お約束をプレゼント まぶたが重い。
深夜になんとなくTVを点けたのがよくなかった。ヒーローが丁度変身するところでなるほどじゃあこの敵を倒すまで見ようかなと座ったらまさかの大長編。敵が倒れたのが先か、自分がテーブルに突っ伏したのが先か、全く思い出せない。
ラストまでは見れなかったがそれでも良い映画だったと思う。平凡な主人公のもとに突然仲間を名乗る者があらわれて物語は始まる。車がものすごいスピードで近づいて、後部座席のドアが開き──。
「乗れ」
男の声が鋭く飛ぶ。そうそう、こんな感じ。
「……君に言っている」
「え」
「いいから早く」
「は、はい」
内側からドアを閉めると車が即発進した。景色が次々に通りすぎ、頭がサーッと冷えていけば、あとはもうひたすらに青ざめるばかりだ。
「……うちの家、本当にお金なくて」
ダメ元で運転席の男に訴えてみる。男は眉をほんの少し寄せ「覚えていないのか」とため息を吐いてダッシュボードからキャップを取り出した。被って前髪など整えると
「あ、スネーク」
キャップごと記憶していたからいまいち一致しなかった。
「愛抱夢が居ないところで会うの珍しいね」
男の名前を出した途端、スネークの顔がぐっと引き締まる。
「──その愛抱夢だが今大変危険な状態にある」
「!」
「詳しいことは言えない─だが、君の力がいる」
言葉は簡潔で力強かった。
暦。俺、ヒーローになるかもしれない。
わかってる。寝不足だったんだ。
「無事に着れたか。……待て、リボンが曲がっている。あの方はこういった細かな部分を気にする、直すからじっとしろ」
「……」
「片手で持たない。両手で……そう、そのまま。背筋を伸ばして顎を引く。あとは──笑え」
無茶な注文をしないでほしい。
渡されたのはヒーロースーツではなく何やらごてごてした衣装。大変着にくく動きにくい。手を動かせば大量のフリルが纏わりつくし腿に巻かれたベルトがいちいち動きを制限する。先程内蔵が出るまで絞られた腹部がこれでは何も食べられないと寂しそうに泣いた。手には同じく渡された謎の小包と──なぜかぬいぐるみ。しかも肌触りが悪い。なんでごつごつしてるんだ。
「有り合わせだがまあいいだろう。これ以上待たせるわけにはいかない」
行くぞ、と衣装部屋から出る男に慌ててついていく。それにしてもすごい部屋だった。プレゼント用みたいな新品の服が沢山あるし、誰かが生活してるわけじゃなさそうなのになぜかベッドまであった。お金持ちの家だとこれが当たり前なんだろうか。
「繰り返すがあの方は今大変危険な状態にあり、これをどうにかするためには君の協力が不可欠となる」
「わ、わかった」
「詳しい指示はこのカンペを使って出すから君はそのとおりにすればいい」
スネークが背中からサッと紙とペンを出し、また一瞬で閉まう。ここの家の人間はどうやら背中から物を出すのに長けているようだ。
しばらく歩くと急に男が立ち止まり、「ここだ」と小声で教えてきた。
他と同じく重厚な扉、この中に愛抱夢がいる。
「開けるぞ」
「ところで危険な状態って?」
扉を開く態勢のままスネークがピタリと止まった。
「危険は危険だ」
「教えられないの?」
それほどまでに悪いのは身体だろうか、それともまたかつてのように孤独に苦しんでいるのだろうか。
もし愛抱夢が一人ぼっちだって思うなら、何度でもどんなことでもして、そうじゃないって教えてあげたい。
「お願い。話して」
「お気に入りのティーカップが割れた」
「……は?」
ティーカップ、ってお茶飲むあれだよな。ああでも、父さんも昔気に入ってたマグが壊れて落ち込んでたっけ。
「……でも、それが危険?」
「君にはわからないのか……愛之介様が今、どれほどの悲しみに打ちひしがれているか……」
扉にそっと手をあてて、スネークはここではないどこかへと旅立っていった。思い出に浸るほどその声量は増していく。
「愛之介様は大変あれを大事にしていらした。先々代のばあやが辞めるとき餞別として贈られたものだがそのばあやというのが製菓が得意で我々に甘くこっそりと焼き菓子などくれるものだからすっかり懐かれた愛之介様はあの大きな声が庭から我々を呼ぶたび「ねえ忠、今日はケーキかな? クッキーかな?」と囁くので私はケーキだといいですねと」
「ごめんもういい」
「僕の部屋の前でコソコソ喋っているのはどこの犬だァ!」
轟音と共に扉が開く。完全に対応できていなかったスネークが見事に回転しながら吹っ飛び、鈍い音と共に動かなくなった。
「スネーク……スネーク……!」
「丸聞こえなんだよ……言っておくが別に僕は──」
憤怒の表情で出てきた男はこちらを向き─動きを止めた。
「……ランガくん?」
「どうも」
珍しい。髪もセットしてないし服もすごく普通だ。さっきの声だってよく耳元で聞くやつよかずいぶん低いし口調もくだけてる。なんだかいつもよりリラックスしてるなあ、よかったねという気持ちをそのまま声にのせてみた。
「あなたって家だとそんな感じなんだ」
愛抱夢がゆっくりと部屋のなかに戻っていった。閉まった扉の向こう、何だかジャラジャラと響く謎の音。
「まずい……」
よろりと立ち上がったスネークが苦しみながら話す。
「あの特徴的な音はおそらく、愛之介様が部屋に誰も入れないと決めた時に使用する『愛殺しの鎖』……!」
そんな物があるんだ。お金持ちの家、大変そう。
「君の出番だ、愛之介様に向かって話しかけてくれ。あの方の心を開くことは君にしかできない」
「……今俺の言葉で引っ込まなかった?」
「それほどまでに君の言葉はあの方にとって価値があるということだ。さあ」
背中をぐいぐい押されるまま、扉に手を当てる。
「あ、愛抱夢……」
「いい。ランガくん。何も言わなくていいんだ」
確かに返答は早かった。でもその声には先程と違う低さ、暗さがじっとりと染みている。
「分かっている……幻滅しただろう……」
「しないよ」
そもそも愛抱夢に特に幻想を抱いていない。
頼んだ、という顔でスネークがじっとこちらを見ている。言葉のかわりに頷いてみせた。
「俺はさっきのあなた、いいと思うよ。楽そうで」
「嫌いにならない?」
「ならない、ならない」
「好きになった?」
「それもならない」
「チッ」
待て、舌打ちしなかったか。
どこから取り出したのかスネークがカンペを持っている。
『好きって言え』
「……好き、かも」
「僕もだ!!」
吹き飛ばされそうなほどの風圧と共に再び扉が開いた。衝撃を食らって後ろに飛んだ身体が床にぶつかる前に抱き止められる。スネークだ。こちらの分まで衝撃を引き受けた彼は派手に転がり、壁にぶつかって再び動かなくなった。
「スネークーッ!」
走りよろうとしたが身体が動かない。愛抱夢が両肩を優しく、しかし何故か絶対に逃げられないようにホールドしているからだ。
「嬉しいなあ……ランガくんが僕のことを好きだなんて……」
うっとり目尻を下げる男は完全によそ行きの顔になっている。仮面がなくても変わらない異様な力でこちらを部屋に引き込み、あっというまに椅子に座らせた。
「ふふ……ねえ、こっちを向いて。ああよく似合ってる……これ、一目見たときから絶対にいいと思ってたんだ……」
「この服あなたの? 勝手に着てごめん」
「いいや。僕が買ったけど君のだよ。見たんだろう? あの部屋を」
部屋って衣装部屋のことだろうか。
「いつでもいいからね」
何の話かよくわからない。こういう時は気にしないに限る。
「ティーカップ。お気に入りが割れたって聞いた。大丈夫?」
「ああ……そんなこと」
ひじ掛けにそれぞれ両手を乗せて顔を近づけようとする男が、わずかにその表情を曇らせる。
「確かにあれは気に入っていたけど……」
だがそれもすぐに消えた。
「物なんて壊れたら終わりだよ。それにもっと素敵なお気に入りが今目の前にいる。……ああでも」
愛抱夢の手がこちらの周囲を縁取るように背板をなぞった。
「悲しくてたまらないとでもいえば、慰めてくれるのかな?」
「あなたが本当にそう思ってるなら」
触れかけた手がピクリと止まる。
「……やめてくれ、馬鹿馬鹿しい」
「わかった」
あの時から男はほんの少しだが隙を見せるようになった。それが本音を言えない彼の足掻きだとなんとなくわかるので、こうして邪険にされるたび自分はわずかにほっとする。
それは男が誰かを求めることができているのが解るからと、
「ところで今日はどうして来たのかな? 運命? 貢ぎ物?」
矢継ぎ早に不思議な質問をされるよりずっと理解できるからだ。
「その服は? どこが気に入った? 贈られた服を着る意味を知ってる?」
「あのさ」
喜んでくれるのはいいが、勘違いは駄目だ。
「今日俺が来たのはスネークに頼まれたからだし、この服だって選んだのは彼だよ。それにほら。これも」
渡された小包。両手に持って、背筋を伸ばして──笑う。
「どうぞ」
中身は見なくてもわかる。きっと新しいティーカップだ。
「……ありがとう」
恥ずかしそうに、照れ臭そうに、でも嬉しそうに男が手を伸ばした。
受け取られた小包はあっという間に包装紙を剥かれ、箱も開かれた。二人で覗き込む。
「……何これ?」
入っていたのはなんだかよくわからない物だった。道具だとは思うが、何に使うかさっぱり検討もつかない。
愛抱夢はそれが何か理解しているようであっさりボタンを押す。激しく振動した。
「ランガくん。これ知ってる?」
「知らない」
「そう……」
しばらく男は天を仰ぎ、そして突然部屋の外に顔を向け声を張った。
「忠ッ!」
「はい」
驚いた、もう復活していたのか。
「よくやった!」
「ぬいぐるみの中にも色々と詰めておきました、ご活用されてはどうかと」
「いい気配りだ! しばらく誰も近づけるなよ!」
「かしこまりました」
「……さてと」
こちらに顔を向き直した愛抱夢からは何か嫌な予感がする。
「これはね、ランガくん。すごくいい物なんだ。ぜひ君もこの素晴らしさを理解してほしい……」
「ま、間に合ってます!」
「知らないって言ってただろ? 食わず嫌いは勿体ないよ」
じりじりと近づく男と、振動し続けるよくわからないがとにかく恐ろしいもの。
「ひ……っ」
いっそ走って逃げてやれと立ち上がろうとして──腿のベルトに邪魔されて見事に椅子ごとひっくり返った。
「ほらね」
愛抱夢が頬を紅潮させている。その顔はさっき小包を受け取ったときより、断然嬉しそうで──。
「やっぱり貢ぎ物だった♡」
完全に利用された。
「よくやった。君は英雄だ。ヒーローでもいい」
こんな疲れきったヒーローがいるものか。
何か言葉を返そうとしても頭が全然働かなくて駄目だ。
こちらが無言なことを抗議の表れだと思ったらしい。スネークが目を伏せる。
「その……騙すような真似をしたことは謝罪する。だが本当に愛之介様は落ち込まれていて……何か、と……」
「いいよ」
怒る気はない。あの男の一側面に近づいた者同士として自分くらいはこの男の献身を、多少やり方はおかしかったとしても肯定するべきだろう。
それに何より、今すぐ行かなくてはいけないからと自分達を置いていった愛抱夢。彼の去り際の顔を思い出すとやっぱり自分は残念ながら、これっぽっちも怒ろうとは思えないのだ。あんな笑顔を見せられては。
「あの人が嬉しそうだと俺も嬉しいみたい」
「……それ、愛之介様の前でもう一度言ってくれないか」
今日最初に会ったときよりよほど真剣な声でスネークが「頼む」と繰り返す。瞳は光を失い表情は絶望そのもの。例えるならそれこそ昨夜見た映画の中、超能力者が自身に起こる最悪の未来を予知してしまった時のような。
「私だけが君のその顔を見たと知られたら、今度こそ命はない」