雨の日の夜✈️🍬 練習
昨日から降り出した雨は止むことはなく、日を跨いだ今日も外は薄暗い。その上とある筋から仕入れた情報も空振りとくれば気も滅入る。
傘を差していても濡れてしまうほどの土砂降りだ。ここまでくるとアーマーガアで船まで戻るのも億劫だ。出来ることなら今夜はあたたかくて大きな湯船に浸かりたい。
『今夜は近くに宿を取る。二人は留守を頼む』
潜水艇に残り雑務をこなすジルとコニアのスマホロトムにメッセージを送れば、了解しましたと返事が届く。来た道の途中にホテルがあったはずだ、コンビニも数軒見かけた。服はクリーニングに出すにしても、さすがに下着くらいは替えが欲しい。
泥濘む足元に気をつけたところでもう遅い。スラックスの裾に泥を跳ね飛ばしながらアメジオは来た道を戻り始めた。
「おっ、アメジオじゃないか」
「……人違いじゃないですか?」
ずぶ濡れのまま入ったコンビニで替えの下着を手に取り支払いを済ませたその時、不意に声を掛けられ反射的に嘘をついてしまった。
目の前には同じようにずぶ濡れのフリードがいる。気配を探るが他にライジングボルテッカーズのメンバーはいないようだ。それに気付いたのだろう。
「今夜は俺ひとりだよ。フィールドワーク中なんだ」
鼻歌でも歌いそうな気軽さでそう告げてくる。
「この土砂降りの中、ポケモン博士はご苦労なことだ」
本当にひとりのようで店内には他に客はいない。レジ対応が終わった店員はタブレット片手に怠そうに商品棚へ向かっていく。
「今からバトルといきたいが身体が冷えてるからなぁ。明日は晴れるらしいけど、アメジオは何か用事あるか?」
夕食の買い出しだったのだろう、フリードはビニール袋を片手に気軽に話しかけてくる。
「教えるわけがないだろう」
ポケモンバトルは魅力的だが今夜はダメだ。身体が冷えて的確な指示を出すにも頭が回らない。会話の応酬すら面倒だ。アメジオもビニール袋を握りしめて出入り口へ向かった。今はコンビニよりあたたかな風呂とベッドが恋しい。
後ろから話しかけてくるフリードを無視してアメジオは歩きだした。監視のつもりなのだろう、つかず離れずといった距離を取っている。エクスプローラーズの関連施設を掴みたいのだろうがご愁傷様、今夜は目についたホテルで過ごす予定なのだから。
「なんだ、今日は本当にもう予定なしかよ」
目星をつけたホテルにまで着いてきたフリードは拍子抜けしたといわんばかりに肩を落としている。
「冷えたからな、さすがにもう風呂に入りたい」
靴だって雨を吸い込みぐっしょりとしている。早く脱いでしまいたい。こんな濡れ鼠のような客は受け入れないかと思ったが、さすがに金になるなら話しは別なのだろう。部屋から電話を入れたら服と靴をクリーニングに出す手筈を整え、シングルルームをと言おうとしたその時だった。
「ツインルームを頼む。出来るならベッドは広い方がいいんだけど空いてるかな」
「少々お待ちください。……セミダブルのツインルームに空きがございます。そちらでよろしいでしょうか?」
「あぁ、それで頼む」
「おい、ちょっと待て」
こちらの言い分を遮るように一方的にフロントと話しを進めるフリードはカードキーを受け取ると、ロビーの奥にあるエレベーターまでアメジオを引っ張っていった。
「おい、貴様、一体何を考えているんだ」
下からギロリと睨みつけてもどこ吹く風とばかりに、フリードは気にする様子もなくアメジオの右手首を掴んだままだ。振り解くにも思いの外力が強く、うまく引き剥がせない。そうこうしている間にエレベーターは目的階に着いたらしく『チンッ』と軽い音を立てたあと扉が開いた。
「えーっと、1010号室……あそこの角部屋みたいだな」
腕を引かれながら連れて行かれた先にあるドアを開ければ、作業机と小さめのテーブルに一人掛けの椅子が二脚、それに向き合うように少し距離をおいて設置されたセミダブルベッドがふたつ。いたって普通のツインルームがそこにはあった。
ここまで来てしまえばもうどうにでもなれだ。運が良ければフリードのスマホロトムから重要なデータを盗めるかもしれない。それよりも冷えた身体をどうにかしたかった。雨が降るなか一日中外を歩き回り、判断力が鈍ってしまったのもあるかもしれない。
「俺は先にシャワーを浴びる。せめてもの情けでバスタオルくらいは渡しておいてやる」
バスルームへと続くドアノブに手を掛け、洗面所に用意されているバスタオルを放り投げた。慌てる様子もなくそれを受け取ったフリードは、あったまってこいよとにこやかに言いながら髪の毛をガシガシと拭き始めた。
パタンとドアを閉めてからアメジオも雨に濡れた服を一枚一枚脱いでいった。どうせあとでクリーニングに出すのだ、そのままでいいだろう。下着は手に持っていたビニール袋に放り込んでゴミ箱に投げ捨てた。鈍い音を立てて入ったそれを聞きながらシャワーブースの扉を開ける。
備え付けのアメニティは可もなく不可もなくといったものだった。コックを捻り熱い湯を浴びれば自然と肩の力も抜ける。一通り洗い終えてから隣にある浴槽に先に湯をためておけばよかったことに気付いて、今夜は本当に頭が回らないとため息をついた。
身体が冷えてる冷静な判断が出来ずにいるのだろうか。それともフリードがいるから調子が狂うのだろうか。
馬鹿馬鹿しい。コックを捻り湯を止めて、シャワーブースの扉を開ける。少し歩けば着いてしまう浴槽はピカピカに磨き上げられていて、近くに設置されたテーブルには数種類の入浴剤が用意されている。それから適当に選んだものを蛇口の下に落とし勢いよく湯を流せば、泡を立たせるタイプだったようでもこもこと泡が浴槽一面に広がっていく。
湯船に浸かりたくてここまで来たのだ。アメジオが泡だらけの浴槽に身体を潜り込ませたその時、洗面所のドアが開いた。
「……おい、順番はどうした」
「つれないねぇ。俺だってずぶ濡れなんだ。さすがにもう待てないっつの」
アメジオの睨みなのものともせず、フリードも服を脱ぎ捨てシャワーブースに入っていった。
ポケモン博士といえば一般的には研究室に籠り作業する者が多いが、フィールドワークを生業にしているらしいフリードの身体は随分と鍛え上げられている。太く筋肉質な二の腕、肘から指にかけて浮かぶ血管の筋が妙に色っぽい。厚すぎない胸元、引き締まった腹、薄い身体の自分とは大違いだとアメジオは自身の二の腕をさすってから蛇口を止めた。浴槽はもう泡だらけだ。
大雑把に全身洗ったフリードも湯船が気になるようで、シャワーブースの扉を開けたら一直線にこちらにやって来た。
「随分とまぁ、可愛らしい風呂なことで」
前を隠すことなく浴槽に足をかけ入ってきたフリードはするりとアメジオの背後に滑り込んだ。
「開けた入浴剤がこれだっただけだ。別に意味なんてない」
泡風呂なんて上がる前にまたシャワーを浴びないといけないのだから、正直いって面倒だ。
なんとなく裸のまま密着するのは気恥ずかしい。せめて対面する形に移動しようとアメジオが腰を浮かせた瞬間、フリードが両腕を腹の前に回して拘束してきた。
「おい、やめろ。今すぐ離せ」
じたばたと動くが、鍛え抜いたフリードの腕を振り払うことが出来ない。暴れるたびに腕の力は強くなる一方だ。
「初めてバトルをした時から、アメジオのことが頭から離れない。好きとか嫌いとか、相手のことよく知ってるとか抜きにして、お前のこと手元に置いて好きな時にバトルしたり、触れ合ったりしたい」
耳元で囁かれる言葉は毒のようだ。一瞬で身体中に広がり、甘く痺れて動きを奪ってしまう。そんなの、こちらだって……。
「なぁ、これって恋とか愛とか、そんな可愛い言葉じゃ片付けられない、もっとドロッとしたものだと俺は思うんだけど」
「……知らない……」
「うん、でも何とも思ってない相手にアメジオはここまで付け入らせる隙与えたりしないだろう? だからさ、期待していいの?」
「期待ってなんだよ」
これ以上聞くのがこわい。頷けばエクスプローラーズのアメジオに戻れなくなる気がする。
「アメジオの心に住みつきたいし、アメジオの身体の一番奥深いところに入り込める権利が欲しい」
拘束していた腕が薄いアメジオの胸元を撫でたあと、指先を這わせてから腹をつつく。ここに入れろというのだろうか?
「そんなこと言われても困る。答えたくない」
ゆるくなった拘束しているフリードの腕に自身の指を絡めながら、アメジオは壊れたおもちゃのように困る、知らないと力なくかぶりを振った。
「……今はそれでいいよ。色々と決着がついたら返事聞かせてくれ。俺はずっと待ってるから」
後ろから抱きしめてくるフリードの身体に身を委ねながら、アメジオは決着がつく日は来るのだろうかと考えることしか出来なかった。