プライベートルームに花は咲くか 無茶をした。
軟禁された。
「なんでだ……」
「解らないからされているんだよ。さあ部屋に戻ろうね」
「うーん」
脇を固めたまま引きずらないでほしい。そんなに警戒しなくても、もう外と繋がるドアに走ったりはしない。色々試したすえ二つまではともかく三つ目の鍵は自分ではこじ開けることも出来ないとちゃんと理解した。
だからドアは駄目。次は。
「割ろうとしたら窓の無い部屋に移動させる。良いならどうぞ」
暗そうなので遠慮したい。
両脇が楽になって腹に片腕が回る。ぎゅっと掛かった圧からはまず抜け出せそうにない。足も止まったし、部屋についたのだろう。
思って抱いた感情をそのまま写し取ったみたいな長くて深い溜息が髪をかすめていった。
「逃げ出そうとするのは予測していたけど、まさか数時間程度でとは思わなかったな」
「どうして?」
いきなり見知らぬ部屋に連れて行かれ動かないように以外何の説明もなく独り放置されていたのだ。数時間じっとしていただけでも結構我慢した方だと思う。
問いかけは聞こえていただろうに愛抱夢は何も言わない。
ドアノブが小さく音をたてる。
戻ってきてしまった部屋は早朝放り込まれたときと変わらず、あまり広くない面積の半分以上にスケボーのパーツや衣装類を積み、大型テレビサイズのディスプレイから映像とノイズ混じりの音声を流していた。どれもが今自分をソファに置いた人関係で、だからか部屋全体赤く感じる。
こちらを置いた横に愛抱夢は座るとぐるりと部屋を見渡して首を振り、
「うん。やはり窮屈ではあっても退屈はしない部屋だ。どこに不満が?」
「出られないところ」
答えれば「どうして?」と賢い鳥がするみたく音程まで真似て返した。
「こんなに僕の愛を感じられる場所はそう無いと思うんだけど」
アンバランスな笑い方は冗談の証拠。わかっていても笑って流すとか、まして付き合うなんて出来ない。
「愛より出たい」
それが誰のどんな愛でも仮に愛以外であったとしても同じだ。スケートとこの人に満ちた部屋は確かに退屈しない、けど長くとどまりたいとはまったく思わなかった。
「ここに居るとスケートしたくなる。なのに外には出られなくて、もやもやする」
欲ばかり煽られて実際に行動するのは認められないとか、何も与えられないよりつらいまである。
ぼやいていると、たたん、と愛抱夢の爪先が動いたのが見えた。肩に重みを感じたなら視界が斜めになり、寄り掛かられていると思えば重みが増し、寝そべるようになった体全体にいよいよ被さられる。
「愛抱夢、どいて」
「どうしようかなあ……」
気だるげに愛抱夢が顔を上げる。細められた目の奥にちらつく刺々しい光。にんと口角を上げた笑顔はわりと見かけるそれなのにそこはかとなく機嫌が悪そうに感じるのは気のせいではない気がする。
「そうだな。あてられたらどいてあげよう。僕がどうして君をこの部屋に呼んだのか」
無茶したから、と言うつもりだった口から鳴くみたいなうめきが漏れた。体が早々に白旗の準備を始めるなか、つい先程言葉を止めるみたく身体を揺らした愛抱夢がじっとこっちを見ているのに気付く。たぶんさっきのは間違いで今は正しい回答を待たれているのだろう。それはわかったけど、困ったな。肝心の答えが全然わからない。
「俺が思ってたより先週俺がしたことは危なくて、今夜のSに行かせたくなくなった。とか」
「それが答えでいいのかな?」
「……いや。ちがう。あれはそんなに危なくなかった」
無茶だった。けど、軽い無茶だったのだ。ミスする確率は元々僅かだったうえミスを恐れず大胆にいけばほぼ〇と言ってもいいところまで下げられる筈だった。
大丈夫。
そう思った。だから行き、そしてその後周囲が自分に向ける目を見てそうでもなかったみたいだなと学びもしたのだけど、それでもあれが出入り禁止になるほどの行動だったとは思わない。仲間の皆にも釘をさされたけど、どちらかと言えば必要性とかリスクヘッジとかそういう方面での釘さしだったし。
「やり直しもしたから。もしそれが正解なら俺は今ここに居ない」
S内で起きたことなら愛抱夢は何でも知っている。自分がゴール後即反省代わりに一人滑ってよく似た、けれどより安全なやり方を見つけたのも知っているだろう。それ以外だって。
こちらの心を読んだみたく「そうだね」と言った人の指先が頬を撫でる。
「当然もうしないと約束していたのも知っている。あれで構わなかったの?」
「うん」
多少残念ではあるけど皆を困らせたくはないし、自分が好きなのは誰かと楽しいとかどきどきとかを共有できるスケートだ。それが出来ないやり方にこだわる意味はあまり感じない。
ふうんと愛抱夢は素っ気なく言ったきり、しばらく髪の端を指先で擦っていた。興味が無いのかと思いきや。
「僕とも?」
問いの意図を察したなら何も考えることなく「ううん」と返していた。
「あなたがいいなら」
笑い声が聞こえて顎が胸元に乗る。響く鼻歌の小気味よさに思わず口元がゆるむ。するとますます愛抱夢が楽しげにうたうものだから、気が付くとふふ、と笑い、呟いていた。
「よかった」
見ていられない無茶だと言うなら見ていられるもっと楽しいなにかに変える。それが出来るうちはそうしていきたいけど、ただ。愛抱夢。ふらりと現れてはあそぼうよと自分の手を取って常識外れのコースや見るからに危険なスケート施設へ連れ出すこの人に、見飽きるほどだろうあれくらいの無茶で軟禁までされるのは意外で正直少し戸惑っていたから。むしろ。
「愛抱夢は楽しんでくれると」
思ってた。
最後まで続けられなかった。視線があまりに鋭くて。
「本気で言ってる?」
起き上がった愛抱夢は目を限界近くまで見開いた真顔のまま。掴まれた腕が何度もソファに押し付けられる。腿上に乗られているだけなのにほんのり息が苦しい。それだけじゃなくて、ずきずきと心臓に痛みのような。つらいこれは爪がささるほど強く腕を掴まれているせい。いいや。違う。
「楽しめる訳ないだろ」
こんなにすぐそばに居るのに耳を澄まさなければ取りこぼしてしまいそうなほど、声は小さくかすれていた。
「何度も考えたよ。君が皆に見られながらあんな愚かにも思えるような選択を、自ら危険に飛び込むような真似をして、だというのに……何故……」
「……愛抱夢……」
「……何故あの時君とビーフしていたのが僕ではなかったのか……」
「…………」
ここまでハッキリ聞き取れると聞き間違えたとも思わない。
「そうだ。わからない。何故僕では無かったんだ?君がああするなら相手はこの、君のただ一人のアダムである僕でなくてはならないのに……」
聞いたことのない決まりごとをくうっと悔しげに話す愛抱夢。その背後でめらめらと幻の炎が燃え上がっていく。
おそれや心労とは遠く離れたその様子に、がっくり力が抜けると同時にひどく安心した。
大丈夫だと思った。そして自分がそう思ったならこの人だけは同じに思うと一切疑うことなく思っていた。この部屋に来て揺らぎかけていた前提はやっぱり心配しなくてよかったらしい。
この人は大丈夫。今までそうだったようにこれからも。何故だろう、確証はないけどそう思うし、思いたい。自分が大丈夫な限りこの人には大丈夫でいて欲しいと思う。
「これは由々しき事態だよ。寝ぼけ気味の世界に僕らが何であるか強制的にでも再認識させなくては」
「そうなんだ」
「ああ。だから君はもうしばらくこの僕と君の愛の詰まった部屋で過ごすように。そして夜になり、あぁ愛抱夢と滑りたい……!そんな想いが最高潮に達したそのとき!皆に見せてあげようじゃないか……君と僕でしか見せられない、無限に湧きだす真の愛をね……!」
「夜には滑れるってこと?」
「勿論。僕が君からスケートを奪う訳が無いさ、僕のイブ。ただ少し思い出してほしいだけ」
立ち上がった愛抱夢がソファからひらりと跳び下りる。ディスプレイの前に立った彼は丁度映っていた自分の手を取るふりをしたのち体を回した。繰り返される空白と踊るような動き、足りないそこに誰が入るのか。わかっていけば自然と体が起き上がっていた。
「二度と忘れられなくなるまで目一杯愛そう。ああいうことも好きなだけして良いよ、全て完璧に受け止めてあげるから。そうすれば君も」
床を叩いて足を止め、片手を差し伸べると愛抱夢は笑い。
「僕としかしてはいけないって気付けるだろ?」
引かれるまま跳びこんだ。抱きとめた愛抱夢が足を踏み出す。細々したものをうっかり蹴ってしまわないように上手に踊る彼へ身を寄せれば顔がよく見えた。少し驚いていて、少し不思議そうで、何だか嬉しそうなその理由を知っている。
「愛抱夢」
赤い目に映る自分の顔。それが全てだ。
「やっぱり少し心配だったから?」
「どうかな」
「危ないことはあなたとだけしてほしいから?」
どうだろう、と笑う顔は部屋の色が移ったかほんのり赤い。けど自分の方がもっと真っ赤だった。多分おんなじだ。同じ気持ちでどきどきしている。
どっちでも答えじゃないなら。だったら、もしかして。
「愛抱夢が俺を」
続けた言葉に手が離れかける。繋ぎ直したのは、一人だと上手に踊れないから、だけでは無い筈だ。