浮かれたリゾート地では、浮かれた柄の衣服に身を包む男女がうきうきと足取り軽く海へと繰り出すものだ。特に同じ模様の服を着る――ペアルックと呼ばれるものだ――カップルが目につく。昨今の流行だろうか。宮城はファッション雑誌を読まないため、憶測に留まる。
「お客様、このワンピースなんてどうですか？」
リゾート地のカップルに紛れ込んで捜査をするため、宮城と阿澄はショッピングモールにある適当な店で服を調達することになった。メンズとレディースの両方を扱っている、そこそこに有名なファッションブランドらしい。
「はあ、いいのではないでしょうか」
宮城に服装のこだわりはあまりない。あるとすれば、露出が少なめのものがいい。店員が差し出す濃いグリーンのワンピースは、スカート丈もちょうど良い。ちりばめられたマリン柄も悪くない。
渡されたワンピースに袖を通す。僅かに違和感を覚えたものの、鏡に映る着姿は滑稽ではない、と宮城は認識する。
「とってもお似合いですよ〜！そうそう、せっかくなのでお連れ様とペアルックなんてどうかな〜って思って〜！」
無愛想な宮城を気にしているのか、派手なネイルの店員は無理やりなハイテンションで服装に合う小物を勧める。
「……ペアルック？」
一度聞き流した言葉を復唱する。まさかあの浮かれた若者たちと同じ――
羞恥心が胸をざわつかせる宮城の視界に、見慣れた長身が映る。
「ついでにあれもお願いします」
不躾にこちらを指差す男のディープグリーンのボトムスに既視感を覚える。膝で切られたマリン柄から長い足が伸びている。
「ありがとうございました〜！」
間延びした店員の合唱を背に、二人は足早に店を出る。ふと風を切る感覚に、宮城は立ち止まる。
「……背中が」
「あ？早く行くぞ」
突然服を引かれて不愉快そうに見下ろす阿澄に背を見せる。
「あの……非常に風を感じるのですが」
背後から盛大なため息と店員に文句を言う声が聞こえる。
「面倒臭え……。お前、トイレ行って下脱いでこいよ」
「はぁ！？」
「どうせお前着けてても着けてなくても大して変わらないだろ。むしろ今は着けてるほうが見苦しい」
「変態……」
振り返ろうとするも、阿澄に肩を掴まれそのままどこかへ誘導される。背中にぴったりと密着されて不快だ。こちらの不快感が伝わったのか、阿澄が耳元に顔を近づける。
「背中から見えてんだよお前の色気の無い下着が！」

じわじわと恥がこみ上げる。熱い頬を隠すように顔を背けた。
「色気のある下着を着けているなら問題ない……ということでしょうか」
「お前は何着てても色気無いけどな。いいから着替えてこい、ほら」
トイレの前で解放され、宮城は個室へ駆け込む。片手で鍵を閉めながら、もう片方の手で背中に触れる。着るときの違和感は背中部分の布の少なさだった。思っていたよりも深く開いている。これではブラジャーの背中部分が確かに見えてしまう。ノーブラになるのとブラジャーが見えているのとどちらが恥ずかしいか比較が難しい。どちらも嫌だ。
――仕方ない。
宮城は考えることを放棄し、下着を外し鞄に詰めた。
「おい、遅いぞ」
「迅速な行動に努めましたが」
着替え終わった相方を一瞥しただけで先へ歩き出す阿澄を足早に追いかけながら、不安を振り払う。
どうせ揺れるほどのものは無い。

◆◆◆

捜査中の事件は、付近の高級ホテルで起こった殺人事件だ。被疑者がこのショッピングモールへ頻繁に足を運んでいたとのことから、容疑者のリストアップと現場検証のために訪れた。
阿澄は刑事としての経験を積むため、宮城は刑事のパートナーを務めるため、それぞれの立場で事件解決に向けて協力している。
「被疑者はショッピングモールの中でも、特定の靴屋に入り浸っていたようですが」
心許ない胸元を抑えつつ、宮城は阿澄を見上げる。
「ああ、その靴屋の店員は全員アリバイがあるそうだ」
「なるほど…………。被害者は常連客の可能性が高いですね」
「ああ、だが、被害者も容疑者の一人だからな。念のため確認しておくか」
犯人の目星はついている。被害者の夫である彼は、妻を殺した後、その罪悪感から自殺を図るものの、死ねずにモール内を彷徨い、ついに屋上から飛び降りたのだ。
「でも、どうして夫は自殺したんですかね？」
「さあな。まあ、そんなことはどうでもいい。まずは現場に行くぞ」
二人は連れ立ってフロアを歩く。深い森のようなグリーンがはためく。
「うっ…………」
すれ違う買い物客たちの視線を感じる。阿澄と宮城はかなりの身長差があり、ペアルックをするほどのカップルにしては殺伐とした空気があり不自然だ。
「行くぞ」
先に歩いていく阿澄に手を引かれ、引きずられるようにして進んでいく。
「ちょ、ちょっと待ってください！ 今行きますから！」
今日は休日ということもあり、家族連れや若い男女が多い。自分と阿澄の組み合わせに好奇の目が向けられているような気がする。
「あの、手は放していただけませんか？ 周りの目線が痛いのですが」
「ああ、歩き難かったか？」
阿澄は宮城の右手を自分の左手で握った。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
「これでいいだろ」
「良くないですよ！？ 何してるんですか！？」
「手を繋ぐより騒いでる方が恥ずかしいだろ。ほら、早く来いよ」
繋がれた手を見て赤面している宮城を尻目に、阿澄はさっさと歩き出してしまう。
「…………」
仕方なく阿澄の後を追うが、心臓がバクバク鳴っている。
――なんなんだ、この男は。
振り返らずにズンズンと進む阿澄の横顔を盗み見る。本当になんとも思ってないらしい。何かを感じているとすれば、手のかかる飼い犬を仕方なく抱えて歩くような心境だろう。しかし、それはそれで腹立たしい。自分はペットではない。
「阿澄さん、私のことを馬鹿にしてますよね」
「はぁ？ いきなり何言ってんだお前」
「だってそうじゃないですか。私はあなたの相棒なのに、こんな風に手を繋いで歩かないとならないなんておかしいです。しかも周りからの奇異の視線に耐えながら。私を辱めて楽しいですか？」
「別に楽しくねぇけど。嫌なら離せばいいじゃねえか」
「……別に。これはこれで合理的だと思いますので」
確かに合理的ではあるのだ。阿澄の手を振り払うのは抵抗があるし、周囲の目線も気になる。それに、恋人同士のフリをしなければならない以上、多少のスキンシップは必要かもしれない。
「やっと静かになったか」
阿澄は呆れたように溜息をつく。
「ええ、おかげさまで」
「まったく、俺の言うことには素直に従うのに、どうして自分の意見は曲げようとしないんだよ」
「あなたは私の上司でしょう？ 部下の意見を聞くのは当然のことです」
「はいはい」
阿澄は適当に会話を切り上げ、周囲に視線を走らせる。宮城もそれに倣って犯人の手がかりを探す。
「とりあえず目撃情報のあった店に行くぞ」
阿澄は迷わず通路を進んでいく。その足取りには迷いがない。まるで何度も来たことがあるようだ。
「こちらの方角でしたね」
宮城は阿澄に引っ張られながらも、資料から得た記憶を頼りに進んでいく。二階から三階に上がり、本屋へと入る。
「さっきの店員の話だとここでよく立ち読みしていたらしいな」
「そうですね」
阿澄と宮城は雑誌コーナーに立ち止まる。女性向けのファッション雑誌とファッション誌が置かれている。被害者の夫は何故女性向けの雑誌コーナーに入り浸っていたのだろうか。
「あ、あの本……」
宮城が指差したのは一冊の漫画だった。表紙には眼鏡をかけた青年が描かれていて、題名は『メガネ君』となっている。作者名は無い。
「漫画に興味があるのか？」
「いえ、そういうわけではありませんが…………」
宮城は少し躊躇いながら答える。
「被害者の夫に似ているな、と思いまして」
「ああ、そうだな。言われてみると似てるかもな」
阿澄は漫然とページをめくっていく。すると、一枚のイラストが目に留まる。
「ん？ これって…………」
阿澄はイラストを見て目を細める。
「どうしました？」
「……犯行現場にそっくりだ。ホテルの内装も、散らばっている花も」
「……偶然でしょうか」
宮城は次のページをめくる。そこには、主人公がヒロインに花束を渡すシーンがあった。
「あと、こことか、このレストランのテーブルの配置とかも現場のホテルとそっくりだな」
「確かに…………」
「まぁ、似ているのはこの辺だけだ。あとは全然違う」
パラパラと最後まで漫画に目を通し、阿澄は本を閉じる。
「この本が無関係とは思えません。そもそも、女性誌コーナーになんの脈絡もなく置いてあることも……誰かが意図して置いたのではないでしょうか」
「とりあえず買っていくか」
「はい……いえ、待ってください。バーコードも値段の表示もありませんね」
阿澄から本を受けとり、くまなく調べる。奥付には見慣れない印刷所の名前と作者のメールアドレスが書かれている。
「ここの売り物じゃないな。店員に言って持ち帰るか」
「ええ。他にも関連するものがないか調べてみます」
その後、店舗に捜査協力を要請し、店員にさらなる聞き込みを行い本屋を離れた。
「次はどこに行くんだっけ？」
「確かアパレルショップでしたね。そこに行けば何か分かるかもしれません」
二人はまた通路を歩き出す。阿澄はさりげなく周囲を警戒する。そして、ふと思う。
（なんだ？）
阿澄は首を傾げる。自分が今感じた違和感の正体を突き止めようとする。しかし、上手くいかない。阿澄は小さく舌打ちをする。
「どうかしましたか？」
「いや、なんでもない」
阿澄は再び前を向いて歩く。
「さっきの店員の話だと、被害者は服を買いに来ていたみたいだからな。まずはそこに行ってみるか」
「はい」

◆◆◆

そうして二人は『メガネ君』といくつかの裏付けを得て一日を終え、出張先のホテルへ向かう。阿澄と宮城の部屋はもちろん分けて取ってある。そのはずだった。
「おい、なんで俺の部屋にいるんだよ」
手早くシャワーを浴びて浴室から出た阿澄の眼前のベッドに緑色のワンピースが広がっている。その中央にいる女は悔しそうに阿澄を見上げる。
「……職務の遂行に問題がありました」
「は？」
面倒ごとが始まる予感に、阿澄は自分の髪を乱雑に拭きながら浴室へとUターンする。バスローブの端が掴まれ前が肌蹴る。
「カップルのふりに抵抗があったのは私の問題です。ですが、阿澄さんは私の相棒であり上司ですよね？」
「そうだな」
「なら、私に命令すればいいんです！」
「何をだよ」
「一緒に寝ろ！ とか」
「はぁ？ そんなことできるわけねぇだろ」
「じゃあ、せめて同じ部屋で眠るくらいはしないと不自然でしょう！？」
「あのな…………」
「私は眠くありませんから大丈夫です！」
「そういう意味じゃなくて…………はぁー」
阿澄は溜息を吐いて脱力する。どうやらこの女の相手はしなければならないようだ。宮城のしつこさは身に沁みている。
「分かったよ。でも、俺はソファで寝るからな。お前はベッドを使え」
「嫌です」
「は？」
「だって、せっかくのクイーンベッドなのに別々に使うなんて勿体無いじゃないです。というか阿澄さんだけずるいです」
「いや、シングルじゃ狭いんだよ俺には。見ればわかるだろ」
優秀なところもあるかと思っていたが、阿呆なのかこの女は。
「じゃあ、こうしましょう。阿澄さんは私が抱き枕にしてあげますから、阿澄さんは私の抱きまくらにされてください。これなら平等です」
「何一つ平等じゃねえよ！ というより、お前は俺を抱きしめたいのか？ したいって言ったら全力で拒否するが」
「うっ…………そ、それは」
宮城は顔を赤く染めて俯く。
「なんだよ」
「ち、違います。恋人ってそういう感じじゃないですか、よく知りませんが。恋人になりきることで明日からの職務に全力を尽くせるというもので……俳優が役作りのために役に限りなく近い状態で日々を過ごすのと同じです。プロ意識です」
「なるほど。つまり、お前は俺の恋人のフリをすることで仕事を全うしようというんだな？」
「そうです。こう見えてわたしにも刑事の誇りというものがありましてですね……」
「へぇ。そりゃ立派なことだな。尊敬に値するな」
「はい、ありがとうございます。では、早速今から始めましょう。おやすみなさい」
宮城は布団を被って目を閉じる。いつも通り強引だ。
「おい、ちょっと待て。なんでもう寝てるんだよ。起きろ。それでさっさと出て行け。俺は眠いんだよ」
そもそもこいつはまだ風呂にも入ってないんじゃないか。風呂に入ってない状態で他人のベッドに入るな
「ん～阿澄さんの匂いがします。落ち着く匂いです。なんか眠れそうです」
「アホなこと言ってんじゃねぇよ。それはホテルの洗剤の匂いだ。いいからさっさと出ろ、ワンピースのまま寝るつもりか？」
「そうでした。せっかくの洋服がシワになってしまいます。それではシャワーを浴びてきますね。覗かないでくださいね」
さっきまで目を瞑っていた宮城がベッドから起き上がったかと思えば、流れるように浴室へ入る。いや自分の部屋で入ってくれ。何が悲しくてあいつの色気のない入浴シーンを覗かなきゃならないんだ。阿澄は溜息を吐いてソファに横になる。どうせすぐに出てくるだろう。そう思っていたのだが、意外と時間が掛かっている。まさか本当に入っているわけでもあるまい。阿澄は様子を見に行くことにした。
浴室をノックする。