのワンシーンのような邂逅を目にして、俺ですら硬直して何も出来なかった。
***
その後、カフェテリアを出て、お互いの【現状】を伝えあった。
曰く、カフェテリアで出会ったジョンの言い分だと、
墓は【無い】。
家は【ある】。
家が損傷したのとは別の理由で、相手が死んだ記憶は【ある】。
3人揃って頭を抱えたが、これは異常な出来事であり、再会ではない、本人では無い、と言い出せる奴はいなかった。
新しく建てた家へ帰ればきちんと3人のベッドがあったし、食器や靴も同様。
そもそも、今日の午前中の出来事、つまり【死んだ相手への弔いをした出来事】そのもの記憶も曖昧になって来ていた。
あの記憶そのものが悪夢だったのかもしれない、と開き直る案を出したのは、他でもないエドゥアルドだ。
まずは哀れな自分たちの人生を慰めるつもりで、仮の同居を始めてもいいのでは無いかと。
とうとう泣き出したジョンに、ハンカチを貸してやる。
「1人暮らしはどうだったよ」
「うん、もう、ね、1人は嫌だよ」
「2人暮らしもゴメンだな」
「いっしょに帰っていいの?」
「お前がボンッて消えない限りはな」
「うん」
帰る時、俺に運転を任せて車の中でまっさきに疲れ寝をしたエドゥアルドは、ここ最近じゃ見ないような穏やかな顔で眠っていた。