目の前に差し出された小さな紙袋。うつむき加減で頬を染めるその姿を見るのは、今日何回目だろうか。愛想笑いを張り付け、ありがとう……でもごめんね。このセリフも同じだけ言っている。今も、そう声かけようとしていたところだった。
「これ、荒北くんに渡してもらえないかな」
「……え?」
「新開くん……荒北くんと仲いいよね! あの、返事とかいらないから……その、食べてくれるだけでいいからって言ってほしいの。お願いします!」
オレが口を挟む隙もなく、捲し立てるように言った彼女に無理やり紙袋を持たされる。そうして、真っ赤な顔のまま彼女は振り返り走り去ってしまった。
いや、まって。オレにくれるのも困るけど、靖友にとかマジ勘弁してくれよ。なんで自分の恋人に、他人からの本命チョコ渡さなきゃなんないんだ。
紙袋から覗く真っ赤な小さな箱。手作りじゃない所に本気度を感じる、市販の物ならだいたい食ってもらえるもんな。何よりオレに預けたってのが、考えたなって思う。
きっと靖友は、本命だってわかる物は受け取らない。でも、人づてに渡されたら受け取るしかないもんな。ここまでは彼女の計算通りなんだろう、けど選んだ相手が悪い。君が大切なチョコを預けたのは、ある意味一番のライバルなんだぜ。
手にした紙袋をとりあえずバッグに押し込み、深い、深いため息をついた。
机の上には例の紙袋、結局オレはこれを靖友に渡せずにいる。決して、タイミングがなかったわけじゃない。尽八がチョコの話題を出した時にさらっと渡しても良かったし、寮まで二人で帰る時に渡しても良かった。
――でもな、やっぱり嫌なんだ。
どうしてオレが、他人の好意を靖友に渡さなきゃいけないんだよ。そうさオレは心が狭いし、嫉妬深いんだ。靖友がちょっとでもオレ以外の人のこと考えるなんて嫌だし、耐えられない。だって食べてくれるだけでいいとか言っときながら、ちゃっかり手紙も同封されてんだぜ。
ま~るい文字で『荒北くんへ』と書かれたそれを指で摘み上げる。この中には、好きですとか、ずっと見てましたとか、気持ちを伝える言葉が綴られているはずだ。細くて小さな、可愛い女の子。肩まで伸びたサラサラの黒髪を靡かせ去って行ったあの子は、本当に可愛かった。ああいう女の子に、オレはいつか負けるのかもしれない。
そう思うと目の前の紙袋を余計に渡せなくなってしまう。そうして気づいてしまった。オレが知らないところで、靖友がチョコをもらう可能性もあるということを。
「靖友、ほかにもチョコもらってんのかな」
「オレはおまえと違って、んなモテねェよ」
机に突っ伏した頭へ落ちてきた声に、驚きイスを回して後ろへ振り返る。
「え、靖友?」
「おまえなァ、何回もノックしたんだけど」
呆れたように息を吐く靖友に、ごめんと笑いながら言うと軽くおでこを小突かれた。
「で、新開ちゃんは何に悩んでたんですかァ?」
「なにって……」
「ノックの音にも気づかないくらい何か考えてたんだろ」
「うっ、……そんな、たいしたことじゃないよ」
訝しむようにこちらを見つめた靖友が、スッとその視線を机の上に移す。そこにあるのは靖友宛のチョコレート。慌てて隠そうとするも一歩遅く、紙袋は靖友の手に渡ってしまった。
「ちょ、靖友、返して」
「返せって、これオレのじゃねェの?」
伸ばしたオレの手を軽く躱した靖友は、中にあった封筒を見てそう言う。またもや言葉に詰まり、どう言い訳しようか頭をフル回転させ考えた。その間にも、靖友は封筒を開け中身へ目を通している。
「ふーん」
感情の読めない靖友の声に、気まずくて顔をうつむかせた。シュルっとリボンの解ける音がして、すぐに赤い箱と共にリボンは机の横のゴミ箱へ落ちていく。 まさか食べもせずに捨てたのかと、ビックリして顔を上げると赤いハートがオレの口許に近づいてくる。
「やすと、も……っ」
何? そう尋ねようとした唇にチョコを押し付けられ、ハートを咥えさせられた。同時に靖友の唇も寄せられ、一粒にしては大きなそれを半分噛り取られる。そうして、残りは舌でオレの口の中へ押し込み靖友の唇は離れていく。半分になったチョコは咥内の熱ですぐに溶け始め、柔らかなチョコクリームからはほのかにハチミツの香りがした。口の中でとろとろに溶かされたそれを、最後はコクりとのみ込み呆然と靖友を見つめる。もぐもぐと口を動かしていた靖友は、オレを見てニッと笑った。
「なァんか高そうな味すんな」
「あ、うん」
ふっと目を細めた靖友が、オレの頬に手を滑らせ柔らかく口づける。
「言っとっけど、オレにとっちゃおまえ以外にもらう気持ちなんてこんなもんだからな」
「へ?」
「おまえと二人で食っちまえるようなモンってことォ」
――そうか、あれだけ嫌だったモノをオレは靖友と半分にして食べてしまったんだ。
靖友の言葉に、オレのもやもやは一気に霧散し消えていく。へらりと口許が緩むと、靖友はぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれた。
「それでェ、おまえからはねェの?」
「ん?」
「ん、じゃねーヨ」
「靖友、オレからチョコほしいの?」
「ほしいに決まってんだろ! 逆に好きなヤツのチョコいらねェとか言うヤツいんのか?」
好きなヤツ……あぁ、さっきから靖友はさらっと嬉しいこと言ってくれている。こうなるとさらに緩んでいく口許を、どうにも止めることができない。
「へへっ、ちゃんと用意してあるぜ」
机の引き出しを開け、可愛いピンクの紙袋に入ったチョコを靖友へ差し出す。
「オレからの本命チョコな」
「あんがと」
嬉しそうに笑った靖友は、さっき手紙を読んでいた時とはまったく違う顔で……胸がキュンとなった。
「なぁ、靖友」
「ア?」
「来年もオレのチョコもらってくれる? それでさ、オレ以外の本命はもらわないで」
ちょっとしたワガママ、でも今なら言っても受け入れてもらえるような気がして……つい口に出してしまう。
「あたりまえだつーの」
一瞬きょとんとした後で、靖友はふわりと微笑みそう言ってくれた。そうして、甘くて、優しいキスをくれたんだ。