目覚めの一枚を共に 出会いは偶然。
空調を気にせずともすこやかに寝られる季節、眠りを妨げるものがあるとすれば朝日もしくはそれに似た強い光だけの夜。その光的なアレを感じ浅い眠りから起きると。
「…………」
レンズと目が合った。
付け加えると、レンズの先の目とも合った。
手にしていたスマホをゆっくりベットサイドに置き、微笑みついでにいそいそと身を横に、加えてちゃっかりこちらを腕の内におさめ愛抱夢は目を閉じた。そのあまりに素早く自然な動作を、
「……何してるの?」
流石に流せるわけもなく。
すまし顔も良いし真顔も良い。疲れ切った表情もそそるし闘争本能を覗かせられれば喜びが増さる。喜怒哀楽もある程度、自分に向けられたもの以外を含めれば全てを目撃してきた身としては、ぜひ『これ』も記録しておかなければとそう思った。
言い分は比較的分かりやすかったが、そっかそれなら撮っていいよとはならない。
彼の所持するデータ諸々を見せてもらったことがある。画面いっぱいに並べられた自分のなかには何故こんな物を保存しているのかと問いたくなるような顔まであった。まさにその部類だ。寝顔なんて。
その後撮影したものは全て失敗だったので削除したと愛抱夢は言い張り記録すら見せてくれなかったが、勘が告げていた。おそらく見た瞬間自分が消してくれと頼むような一枚を彼は持っている。何故ならば愛抱夢自身がいつか言っていたのだ――君に関するものは大切にしている、たとえ失敗だろうと。
撮影の瞬間を見てしまったのは良くなかったようで、今まで何とも思っていなかった彼の手元に画像がある事実が今は無性に気になって仕方ない。
もやもやとむかむかが混ざり合い爆発した結果閃きが生まれた。
そうだ。同じことをしよう。
「……よし」
慎重に身を起こす。衣擦れひとつ起こさないように、呼吸だってこそこそと。寝室に響くのはもう一人の寝息のみだ。
このときを待っていた。
それにしても大変だった。閃いたはいいが、まずどうやってこの状況を作り出すかから挑戦は始まった。
二人同じベッドで寝る場合先に愛抱夢が寝てくれることはそう無い。加えて後から寝たとしても大体自分より彼の方が早く起きている。というのも、愛抱夢はそういう無防備な姿を自分に見せるのが嫌なのだそうだ。彼に頼まれ散々無防備な姿を開示した側とし不公平を感じなくもないが「照れるから」ときっぱり言われば納得するほかない。
なので、そこからだった。愛抱夢は寝ているが自分は起きている。そんな奇跡に等しい状況を作るためもう本当に色々試したし大半が失敗に終わった。安眠のマッサージは向こうの方が数倍うまく、寝るまで待とうとすれば勘付かれたかのように寝かされる。呼吸を合わせると速く入眠できるらしいと聞いて試した。自分が寝た。
万策尽きたかと思ったその時、再び閃いた。
彼を寝かせる必要はない。自分がものすごく早く、彼が眠っているくらいの時間に起きれば良い。
逆転の発想だ。これは勝てる。そう確信したが、またこちらを実現させるまでの道のりも決して簡単では無かった。
彼と寝る際、自分の入眠方法はざっくり分けて二つ。
普通に目を閉じリラックスして眠るか。
もしくは力尽きほとんど気絶するように眠るかだ。
どちらの方がより勝率が高いか。詳しく調べるために数日どころか数週間かけてしまったが、結果として気絶する方が断然睡眠時間が短く、そのうえ自分がそうなることで彼の入眠時間を遅らせられることも分かった。
つまり――彼より早く起きたいなら気絶しかない。
決まれば行動あるのみだ。昼のうちにたっぷり睡眠をとった身体で率直に尋ねれば愛抱夢は片眉すら動かすことなく応じた。
「珍しいね。君からお誘いとは」
「変?」
「いいや?嬉しいよ」
まったくと言って良い程驚かないのが気にはなったが言葉に嘘は無く、愛抱夢は心から嬉しがっているようだった。自分が望んだ、それ以上に『遊んでくれた』のが何よりの証拠だ。そのせいで全身の疲労感がとんでもないが容易く半気絶出来たので良いだろう。
これでようやく撮影が出来る。
都合の良いことに愛抱夢がこちらに向け寝返りを打った。これなら真正面から撮れそうだ。カメラを起動し、いざ。
「……?…………??」
一回待って欲しい。願いと共にスマホを放る。
思っていたより難しかった。
消しても勝手にライトが点灯するうえ試しに一度天井を撮影したところ消しておいた筈のシャッター音が普通に鳴った。以前使った時と若干設定が変わっているような。変えた覚えは無いのだが。
設定から見直して再チャレンジするべき。分かっているが変わらずスマホは放置したまま、ほんの少し先にある顔をただ眺める。
確かに彼の言う通り、初めて見る寝顔は無防備だった。まぶたにキスを贈るときと似ているかもしれない。安心しきった、どこかワクワクしているようにも見えるいつもよりぐんと幼い表情でその安心を分けるかのようにこちらの心を温めてくる。
けれど撮って残したいかと訊かれたなら、そうでもないと自分は答えるだろう。
他人の顔を楽しむ素養があまり自分には無いのかもしれない。思いつつ指先を顔寸前へ近づけた。いつもよりやや角度のやわらかな眉から力の抜けた目元、鼻筋を通りごくわずかに開いた唇へ。うん。何となく覚えられた気がする。
自分はこれでいい。たまに思い返せればそれで。
満足感と共に眠気が押し寄せてきた。頑張った甲斐があったかどうかは悩むところだがひとつ分かった事がある。
愛抱夢が自分より後に寝る理由。
眠る相手への就寝の挨拶――内緒のキスは少し楽しい。おやすみなさい――。
「撮らないの?」
おそるおそる目を開け、前を見る。
ばっちり開いた赤色と目が合った。
「飽きてしまった?それなら残念。待っていたのに」
何度見ても起きている。ライトかシャッター音のせいだろう。とにかく最悪の事態だけは回避したい。
「起こしてごめん、えっと……」
謝罪とそれに続く説明を聞かず愛抱夢は何故か先程自分が放ったスマホを回収すると、一度ベッド周りを眩しくしたのち手に握らせてきた。開けば撮影履歴に画像が。
「どうぞ。我慢出来たお利口さんには残念賞をあげる。特別だよ?」
どういう技術か自撮りはベッドで撮られたようにはとても見えない。
「しかし撮影を諦めるのは予想外だったな。いや撮らせる気は勿論無かったけど、それを理由に色々とねだるつもりではあったから」
明るくはっきりと映った顔も寝起きでは有り得ない爽やかさだ。まるで初めから撮られても問題ないよう、準備してあったみたいに。
「まあいいか。可愛いこともしてもらったし……今夜のためにランガくんがずうっと頑張っていたことをなにより考慮すべきだよね」
もしかして。いやもしかしなくても、この人。
「愛抱夢……いつから気づいてた……?」
「ふふ、秘密」
笑顔で言い切られた瞬間全身がぶわっと熱くなった。見越したように引き寄せられ、抱きしめ――もとい動きを封じられ――あるいはスマホを奪われかける。
「ロックにする?それともホームにするかい?もしくは……両方?」
「全部……しな、い……っ!」
奪われるものかと高くかかげたスマホが「……わっ、」いきなり光を放った。指先が勝手にシャッターボタンを押していたらしい。
緩くなった腕の拘束から離れ確認。画像のほとんどは自分が占めているが、愛抱夢の顔も小さくぼやけ気味に映っている。思いがけない展開だったのは彼も同じだったのだろう。完全に油断しきった表情に、もう作り物と知ってしまった寝顔や残念賞の決め顔より、正直心は強く惹かれていた。
「ね。良いものだろう?」
主語のない問いかけに深く頷く。
はじめて見た。それだけでこんなにも価値あるように感じるのは何だか面白い。
「……これ、どっちかにしようかな」
二人の写真なら彼も賛同するだろうと見れば、
「…………いや」
どうしてだか、つい数分前まであれほど乗り気だった筈の愛抱夢は否定しさっと目を逸らす。
「それだけはやめた方がいい」
「何で?」
「……相応しくないというか」
「二人だと相応しくない?嫌?」
「嫌じゃないとても嬉しい後で送ってくれ――だが、その……他人に見せるものでは無いように思えてね」
「大丈夫だよ」
このぼやけ具合で愛抱夢と気付く人はまず居ない、実際に見た人だけ、今なら自分だけしか分からない筈だ。しかし愛抱夢はそう思えないようだ。
「違う。僕ではなく、君が」
「俺?」
「……よく見て」
眠ってから彼が整えてくれたのだろう。多少暴れた後なのに画像内の自分は髪も服もそこまで乱れていない。顔もいつも通り、強いて言うなら驚いているからか目が少し大きい。それくらいだ。
しかし自分がそう答えるなり、何故かがくりと愛抱夢は項垂れた。
「どうしたの愛抱夢。どこか苦しい?」
「呼吸器かな……口から言葉が出掛かる度喉を締めているから……」
無理しないでと言えば「僕を哀れに思うならどうか画像を使わないでくれ」と珍しく直球のお願いが返ってきた。
それだけ本気なら聞かないわけにもいかない。
分かった。今度別の機会に。
「待て、何にも使うんじゃない。せめて顔から上。首周りは絶対に駄目」
「……でもそれだと愛抱夢が入らない」
「は」
突如言葉を失った代わりに、愛抱夢の表情が次々変化していく。パーツひとつひとつに見覚えはあっても組み合わせが変われば受ける印象も変わる、これは先程以上に面白い。思わずスマホを向けてボタン長押し。
「ランガくん?何故連写を?」
「うん――俺、少しあなたの気持ちが分かった気がする」
「……それは良かった」
愛しく撮り甲斐のある身体が倒れ込んだ。シャッターチャンスだ。