待っててね運命 いつも使っている道が封鎖されていたからといって近道しようと決めたのは間違いだった。一人暮らし一か月記念ちょっと豪華な晩御飯は明日に持ち越し、というかそもそもこの店から無事出られるかどうか。
警戒しなくて良いのだと黒髪の店員さんは何度も言ってくるが言葉に説得力は全く無い。ただ店の前を通りがかっただけで突如店内へ引きずり込まれたのだ、警戒しない方が無理がある。煌びやかな店内も自分には合わなくて落ち着かないし。
「……えっと」
いつの間にか隣に座っていた少年を見ればにっこりと見つめ返された。
店員さんが嬉しそうに話しかけてくる
「ほら。彼も君を気に入っている」
これだってどれ程信じていいのやら。自分の半分くらいの歳に見える少年は、けれど同い年くらいの本物の子供よりずっと賢いという噂だ。演技だってとても上手に違いない。
「ごめんなさい」
申し訳ないけどいくら考えても無理だ。うちに観用少女を買える程のお金は無いし、自分は友人らからペットの類を買わないよう言われている。世話の類いをちゃんと出来ない自覚もある。諦めて欲しい。
そうハッキリ拒否を伝えられたと思ったのだが、店員さんの表情は少しも変わらないままだった。
「金ならこちらが全面的にサポートする。世話も大して必要ない。着替えや粗方の生活は自分で行えるから君が用意するのは一日三度のミルクと週一回の砂糖菓子くらいだ、それも彼の方から求めてくるし物はこちらで準備しておく。どうだろうか」
どうって、確かにそれなら安心だけれども。話がうますぎて逆に不安が増す。
「……何で俺?」
「気に入られたのだそうだ、彼が」
「気に入るって」
この店どころか通りだって初めて来た自分を?
「人違いとか」
「それは無い、以前から彼は――いや観用少女とは不思議な生き物だから一目で気に入る事もあるだろうおかしな話でも無い」
「はあ」
少年は、正確には少年を模った観用少女は膝の上に持って行っていたこちらの手を離さないとばかりに強く握った。ここまで主張されるとちょっと振りほどきにくい。詐欺だったらどうしよう。
「じゃあ……」
「買う。買うか。よし、用意しよう」
準備を始める店員さんへ大事な事を尋ねる。
「名前は?」
店員さんが何か言う前に、立ち上がった観用少女が紙束に何か書き込んで広げた。丁寧なことに読み仮名まで添えてある。
「あだむ?」
自分が口に出せば観用少女は満足そうに頷き、何故か店員さんから練習するよう言いつけられた。
どやどやと車に詰められる大量の荷物。これ全部広げたら部屋が埋まってしまいそうだ。
「――あ、そうそう。今連絡したところ君のアパートが爆発したそうだ」
「……はい?」
「幸い荷物類は無事だがしばらく部屋は使えないらしい。すぐ近くに代えを用意したからそちらに向かうようにと言っていた。送ろう」
新しい家はきれいで広々としていた。
あらゆる家具が前の家で使っていた物より格段に良い物で、ずっと快適に生活が送れそうで、それなのに少しも喜べない。まだ心が追いついていないのだと思う。たった一本道を変えただけで観用少女との同居が決まり家が爆発した。ものすごく運が悪い日だったりしたのかな。
「……ん?」
観用少女がぽすりと後ろから身体を抱きしめてきている。
「あ、ごめんね。ミルク?」
首を振られた。違うらしい。戸惑いながらも、強まる腕の力にふと気づく。慰めようとしているのか。
「わかった。ありがとう」
言えば観用少女は笑い、身体を離すと今度は腕を引きこちらを冷蔵庫の前まで連れて来た。やっぱりミルクが欲しかったのかと冷蔵庫を開けようとした自分の手を止め、冷凍庫の扉を示す。開けば冷凍食品のなかにカラフルな箱がひとつ。中身は表通りにある店のアイスケーキで、わざわざ愛抱夢ランガ契約おめでとうと記されたプレートまで付いていた。観用少女を持つ人と関わった事が無いので知らないけれどここまでアフターサービスが付いて来るものなのだろうか。すごいな。
お金持ちの趣味だと聞く。見上げてくるこの子も本当なら何処かのえらい人と、自分には一生関係ないような贅沢を味わえていたのだろう。けれどもうそんな時は来ないのだ。たまたま自分が近道しようと決めたばかりに。
代わりになれるかは分からない。でも、出来るだけ大切にしてあげたい。
「愛抱夢。一緒に食べようか」
誘いに観用少女は瞬きを一度して、それから少しどきっとするくらい大人びた笑顔で頷いた。
食べるものは他にも色々見つかったけれど今は食欲より気分をあげたい。ほんのり溶けたところのアイスケーキに愛抱夢が見つけてきてくれたナイフを入れる。何とか切り皿に乗せた二ピースのうち飾りの多い方にプレートを添え、どうぞと差し出せば。
「ん?違う?」
ふるふると首を振った愛抱夢はもう片方を取り一人でソファへ向かって行ってしまった。飾り気の無い方が好み、というわけでは無いようだ。慌てて横に座ったこちらの手元とその上、プレート添えの素敵なケーキとフォークを持つ自分を交互に何度も見ては観用少女は笑う。どうやら本当に彼は自分を気に入っているらしい。理由がさっぱり分からないのはともかく、こんな顔を向けられるのは素直に嬉しいかも。
「それじゃあ、これからよろしく」
いただきますと挨拶して食べかけたときそういえばと気付く。観用少女ってミルクと砂糖菓子以外も食べられるのかな。横をちらりと見れば案外普通に愛抱夢は食べている。じゃあ大丈夫か。自分もひとさじ掬って食べる。まあこれだけ美味しければ悪い事は無いだろう。
早々に食べきってしまったのでもう一ピースいくか悩んでいれば肩をつつかれた。同じく食べきった愛抱夢が指先でとんとんと口元を、そしてこちらの肩を叩く。付いていると教えてくれているようだ。適当にぬぐってみたものの指は止まらない。
「ごめん。頼める?」
直に触ってもらった方が早いだろう。一応の拭く物を観用少女に渡し、顔を近づけやりやすいようにと目を閉じた。すると一拍ののち頬に何か温かい物が。
「え?」
目を開ける。舌だった。呆然と固まるこちらの口元をもう一度舐めると観用少女は離れていく。何をしているというかさせてしまったというか言い方が悪かった誤解させてごめんやこんな事しなくていいよとかそういう真っ当な筈の言葉はしかし全部、にこっと誇らしげに笑う少年へ言えもせず。
「……うん。ありがとう……」
人間っぽい人形というか、すごく懐く動物みたいに考えた方が良いのだろうか。
店員さんの言葉通り観用少女には自分の手伝けなんて必要ないようだ。片付けを手伝ってくれたかと思えばいつの間に済ませたのか湯上りの肌に柔らかそうなパジャマを着て、もうすぐ歯も磨き終わる。あらゆるものが不思議な程きちんと二人分用意された部屋には何故かベッドだけはひとつしか無かったが、ひとつと言ってもとても大きいひとつなので問題は無い。当然のように身を寄せる観用少女を寝相で傷つけたらどうしようとは案じつつも離れて欲しいとは思わなかった。一人で暮らしはじめてからたったの一か月しか経っていないのに、自分は眠る前にこれを誰かに言いたくて堪らなかったらしい。
「おやすみ」
夢を見ている。同い年くらいの知らない青年と寝転んでいる夢だ。
「ごめんね。待ちきれなくて」
青年は何処か見覚えのある顔立ちを優しくゆるめて呟いた。
「早く会いたいな」
もう会っているだろう。しかし言葉に彼は悲し気に首を振る。
「まだだよ。あんな姿じゃ君の隣に並べない」
周囲に散らばる小さな菓子を彼はひとつ抓むとこちらの手へ。
「食べさせて」
待ちきれ無さそうに開かれた口元へ菓子を持っていけば一口で食われ、もっと食べさせるよう急かされた。
従順に、ひたすら菓子をつまんでは運ぶ。
「もっと」
自分は彼にこうしなければいけない。なんとなくそんな気がするのだ。
「もっと、もっと頂戴。僕がこの姿で君を迎えに行けるように」
いつからだろう。瞬きするたび彼の姿は変化して見えるようになっていた。小さな子供。青年。そして全く知らない大人。入れ替わりながら、けれど皆笑みは同じだ。だから自分も変わることなく与えなければいけない。
……あ、菓子が無くなってしまった。どうしよう。あと差し出せるものなんて、これくらいしか。
「ううん。それがいい。それが欲しい」
それなら良かった。どうぞ。
「うん」
ついさっき初めて見た動きでも真似ているかのように青年はたどたどしく手を合わせ、
「嬉しいな。君が僕を――――にしてくれる」
いただきまあす、と口を。
朝の光がふんわりとベッドを照らしている。
カーテンを開きそれを呼び込んだ観用少女はこちらが起きたのに気付くと天使のような微笑みを浮かべた。気のせいだろうか。昨夜より少しだけ背が伸びているような。