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    ndh1688

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    ndh1688

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    voxval・voxal小説の2パート目です。1パートごとに分けて投稿します。
    含む:大幅な捏造、本編程度の性描写(事後描写あり)、名ありモブ
    全体のあらすじ:地獄に堕ちたとある男。彼は死ぬ直前の記憶を失っていた。地獄に響く悲鳴のラジオ。そこで彼は生前強烈に憧れたスターの声を聞き…

    #ヴォクアラ
    #VoxVal
    #Voxal

    1956年1956年


    「うっ……」

    悪臭。血の臭いがする。擦りむいた傷口をそのままにして、じゅくじゅくに化膿したような不快な臭い。身じろぎすると、びちゃりと液状の物体が地面に落ちる音がした。彼は目を開ける。

    「うぁ、あっあぁ…」

    うまく声を出すことができなかった。目の前には死骸があった。魚、いや、サメか?それの体や顔には真新しい傷がある。ビルはぬかるんだ地面に手をついてよろよろと立ち上がる。頭が重い。サメは一頭ではないようだった。七、八頭のサメが路地の行き止まりで山積みになっている。そのどれもが背を曲げており、手足があり、服を着ていた。

    「は、あ?」

    反対側を向くと、路地の出口が見えた。街中を人々が歩いている。いや、人ではない。魚、山羊、虫、ランプ……ありとあらゆる有機物無機物が手足を持って闊歩していた。

    「なん、な……」

    受け入れがたい光景に背中から壁にもたれかかるとゴツン、と固い音がした。それが自分の頭からなった音だと気づくのに、一瞬の間があった。とっさに自分の頭が、髪があるはずの場所を両手でつかむ。つるりとした感触。だがそれだけではない。かどがある。顔も側面も背面も平べったく、冷たい。顔には目口以外にもでっぱりがある。ビルはおそるおそるそれに触れた。彼にとって親しみのあるもの。少し回すとザザッ、と脳内にノイズが走った。慌てて元の位置に戻す。顔にふたつ、ダイヤルがあった。

    「よお」

    街道側から誰かが路地に入って来た。サメだ。ずんぐりむっくりしたちびの男で、頭部から目が張り出している。ハンマーヘッド。死体たちと同じで、手足があり、服を着ている。着崩したシャツに丈の合わないズボン、よれよれのトレンチコートは彼をずいぶんだらしなく見せた。

    「……」

    「別に殺しに来たわけじゃない。戻るまで待ってただけだ。ちぃと話をしようや」

    サメ男は少し距離を詰め、懐からタバコを出して火をつけた。タバコは見慣れたもので、ビルは少し気を緩めた。

    「君はこの現状についてなにか知っているのか」

    ビルが問う。

    「現状?」

    サメ男の視線はビルの後ろにある死体の山に移った。

    「覚えてるか?あんたが殺した」

    「なに?覚えてない!なんなんだここは?なんでサメがしゃべってる?私の体はどうなってるんだ?」

    ビルは頭を腕で抱えた。爪が当たって、カツンカツンと音が鳴る。

    「とりあえず服を着た方がいいぜ罪人さん。地獄でも全裸は狂人か変態だ」

    そこでやっとビルは自身がなにひとつ身にまとっていないことに気がついた。サメ男は彼の横を通り過ぎ、死体の中から彼が着るための服を見繕った。ひどい臭いだったが、秩序ある生活を送っていたビルにとって、公衆の面前で裸になるよりはずっとましな選択だった。

    「すまんな」

    「いや。どうせ死人には不要なもんだ。あんたは」

    サメ男は首を左右に揺らす。

    「あんたは突然店に入ってきてその力でもって店でたむろしてたおれの仲間をばったばたと殺しってったんだ。そのとき、仲間のひとりがおまえの顔についてるダイヤルをむちゃくちゃにいじくったのさ。それで記憶が飛んでるんじゃないか。頭が機械のやつにはそういうことが、よくある」

    「その、頭が機械だとか、サメが話すことについて説明はないのか?」

    「おれが説明上手に見えるかい、ぼっちゃん?ここで暮らしていればじきにわかるこったぜ。とにかく、おれは借金取り仲間が全員おっちんだんであんたに鞍替えすることにしたんだ」

    「私に?」

    「地獄に堕ちる罪人ってのもピンキリだ。コスいやつは地獄でも情けねえ生活してるよ。その点あんたは違う。見込みがある。地獄で大成するタイプだ」

    「はあ……」

    地獄、地獄。では私は死んだのか。死の前後の記憶がまるでなかった。しかしこの現状はまさしく罰の体現である。ビルはそう考えた。マーゴやダイアナは生きているのだろうか。自分が信用ならない以上、なにか客観的な情報が必要だ。

    「君、名前は?」

    「ガンバス・アル・アヒージョ。あんたは」

    「ウィリアム・ホワイトだ」

    「ああ、だめだそんな名前。新しいのを考えな」

    ガンバスはタバコを吐き捨てた。

    「なぜだ」

    「ださいし、お前を知ってるやつが殺しにくるぞ」

    「ばかばかしい」

    「なんでもいい。好きな言葉とか」

    「……ウォクス・ポプリー・ウォクス・デイー」

    「ほぉ。なんて意味なんだ」

    「民の声は神の声。……自分の番組を持てたら、タイトルにしようと思ってた。しかし名前には長いかもな」

    「そのとおり」

    「ウォクス……いや、ヴォックスにしよう。英語ならそういう発音だ」

    「ヴォックス。悪くないやね」

    「ガンバス。君は見る目がある。私は適応するのが得意なんだ。正直ここがどういうところなのか――君の説明がへたくそなせいで――わからない。だが、自分の芯を失っていないことはわかっている。私はここに適応してみせる」

    「そいつぁよかった。楽しませてくれよ」

    ガンバス・アル・アヒージョは短い体躯を深々と曲げ、街道への道を彼のために空けた。

    「地獄にようこそ、ヴォックス」



    ここは地獄である。比喩などではなく、天国と対比した際の地獄という場所が、実際に存在する。

    地獄には悪魔がいる。

    悪魔は地獄生まれと罪人に大別される。ヴォックスは罪人の悪魔でガンバスは地獄生まれだった。

    罪人は寿命がなく、一部の例外を除いて完全に死ぬことはない。死んだり殺されたりしてもしばらくすると復活する。

    「まあ、こんなところかね。知りたいことがあれば聞いてくれや」

    もっとも、なにもかも知ってるわけじゃないがね、と、ガンバスは付け加える。ヴォックスとガンバスは酒場に行き、カウンターでちびちびと飲みながら話をしていた。ヴォックスはサンドイッチを頼み、地獄で初めての食事を口に運ぶ。

    「今は何年何月何日だ?」

    「地獄と人間界の時間は正確に合ってないらしい。地獄でいえば、今は一九五六年のまあ六月くらいだ。……おれが適当なんじゃない。大体みんなこんな調子だ」

    「私には一九五二年までの記憶しかない。おおよそ四年」

    「そこまでずれてはない、と思うがね」

    ヴォックスは今まで食べたことがないほど不味く湿ったサンドイッチをなんとか喉の奥に押し込めた。

    「とにかく、これからのことを考えよう。死んでしまった以上、記憶を取り戻したところでやり直せるわけでもなし。なにをするべきだ」

    「罪人悪魔がのし上がるならまず、上級悪魔になることを目指すだろうな」

    ガンバスはコートのポケットからくちゃくちゃのビラを取り出し(そのビラにあまりにも卑猥な言葉が並んでいたのでヴォックスは顔をしかめた)、裏を向けてテーブルに置くと、そこにちびた鉛筆で絵を描いた。円の中に五芒星。

    「これがこの街のすべてだ。ペンタグラム・シティ。わかりやすくていいだろ?で、今おれたちがいるのがここだ」

    ガンバスは紙の下側、星の辺と辺の間に挟まれた円の切れ端部分を黒で塗りつぶした。

    「罪人どもはこの街の縄張りを賭けて常に争ってんだ。その中でも大きなシマを持ってるやつらのことを上級悪魔って呼ぶ。ここを牛耳ってんのはゼスティアルって悪魔だ。古株の上級悪魔の中で唯一……まあ、一番古株のやつさね」

    ヴォックスは紙の上に鋭く尖った爪を立てた。

    「そういうやつを相手にするのは不利だろうな。上級悪魔がいない土地はあるか?」

    「オーケー。どこがだれのシマかってのは職業柄大体わかるぜ。小競り合いしてるところがいい。ぼっちゃんくらい強ければまず負けねえよ」

    自分がサメのマフィアたちを殺したときの記憶はない。ただ、戦い方はすでに身についているような感覚があった。

    「食事が終わったら行こう。それとも日を改めた方がいいか?」

    「ああ、それ夕飯ってか夜食だからな」

    外をちらりと見たが、赤い空が延々と続くだけだった。そういうものらしい。ヴォックスはサンドイッチを平らげ、残っていた酒をゆっくりと飲み干した。

    「うう……」

    よく考えたらこんな頭で飲み食いできるのは不思議だ。中身は機械ではないのだろうか。

    「そういえば、静かだなこの店は」

    「そうか?みなしゃべってるし、踊り子だっているぜ」

    「テレビやラジオがない。地獄には電波塔がないのか?」

    もしそうだとしたら自分の四角頭はまったくのお笑い草だ、とヴォックスは思った。

    「テレビってのは……あるらしいが、見たことはねえ。地球の品物を好事家が持ち込んでるくらいだろうな」

    ガンバスはテーブルに札を置き、席を立った。ヴォックスは目算でその貨幣がドル札で自分が暮らしていた時代の価値とそう大差ないことを確かめる。

    「しかし放送がないのに受信器だけあってどうする」

    ヴォックスが酒場を出ると、先に扉の外に立っていたガンバスはゆっくりと歩き始めた。

    「知らん。電波塔の方だが、それはある。ここから見えたかな。ああ、ほら、あれだ」

    ガンバスは右手で斜め上を指した。ヴォックスはつられるようにそちらの方向を見上げる。

    「ほう」

    確かに、それは電波塔だ。地上から生えてる建物の中でも群を抜いて高く、ここからは距離があるはずだが全貌がよく見えた。

    「腰が曲がっちまってるだろ。それにあの怪しい輝き。おれがガキのこりゃあ普通のラジオ放送をやってたんだが、ラジオ・デーモンが電波塔を乗っ取ってからはあいつの虐殺放送しか流れねえんだよ」

    「ラジオ・デーモン?それはこんな面かな?」

    ヴォックスは自分の顔をコツコツと叩いた。ガンバスはニヤッと笑って肩をすくめた。

    「さあな。なにせそいつの顔を見るときは殺されるときって相場が決まってるからな」

    「虐殺放送ってのはなんだ?」

    「ラジオ・デーモンは上級悪魔をなぶり殺すのが好きなんだ。それを電波に乗せて民衆を怖がらせている。最近じゃ殺すほうの悪魔が足りてないようで、放送も穴が空きがちだがね」

    二人はそのあと他愛のない話をしながら、ガンバスの根城に帰った。彼と借金取りの仲間たちが寝床に使っていた場所だと彼は説明した。生臭いベッドのひとつを借りて、ヴォックスは横になる。

    さて、おおよその道筋は決まった。やらねば。先に進まねば。自分は運がいい。地獄に来てしばらくで協力者と情報を得ることができた。寝返りを打とうとして、頭が引っかかる。この頭!いまいましいったらありゃしない。なにもかもが常識外れだ。そして、悲しいことに不可逆だ。マーゴ。ダイアナ。彼女たちは私が死んで、これからどうやって生きるのだろうか。どうして私は死に至り、地獄に堕ちたのか。今、それを確かめるすべはない。私はこれから悲劇の主人公のように狂人を演じ、核心に迫るための準備をするのみ。ヴォックスは頭の中を駆け巡るノイズのような感情の揺らぎを押し殺し、目を閉じた。一瞬、頭の中から、ザザッ、とほんもののノイズが走る音がした。

    空気が、乱れている。


    地獄に堕ちて四か月が経ち、ヴォックスは最初の事業を売却する書類にサインをした。最低限の機能のあるオフィスの個室にガンバスを呼ぶ。

    「いいんですかい。せっかく軌道に乗り出したところだったのに」

    彼は身なりを整え、ぴしっとしたスーツとシャツに、ネクタイまで締めている。それはヴォックスも同じであった。見た目に気を使うことがビジネスにおいて重要であることをヴォックスは今までの経験からよく知っていた。たとえそれが表舞台の仕事でなくてもだ。

    「あれはとりあえず金を手に入れるための仕事だった。工場製のバーガーを酒場や店に仕入れるなんて、やりたい仕事じゃない。とにかく、軍資金はできた。次の計画について話す」

    「聞きましょう」

    ガンバスはぱちりと片目を閉じた。

    「テレビの普及についてだ。この間試作品を作ってもらったんだが、作動については問題ない。私の力で電波を飛ばし、映像が映るのを確認した。問題はふたつある」

    「テレビのコストと、電波の確保ですな」

    「そうだ。地球でもテレビは給料一か月分だったが、地獄では部品の調達の関係でもっと金がかかる。そして悪魔の平均月収はアメリカ人のそれよりずっと少ない。家庭に一台の時代はしばらく来ないだろう」

    「なにか策がおありで?」

    「街頭テレビを使う。コネのある酒場やクラブにアンテナを設置し、テレビを貸し出す。テレビがある店には客が集まる。テレビ番組を気に入った客はテレビを買うか盗むかするだろう。そうやって普及率が上がればコマーシャルで十分稼げるようになる。なにせ、ここには商売敵がいないんだからな」

    「……テレビを盗まれた店はどうするんでさ」

    「こちらが補償して新しい台を貸し出す。必要経費だ。テレビ自体で利益を上げるつもりはないからな」

    「わかった。電波の方は?電波塔にはラジオ・デーモンが住み着いて、すべての電波帯をジャックしている。放送してないときもだ。自分のラジオだけが放送されるように」

    「まずはお願いしてみるしかないだろう。だめだったらまた次の策を考える。上級悪魔殺しに目を付けられるのは厄介だが、まあ私は上級悪魔ではないから大丈夫さ。ラジオ悪魔にテレビのよさを知ってもらえれば興味を持つかもしれない。虐殺放送をテレビでやってもいい」

    「おえっ。それは、ぼっちゃんが行くんで?」

    「無論だ。もしわたしが帰らなかったらお前は一生おいしいハンバーガーを作る仕事に精を出せよ」

    ヴォックスは目を細めたが、ガンバスは困ったような顔になった。

    「もう一生分のハンバーガーを見やした。テレビの仕事の方がましでさあ」

    「行ってくる」

    ヴォックスは窓を開け、遠くに見える電波塔に周波数を合わせた。彼が地獄に来てから得た能力、自身を電気信号に変え、遠くへ瞬時に移動する力。それは電波が放たれている場所へなら、さらに速度と正確さを増す。七階にあるオフィスの窓から仰向けで乗り出し、電波を察知すると、ヴォックスは雷となり、ラジオ・デーモンのいるタワーへと軽やかに飛び出した。

    着地の際に少しよろめいたが、問題なく移動することができた。ここがあの罪人悪魔の住んでいる電波塔の最上階だ。喉がからからに渇いている。心臓が震えている。 塔から漏れる電波を拾っているからか、脳内にノイズが走る。しかし、どんな絶望的な反応よりも、ヴォックスの胸の内にあるのは、目がうるんでしまいそうな恍惚だった。コツコツと、扉を叩く。

    「……」

    返事はなかったが、物音が聞こえた。こちらにだれかが歩み寄ってくる。両開きの扉に体重をかけるようにして部屋の主が顔を覗かせた。

    「……」

    彼は不機嫌そうにヴォックスを見つめた。目を細めた。そして扉を閉じた。ヴォックスが感情を挟む間もなく再び扉は勢いよく開いた。

    「ようこそ、我がタワーへ。いやはや、昨日は昔馴染みの飲み友達が来てましてね。今日は朝を延長してゆっくり食事をしていたんですよ、休日の特権というわけ」

    一瞬で身なりを整えた男は、右手のステッキをくるくる回し彼我の間にそれを突き刺す。

    「どんな御用で?」

    悪魔はヴォックスの四角頭に首を伸ばし、にったりと口元を歪めた。

    「……アラスター」

    「ええ」

    「君のファンだ」

    「ほう!それはけっこう」

    「つまり、その……誤解してほしくないんだが、わ、わたしはヴォックスだ。じゃなくてだな、用事があって来た」

    ラジオ・デーモン、アラスターは彼を見定めるように目を吊り上げる。

    「地獄でテレビジョンの放送をしたいんだ。だから、君が電波を独占しているのが困っていて……」

    「テレビジョン!」

    アラスターはカカッと愉快そうに笑った。

    「その顔で?ふうん」

    「はははは……まったく。笑い話だ。しかし……」

    ヴォックスは自分を鼓舞するように靴のかかとをぴったり合わせ、腰を曲げアラスターを下から覗き上げた。

    「後の時代に生まれたものに負けるのを恐れている?」

    アラスターは笑顔から馬鹿にするような含みを差し引いた。ヴォックスの次の言葉を待っている。

    「電波を独占するなんて……臆病だ!他の番組が流れたら、聴取者が減るんじゃないかって恐れているんだろう。ましてや映像の流れるテレビなら……。自信があるというなら私にチャンネルをひとつくれ。正々堂々勝負した上で私とテレビを負かせ」

    アラスターはふっと息を漏らし、振り返って背中で扉を押し開けた。

    「私にそんな口を利く者は、この二十数年の間どこにもいませんでしたよ。ニャハ!まだ昨日の酒が残っています、まあどうぞ」

    ヴォックスは彼の誘いに乗るべきか迷った。中に入って生きて戻れる保証はない。そのまま今日、愉快な放送が始まる可能性だってあるのだ。しかし、彼の思案になんら意味はない。後ろからだれかに背中を勢いよく押され、ヴォックスはよろめきながら部屋に足を踏み入れてしまった。彼が振り向くと扉は閉まりつつあり、その隙間からアラスターの影が口に手を当てて笑っているのが見えた。
    アラスターの部屋はおおよそ片付いていた。赤を基調とした壁紙や床張りは古臭いが統一感がある。入ってすぐのローテーブルとソファには昨日の歓談の痕跡か、ワインの瓶やグラスがいくつか散乱していた。奥は全面のはめ込み窓になっており、そのそばに年代物のラジオ放送機材が整然と並んでいた。ここで虐殺放送をすれば恐れおののく聴取者の姿がよく見えるのだろう。寝具はない。基本的にここは寝泊まりする場所ではないだろうことは、ヴォックスも事前に調べをつけていた。シマが広い悪魔は家だっていくつも持ってらっしゃるというわけだ。あとはレコードや本をしまう棚が二、三あるぐらいだ。ラジオ受信機が棚の上や本と本の間にいくつか置いてあるのはさすがラジオ・デーモンといったところか。アラスターは先端にマイクの付いたステッキでソファを指し示した。

    「それで……見返りは?放送権の見返りに、あなたは私になにをくれるんですか?」

    ソファに対面で座る。アラスターは魔術で新しいグラスを出し、テーブルの酒瓶からワインを注いだ。ぐっとヴォックスの顔面に紅いグラスを差し出し、液体越しにヴォックスの顔を覗く。

    「テレビに出演するというのは」

    「論外です」

    ワインの中のアラスターの顔がぐにゃりと歪んだ。

    「シンプルに金を払うのはどうだ?」

    「こと足りてますねえ」

    「虐殺放送の生贄を私が探してくる」

    「…………」

    アラスターは首を傾げた。ちょっとありえない角度まで。

    「誰を殺すか、どうやって追い詰め、絶望を与えるか……それを思い付き、実行するのが私の楽しみです。晩餐の一番美味いところを横取りする無粋な提案ですねぇ?」

    辺りが暗くなり、視界にブードゥーのシンボルがちらつく。ノイズが走る。ヴォックスは差し出されたグラスをひったくり、ワインに口を付けた。

    「アンタが決めてくれ。どんな代償を払ってもいい」

    場面を巻き戻すように、部屋の様子は元に戻る。

    「では取引しましょう」

    アラスターは立ち上がり、マイクステッキを床についた。テーブルを挟んで向こうのヴォックスに手を差し伸べる。

    「あなたがテレビを放送できるようにする。その代わりに私の「お願い」を三つ聞いてください。単純でしょ、ラジオヘッドくん」

    「ああ」

    ヴォックスはアラスターの手を取った。緑の光線が走り、悪魔との取引はあっさり完了した。

    「人殺しでもなんでもする」

    「ハハ!意気込みだけ買っておきます。早速頼みたいことがひとつあるので、後で詳しくお話しましょう」

    アラスターは座り直し、自分の分のワインを注いだ。ヴォックスもワインを飲みなおす。

    「しばらくは放送をしていなかったんですが……どうもやる気がでなくてね。ヴォックスくんはいつから私のファンなんです?」

    アラスターはごろりとソファに寝っ転がった。ヴォックスは紅い海を飲み干したグラスをテーブルに置き、アラスターの瞳を見つめた。

    「死ぬ前から、ずっと好きだったよ……」
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