夢見た未来と違っても。「はあ…こんな事になんなら言っときゃ良かったな…」
刺さっていたナイフを思い切り引き抜くとそのまま地面に投げ捨てた。
熱くてズキズキと痛む横っ腹を押さえながら上手く動かない足を引き摺って逃げ込んだ路地裏。
追手が来る気配は無さそうだど、安堵の息を吐いて壁に背を預けた。
ポケットの中の携帯電話を取り出したが血に塗れた指先では滑って上手くボタンを押せない。
それでも何とか履歴から呼び出した幼馴染の電話番号。通話ボタンを押そうとするも、痛みからではない震えでどうしても押す事が出来ずにいる。
その内立っている事すら辛くなってズルズルとその場に座り込む。
ゴミ箱からはみ出た生ゴミが悪臭を放ちネズミが数匹目の前を駆け抜けていく。
見上げた空はビルとビルの間で灰色を覗かせていた。
「最後の場所がここって…まあ、俺にはお似合いかもなぁ」
誰とも無く呟いて弱々しい息で笑う。
散々他人から恨まれる事をしてきたし、楽に死ねるとは思って居なかった。
だけどこんなに早く死ぬつもりも無かったんだけどな、と今は隣に居ない幼馴染を思う。
「これでもお前の事、ちゃんと好きだったんだぜ」
そう伝えられた事は一度も無かった。
きっと伝えてもアイツは信じなかっただろうし、また姉を重ねるのかと傷ついた顔をしただろう。
そうなるくらいならこの気持ちをアイツが知らなくても良い。
悲しい顔をさせるくらいなら何も言わなくてもずっとこのままで居ようとそう決めた。
それなのにいざ死ぬとなったら足掻きたくなってしまった。
最後くらい、我儘は許されるのだろうか。
子供の頃から人を陥れるような生き方をしてきた自分が人間らしい望みを口にしても良いのだろうか。
「あー…いよいよやべぇかな」
手足が痺れだんだん体に酸素が回らなくなって来ているのを感じる。
死ぬのが怖いという感覚はあまり無かったが、このまま彼に本音をぶつける事も無く人知れず尽きる命というのも滑稽だ。
身勝手だと思われてもいい。
自己満足でもあれだけ尽してきたのだ、最後に一つくらい聞いてくれたって良いだろう。
どうせもう死ぬのだから。
震える指で何とか通話ボタンを押し込んで耳に宛てた。
数コールで通話口によく聞き慣れた声が応答する。
『…ココ?』
幼い頃から呼ばれている呼び名は誰に呼ばれるよりもこの幼馴染から呼ばれる響きが一番好きだった。
「イヌピー…今何してんの?」
思っていたよりもずっと弱々しい声が出てしまう。
電話の向こうで何か異変を感じ取ったのだろうか、どうしたんだ、と問う声が聞こえた。
「最後にイヌピーの声聞きたくなっちゃってさ」
最後と言われてどういう事だ?と再び問い返して来る声がする。
どこに居るんだ、今からそっちに行くと心配そうな声と共にカチャリと金属音がした。
多分愛機の鍵を手に取った音だ。
よく後ろに乗っけて貰ったっけな、冬は凄い寒いし真夏は信号で止まるとアスファルトからの照り返しがキツかったからあまり好きじゃなかった。
だけど風に靡く幼馴染の金色の髪や外のものと混じって流れてくる彼のお日様のような匂いは好きだった。
「イヌピー、お前が信じてくれなくてもいいよ」
ずり落ちそうになる携帯電話を握り直す。
呼吸の感覚が短くなってきて話すのもそろそろキツくなってきた。
タイムリミットが迫っているのを感じる。
「でも俺はお前を、…乾青宗の事を愛してる」
ハッと息を飲む気配がした。
その後彼が何を言ったのかまではもう聞き取る事が出来なかった。
力なく地面に落ちた手から血塗れの携帯電話が転がり落ちて行く。
頭の中でぐわんぐわんと音が反響して、やがて意識が遠退き出す。
この恋は実らないが、お前が幸せならそれでいい。
視界が暗転してもう何も聞こえないし見えなくなった。
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