事故物件に住むココイヌ 何時までもアジトを寝ぐらにしてる乾の事を気に掛けて、何処かまともな場所で寝食をと考えた。とはいえ、乾は焼けて無くなってしまった実家や関係が悪化した両親の元には戻れない。
となると、ここは自分が動くしかない。このままで居たらこのボロい雨風凌げる程度のアジトで乾に冬を過ごさせる事になってしまう。
そんな事、とてもじゃないが九井は見過ごせる訳がなかった。真冬の寒さの中、震えて薄い毛布に包まり耐える乾の姿を想像したら…弱音を吐かない乾はきっと痩せ我慢をするに違いない。
それで風邪でも引かれたらたまったものではない。乾にはせめて体くらい健康に居て欲しい。そう思ったら行動は早かった。
九井の"仕事"相手の中からどうにか未成年の身でも保証人等を通さず、また収入面や職場にも言及されないようなそんな物件を紹介してくれないかと無理難題を依頼した。
当然断られるか相場よりも高額を請求されるか、ぐらいは覚悟したのだが何故かそれなら最適な物件があると提案されたのだ。
但し、条件がある。家賃は3ヶ月分前払いで仮にその期間内に退去しても返金はしない事。何が起きてもクレーム等は受付けない、起きた事も他言無用。近隣住民とはトラブルを起こさない。その代わり光熱費は家賃に含まれる。
と、提示された条件は既に怪しかった。大方、周囲にイカれた薬中や反社の人間でも住んでるのだろう。若しくは、考えられるとすると前の住人が何らかのトラブルを起こして物件にケチがついたとか…そんな所だろう。
九井としては乾の健康が維持出来て、寝食が保障されれば問題は無い。ある程度のボロ屋や治安の悪さは覚悟して条件を飲む事にした。その際写真等は無いのか聞いてみたが先方からは写真は無い、撮影するとちょっと…と言葉を濁したのが少し気になるがそこは気にしない事にした。
「へぇ、結構良いところじゃん」
内見を済ます事もなく契約を結んだ室内に九井が足を踏み入れたのは、乾と共に引っ越した当日となった。
後から続いて室内に足を踏み入れた乾はまだ家具すら無い部屋を見回してから少し申し訳無さそうな顔をして九井を見つめて来る。
「もうちょいしたら家具とか来るから、軽く部屋ん中掃除しとこうぜ」
そんな乾の視線を見なかった事にして努めて明るい声音でそう切り出した。頷いて乾はキッチンのシンクに置かれていた乾いた雑巾を手に取る。
九井が乾の為に住む場所を用意し、資金も全て九井が賄った事を申し訳無く思っているのは知っている。だが、九井に取ってはそんな事は些細な事なのだ。
乾が快適に過ごせる場所を用意する事は九井に取っては当然で、その為に金を惜しむ事も無い。他の人間にはこんな事無料でなんてしてやる訳も無いが、乾青宗という男の為になら何だってしてやる。それが九井に取っての生き甲斐でもあり、執着心でもある。
だからこれは乾の為に、というよりむしろ九井の精神的な平穏の為という方が強い。乾の身の安全、望む事、それらを叶えるのが九井の望みなのだから。
何より…乾の為に借りたマンションに九井もちゃっかり一緒に暮らすという事に然程突っ込まれずに済んで良かった。
何でお前まで一緒に?と問われたら言い訳はいくつも用意していた。心配だから、は子供扱いしてると拗ねるだろうから使えない。ここからなら駅も近いし、何かとアクセスも良いから便利なんだとかちょうど自分も実家を出たかったから、とか尤もらしい理由は用意しておいた。
だが、結局乾は九井と暮らす事に何の疑問も投げかける事も無く「ココがそう言うなら…」と少し申し訳無さそうな顔をして同居を承諾したのだった。
(同棲にしてやるつもりだけどな)
九井の真の目的はそこにあった。同居と言ったが、これは同棲なのだ。広義的な意味の同棲ではなく、世間一般的な意味でのそれにしてみせる。そういう下心が勿論あった。
二人の関係は幼馴染や親友と言うにはとっくに爛れ過ぎていたし、お互いに依存もしている。健全な関係ではない。
恋愛感情があるのかと問われれば、少し前であれば躊躇ったものだが今の九井ははっきりとそれに関しては自覚があった。乾青宗への強い執着心と庇護欲。傷つけたい、関心を引きたいなんて子供染みた欲求はとうに通り過ぎてしまい今はもう只々彼が大切で愛おしかった。
「ココ、部屋はどうするんだ?俺は寝れさえすれば床でも何処でも構わないけど…」
部屋の間取りは日当たりの良い広めのリビングにキッチン、風呂トイレは別で寝室が一つある。
「あっちは寝室にしようぜ、大きめのベッド買ったし。もし一人になりたい時は寝室かリビングかどっちかの部屋に散らばれば問題無いだろ」
当たり前のように寝室は一緒だと答えれば、乾は僅かに視線を泳がせたがココがそれで良いなら…と頷いた。
乾の反応からして決して嫌がってる風でも無い。どちらかと言うと、本格的に日常で同衾するという事実を意識したのか。少しだけ恥ずかしそうに俯いた。
それを見れただけでも乾の反応としては悪くなかった。むしろ九井と暮らすという事態に意識してくれていると言う事だ。思っているよりも乾は乾で九井との関係について考えても居てくれたのだろう。
「イヌピー、こっち来いよ」
手を伸ばして呼ぶと、小さく頷いた乾がその手に触れ指を絡ませ合うようにして距離を縮めた。
何もない殺風景な部屋の中で、見つめ合いそしてどちらとも無く触れるような優しいキスをした。乾の長い睫毛が揺れて、ぎゅっと九井の服の裾を掴む。その可愛い仕種に気分が良くなって、長い前髪をそっと指で払うと今度はさっきよりも粘膜が擦れるように唇を合わせた。
その時、乾の背後の方でスッと何か黒い影のようなものが横切るのが見えた気がした。
築年数も浅く劣化や傷みも少ない。こんな良物件をあんな低価格で借りられるなんて早々無いという事は当然何かあるのだろう。
("事故物件"ってやつかな)
頭の隅でそう見当をつけて、九井は邪魔だと乾の背に回した手でそっとあっちへ行けと言わんばかりに影の見えた方に手を振った。
「イヌピーって、幽霊とか信じる方?」
「知らねぇけど、ココに喧嘩売ってくんなら俺がぶっ飛ばしてやる」
「くくっ…幽霊ぶっ飛ばすってイヌピー面白いなぁ」
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