ぬいぐるみの話 そろそろ寝ようと思っていたところだった。
ノックの音が響き、天彦は目をこすりながらドアを開けた。部屋の前に、ふみやが立っている。大きなうさぎのぬいぐるみを抱き抱えている姿に、天彦は目をぱちくりさせた。
「これ、天彦にあげる」
言って、ふみやがぬいぐるみを差し出してくる。ワインレッドの布地で作られ、ふみやの上半身を隠すほどの大きさがある。瞳には宝石のように煌めく碧いボタンが縫い付けられていた。
「天彦に似てると思って」
確かに、天彦の髪色や目の色にそっくりだ。
「それで、僕に……?」
だが、ふみやがぬいぐるみを持っている理由が分からない。天彦は困惑したまま、ふみやとぬいぐるみとを交互に見つめた。
ぬいぐるみに隠れてふみやの顔がよく見えないが、俯いているように思える。いつもは真意の読めない紫色の瞳がまっすぐこちらを見つめてくるのだが、今日は違うらしい。
「あー……ゲーセンで取ったんだけど、俺の部屋には置く場所無くて……」
天彦が黙り込んでいたからか、ふみやが辿々しく説明してくる。その話が事実かどうか分からないが、声音は自信がなさそうに聞こえた。
「いらなかったら、別に良いんだけど……」
「いえ、もらいますよ」
ふみやから差し出されたぬいぐるみを受け取る。滑らかな生地と沈み込むような綿の感触は抱き心地抜群だ。
「良かった、もらってくれて」
ほっとしたのか、ふみやがいつもの表情に戻る。そこで天彦はふと首を傾げた。
「あの、普通のぬいぐるみ、ですよね?」
突然ぬいぐるみをプレゼントされた理由が分からない。彼なら何か細工をしかねないと思ってしまったのも事実。
「喋ったりする方が良かった?」
ふみやが不思議そうに首を傾げる。どうやら盗聴器などは仕掛けられてない、ようだ。
「いえ、そういうわけでは……」
中身がただの綿だろうことに安堵する反面、天彦はふみやを疑ったことを申し訳なく思った。ふみやが反対側に首を傾けたので、天彦はにこりと微笑んでみせた。
「大切にしますね」
天彦の言葉に、ふみやが「うん」と頷いて自室に戻っていく。その顔は、年相応に嬉しそうに見えた。
自分とほとんど同じくらいの大きさのぬいぐるみを抱きしめながら、天彦はベッドに腰を下ろした。
天彦が盗聴器を疑ったのは、なにもふみやが善悪の弁パカパカな、面白人間大好きイカれサイコパスセクシーだから、だけではない。つい数日前、彼は天彦に好意を伝え、交際したいと頼んできたのだ。予想外のことに天彦はセクシーをすっ飛ばして困惑し、返答を保留にしていた。まさか、ふみやに恋愛感情などあるとは思っていなかったから。まして、それを自分に向けているとは、何かの間違いか、また弄ばれていると考えるのは自然だろう。
しかし、保留宣告を受けたふみやは「世界中の変態が恋人じゃないのかよ。俺が変態じゃないってこと?」と年相応に不満げな顔をして、意味不明なクレームを述べてきた。だから天彦はつい、世界セクシー大使らしく、その気にさせてみてください、と宣ったのだ。
天彦は腕の中のぬいぐるみを見つめた。
「……これ、アプローチか……」
ふみやがクレーンゲームでうさぎのぬいぐるみを取ろうとしている様を想像して、天彦はふふ、と口元を緩めた。
「可愛い坊やだ。……お礼言いそびれたな……」
天彦はベッドに寝転がった。ぬいぐるみを抱きしめる。
「おやすみ」
***
「ただいま」
ふみやは『Antoinette』の紙袋を提げたまま、ぺたぺたと玄関を通り抜ける。リビングのソファから紫色の髪が覗いている。珍しいと思いながら、ふみやはソファに近づいた。
天彦が、ぬいぐるみを抱きしめながら眠っていた。彼が抱きしめているのは、ふみやが数日前に渡したうさぎのぬいぐるみだ。
ふみやは天彦の隣に腰を下ろすと、その寝顔を見つめた。
顔を近づける。寝息がかかるくらいの距離だ。
寝込みを襲ったとバレたら、天彦にセクシーではないと怒られるかもしれない。それは、あまりいいとは言えない。
「いいな、お前は」
次は何をプレゼントしようかと思いながら、ふみやは天彦の寝顔を見つめていた。
END